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第二次世界大戦でドイツはなぜイギリスを占領できなかったのですか?

A 回答 (15件中1~10件)

大きな要因は3つほどある。


①開戦時期に関するヒトラーの誤算
②空母など海軍力整備に時間がかかった。
③戦闘機の航続距離不足

ヒトラーは陸海空三軍の再軍備を始めたが、中でも時間がかかるのが海軍だ。
ヒトラーとしては、できれば英仏とは戦いたくないものの、戦うとしても空母機動部隊が完成するなど海軍の再軍備の感性を待ってからと思っていたはずだ。

特に空母はドイツには建造・運用のノウハウがなく、困っていた。そこで頼ったのが日本だ。
日本はいち早く空母を実用化し、上海事変などで実戦も経験していたのだ。後に連合艦隊司令長官となる山本五十六が欧州に来た時に接触し、相互支援策を協議しているが、ドイツは五十六が艦長をしていた空母・赤城の設計図や運用ノウハウを日本海軍から提供を受けることに成功する。

ヒトラーは独ソ不可侵条約を締結すると、即座にポーランドに侵攻し、英仏から宣戦布告されたが、英仏は口先だけで実際に攻めてはこないと踏んでおり、実際に英仏は攻めてこなかった。
ところが、フィンランドに侵攻したソ連軍が大苦戦に陥り、戦いが長期化したことからヒトラーの目算が狂い始めた。
ヒトラーに宣戦布告したものの、常にヒトラーに融和的態度をとっていた英チェンバレン首相が、フィンランド軍の前線に応援すべしという世論に背中を押されて北欧に英軍を送ったのだ。
北欧にはドイツが輸入を頼っていた鉄資源があり、あせったヒトラーも英軍を排除するために軍を送らざるを得なかったのだ。

かくして英独は北欧で陸海空で激しく戦うことになってしまった。
戦いは圧倒的大軍を送ったドイツの勝利となるが、海戦に関しては善戦したとはいえ、水上艦艇の多くを失い、ただでさえ建設途上でヒヨワだった海軍力は艦隊を組めないほど弱体化してしまった。
そして念願の空母も完成することなく終わった。
英チェンバレン首相は敗戦の責任を取って引責辞任。後任は反ヒトラーの中でも最も強硬派として知られていたチャーチルが就任し、ここに独仏国境線で英仏連合軍vs独軍の激突が裂けられない情勢となった。

その後、有名な電撃戦でフランスを席捲した独軍が、英国相手に挑んだバトル・オブ・ブリテンへと進んだ。
結果はご存知の通りだ。英本土上陸のためには制空権が必要だが、独軍戦闘機の多くは航続距離が短すぎて英本土奥まで飛べなかった。独爆撃機は次々とスピットファイアなどの英戦闘機群の迎撃に撃ち落されて終了となった。
残る頼りはUボート部隊による通商破壊で英本土を孤立させることだったが、英国は米国から大量の駆逐艦支援を受け、こちらも抑えこまれてしまった。

開戦があと2~3年遅れて、ドイツ海軍にも空母機動部隊が誕生していればどうだっただろう。
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この回答へのお礼

なるほど、勉強になりました。海軍がよわかったんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2020/02/06 22:24

英国の情報戦に負けた事並びに。

ロシア等へ、手を広げ過ぎた。
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どこのドイツがそんなこと言ってるの?

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海軍の差ですね



無理にイギリスに空爆したのも

( ̄~ ̄;)

燃料が持たないのにね
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軍事面ではNo10の回答が分かり易いかと思います。



政治面では総統閣下は初め、イギリスとは戦いを避けて講和によって解決しようと考えていました、簡単に言うと「イギリスさん、ヨーロッパを共産主義の脅威から守るから、背後からど突く事しないでくれる?」と頼みました。

ところが英国の頑固親父は「宣戦布告したんだからお前を潰す!」と言い放ち拒否しました。

フランスを叩き潰し、ダンケルクで恩を作ったつもりの総統閣下は「おい、イギリス!俺の強さ分かっただろ、イギリス兵も見逃してやったんだぜ、講和に応じろ」と言いましたが、英国の頑固親父は「くそったれ!やれるもんならやってみろ!」とまたまた拒否。

堪忍袋の尾が切れて総統閣下は、イギリスを叩き潰して言う事を聞かそうとしてバトルオブブリテンへと進んでいきました。

ところが、総統閣下は講和中のイギリスを刺激したくはなかったので、イギリスを攻撃出来る大型の戦略爆撃機の開発を拒否したため、中型の戦術爆撃機と現場で僅か10分しか守る事が出来ない戦闘機で侵攻した為、散々な結果に終わりました。

結局、講和が失敗に終わったと気付いた時点でイギリス侵攻に見合った兵器も作戦も無かったという事です。

政治的に交渉しながら秘密裏に戦略計画という二本立てで進めれば良かったのに、総統閣下は変な所がお人好しだったんですね。
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とりあえずバトルオブブリテンとアシカ作戦を調べてみるといいんじゃないかな。



 アシカ作戦(イギリス本土上陸作戦)の成功要因として考えられていたのは本来以下の四つ。
 ①英海軍海上部隊の無力化
 ②英空軍の無力化。
 ③沿岸防衛施設の破壊。
 ④英潜水艦の活動阻止。

 ①については、もともとドイツの海軍力は英国の1/10にも及ばないものだったので、ハナっから無理筋の話だった。②についてはそれなりに成算があったのだけれど、英空軍が戦闘機隊を思いっきり重視して迎撃してきたので手持ちの爆撃機と戦闘機が大損害を被ってしまった。③についても爆撃機の損害によって十分な損害を与えられなかった。④については①と同じで、もともと対潜作戦用の駆逐艦なんて十分に持ってなかった。

 ということで、成功条件なんて一つもない。占領できなかったというよりはもともと妄想レベルの計画だったということだと思います。
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イギリスのレーダー網の存在で


ドイツ空軍は中々イギリス本土に侵入できず
ドイツ陸軍はイギリス陸軍をフランスのダンケルクまで追い込んだものの、
ドーバー海峡を渡ることはできませんでした。
まあ、ドイツとしてもそこが攻勢終末点だったでしょうし
無闇に戦線を広げるわけにも行きません。
(その点で日本軍は戦線を広げすぎて負けてしまったとも言えます)
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制空権争いに負けたから



レーダーや後のバッヂシステムに繋がる管制システムを導入した英国空軍に対して
航続距離の短い空軍機しか無かったドイツ空軍が効率的な戦闘を行えずに損耗を続けた結果
制空権を奪うことが無理だという結論に達した

制空権の無い状況で、海軍艦艇や兵員輸送艦が英国沿岸に近づけば上陸作戦が失敗するのは明らか
仮に一部の兵員が上陸できたとして、その補給路を確保するのは無理

かのジュリアスシーザーだってナポレオンだって、ブリテン島の征服は無理だったのだからね
あの海峡はなかなか越えられない
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そんなに沢山人間がいないからです


日本だって補給路が伸びたのが致命傷
まぁ国民党のビルマルート潰しが必須だったからあれしかなかったんだろうけど
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単純に言えば、占領できるだけの軍事力、戦闘能力を持ってなかったため、方針を撤回せざるをえなかったということでしょう。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4 …

それが神のお計らいであるという考えも可能です。

モンゴル帝国と高麗は、なぜ日本を占領できなかったのか、アメリカは、なぜベトナムを占領できなかったのか などと似たものです。

歴史に限ったことではないですが、「なぜ」、「いかにして」、「もしも」と安易に論を作りあげることは、み意味と言うよりは、有害です。 信条、教条、信念を固めることが目的ではないのならば、なぜ・どうしてということに答えを求めるようなことはすべきではないと思います。 エンターテインメント ストーリーや歴史ヒストリア(秘話)、歴史の大局観などを求めないことも、大事だと思います。
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