三浦つとむは、
・「が」は個別的な認識を表わす。
・「は」は特殊性や普遍性を表わす。
と述べている。
ただ、この場合、
・紫式部は源氏物語の作者だ。
という措定文の「紫式部」は特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。
これはどうにも納得できない。
「犬は好きだ」は普遍性であり、「この犬は好きだ」は特殊性であると言っているのだと思う。
しかし、「この犬は好きだ」が個別的認識ではなく、「犬が好きだ」が普遍的認識ではない、と言われても、なかなか理解は難しい。
少なくとも「が」と「は」の違いの論拠とするにはそぐわないと言わざるを得ない。
「が」と「は」の違いに直接的には関係ないが、
アスナロウ氏紹介による時枝誠記の、主体的表現・客体的表現という概念は参考になった。
・主体的表現:話者の主観的な感情、要求、意志、判断などを直接表現したものであり、 日本語では、助詞、助動詞(陳述を表す零記号、すなわち肯定判断を表すが、 表現としては省略された助動詞を含む)、感動詞、接続詞、陳述副詞で表される。
・客体的表現:話者が対象を概念化して捉えた表現で、 日本語では、名詞、動詞、形容詞、副詞、連体詞、接辞で表される。 主観的な感情や意志などであっても、 それが話者の対象として捉えられたものであれば概念化し、客体的表現として表される。
三浦つとむは「主体の観念的自己分裂と視点の移動」という観点を述べているようだが、そこまで言わなくとも時枝説で十分であろう。
こうした解説はよくわかるし非常に勉強になった。
言語実体説と言語過程説の違いも、一応わからないではないのだが、それが「が」と「は」の違いに、どんな関係があるのか最後までよくわからず、アスナロウ氏とは最後までかみ合わなかった。
別の場面で、また色々教えていただきたいと感じている次第。
さて、前置きが長くなってしまい恐縮ですが、ここで質問です。
・「が」は個別的な認識を表わす。
・「は」は特殊性や普遍性を表わす。
という三浦説について、みなさんのご見解をお聞かせ願えないでしょうか。
「が」と「は」の違いについてーその1
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11250574.html
の質問本文に、三浦の説をもう少し詳しく(といっても短く)掲載しています。
A 回答 (68件中61~68件)
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No.8
- 回答日時:
1. ハ格とガ格というのは いったいどういう性格なのか? やはり その生
成の過程について見てみたい。
2. ただし ほかの言語における格活用に照らし合わせるとどうか? として。
日本文は 《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。》という構文で考える。
3. 古代において現在のトルコ東部のヴァン湖周辺に住んでいたウラルトゥ人
の言葉を取り上げる。(これは 能格言語といわれている)。
4. さっそく まづ次の文例を見てみよう。
〔Urartu-a〕: (D) Ĥaldi-e euri-e ini aŝe (I) Rusa-ŝe (I)Erimena- himi-ŝe uŝt-u-ni uiguiŝia-n-edini.
逐語訳: (神)はるぢ-ニ 主-ニ コノ 楯 (王)るさ-ガ (王)えりめな〔ノ〕-子-ガ 捧ゲタ-ソレ〔ヲ〕 命(長寿)-ノ-タメ
和訳: 主なる神ハルヂに この楯は エリメナ王の子・ルサ王が 長寿を願って 捧げた。
5. 構文として 次の部分を取り出して 検討しよう。
〔UR- a1〕: ini aŝe Rusa-ŝe uŝt-u-ni
直 訳: コノ楯 るさ-ガ 贈ッタ-ソレ
構 文: A〔ハ〕 B-ガ C-A’〔ヲ〕
6. つまり 日本語の《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。》構文と対照させる
に持って来いだと見られる。
7. 違いは ① ハ格のハに相当する格が 無い。つまり 無標で 主題提示を
していると見られる
② ガ格に相当する格は――はっきりあって―― -ŝe である。
③ 論述部( C‐スル)が 用言(C=贈る⇒贈った)のほかに 接辞としての代名
詞( -ni :それ)がついている。これは 意味から言って ini aŝe=この楯 のこ
とである。
④ 細かいことを言えば その論述部は 次のように主格を成す主題としての Rusa
=ルサを承けた代名接辞が 無標識(φ)で添えられている。
uŝt- u- φ- ni
贈った‐ かれ〔ガ〕‐それ〔ヲ〕
英文の文型なら: V ‐ S ‐ O
8. 英文の S-V-O 文型を引き合いに出した(出せた)ところで いまの例文の分
析が一気に明らかになったのではないだろうか。
9. 次のように この文は言ってみれば二層構造を成して その意味などを伝えて
いる。
和文 ウラルトゥ文
この楯‐ハ ルサ王‐ガ 贈った。 | ini aŝe Rusa-ŝe uŝt-u-ni
主題提示層:A(中心主題)‐ハ B(関係主題)‐ガ C(用言論述)。| A(中立主題)‐φ B(関係主題)‐ŝe C(用言+主格+対格)
論理表示層:O(この楯)‐ヲ S(ルサ王)‐ガ V(贈った)。 | O(この楯)‐ヲ S(ルサ王)‐ガ C= V ‐ S’ ‐ O’
10. ウラルトゥ文のCなる項は 次のように成り立っている。
uŝt-u-ni
C(用言+主格+対格)
C= V ‐ S’ ‐ O’
( dedicated-he-it )
11. 言い換えると C= V‐S’‐O’( dedicated-he-it )つまり he-dedicated-it
なる文型が ひとつにすでに英文を形成しうると見られ ひとつに 〔この文型が〕
《A‐ハ B‐ガ C‐スル》構文を突き破って独立するなら やはり英文と同じ構成と
なる。⇒ KIng Rusa dedicated this shield ( to Haldini God ).
12. 主題を提示するハ格およびガ格というのは 〔おそらく〕文の生成において
初源の発想をのこしている。のではないかと推し測られる。そういう役割りを〔主題
の提示というものは〕になっているのではないだろうか。
☆ 取りあえず ここまでの仮説をしるしてご見解をうかがいたいと思います。
ご回答ありがとうございます。
私には難しそうですが、色々と面白そうですね。
アスナロウ氏が何か言ってくるかもしれませんが。
私の乏しい見解としては、
>12. 主題を提示するハ格およびガ格というのは 〔おそらく〕文の生成において
初源の発想をのこしている。のではないかと推し測られる。そういう役割りを〔主題
の提示というものは〕になっているのではないだろうか。
:
というのは、別質問の【 VOL.1ー使い分けの要点 】からしても、ムベなるかなという印象を受けます。
あとひとつ単純な興味本位で思ったのが、
>① ハ格のハに相当する格が 無い。
:
のに、
>つまり 無標で 主題提示を
していると見られる
:
と判断されたのはどういった根拠からですか?
No.7
- 回答日時:
#6 の誤りについて
>>
1. 語をその意味においてあたかも絶対値を示すといったかたちで 用いた
としたら どうなるか?
これが、語を並べれば文になるという言語実体観、煉瓦的構成観の誤りです。
言語は話者の認識の表現であり、規範としての語を媒介として文に表現するもので、規範の概念をもたない為、媒介の構造が理解できません。
語をその意味においてあたかも絶対値を示すといったかたちで 用いたとしたら どうなるか?
⇒単に感性的な絵になるだけです。
>>2. 海辺にいて:
( a ) 海。
とつぶやく。そんな場合です。
これは、語ではなく一語文で、
「海■」
と、判断辞が零記号として存在します。これを、単なる語とするのは媒介の構造が理解できない初歩的な誤りです。◆
ご回答ありがとうございます。
頭おかしいんじゃないの?
>6. 裸のまま飛び出させた語は 文における意味関係を示す格としては――
それが 無標識で無規定なわけですから ぎゃくに言うと―― さまざまな具
体的な格として 応用することができる。
:
と言ってるじゃん?!
とリンダが水着に着替えながら大笑いしています。
No.6
- 回答日時:
いわゆる助詞のハおよびガ(あるいは さらにほかの助詞)について ハ格と
ガ格といったふうに《珍種》の仮説にもとづき 基礎となるところを明らかに
できればと思います。
1. 語をその意味においてあたかも絶対値を示すといったかたちで 用いた
としたら どうなるか?
2. 海辺にいて:
( a ) 海。
とつぶやく。そんな場合です。
3. これを やはり《格》という切り口を用いますが 絶対格に活用してそ
の語――《海》――を 文表現に用いた。と捉えます。
4. ウミという語を 言わば裸のまま 文における自己表現に用いた。
5. この絶対格の活用ないし用法から出発すると 助詞のハタラキについて
分かりやすくなると思います。
6. 裸のまま飛び出させた語は 文における意味関係を示す格としては――
それが 無標識で無規定なわけですから ぎゃくに言うと―― さまざまな具
体的な格として 応用することができる。
7. つまり こうなります。:
( a ) 海。
⇒その語の格づけを 話し手が おこなうと:
( a-1 ) 海‐か!
( a-2 ) 海‐よ!
( a-3 ) 海‐は いいな。
( a-3 ) 海‐が 荒れてる。
・・・・
8. つまり こういうふうにして 《海》という語は このような(思想の
表現としての)文の中では 主題になる。思いや考えの対象として取り上げた
というかたちになる。
9. しかも同時に 文として成り立ったときには その主題が――文の構造
や成文どうしの意味関係として――どんな位置づけになっているかも たしか
な形を採って来る。つまり 格〔づけ ないし 格関係〕が 出来上がる。
10. すなわち こうなります:
( a ) 海。: 無格あるいは 文生成に向けて絶対格という位置づけ
(絶対格は 格としての内容を潜在的なチカラとして持つ
とも言える)。
⇒その語の具体的な格づけを 話し手が おこなうと:
( a-1 ) 海‐か!:・ 感嘆の相にて 感嘆法に活用。(法は 気分や意志)
・ 疑問の相にて 《海か? 海が何だ?》のような意味
( a-2 ) 海‐よ!: いわゆる呼格に活用。主題を取り上げそれに呼びかけ
ている。そういうかたちで 文を形成。
( a-3 ) 海‐は いいな。:《いいな》という主観の判断に対する何がを示
す主題を ハという格活用がになっている。
( a-3 ) 海‐が 荒れてる。: 《荒れてる》という論述主題(つまり 答
え)に対する問いとなる主題を ガという活用格が示す
かっこうとなっている。
11. ( a-1 )の――助詞なんですが――格活用のカは 主題をどのように
格づけするかの段階を超えて すでに文意を話し手が どのように判断し表現す
るかの問題に移っている。これは 法活用とよびます。ご紹介までです。
12. ( a-3 と a-4 )のハ格とガ格が 一般に文における主題の提示をにな
うものとなったと考えられます。
13. そのあと ハ格の用法は どんなか? あるいは ガ格は 具体的にど
のような主題提示の仕方をするのか? といった問題に――文法としては――取
り組むことになる。
☆ こういった基礎から始めるとよいのではないでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
>☆ こういった基礎から始めるとよいのではないでしょうか?
:
助詞・助動詞などの主体的表現について考えることには興味があります。
人間心理の表出ですから、あれこれ推測するのは面白い。
ただ、すべての語を網羅しようとすると私の力にはあまります。機会が得られればという程度にとどめておきます。
主語を形成するところのハ格ガ格を攻略することを当面の課題としたいところです。
(三上は主語廃止論者のようですが)
「よ」
詠嘆・呼びかけ・確認・断定・念押し・命令・勧誘・疑問などなど、多様な意味を持つ間投助詞・終助詞。
「か」
不定・強調・選言・疑問(反語)・詠嘆・推測・質問などを表わす副助詞・終助詞。
No.5
- 回答日時:
hakobuluさん、今度、時間があれば、また私が出した文をいままでのように、直していただけるでしょう。
本音を言うと、この前は、本当に助かりました。No.4
- 回答日時:
#1について
>副助詞となるのは、
・(枕草子の作者は清少納言であり、紫式部ではない。)紫式部は源氏物語の作者だ。
といった文脈の場合でしょう。
この場合は、当然、特殊性の認識を表わす副助詞です。
>・紫式部は源氏物語の作者だ。
は係助詞と考えるのが一般的かと。
シチュエーションによりますから、どちらであるかはどうでもよいのですが、係助詞だとしたら特殊性ではないはず。
普遍性というわけにもいかないはずで、個別性と捉えるしかないように思うわけです。
いいえ、特殊性の認識を表わす副助詞です。
シチュエーションによりますから、どちらであるかはどうでもよいのではありませ。シチュエーションというのは、個別の話者の認識に結びついているもので、この点を言語実体観の発想で、多数のシチュエーションが転がっているかのような誤った発想に陥っています。
個別正の認識を表わすのは格助詞の「が」で、普遍性の認識を表わすのが係助詞の「は」です。
何回説明しても理解できませんね~。■
ご回答ありがとうございます。
>いいえ、特殊性の認識を表わす副助詞です。
:
猛暑のせいです。(笑)
>個別正の認識を表わすのは格助詞の「が」で、普遍性の認識を表わすのが係助詞の「は」です。
何回説明しても理解できませんね~。
:
「わけのわからん説明なのだから、何回聞いてもわかるはずないじゃん~」とリンダが言ってます。
No.3
- 回答日時:
早速の応答をありがとうございます。
#2 の応答について
>どうも感覚が異なるようですね。
いいえ。質問者の理解が誤っているだけです。
>ふく‐じょし【副助詞】
種々の語に下接し、上の語に副詞の性質と職能とを帯びさせて下の用言の意味を限定する助詞。(広辞苑)
という意味だと思っているのですが。
再三再四指摘していますが、辞書は誤っており、この場合は役にたちません。
毎度指摘の通り、語は意義を表わすもので、語が「上の語に副詞の性質と職能とを帯びさせて下の用言の意味を限定する」ことなどできません。
どうやったら、副詞の性質と職能とを帯びさせることができるのはそのプロセスを明示して下さい。
ここに、言語実体観を克服できず、主体的表現/客体的表現の相違も正しく理解できていない事実が露呈しています。
副助詞とは何かは、せっかく三浦の本を買ったのですから、良く読んで下さい。
【質問1】
特殊性の認識を表わす副助詞です。
この、話者の認識が理解できないところが、言語実体観の限界です。
【質問2】
副助詞となるのは、
・(枕草子の作者は清少納言であり、紫式部ではない。)紫式部は源氏物語の作者だ。
といった文脈では
そうです。
【質問3】
・紫式部は源氏物語の作者だ。
が係助詞になることはありますか?
ありません。
3.
>『表現から話者の認識を見、
何で見るのですか。見るのは文字でしょう。
>言語規範(広義の文法)』のひとつである「が」や「は」の意義
どこが広義なのですか。学校【文法】の本にも記載されていますが。
これでは、文法とは何かが分かっていないことを露呈しています。
■
ご回答ありがとうございます。
>再三再四指摘していますが、辞書は誤っており、この場合は役にたちません。
:
ふく‐じょし【副助詞】
種々の語に下接し、上の語に副詞の性質と職能とを帯びさせて下の用言の意味を限定する助詞。
という広辞苑の語釈は間違いだ、という意味ですか?
特殊性と限定は、特に大きな差異はないと思いますが?
>【質問1】
特殊性の認識を表わす副助詞です。
この、話者の認識が理解できないところが、言語実体観の限界です。
:
下記の文脈で???
それはないでしょうよ。(笑)
先生:え~、皆は紫式部という人を知っているかな?
生徒:知りませ~ん。
先生:では、こんど試験に出すからよく覚えておくように。紫式部は源氏物語の作者だ。
>【質問2】
副助詞となるのは、
・(枕草子の作者は清少納言であり、紫式部ではない。)紫式部は源氏物語の作者だ。
といった文脈では
そうです。
:
これを聞いてまずは安心しましたよ。
残暑が厳しすぎるのかと心配してましたので。
>【質問3】
・紫式部は源氏物語の作者だ。
が係助詞になることはありますか?
ありません。
:
\(-_-;)/
これはまったく理解できないですね。
やっぱり猛暑か・・・。
>言語規範(広義の文法)』のひとつである「が」や「は」の意義
⇒どこが広義なのですか。学校【文法】の本にも記載されていますが。
これでは、文法とは何かが分かっていないことを露呈しています。
:
\(-_-;)/\(-_-;)/
私に言われても。(笑)
『科学的認識』の筆者に、言ってください。
今年の残暑はタチが悪いですなあ。
ちょっと休憩してください。
No.2
- 回答日時:
>・紫式部は源氏物語の作者だ。
は係助詞と考えるのが一般的かと。
いいえ、この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。
個別/特殊/普遍の関係も、副助詞と係助詞の関係も正しく理解されていません。
言語実体観を克服できず、主体的表現/客体的表現の相違も正しく理解できていない段階では已むを得ませんが、下記の科学的認識が具体的に理解できないとどうしようもありません。
(1)科学的認識
科学的認識の原則は、対立相互浸透の原則、量質転化の原則、二重否定の原則の3つの原則にまとめられる(図3)。これらの原則から自然に対する認識として、
「自然は過程の複合体であり、矛盾の複合体である」
とする科学的世界観が導かれる。原因があって結果があり、その結果は次の原因となると言う原因結果の同時性と万物変化の原則、種々の矛盾が調和され、調和が次の矛盾を生むことにより、矛盾を原動力として発展するとする対立物統一の原則などの存在を通して自然を見る見方である。自然科学では自然のこのような過程的構造の中に存在する法則性を発見し、その法則を通して現象を再現させ、自然をコントロールすることを可能にする。法則発見の意味は人間の経験を超えた現象を予知し、人間に役立つ方法で出現させる事に意味がある。経験に基き説明されたり、再現できる現象を扱うには何ら科学は必要ではない。
自然言語も同様である。このような科学的認識で自然言語を捉えたものに言語過程説がある。言語は「対象」、「認識」、「表現」の過程的複合体であるとする時枝学説である。これは、言語では対象は話者の認識を通して表現に関係づけられること、また表現への関係づけに対して自然発生的で社会的な規範である言語規範(広義の文法)が媒介することの2点に着目した点に特徴があり、読者はこの規範を手がかりに、表現から話者の認識を見、それを通して対象のあり方を追体験することが可能となるとするものである。/
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>・紫式部は源氏物語の作者だ。
は係助詞と考えるのが一般的かと。
⇒いいえ、この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞です。
:
どうも感覚が異なるようですね。
ふく‐じょし【副助詞】
種々の語に下接し、上の語に副詞の性質と職能とを帯びさせて下の用言の意味を限定する助詞。(広辞苑)
という意味だと思っているのですが。
【質問1】
では、次のような文脈も副助詞?
限定の意味あります?
先生:え~、皆は紫式部という人を知っているかな?
生徒:知りませ~ん。
先生:では、こんど試験に出すからよく覚えておくように。紫式部は源氏物語の作者だ。
2.
>個別/特殊/普遍の関係も、副助詞と係助詞の関係も正しく理解されていません。
:
批判は、具体的な箇所を挙げて根拠を述べることが肝要。
正しく理解するために極めて簡単な質問をしても、ひたすら逃げ惑うのはなぜ?
3.
>言語実体観を克服できず、主体的表現/客体的表現の相違も正しく理解できていない段階では已むを得ませんが、下記の科学的認識が具体的に理解できないとどうしようもありません。
:
こうした御託を宣うのは結構ですが、質問から逃げずにちゃんと答えましょう。
分かりやすく質問しなおすので、今度は逃げずに答えてください。
【質問2】
副助詞となるのは、
・(枕草子の作者は清少納言であり、紫式部ではない。)紫式部は源氏物語の作者だ。
といった文脈では
?
【質問3】
・紫式部は源氏物語の作者だ。
が係助詞になることはありますか?
あるなら、その場合は普遍性ですか特殊性ですか、それとも他の何かですか?
3.
>これは、言語では対象は話者の認識を通して表現に関係づけられること、また表現への関係づけに対して自然発生的で社会的な規範である言語規範(広義の文法)が媒介することの2点に着目した点に特徴があり、読者はこの規範を手がかりに、表現から話者の認識を見、それを通して対象のあり方を追体験することが可能となるとするものである。
:
『表現から話者の認識を見、それを通して対象のあり方を追体験する』ために、『自然発生的で社会的な規範である言語規範(広義の文法)』のひとつである「が」や「は」の意義について述べているのですから、あなたも、ごたごた言わずに、「が」や「は」の意義について述べればよろしい。
No.1
- 回答日時:
基本的な誤りを指摘しておきます。
>・紫式部は源氏物語の作者だ。
という措定文の「紫式部」は特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。
「措定文」とは何かの定義なしに、何を根拠に「特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。」のか、なぜ、「特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。」のか全く不明です。
「紫式部が特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということ」ではなく、話者の認識が「紫式部」の特殊性としての側面を認識していることを副助詞「は」で表しているのであり、言語表現の過程的構造を理解できずに、言語実体観の発想しかできないためにこのような誤った判断がなされています。
<「は」「が」論に欠けているもの。>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11273296.html
を参照下さい。
>三浦つとむは「主体の観念的自己分裂と視点の移動」という観点を述べているようだが
これは、代名詞論や時制表現他に関わるもので、「は」「が」に直接関係するものではありません。
>言語実体説と言語過程説の違いも、一応わからないではないのだが、
全く分かっていません。分かっていたら、こんな頓珍漢な議論にはなりません。■
ご回答ありがとうございます。
(・紫式部は源氏物語の作者だ。)
>なぜ、「特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。」のか全く不明です。
>「紫式部が特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということ」ではなく、話者の認識が「紫式部」の特殊性としての側面を認識していることを副助詞「は」で表しているのであり、
:
副助詞となるのは、
・(枕草子の作者は清少納言であり、紫式部ではない。)紫式部は源氏物語の作者だ。
といった文脈の場合でしょう。
・紫式部は源氏物語の作者だ。
は係助詞と考えるのが一般的かと。
シチュエーションによりますから、どちらであるかはどうでもよいのですが、係助詞だとしたら特殊性ではないはず。
普遍性というわけにもいかないはずで、個別性と捉えるしかないように思うわけです。
係助詞の場合、何だとアスナロウさんは思っているのですか?
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表現に不備があると思うので一部訂正させてください。
太郎にフォーカスし、太郎について言ってみれば【 [その太郎ーガ(=を)] 好きな主体は 花子‐ダ と特定できる事実がある】という主観的な判断を述べている。
#45お礼欄からの続き。
>つまり 《太郎‐ハ 花子‐ガ 好きだ。》という例文は 文脈を知らなけれ
ば この文だけでは 意味が定まりません。どっちが主格でどっちが対格か
が 定まりません。
こういう問題点があると考えます。
:
「使い分け」に関してはお礼欄の1で申し上げたような理由で問題はないかと考えています。
すでに示されている文を解釈する場合には、これはもう文脈から判断するしかありません。
#52お礼欄からの続きです。
5.
>そのことは もしそうだとすれば そのハ格にしろガ格にしろ どちらにも ①
か②かの意味を確定させる機能は ない。――と考えられるのではないでしょう
か?
:
『もしそうだとすれば』という前提についてはすでに否定させていただきました。
『ハ格にしろガ格にしろ どちらにも ①か②かの意味を確定させる機能は ない。』
とおっしゃる趣旨を取り違えているのかもしれませんが、次のように思います。
そうではなく、
①か②かの意味を確定させるためにハ格やガ格を使うわけですから、『機能は ない』ということになりようがないのです。
#56お礼欄からの続きです。
>(つ) そして何度も繰り返しますが その①か②かの問題は 同時にハ格が行
為主格か対格かを確定する問題と 一体です。こちらも 確定していません。
:
文脈でガ格の論理的な意味が判明した時点で、自動的に確定します。
たとえ【わたしハ おまえガ 好きだ。】という全文(だけ)が提示されたとしても、その意味を確定することは不可能でしょう。
>(か) わたしの理解では 主題格にかんする文法基礎と そして実際の社会生
活じょうの使用例にかんする意味論を中心とした社会言語学としての研究とを分
けていない ことから来るのではないか?
:
社会言語学というものがよくわかりませんので、何とも言えませんが、それによって、この問題がシチュエーション抜きで解決できるのだとしたら、非常に興味深いですね。
>(イ)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が特殊性の認識を表しています。
>特殊性は対象である万年筆の在り方の認識です。
:
とおっしゃいました。
これは、
(イ”)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が『万年筆』の特殊性の認識を表しています。
という意味じゃないんですか?
であるなら、
(ア)「私の万年筆【は】外国製です。」は、
(ア”)「私の万年筆【は】」の「は」が『万年筆』の特殊性の認識を表しています。
ということになりませんか?
つまり、この場合の「万年筆」は特殊性の認識ですよね?
それとも、「私の持っている万年筆」の場合は特殊性で、「私の万年筆」の場合は特殊性じゃない、とおっしゃるのでしょうか?