準・究極の選択

戦前の陸・海軍中将の地位はどの程度だったのでしょうか?
ネットで拾った官吏表には中将は各省次官、県知事、警視総監と同等以上と記されているのですが、これは事実ですか?
だとすれば当時の軍人の地位は政治家役人と同等以上に高かったんですかね…

「戦前の陸・海軍中将の地位はどの程度だった」の質問画像

A 回答 (3件)

エリート中のエリートです。

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>政治家役人と同等以上に高かった



大日本帝国憲法下では 軍部大臣現役武官制 というのがあり、内閣を潰すことも可能でした。

陸海軍の大臣は、現役の軍人でなければならないというもので、軍がその任に当たる将官を指定して組閣の際にその指定された人を陸海軍大臣にしました。
ということは、逆に軍が、陸海軍の大臣を辞職させて後任を決めなければ、組閣ができずに内閣を潰せる力が有ったことになります。
しかしこれではまずいということで、1913年から1936年の間は現役でなくとも、予備役後備役の軍人でも陸海軍の大臣になれるようにしたため、少しは緩和されたのですが、2.26事件による影響で、軍部大臣現役武官制は復活し、終戦まで続きます。

また、大日本帝国憲法の欠陥とも指摘されることがあるのですが、11条に、天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス とあり、これを軍や極右政治家が利用しました。
大正デモクラシーが上手くいかなくなるにつれ、天皇の直結している軍人に、一般政治家が口を出すことはタブーとする意見が強くなっていきました。
道路信号を無視した軍人に警察官が注意したら大問題になったこともあります。
軍と政界の対立やそれと連動するかのように、陸海軍内でも穏健派と強硬派の対立があり、軍部の意見が強く(軍人の発言が通る)なります。

時や時代や、その軍人個人の考え方によるのですが、軍人の地位は今よりも高かったことは事実ですね。
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事実です。


陸軍省、海軍省がありました。
各省の長すなわち、
海軍大臣は軍令部、陸軍大臣は参謀本部、
内部の調整の後、内閣に送り出されました。
最終決定は内閣総理大臣と調整で決定しました。
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