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https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
この筆者であるアスナロウさんは、格助詞「に」の意義についての批判をいくつかのサイトを引用しつつ展開している。
これが、明らかな勘違いに基づくものであることを、要点のみを挙げつつ以下に証明していきたいと思う。

1.
「日本語 文法 格助詞:解説 - 東京外国語大学」
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/content …
に対する批判。
煩雑になるのでかいつまんで引用させていただく。
☞から
(31)木村さんに本をあげます。
(略)
このように、「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」とは個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではないのである。
格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしているのではないことは明らかであろう。(アスナロウ)
☜まで

この点はまったく同感である。
◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。
つまり彼は勘違いをしているわけだ。

サイトでは上記(31)の例文に関して、
『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)
と解説している。
《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
これが第一の勘違い。

また、この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言ってるわけではない。
以下、順に説明してみよう。

(ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。

これはアスナロウさんも納得できるはずの「に」の本質的意義である。
上記例文に当てはめれば、

(ア-2)格助詞「に」は、「木村さん」に『「あげる」という動作』を空間的に位置付けるという認識を表わす。

ということになる。
「木村さん」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「あげる」という動作の行われる場所(=受け取り手)』として空間的に位置付けられた。
格助詞「に」を使うことによって「木村さん」は本の受け取り手として定められたわけだから、

・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。

という意味になる。
「受け取り手であること」の文中「こと=認識」であることは当然である。
これを『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』と言っているだけなのだ。
しかるにアスナロウさんは、「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないのだから間違っている、と主張している。
しかし、その論理でいくと、

・格助詞「から」は起点の認識を表わす。

という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということになってしまう、という矛盾に気づいていない。
これが第二の勘違い。
つまり彼は二重の勘違いを犯していることになる。

むろん、「木村さん」が受け取り手となるのは、この文における動作が「あげる」だからである。
アスナロウさんも、
『この名詞句が「受け取り手」として理解されるのは、「に」で動詞「贈る」「教える」「あげる」との関係が表現されているからで、動詞が「もらう」「借りる」などになれば起点の意味に変化するのである。』
と極めて的確に指摘しているとおりだ。(この件は重要な認識である。以下の2でも詳しく触れることになると思う)
いずれにせよ、このサイトをあえて批判するなら、『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点にすぎない。
誤った根拠に基づく批判は撤回されるべきだろう。
蛇足として付け加えておくと、このサイトでは「やりもらい」の「渡し手」の例文が載っていないという点での不備がある。論点を避けようとしているかのようで印象はよろしくない。
基本的に初級者向けということのようだ。

2.
菅井三実【格助詞にの統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ】
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
に対する批判。
☞から
「(格助詞「に」は)主格 NP から与格 NP へのエネルギー伝達を前提とする」ようでは、まともな文法の論理とは考えがたい。それが認知言語学の限界である。(アスナロウ)
☜まで

122ページで菅井は次のような例文を挙げている。
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.

この場合「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」ということになるのだが、それは文法の論理とは考えがたい、とアスナロウさんは批判しているわけだ。
たしかに「エネルギー伝達」はわかりにくいかもしれない。
もう少し読んでいくと、菅井は次のように続けている。

(16a)のように先輩をニ格で標示したときは,主格 NP花子から先輩に借りることを求めたことが前提となっているのに対し(16b)のようにカラ格で標示したときは花子が先輩に借りることを求めるという働きかけの側面が背景化され,結果的に先輩から携帯電話が一時的に移動していることがることが前景化されているということになる。

つまり、(16a)の場合、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。
ここは今回読み直してみて気づいた新鮮な視点であった。
(16a)をアスナロウさんの定義に則って解釈するなら、

《この文における格助詞「に」は、「(花子が)借りるという動作」を「先輩」という地点に空間的に位置付けるという話者の認識を表している。》

となるだろう。
ところで、文中の「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に━」
という意味の他動詞である。
他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩という地点に空間的に位置付ける』という話者の認識は、「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識が話者にあったことを示している。
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識があったからこそ、話者は『「(花子が)借りるという動作」を「先輩という地点」に空間的に位置付けた』のである。
無論、
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
に、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識はない。先輩は純粋な起点として認識されているだけである。

以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、『まともな文法の論理とは考えがたい』というアスナロウさんの認識は勘違いであることが明らかになったはずである。
また、この点に関して、
【イメージで教える日本語の格助詞】で杉村泰氏が述べている以下の内容も理解に役立つと思われる。
☞から
堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
☜まで

3.
さて、ここで【着点】という概念について若干触れてみたい。
すでに述べてきたように、

(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
は、

「先輩」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「(花子が)借りる」という動作の行われる場所』として空間的に位置付けられた。

という意味である。
「先輩」は「空間的に位置付けられた【先】」なのであるから、「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。

・この文で先輩は起点ではないか?
という疑問が生じるのもよくわかる。
ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
「先輩(間接目的語)」は、「(花子が)借りる」という動作の空間的【着点】として位置付けられた結果、携帯電話(直接目的語)の移動する「起点」となり得たのである。
つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。

長文を最後までお読みいただきありがとうございます。
以上のように考える次第ですが、諸賢のご見解・ご感想などいただければ幸いです。

質問者からの補足コメント

  • (ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)

    という解釈自体を否定しているわけではありません。
    大辞林にも、
    「動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法」
    といった注釈がある。
    ただ、本質的意義というのであれば、

    ( B-1 ) 格助詞「に」は動作・作用の着点(という認識)を表わす。(hakobulu)

    とするほうがベターではないか、ということ。
    このように解釈によって様々な勘違いや誤解を防ぐことができるだろう、という意味でもある。
    因みに紙数の関係で端折りましたが、下記質問でも着点について述べています。
    お時間のあるときにでも。
    菅井氏や杉村氏の解釈とそれほど違ったことを言っているわけではなさそうで一安心しているところ。
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12201688.html

      補足日時:2021/02/14 16:44
  • 「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味内容が違う。

    と言うのは、

    「慰めの気持ち」と「慰める認識」では意味内容が違う。

    と言っているようなものであることは理解なさっておられますか?

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/14 21:50
  • hakobulu:
    『読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎだされたとき、紡ぎだした作者は、いわば、言葉によって逆に自分の位置をはっきりと限定される。』
    とも言ってますが、ここで言う「言葉」は、おそらく主体的認識を表わす助詞・助動詞の類を指すのでしょう。

    アスナロウ:
    いいえ。
    これは「作品の言葉」、つまり文、文章で、規範としての語の意義ではありません。

    hakobulu:
    図らずも読解力の無さをさらけ出しておられますね。(笑)
    実に読みが浅い。
    「作品の言葉」であるのは当たり前だが、「(読み手は)作者の認識の動きを追っている」と書いてるでしょ?
    つまり、主体的認識を表わす語が絡んでいる言葉を指しているわけ。
    たとえば「読み手」ではない、「読み手は」という主題提示の認識を伴う言葉のこと。
    ブーメランお上手。(笑)

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 00:33
  • >もう一度、自身の質問の内容を真摯に見直して下さい。顔から火が出ると思うのですが?

    どういった理由で『顔から火が出ると思う』と思うのですか?
    その箇所を指摘して批判してくれば良いものを、そんな論議の基本すら実行できないでいるところをみると、おそらく、その理由さえ分からないのでしょう。
    まあ、自己投影の典型例として拝聴しておきましょうかな。(笑)
    しかし、勘違いは誰にもありますから、そう悲観しなくてもよろしいです。

    知らざるを知らざると言う、これ知るなり。

    過ちて改めざる、これを過ちと言う。

    てな諺があったと思いますが、そゆことです。(笑)

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 01:06
  • #16お礼欄からの続き。

    >6.
    >>堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、~~と説明している。
    この説明が根本的に誤り。話者の認識の世界と客体の世界を混同している。

    その辺りについては興味深い。
    いずれ改めて伺いましょう。
    とりあえず今はお互いの発言内容に対して責任ある解説を加えていかないと前に進むことはできないでしょう。

    7.
    >>ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。

    意味不明の日本語。
    以上のように批判というには程遠い奴シロウトの言葉のお遊びに過ぎない。

    気持ちはわかります。
    これも

    >5時に位置付ける。
    5時を位置付ける。
    どちらですか?

    の質問に答えることで解決につながるかもです。
    繰り返しますが、逃げずに必ずお答えください。
    ご自身のためにも。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 19:13
  • いずれにせよ、読解力がほとんどなく、論理性の欠片もないことが明らかになったわけだ。
    すばらしい書物は読んでいるのかもしれないが、あなたは、その内容を曲解している公算が大きい。
    つまり、ダイヤを拾ってはきたかもしれんが、それを包丁研ぎに使って自慢しているようなものだな。(笑)
    まあ、それなりに頑張れば良いが、他人を批判するタマじゃないことぐらいは、そろそろ自覚したほうがいいぞ?(笑)
    そのたびに自らの論理性の無さ、読解力の無さを曝け出していることに気づくべき時だよ。
    今までのよしみで忠告しおくから、拳拳服膺するがよろしかろう。(笑)

    No.27の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/16 18:34
  • https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?isSho …
    上記#38の質問にも逃げずに答えていただけますか?
    まさか、こちらも分からない???
    ひょっとして記憶にありません、とか?(笑)

    >「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。(アスナロウ)

    ご教授いただきたいのですが、
    「先生に指導していただく」というのは、『「指導を受ける」という側から』見ている文ではない、とおっしゃっていますか?

    No.51の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/22 23:45
  • 4.
    >どこで言っているのか具体的に提示してみて下さい。

    他動詞には「他に働きかける」という機能を持つので、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはあることになる。
    「他動詞」
    その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。(大辞泉)

    5.
    格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です。(アスナロウ)

    「位置付け」という転成名詞の元である「位置付ける」は、
    物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に位置付ける」
    という意味の他動詞です。
    上記定義文、

    「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合

    何を?
    どこに?

    位置付けるのですか?

    わからなければ、そのようにおっしゃってください。
    ご自分の勘違いを知りたくはないのですか?
    端くれとは言え、あなたも真理の徒でしょう。

    No.54の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/23 16:27
  • >どこが勘違いですか!

    だから、それを分かるようにしてあげるから、

    「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合

    何を?
    どこに?

    位置付けるのですか?

    という質問に答えてください、と申し上げている。

    なぜ答えない?????
    勘違いの原因がそこにある、と言っているのに。
    答えられない、ということ自体が勘違いであることを証明している、とは思いませんか?
    自分自身でも。

    No.62の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/24 17:43

A 回答 (83件中51~60件)

>>あなたの論理が通用するなら太陽は西から昇る。



近々、気象庁から発表があるかも?

今は地震対応に忙しいので若干遅れるかもしれませんが。(笑)■
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>>でも言葉の理論だけではねー。



いえいえ。

それを支える科学としての唯物弁証法の論理が必要です。■
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>解析は論理に基づきます


もちろんそうでしょう、でも言葉の理論だけではねー。
現にオーム返ししかできなかったことも・・・・。
自分の土俵、井戸の中だけの話でしょう。
これ以上おつき愛はやめます、悪しからず。
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>>その内容を曲解している公算が大きい。



そうとしかいえないところが限界ですね!

基本的な論も書も読んでもいないのだから。(;一_一)
それは、論理性の無さ、読解力の無さ以前の問題です。

しっかり、当方の提示した課題に応えられるよう学習、研鑽して下さい。

そして、そのためにはそれを支える論理を学ばなければ不可能です。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>その内容を曲解している公算が大きい。

そうとしかいえないところが限界ですね!

基本的な論も書も読んでもいないのだから。(;一_一)
それは、論理性の無さ、読解力の無さ以前の問題です。

読んでないから「曲解している【公算】が大きい」と言ってるわけだよ。
公算の意味を知らんのかいな。
つまり、

それは、論理性の無さ、読解力の無さ以前の問題です。

といった非論理的な日本語を使ってはいかんちゅうこと。

それは、論理性の無さ、読解力の無さとは別問題です。

というのが正しい日本語だろ?
つまり、読んでいるいないという問題は、論理性の無さ、読解力という問題とは何の関係もないのだよ。
わかるかな?(笑)

何の関係もないことを「それは」という指示語でつないでしまうところが、あなたの『論理性の無さ』を如実に表している、ということ。

唇、凍傷になってませんか?
寒すぎて。(笑)

お礼日時:2021/02/16 22:26

No.28 のコメントについて



>>ビッグデーターの解析による結果のほうが未知のものを含んだ結果で、より信頼できるのかも?。

解析は論理に基づきます。データと論理は与えてやらなければ解析できません。

問題は論理で、ビッグであろうとなかろうとデータが未知のものを含んでいる可能性はあります。

こうした本末を転倒したAI信仰は宗教に過ぎません。■
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人は自分の思っていることの半分も言葉で表現できない。


五感で感じる内容も、誰にも等しく伝わる言葉での表現なんてありません。
いくら論理的・・と頑張っても、その表現が万人に等しく伝わる表現である保証はありません、その上で論理的・・、しょせん自身が知りえている範囲内の論理による、仮想にすぎません。
最近AIを使ってビッグデーターの解析が流行っています。
従来の論理によって得られる結果では想定できない結果が得られるそうです。
ビッグデーター、個々のデーターは、起きた事実の結果です、人間が知りえない、何か?も含んでいるかもしれません。
すべて、歴史が証明する、とも言われます。
論理に元づいて導かれる結果より、ビッグデーターの解析による結果のほうが未知のものを含んだ結果で、より信頼できるのかも?。
そんなことがぼちぼち表れてきているようでも・・・・・。
論理オンリーはいずれ、歴史で語られるようになる経過途中のようでもあります。
そんなものに目くじら立てても・・・・・?。
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なんなら、この大団円の経過を纏め、もう一度諸賢にお伺いを建てたらどうですか?



世間の動向が理解できますよ!■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

あなたの矛盾についてはキリがないので基本的にスルーしてきました。
そのうちいくつかを再掲して差し上げますから、よく読み直してみることですな。

1.
「メロンを食べる」はメロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?

という文についてが論点である場面で、

はあ!
だから駄目なのです。
格助詞「に」の意義とは『語という属性の抽象の意義』ですよ。
何を論じているのですか。

などという頓珍漢な批判を嬉し気に(しかも本気で)言う。

【なぜ「頓珍漢」と言われるか理解できますか?】

2.
「日本語 文法 格助詞:解説 - 東京外国語大学」で
(31)木村さんに本をあげます。
という個別の文に関して、『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)という解釈を記しているのに、
《(これは)個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》という的外れの批判を臆面もなく述べている。

【どこが「的外れ」なのか理解できますか?】

3.
「らしい」の活用について。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12198360.html
で、当方や他の回答者は「らしい」に主体的表現の語である助動詞と客体的表現の語である接尾語の二種類があることを指摘していますが。この点を明確にできず、質問者(: hakobulu)は意味不明な誤った回答をしています。

>>「らしい」は推量の助動詞。
たぶんですが、形容詞型活用の未然形自体が推量を表わすからじゃないですかね。

これを見れば、どの程度の理解力かはおのずと明らかです。

このように嬉々として批判したつもりになっている。
「らしい」の活用について。
という上記質問はタイトルに明記されているように、

「らしい」には未然形が無いようですが、なぜなのでしょうか…。

ということ。
それに対して、あなたは、
『助動詞の「らしい」には未然形が無いということです。』という頓馬な回答をしている。

【なぜ「頓馬」と言われるか理解できますか?】

以上【】内の質問が理解できるなら、他人の批判をしている場合じゃないことぐらい分かるだろ?
「諸賢にお伺い」を建てるまでも無かろうに。
恥の上塗りをしたければ自分でやりたまえ。
あなたの論理が通用するなら太陽は西から昇る。(笑)

お礼日時:2021/02/16 18:28

>>つまり、


『他動を表す動詞の動作という機能』について述べた文であって、『語という属性の抽象の意義』にはまったく触れていません。

はあ!
だから駄目なのです。
格助詞「に」の意義とは『語という属性の抽象の意義』ですよ。
何を論じているのですか。だから、混乱、混迷するということで、目出度く明快な結論に到達したわけです。

>>以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、

なんちゃって!

>>利用規約やガイドラインに違反する内容であると判断されたため、お礼を削除いたしました。

これじゃね! (;一_一)

早く、受診した方がいいですよ!■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>はあ!
だから駄目なのです。
格助詞「に」の意義とは『語という属性の抽象の意義』ですよ。
何を論じているのですか。だから、混乱、混迷するということで、目出度く明快な結論に到達したわけです。

実に憐れを催しますな。(笑)
今回は「他動詞」についてが論点であることを、まったく理解していない。

「メロンを食べる」はメロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?

という文面のどこに『格助詞「に」の意義』が出てくるわけ???
『何を論じているのですか。』って、食べるという他動詞を論じているに決まってるじゃん?(笑)
なんでこんな説明しなきゃならんのか、他人事ながら情けなくなりますな。
『混乱、混迷』しているのはあなたの方であるのは明らかでしょ?
このぐらいの理屈も理解できないようでは、何を言っても食い違いが生じるだけなのも当然のことですな。

>早く、受診した方がいいですよ!

自己投影なんでしょうな・・・。
お大事になさってください。

お礼日時:2021/02/16 17:30

>>「メロンを食べる」はメロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?



ハハハ!
ここに非論理的な機能主義の低レベルな発想が露呈しています。
他動を表す動詞の動作という機能と語という属性の抽象の意義を混同するしかない発想の誤りです。

語が食べたり、メロンに働きかけたりするというのは小学校3年生以下の理解力しかないということです。

これを妄想と受け止められないのは、あなたの感性が誇大妄想に傾いているからで、しかるべき医療機関(精神科など)の受診をお薦めします。

しかし、最終結論に達することができ所定の効果を上げることができました。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>他動を表す動詞の動作という機能と語という属性の抽象の意義を混同するしかない発想の誤りです。

『「メロンを食べる」はメロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?』という文の意味が理解できなかったのですね。
少しかみ砕いてさしあげましょう。
これは、

「メロンを食べる」という文で使っている「食べる」という動詞で表わされているところの「食べる」という動作は、メロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?

という意味です。
つまり、
『他動を表す動詞の動作という機能』について述べた文であって、『語という属性の抽象の意義』にはまったく触れていません。
触れていないことについて批判することこそ、誇大妄想なんじゃないかな?
あなたの場合、基本的に自己投影の典型が各所で見られますが、今回も、そのひとつが顕われているようです。
素直に考えればわかることばかりですから、謙虚に冷静に文を繰り返し読み返す習慣をつけることをお勧めします。

お礼日時:2021/02/16 16:48

>>それは感性の問題なので致し方ありません。



いいえ。
正しく、これが当方が批判している機能主義的な発想の典型です。

それも初歩的な低レベルの発想です。このため、当方の批判の本質が理解できず単なる言葉遊びに終始し、混迷を繰り返しているということです。

ようやく、根本的な欠陥が露呈し結論に至りましたね。

当方が提起した課題にしっかり回答できるよう学習、研鑽に努めて下さい。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「食べる」←これが、メロンに働きかける?
妄想ですね。(アスナロウ)

と言ってるが「食べる」は他動詞だよ?

「他動詞」
・ある客体に【作用を及ぼす意味】をもつ動詞。日本語では、目的語として多く助詞「を」を添えて表す。(広辞苑)

・その表す【動作・作用が他に及ぶ意味】をもつ動詞。その対象となる事物を,多く助詞「を」で表す。(大辞林)

という意味であり、
「メロンを食べる」はメロンに働きかける動作に他ならないんじゃないかな?
これを妄想としか受け止められないのは、あなたの感性が貧弱なせいであって、結果的に小学校3年生以下の読解力しかない原因にもつながっているわけだよ。
申し訳ないが、そういう人を相手に徒労を繰り返すほど、当方も暇じゃないんでね。
せめて真理に対する素直な姿勢でもあれば、多少は救いようもあろうが、それすらも皆無であるのみならず、他人への筋違いの批判を懲りずに繰り返す。
まさしく字のごとく救いようのないお方ですな。
〇ンカスと呼ばれても仕方ないだろ?(笑)
『混迷を繰り返している』のは誰の脳みそなのか、ちったあ反省したまえ。(笑)

お礼日時:2021/02/16 15:41
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