
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
この筆者であるアスナロウさんは、格助詞「に」の意義についての批判をいくつかのサイトを引用しつつ展開している。
これが、明らかな勘違いに基づくものであることを、要点のみを挙げつつ以下に証明していきたいと思う。
1.
「日本語 文法 格助詞:解説 - 東京外国語大学」
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/content …
に対する批判。
煩雑になるのでかいつまんで引用させていただく。
☞から
(31)木村さんに本をあげます。
(略)
このように、「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」とは個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではないのである。
格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしているのではないことは明らかであろう。(アスナロウ)
☜まで
この点はまったく同感である。
◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。
つまり彼は勘違いをしているわけだ。
サイトでは上記(31)の例文に関して、
『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)
と解説している。
《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
これが第一の勘違い。
また、この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言ってるわけではない。
以下、順に説明してみよう。
(ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。
これはアスナロウさんも納得できるはずの「に」の本質的意義である。
上記例文に当てはめれば、
(ア-2)格助詞「に」は、「木村さん」に『「あげる」という動作』を空間的に位置付けるという認識を表わす。
ということになる。
「木村さん」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「あげる」という動作の行われる場所(=受け取り手)』として空間的に位置付けられた。
格助詞「に」を使うことによって「木村さん」は本の受け取り手として定められたわけだから、
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
という意味になる。
「受け取り手であること」の文中「こと=認識」であることは当然である。
これを『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』と言っているだけなのだ。
しかるにアスナロウさんは、「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないのだから間違っている、と主張している。
しかし、その論理でいくと、
・格助詞「から」は起点の認識を表わす。
という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということになってしまう、という矛盾に気づいていない。
これが第二の勘違い。
つまり彼は二重の勘違いを犯していることになる。
むろん、「木村さん」が受け取り手となるのは、この文における動作が「あげる」だからである。
アスナロウさんも、
『この名詞句が「受け取り手」として理解されるのは、「に」で動詞「贈る」「教える」「あげる」との関係が表現されているからで、動詞が「もらう」「借りる」などになれば起点の意味に変化するのである。』
と極めて的確に指摘しているとおりだ。(この件は重要な認識である。以下の2でも詳しく触れることになると思う)
いずれにせよ、このサイトをあえて批判するなら、『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点にすぎない。
誤った根拠に基づく批判は撤回されるべきだろう。
蛇足として付け加えておくと、このサイトでは「やりもらい」の「渡し手」の例文が載っていないという点での不備がある。論点を避けようとしているかのようで印象はよろしくない。
基本的に初級者向けということのようだ。
2.
菅井三実【格助詞にの統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ】
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
に対する批判。
☞から
「(格助詞「に」は)主格 NP から与格 NP へのエネルギー伝達を前提とする」ようでは、まともな文法の論理とは考えがたい。それが認知言語学の限界である。(アスナロウ)
☜まで
122ページで菅井は次のような例文を挙げている。
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
この場合「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」ということになるのだが、それは文法の論理とは考えがたい、とアスナロウさんは批判しているわけだ。
たしかに「エネルギー伝達」はわかりにくいかもしれない。
もう少し読んでいくと、菅井は次のように続けている。
(16a)のように先輩をニ格で標示したときは,主格 NP花子から先輩に借りることを求めたことが前提となっているのに対し(16b)のようにカラ格で標示したときは花子が先輩に借りることを求めるという働きかけの側面が背景化され,結果的に先輩から携帯電話が一時的に移動していることがることが前景化されているということになる。
つまり、(16a)の場合、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。
ここは今回読み直してみて気づいた新鮮な視点であった。
(16a)をアスナロウさんの定義に則って解釈するなら、
《この文における格助詞「に」は、「(花子が)借りるという動作」を「先輩」という地点に空間的に位置付けるという話者の認識を表している。》
となるだろう。
ところで、文中の「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に━」
という意味の他動詞である。
他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩という地点に空間的に位置付ける』という話者の認識は、「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識が話者にあったことを示している。
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識があったからこそ、話者は『「(花子が)借りるという動作」を「先輩という地点」に空間的に位置付けた』のである。
無論、
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
に、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識はない。先輩は純粋な起点として認識されているだけである。
以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、『まともな文法の論理とは考えがたい』というアスナロウさんの認識は勘違いであることが明らかになったはずである。
また、この点に関して、
【イメージで教える日本語の格助詞】で杉村泰氏が述べている以下の内容も理解に役立つと思われる。
☞から
堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
☜まで
3.
さて、ここで【着点】という概念について若干触れてみたい。
すでに述べてきたように、
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
は、
「先輩」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「(花子が)借りる」という動作の行われる場所』として空間的に位置付けられた。
という意味である。
「先輩」は「空間的に位置付けられた【先】」なのであるから、「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。
・この文で先輩は起点ではないか?
という疑問が生じるのもよくわかる。
ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
「先輩(間接目的語)」は、「(花子が)借りる」という動作の空間的【着点】として位置付けられた結果、携帯電話(直接目的語)の移動する「起点」となり得たのである。
つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。
以上のように考える次第ですが、諸賢のご見解・ご感想などいただければ幸いです。
A 回答 (83件中61~70件)
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No.21
- 回答日時:
>>徒労とわかってることをやるほど呆けてはいませんので、残念ですが、このへんで袂を分かつのが賢明であるという判断に至った次第。
そうですか。
そのためには、まず当方が提示した課題をこなして下さい。
それなしには、プアーなお話しにの徒労に終始するしかありませんよ!■
ご回答ありがとうございます。
>そのためには、まず当方が提示した課題をこなして下さい。
:
「まず」とおっしゃるが、当方が示した課題(質問)のほうがはるかにはるかに簡単ですよね?
それをこなしもしないで、どんな顔して、そんなことが言えるのかな???(笑)
自らの矛盾が暴かれるのを防ぐため、なりふり構わず論点をずらそうという魂胆は当初からお見通しですって。(笑)
いやというほど矛盾をさらけだしているのに、いちいち追及してこなかったのは、本題からそれたくなかったから。
しかし、そんな気遣いもまた徒労であったようで。
まあ、お達者で。
No.20
- 回答日時:
質問者は全く言語とは何かが理解できていないことを自白しています。
>>他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
そんな機能を語が持つ訳がない。
:
マジ???(笑)
です。他動詞たとえば、「食べる」。
これがどうしたら、他に働きかけるという機能を持つことができるのですか。
このメカニズムを科学的、論理的に説明して下さい。
これまでの頓珍漢でピント外れの言葉のお遊びはこの根源的な誤りに基づいています。■
No.19
- 回答日時:
>>>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
という質問をしていますので、そちらのほうをまずお答えいただければ、納得いくように解説して差し上げます。
ま、ニ択なので両方やってみたら。
そのうえで、納得いくように解説して差し上げます。■
No.18
- 回答日時:
>>それは感性の問題なので致し方ありません。
どこが?
言語事実の問題です。
正に、言葉遊び。
>>こうした疑問を解消してさしあげるために質問したのだから、まじめに答えなさいよ。(笑)
ハハハ!
何を格好を付けているのですか?(藁)
100年早いでしょう。■
ご回答ありがとうございます。
>>>それは感性の問題なので致し方ありません。
どこが?
言語事実の問題です。
:
(16a)のように先輩をニ格で標示したときは,主格 NP花子から先輩に借りることを求めたことが前提となっているのに対し(16b)のようにカラ格で標示したときは花子が先輩に借りることを求めるという働きかけの側面が背景化され,結果的に先輩から携帯電話が一時的に移動していることがることが前景化されているということになる。
という内容を理解する感性があれば理解できるはずだ、という意味。
No.17
- 回答日時:
>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
の質問に答えることで解決につながるかもです。
言葉遊びは自由に!
解決には繋がりません。
最初から認識が誤っています。
意味、意義について語るのであれば課題を解決してからにしましょう。■
No.16
- 回答日時:
先に、
色々錯綜しており議論に値しません。
所詮、言葉遊びの域を出ません。
と回答した通りですが、まあ一応具体的に指摘しておきましょう。
1.
>>◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
これは、意味という語の同語反復で、何ら定義にはなっていない。従って、この思い込みによる以下の批判は意味を持たない。
この程度の「意味」「意義」の理解で何かを言おうとすること自体が全くナンセンスという他ない。ここでは、質問者に一つの課題を与えておこう。
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』で、意義と意味の関係が説かれているので、これを纏め提示しその上で格助詞「に」についてのコメントを出すこと。それなしに、無意味なコメントや質問は控えることである。
>問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。
つまり質問者は勘違いをしているわけだ。
>《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
上記の通り、意義と意味の定義ができておらず、これが第一の勘違い。
>ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。
これは誤りで、意味不明。
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
は「に」の意義ではない。
>・格助詞「から」は起点の認識を表わす。
という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということに
間違いではなく、話者の認識を直接に表すと述べており正しい表現である。
これが第二の勘違い。
つまり質問者は二重の勘違いを犯していることになる。
>『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点にすぎない。
「すぎない」ではなく、この点が根本的な誤りであることを質問者には理解できていない。
>基本的に初級者向けということのようだ。
基本的に初級者向けとして不適切であり、先に引用した学習者の混乱を引き起こすということである。
2.
>つまり、(16a)の場合、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。ここは今回読み直してみて気づいた新鮮な視点であった。
「積極的に求めた」という認識などどこにも表現されてはいない。
「新鮮な視点」でも何でもなく、単なる誤解である。
>《この文における格助詞「に」は、「(花子が)借りるという動作」を「先輩」という地点に空間的に位置付けるという話者の認識を表している。》
となるだろう。
なりません。思い込みによる誤読。
>他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
そんな機能を語が持つ訳がない。従って、
>以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、『まともな文法の論理とは考えがたい』というアスナロウさんの認識は勘違いであることが明らかになったはずである。
は単なる思い込みによる誤読に過ぎない。
>堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
この説明が根本的に誤り。話者の認識の世界と客体の世界を混同している。
3.
>さて、ここで【着点】という概念について若干触れてみたい。
これは客体的表現の語であり、ここで持ち出す意味はない。
>(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。
いえません。全くの誤り。
>ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
意味不明の日本語。
以上のように批判というには程遠い奴シロウトの言葉のお遊びに過ぎない。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
上記の通り、意義と意味の定義ができておらず、これが第一の勘違い。
:
この箇所は、「意義と意味の定義」とは関係ありません。
『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)
というのは、
(31)木村さんに本をあげます。
という【個別の文における意味】だとサイトでは言っている。
だから《名詞の語の意義や格助詞「に」の意義》だと言ってるわけではない。
つまり、この点ではアスナロウさんと『同じ認識』ですよね?
と申し上げているだけ。
分かっていただけましたよね?
2.
>ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。
これは誤りで、意味不明。
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
は「に」の意義ではない。
:
はい、その勘違いを明らかにするために
>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
という質問をしていますので、そちらのほうをまずお答えいただければ、納得いくように解説して差し上げます。
3.
>>・格助詞「から」は起点の認識を表わす。
という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということに
間違いではなく、話者の認識を直接に表すと述べており正しい表現である。
:
これも2と同じ。
まず、どちらですか?に答えてください。
こうした疑問を解消してさしあげるために質問したのだから、まじめに答えなさいよ。(笑)
こんな大事な質問を言葉遊びとかいちゃもんを付けてる場合じゃないよ?(笑)
4.
>「積極的に求めた」という認識などどこにも表現されてはいない。
:
わかりました。
それは感性の問題なので致し方ありません。
5.
>>他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
そんな機能を語が持つ訳がない。
:
マジ???(笑)
以下補足欄。
No.15
- 回答日時:
>>どういった理由で『顔から火が出ると思う』と思うのですか?
その箇所を指摘して批判してくれば良いものを、そんな論議の基本すら実行できないでいるところをみると、おそらく、その理由さえ分からないのでしょう。
最初から、理解を誤っていると指摘しており、未だに言葉遊びのレベルに終始しているとこれまで何度も指摘していますが?
そんな論議の基本すら理解できていないので、それに気付いた時に『顔から火が出ると思う』と思うのですが?
いまだしですね。(藁)■
ご回答ありがとうございます。
>最初から、理解を誤っていると指摘しており、未だに言葉遊びのレベルに終始しているとこれまで何度も指摘していますが?
:
だから、どの箇所が「理解を誤っている」ことになるのか、どの箇所が「言葉遊び」なのか具体的に指摘した上で批判しろよっつってんの。(笑)
それができないというのは、要するに、こっちの文を理解する能力が、無いんだろ?
No.14
- 回答日時:
>>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
ハハハ!
相変わらずの言葉遊び。ご自由に!■
ご回答ありがとうございます。
ボロが出そうで、笑って誤魔化そうという魂胆が丸見えですね。(笑)
極めて重要な質問です。
必ず答えてください。
>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
と尋ねたのは言葉遊びではありません。
アスナロウさんは、
「時間的・空間的に位置付ける」
(この定義文における)主格は話者です。
対象は、「に」が付く語が表しています。
5時に始まる。
この場合(目的語は)、「5時」です。
とおっしゃったわけですが、
「5時」は間接目的語ですか(5時に位置付ける)?
それとも直接目的語(5時を位置付ける)ですか?
とお尋ねしている。
改めてお伺いします。
2択ですから極めて簡単な質問です。
必ず答えていただくようにお願いします。
あ、もうひとつ選択肢がありました。
「分かりません」でも結構ですよ。
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(ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
という解釈自体を否定しているわけではありません。
大辞林にも、
「動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法」
といった注釈がある。
ただ、本質的意義というのであれば、
( B-1 ) 格助詞「に」は動作・作用の着点(という認識)を表わす。(hakobulu)
とするほうがベターではないか、ということ。
このように解釈によって様々な勘違いや誤解を防ぐことができるだろう、という意味でもある。
因みに紙数の関係で端折りましたが、下記質問でも着点について述べています。
お時間のあるときにでも。
菅井氏や杉村氏の解釈とそれほど違ったことを言っているわけではなさそうで一安心しているところ。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12201688.html
「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味内容が違う。
と言うのは、
「慰めの気持ち」と「慰める認識」では意味内容が違う。
と言っているようなものであることは理解なさっておられますか?
hakobulu:
『読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎだされたとき、紡ぎだした作者は、いわば、言葉によって逆に自分の位置をはっきりと限定される。』
とも言ってますが、ここで言う「言葉」は、おそらく主体的認識を表わす助詞・助動詞の類を指すのでしょう。
アスナロウ:
いいえ。
これは「作品の言葉」、つまり文、文章で、規範としての語の意義ではありません。
hakobulu:
図らずも読解力の無さをさらけ出しておられますね。(笑)
実に読みが浅い。
「作品の言葉」であるのは当たり前だが、「(読み手は)作者の認識の動きを追っている」と書いてるでしょ?
つまり、主体的認識を表わす語が絡んでいる言葉を指しているわけ。
たとえば「読み手」ではない、「読み手は」という主題提示の認識を伴う言葉のこと。
ブーメランお上手。(笑)
>もう一度、自身の質問の内容を真摯に見直して下さい。顔から火が出ると思うのですが?
:
どういった理由で『顔から火が出ると思う』と思うのですか?
その箇所を指摘して批判してくれば良いものを、そんな論議の基本すら実行できないでいるところをみると、おそらく、その理由さえ分からないのでしょう。
まあ、自己投影の典型例として拝聴しておきましょうかな。(笑)
しかし、勘違いは誰にもありますから、そう悲観しなくてもよろしいです。
知らざるを知らざると言う、これ知るなり。
過ちて改めざる、これを過ちと言う。
てな諺があったと思いますが、そゆことです。(笑)
#16お礼欄からの続き。
>6.
>>堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、~~と説明している。
この説明が根本的に誤り。話者の認識の世界と客体の世界を混同している。
:
その辺りについては興味深い。
いずれ改めて伺いましょう。
とりあえず今はお互いの発言内容に対して責任ある解説を加えていかないと前に進むことはできないでしょう。
7.
>>ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
意味不明の日本語。
以上のように批判というには程遠い奴シロウトの言葉のお遊びに過ぎない。
:
気持ちはわかります。
これも
>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
の質問に答えることで解決につながるかもです。
繰り返しますが、逃げずに必ずお答えください。
ご自身のためにも。
いずれにせよ、読解力がほとんどなく、論理性の欠片もないことが明らかになったわけだ。
すばらしい書物は読んでいるのかもしれないが、あなたは、その内容を曲解している公算が大きい。
つまり、ダイヤを拾ってはきたかもしれんが、それを包丁研ぎに使って自慢しているようなものだな。(笑)
まあ、それなりに頑張れば良いが、他人を批判するタマじゃないことぐらいは、そろそろ自覚したほうがいいぞ?(笑)
そのたびに自らの論理性の無さ、読解力の無さを曝け出していることに気づくべき時だよ。
今までのよしみで忠告しおくから、拳拳服膺するがよろしかろう。(笑)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?isSho …
上記#38の質問にも逃げずに答えていただけますか?
まさか、こちらも分からない???
ひょっとして記憶にありません、とか?(笑)
>「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。(アスナロウ)
:
ご教授いただきたいのですが、
「先生に指導していただく」というのは、『「指導を受ける」という側から』見ている文ではない、とおっしゃっていますか?
4.
>どこで言っているのか具体的に提示してみて下さい。
:
他動詞には「他に働きかける」という機能を持つので、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはあることになる。
「他動詞」
その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。(大辞泉)
5.
格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です。(アスナロウ)
「位置付け」という転成名詞の元である「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に位置付ける」
という意味の他動詞です。
上記定義文、
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
わからなければ、そのようにおっしゃってください。
ご自分の勘違いを知りたくはないのですか?
端くれとは言え、あなたも真理の徒でしょう。
>どこが勘違いですか!
だから、それを分かるようにしてあげるから、
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
という質問に答えてください、と申し上げている。
なぜ答えない?????
勘違いの原因がそこにある、と言っているのに。
答えられない、ということ自体が勘違いであることを証明している、とは思いませんか?
自分自身でも。