タイムマシーンがあったら、過去と未来どちらに行く?

(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。

と言えます。ある方から、
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
客体的な時刻を表すのが「5時」であり、この時刻の位置付けの認識を表すのが格助詞「に」です。対象としての時刻自体を表しているのが「5時」です。
この相違が理解できないために、客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆
といった趣旨の反論をいただきました。
しかし、私の解釈(ア)とこの反論(◆ー~ー◆)で述べられている内容のどこに「相違」があるのかよく理解できません。
同じことを言っていると思うのですが、その根拠は下記のとおりです。

【根拠1】
『客体的な時刻を表すのが「5時」であり』とおっしゃっていますので、
《5時=客体的な時刻》である、とおっしゃっていることになりますよね?

次に、
【根拠2】
『客体自体を表す「着点」という語を使用し』とおっしゃっていますので、
《着点=客体自体》というご見解なのですよね?

以上のことから、
【根拠3】
「5時」が客体的な時刻であるならば、
「5時」を「着点」という客体自体である、と認識することは可能ですよね?

諸賢の解釈をお聞かせいただきたくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 「会議は5時に始まる」⇒会議の始まる時刻は5時だ。

    「会議は5時から始まる」⇒会議の開始は5時からだ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/05 23:45
  • お礼欄の制限があり、十分な記述がしづらいですね。
    「着点」について興味がおありの方は、先行質問の回答#4をご参照いただければ光栄です。
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?pg=1& …

      補足日時:2021/02/05 23:57
  • 読み直してみましたが、(81p)の記述は理解しているつもりです。

      補足日時:2021/02/06 00:03
  • 失礼。
    訂正です。

    ×
    『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』

    と言って良い、ということですか?


    『この文における格助詞「に」は、「終わる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』

    と言って良い、ということですか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/06 00:08
  • 会議は5時に始まります
    ⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作の着点が「5時」である、という話者の認識を表わす。

    では如何です?

    ⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作を「5時」という時刻に位置づけようとする話者の認識を表わす。

    でも良いですけど。(同じ意味なので)

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/06 23:19
  • #2さんに対するお詫びと訂正です。

    ×
    『時間的な(着点としての)位置づけの認識』

    と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。


    『(着点としての)位置づけの認識』

    と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。

      補足日時:2021/02/06 23:36
  • 格助詞「に」の意義とは何か

    拝見しました。
    前半でおっしゃりたいことは大体わかったつもりです。
    少し肉付けする形で、そのうち感想を述べさせていただくつもりです。

    後半の物自体が出てくるあたりが興味深かったのですが、この認識と格助詞の意義とどう関わってくるのか、という点が不明でした。
    「物自体」は物の本質を人間の認識で定義することはできない、というものだったと思いますが、格助詞は、あくまで人間の認識を前提にしたもののはずですから、どうも関連がよくわからない、ということ。
    いずれまたご教示願えればと思っています。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/07 16:48
  • 以下は大辞泉の語釈です。
    例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
    正しいですか?
    間違ってますか?

    【で】(1)動作・作用の行われる場所・場面を表す。
    「デパートで買い物をする」
    この格助詞「で」は、《「買い物をする」という動作の行われる場所が「デパート」である》という話者の認識を表わしている。

    【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
    「会議は5時に始まります」
    この格助詞「に」は、《「始まる」という動作の行われる時が「5時」である》という話者の認識を表わしている。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/07 23:16
  • 若干修正します。

    ×
    (イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。


    (イ-2)格助詞「に」は着点という位置づけの認識を表わす。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/08 17:06

A 回答 (33件中1~10件)

なお、



格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …

に追記しましたので参照下さい。■
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No.30 のお礼の言葉に応えて



>>【5時と時間的に位置付ける認識】なのか【5時という着点に時間的に位置付ける認識】なのか、という点に論点が収束されてきたのは喜ばしいことです。

そうですね。最初からそれを言っているのですが。漸く理解いただけましたか。

ここに客体である「着点」などという語が出てくるのが誤りだと最初から指摘しているのですが?

話者が格助詞「に」により開始の時間的な位置付として表現した結果、開始点と聞き手が認識するのであり、「に」が「着点」などという認識を表すのではありません。

No.2 の回答でも述べられているように「着点」とは何ですかということです。したがって、

(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。(hakobulu)

のではありませんと何度も指摘させていただいているのですが?

「着点」とは客体的表現の語で、格助詞「に」は主体的表現の語なので、

客体的表現の語≠主体的表現の語

ということです。ここから、毎回ああでもないこうでもないと言い出しいつも論理が混乱、錯綜することになります。

>>5時という着点に時間的に位置付ける認識を表した上で、それを否定したり、予測したりしている、というだけの簡単な話。

ここは、

5時を時間的に位置付ける認識を表した上で、その想定を否定したり、予測したりしている、というだけの簡単な話。

とすれば正しいですね。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そうですね。最初からそれを言っているのですが。漸く理解いただけましたか。
ここに客体である「着点」などという語が出てくるのが誤りだと最初から指摘しているのですが?

驚き桃の木ですな。
アスナロウさんの読解力はどうなってるのか?と他人事ながら心配になりますね。(笑)

ですから、#24お礼欄で、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アスナロウさんは、
a.「表わす」は「に」=「着点」という意味になるが、主体的語と客体的語が同義であるという矛盾が発生している。
b.「に」は「起点」を表わす場合もあるのだから、意義として「着点」という語を採用すること自体が間違いである。

といった理由で(イ)の解釈に反論してこられたわけです。(ここまでは合っていますよね?)
ここで質問ですが、仮に、

(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。

なら、上記 a の理由は排除できると思うのですがいかがですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と申し上げましたよね?
着点かどうか、という問題と、「表わす」という語の解釈の問題と論点は2つあるわけです。

本義である『「着点」などという語が出てくるのが誤り』であるかどうか、について論点を絞るため、「主体的語と客体的語が同義であるという矛盾が発生している」という点に関しての問題を排除しようとしたのに、まったく理解しておられなかったようです。
『最初からそれを言っている』はこちらのセリフですよ。

いずれにせよ、煮詰まってきましたので、新しく質問を立てました。
「表わす」という語の解釈については、キリがないので一旦、保留という体裁になりますので悪しからず。
お暇なときにでもお立ち寄りいただければ幸いです。

お礼日時:2021/02/09 19:44

No.30 の補足です。



>>以下は大辞泉の語釈です。
例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?
【で】(1)動作・作用の行われる場所・場面を表す。
「デパートで買い物をする」
この格助詞「で」は、《「買い物をする」という動作の行われる場所が「デパート」である》という話者の認識を表わしている。
【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
「会議は5時に始まります」
この格助詞「に」は、《「始まる」という動作の行われる時が「5時」である》という話者の認識を表わしている。//

この大辞泉の語釈も次の通り誤りということになります。

★デパートでは買い物をしなかった。
★デパートで買い物をする予定はありません。

この場合、【で】は「動作・作用の行われる場所・場面」を表してはいません。つまり、都合のよい肯定文を引用しているに過ぎないということです。

【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。

も同様で、

会議は5時には始まりません。

の場合、「動作・作用の行われる時」ではありません。

このように、辞書の説明は誤りだということです。■
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>>では、この語の意義から


「会議は5時に始まります」という文(③)の意味を説明、解釈すると、どうなるか記述していただけませんか?
具体的にお願いします。

先に No.20 で記した通り、

この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。

の<この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表している>ということです。何度同じことを繰り返すのですか。毎回、同じことを堂々巡りしているだけです。したがって、

No.24 のお礼の

>>先に、アスナロウさんには根本的且つ重大な勘違いが2つある
>>《この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。》
ともおっしゃるなど矛盾が多く突っ込みどころは満載ですが、それには敢えて触れません。

というのは全くの誤りだということです。hakobulu にこそ先に指摘の通り、「根本的且つ重大な勘違いが2つある」ということです。

そこで、今回は少し切り口を変えて誤りを指摘しておきましょう。

会議は5時に始まります。

ではなく、

会議は5時に始まりませんでした。
会議は5時に始まるでしょう。

の場合も格助詞「に」の意義は同じです。しかし、この文では会議は「始まっ」ていません。つまり、「始まり」もしないのに格助詞「に」が着点を表すというのは全くのナンセンス、矛盾です。

何度も指摘しているのはこういうことです。対象と認識は相対的独立の関係にあるということです。弁証法でいう調和する矛盾の要素は相対的独立の関係にあります。それゆえに調和することが可能になります。

なお、表現過程のフローは『日本語は~』のp83の第14図と対照して下さい。より理解が深まると思います。

理解いただけましたでしょうか。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『会議は5時に始まります』
><この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表している>ということです。何度同じことを繰り返すのですか。

しかし、
《これは文での意味であり、格助詞「に」自体の意義ではありません。なぜなら、「に」自体は「始まる」、「5時」とは何の関係もなく、これらの語とは無関係に語としての意義を持っているからです。》(#18)
とおっしゃったはずです。
しかし、今回は、格助詞「に」自体の意義を、文での意味を解説することで述べているじゃありませんか。
そして、それで良いのですよ。
『これは文での意味であり、』などと余計なことを言うから一貫性を疑われるわけです。
いずれにせよ、
『会議は5時に始まります』

A.この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表している。

という点では一致を見たということでよろしいですね。
ご自身の

(ア)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)

をわかりやすく説明するためにこうした例文が有効だということは、もうおわかりでしょう。
例文から「に」の意義を求めているから間違い、などと見当違いの批判は不毛です。
ところで、私は、
(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。(hakobulu)
と申し上げましたが、比較するために書き直すと、

B.この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時という着点に時間的に位置付ける認識を表している。

となります。
比較しやすくするため両者を並べてみます。

A.この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表している。
B.この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時という着点に時間的に位置付ける認識を表している。

【5時と時間的に位置付ける認識】なのか【5時という着点に時間的に位置付ける認識】なのか、という点に論点が収束されてきたのは喜ばしいことです。
少なくとも、「に=着点」と言ってるわけじゃないことはご理解いただいたと思います。

>会議は5時に始まりませんでした。
会議は5時に始まるでしょう。

5時という着点に時間的に位置付ける認識を表した上で、それを否定したり、予測したりしている、というだけの簡単な話。

お礼日時:2021/02/09 16:16

なお、



「(着点だという)認識」自体が正しいか否かは、

会議は5時に始まります。

という文自体からは判定できません。それは、先のフローに示した対象と①の認識の関係が正しいか否かの問題です。■
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補足すると、



①と②は異なる認識の在り方で、これを混同するため無意味なことを言われています。個別認識と規範としての認識の相違です。格助詞「に」の規範としての認識の概念が主体的な表現の語だということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>したがって、語の意義②から③文の意味が説明、解釈されなければなりませんが、辞書やhakobuluさんの説明/解釈は③から②を説明解釈する逆転の論理になっています。この点が根本的な誤りです。(#24)

この点について伺います。

(ア)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。

これは語の意義②ですね?
では、この語の意義から

「会議は5時に始まります」という文(③)の意味を説明、解釈すると、どうなるか記述していただけませんか?
具体的にお願いします。

お礼日時:2021/02/09 00:01

>>「(着点だという)認識」ですから「客体」ではないはずです。



(着点だという)認識は「に」とは何の関係もないので無意味です。

(着点だという)認識は先の説明の①です。■
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>>ここで質問ですが、仮に、


(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。

だから、客体である【着点】の認識を表すのではないと何度も言っています。

(ア)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。

これを否定しないのなら、なぜ(ウ)が出てくるのか意味不明です。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>だから、客体である【着点】の認識を表すのではないと何度も言っています。

書き方が悪かったかもしれません。

a.「表わす」は「に」=「着点」という意味になるが、主体的語と客体的語が同義であるという矛盾が発生している。

というのが反論の理由のひとつですよね。

(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。

のように表現すれば、
『主体的語と客体的語が同義であるという矛盾が発生している(から)』
という理由【だけ】は排除できますか?

という質問です。
「(着点だという)認識」ですから「客体」ではないはずです。

(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。

という定義全体を認めますか?
と言っているわけではありません。
「(着点だという)認識」自体が正しいか否かは、その後で述べます。

お礼日時:2021/02/08 18:57

>>以下は大辞泉の語釈です。


例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?

No.24 で説明の通り、根本的に誤っています。■
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No.18 のお礼に応えて



>>「に」は、(話者の認識が)《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》であることを表している。
という意味です。こちらの表現不足だということなら、お詫びして、このように訂正しますが、これなら文句ありませんか?

表現不足ではなく理解を誤っています。
「動作の【着点】」=「5時」であることを表してはいません。それは、個別の文での話者の認識/意味関係(下記③)です。ここのところが、いつも議論がずれてしまう所です。

「に」という格助詞自体が表す規範としての意義(下記②)と個別の話者の認識(下記①/③)との媒介の構造が理解できていないので、これを同一レベルで一纏めにする誤りです。それは、

>>以下は大辞泉の語釈です。
例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?

という質問にも示されています。

大辞泉の語釈、
  【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
自体(これは下記③に対応)が誤りで、この誤った語釈に則って解説することは誤りです。

言語表現の過程的(媒介)構造、認識構造は次のようになっています。

 対象 → ①話者の個別認識 →(文/文章)表現(③意味〈関係〉)
__↑ _____↑ ⇔ 媒介
概念を抽象/言語規範の認識(②語彙[意義]規範、文法規範)

したがって、語の意義②から③文の意味が説明、解釈されなければなりませんが、辞書やhakobuluさんの説明/解釈は③から②を説明解釈する逆転の論理になっています。この点が根本的な誤りです。そして、①②と③の区別と関連が理解できていないということです。

このように、立体的な言語表現の認識構造を正しく理解することが重要です。

2
>>《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》
というのは話者の主体的認識ではない、とおっしゃるのですか???

はい。上記③で②ではありません。主体と主観の相違が理解できていません。

3
>>「に」の意義は、個別の文の中には反映されない、とおっしゃっていますか?では、個別の文に関連して「に」の意義を述べることはできないのですね?

②→③という媒介関係として捉えなければなりません。これを平面的に捉えて反映などという言葉で②と③を同一視し、③→②という逆転した説明をするのは誤りです。

4
>>『会議は5時に始まります』で、
「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》であることを表している。
というのが私の見解。

まったく違います。
上記の通り逆転した説明です。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
先に、アスナロウさんには根本的且つ重大な勘違いが2つある、と申し上げましたが、具体的には、
「表わす」の意味、
そして、
「着点」の意味についてです。

「に」の意義としては後者が重要なのですが、「に」の意義を解説するに当たって必須である「表わす」という語の意味に齟齬が生じているのが現状です。
そのため、ひとまずそれを解決しようとして色々申し上げてきた次第。

ただ、専門家ではないので「表わす」という語の意味について系統立てた論理を展開できず、何かと食い違いが生じているのかもしれません。
そこで、今回は少し切り口を変えてお尋ねしますので、ぜひよろしくお願いします。

《このように、最後の<格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表す>には、「会議」も、「5時」も「始まり」も入っていません。》
と言いつつ、
《この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。》
ともおっしゃるなど矛盾が多く突っ込みどころは満載ですが、それには敢えて触れません。
ともかく、今は「表わす」に関する問題点を解決するのが先決ですので、以上に関する返答は不要です。(どうしてもしたければ構いませんが)

さて、本題です。
まずですが、齟齬の大元を正確にたどれば、以下のようになりますよね。

(ア)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
(イ)格助詞「に」は着点を表わす。(hakobulu)

アスナロウさんは、
a.「表わす」は「に」=「着点」という意味になるが、主体的語と客体的語が同義であるという矛盾が発生している。
b.「に」は「起点」を表わす場合もあるのだから、意義として「着点」という語を採用すること自体が間違いである。

といった理由で(イ)の解釈に反論してこられたわけです。(ここまでは合っていますよね?)
ここで質問ですが、仮に、

(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。

なら、上記 a の理由は排除できると思うのですがいかがですか?
まず、ここをクリアさせていただき、肝心要の「着点」について述べていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
煩雑にならないように、いったん切ります。

お礼日時:2021/02/08 17:02
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