アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
この筆者であるアスナロウさんは、格助詞「に」の意義についての批判をいくつかのサイトを引用しつつ展開している。
これが、明らかな勘違いに基づくものであることを、要点のみを挙げつつ以下に証明していきたいと思う。

1.
「日本語 文法 格助詞:解説 - 東京外国語大学」
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/content …
に対する批判。
煩雑になるのでかいつまんで引用させていただく。
☞から
(31)木村さんに本をあげます。
(略)
このように、「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」とは個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではないのである。
格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしているのではないことは明らかであろう。(アスナロウ)
☜まで

この点はまったく同感である。
◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。
つまり彼は勘違いをしているわけだ。

サイトでは上記(31)の例文に関して、
『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)
と解説している。
《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
これが第一の勘違い。

また、この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言ってるわけではない。
以下、順に説明してみよう。

(ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。

これはアスナロウさんも納得できるはずの「に」の本質的意義である。
上記例文に当てはめれば、

(ア-2)格助詞「に」は、「木村さん」に『「あげる」という動作』を空間的に位置付けるという認識を表わす。

ということになる。
「木村さん」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「あげる」という動作の行われる場所(=受け取り手)』として空間的に位置付けられた。
格助詞「に」を使うことによって「木村さん」は本の受け取り手として定められたわけだから、

・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。

という意味になる。
「受け取り手であること」の文中「こと=認識」であることは当然である。
これを『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』と言っているだけなのだ。
しかるにアスナロウさんは、「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないのだから間違っている、と主張している。
しかし、その論理でいくと、

・格助詞「から」は起点の認識を表わす。

という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということになってしまう、という矛盾に気づいていない。
これが第二の勘違い。
つまり彼は二重の勘違いを犯していることになる。

むろん、「木村さん」が受け取り手となるのは、この文における動作が「あげる」だからである。
アスナロウさんも、
『この名詞句が「受け取り手」として理解されるのは、「に」で動詞「贈る」「教える」「あげる」との関係が表現されているからで、動詞が「もらう」「借りる」などになれば起点の意味に変化するのである。』
と極めて的確に指摘しているとおりだ。(この件は重要な認識である。以下の2でも詳しく触れることになると思う)
いずれにせよ、このサイトをあえて批判するなら、『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点にすぎない。
誤った根拠に基づく批判は撤回されるべきだろう。
蛇足として付け加えておくと、このサイトでは「やりもらい」の「渡し手」の例文が載っていないという点での不備がある。論点を避けようとしているかのようで印象はよろしくない。
基本的に初級者向けということのようだ。

2.
菅井三実【格助詞にの統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ】
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
に対する批判。
☞から
「(格助詞「に」は)主格 NP から与格 NP へのエネルギー伝達を前提とする」ようでは、まともな文法の論理とは考えがたい。それが認知言語学の限界である。(アスナロウ)
☜まで

122ページで菅井は次のような例文を挙げている。
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.

この場合「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」ということになるのだが、それは文法の論理とは考えがたい、とアスナロウさんは批判しているわけだ。
たしかに「エネルギー伝達」はわかりにくいかもしれない。
もう少し読んでいくと、菅井は次のように続けている。

(16a)のように先輩をニ格で標示したときは,主格 NP花子から先輩に借りることを求めたことが前提となっているのに対し(16b)のようにカラ格で標示したときは花子が先輩に借りることを求めるという働きかけの側面が背景化され,結果的に先輩から携帯電話が一時的に移動していることがることが前景化されているということになる。

つまり、(16a)の場合、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。
ここは今回読み直してみて気づいた新鮮な視点であった。
(16a)をアスナロウさんの定義に則って解釈するなら、

《この文における格助詞「に」は、「(花子が)借りるという動作」を「先輩」という地点に空間的に位置付けるという話者の認識を表している。》

となるだろう。
ところで、文中の「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に━」
という意味の他動詞である。
他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩という地点に空間的に位置付ける』という話者の認識は、「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識が話者にあったことを示している。
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識があったからこそ、話者は『「(花子が)借りるという動作」を「先輩という地点」に空間的に位置付けた』のである。
無論、
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
に、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識はない。先輩は純粋な起点として認識されているだけである。

以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、『まともな文法の論理とは考えがたい』というアスナロウさんの認識は勘違いであることが明らかになったはずである。
また、この点に関して、
【イメージで教える日本語の格助詞】で杉村泰氏が述べている以下の内容も理解に役立つと思われる。
☞から
堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
☜まで

3.
さて、ここで【着点】という概念について若干触れてみたい。
すでに述べてきたように、

(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
は、

「先輩」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「(花子が)借りる」という動作の行われる場所』として空間的に位置付けられた。

という意味である。
「先輩」は「空間的に位置付けられた【先】」なのであるから、「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。

・この文で先輩は起点ではないか?
という疑問が生じるのもよくわかる。
ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
「先輩(間接目的語)」は、「(花子が)借りる」という動作の空間的【着点】として位置付けられた結果、携帯電話(直接目的語)の移動する「起点」となり得たのである。
つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。

長文を最後までお読みいただきありがとうございます。
以上のように考える次第ですが、諸賢のご見解・ご感想などいただければ幸いです。

質問者からの補足コメント

  • (ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)

    という解釈自体を否定しているわけではありません。
    大辞林にも、
    「動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法」
    といった注釈がある。
    ただ、本質的意義というのであれば、

    ( B-1 ) 格助詞「に」は動作・作用の着点(という認識)を表わす。(hakobulu)

    とするほうがベターではないか、ということ。
    このように解釈によって様々な勘違いや誤解を防ぐことができるだろう、という意味でもある。
    因みに紙数の関係で端折りましたが、下記質問でも着点について述べています。
    お時間のあるときにでも。
    菅井氏や杉村氏の解釈とそれほど違ったことを言っているわけではなさそうで一安心しているところ。
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12201688.html

      補足日時:2021/02/14 16:44
  • 「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味内容が違う。

    と言うのは、

    「慰めの気持ち」と「慰める認識」では意味内容が違う。

    と言っているようなものであることは理解なさっておられますか?

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/14 21:50
  • hakobulu:
    『読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎだされたとき、紡ぎだした作者は、いわば、言葉によって逆に自分の位置をはっきりと限定される。』
    とも言ってますが、ここで言う「言葉」は、おそらく主体的認識を表わす助詞・助動詞の類を指すのでしょう。

    アスナロウ:
    いいえ。
    これは「作品の言葉」、つまり文、文章で、規範としての語の意義ではありません。

    hakobulu:
    図らずも読解力の無さをさらけ出しておられますね。(笑)
    実に読みが浅い。
    「作品の言葉」であるのは当たり前だが、「(読み手は)作者の認識の動きを追っている」と書いてるでしょ?
    つまり、主体的認識を表わす語が絡んでいる言葉を指しているわけ。
    たとえば「読み手」ではない、「読み手は」という主題提示の認識を伴う言葉のこと。
    ブーメランお上手。(笑)

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 00:33
  • >もう一度、自身の質問の内容を真摯に見直して下さい。顔から火が出ると思うのですが?

    どういった理由で『顔から火が出ると思う』と思うのですか?
    その箇所を指摘して批判してくれば良いものを、そんな論議の基本すら実行できないでいるところをみると、おそらく、その理由さえ分からないのでしょう。
    まあ、自己投影の典型例として拝聴しておきましょうかな。(笑)
    しかし、勘違いは誰にもありますから、そう悲観しなくてもよろしいです。

    知らざるを知らざると言う、これ知るなり。

    過ちて改めざる、これを過ちと言う。

    てな諺があったと思いますが、そゆことです。(笑)

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 01:06
  • #16お礼欄からの続き。

    >6.
    >>堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、~~と説明している。
    この説明が根本的に誤り。話者の認識の世界と客体の世界を混同している。

    その辺りについては興味深い。
    いずれ改めて伺いましょう。
    とりあえず今はお互いの発言内容に対して責任ある解説を加えていかないと前に進むことはできないでしょう。

    7.
    >>ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。

    意味不明の日本語。
    以上のように批判というには程遠い奴シロウトの言葉のお遊びに過ぎない。

    気持ちはわかります。
    これも

    >5時に位置付ける。
    5時を位置付ける。
    どちらですか?

    の質問に答えることで解決につながるかもです。
    繰り返しますが、逃げずに必ずお答えください。
    ご自身のためにも。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/15 19:13
  • いずれにせよ、読解力がほとんどなく、論理性の欠片もないことが明らかになったわけだ。
    すばらしい書物は読んでいるのかもしれないが、あなたは、その内容を曲解している公算が大きい。
    つまり、ダイヤを拾ってはきたかもしれんが、それを包丁研ぎに使って自慢しているようなものだな。(笑)
    まあ、それなりに頑張れば良いが、他人を批判するタマじゃないことぐらいは、そろそろ自覚したほうがいいぞ?(笑)
    そのたびに自らの論理性の無さ、読解力の無さを曝け出していることに気づくべき時だよ。
    今までのよしみで忠告しおくから、拳拳服膺するがよろしかろう。(笑)

    No.27の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/16 18:34
  • https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?isSho …
    上記#38の質問にも逃げずに答えていただけますか?
    まさか、こちらも分からない???
    ひょっとして記憶にありません、とか?(笑)

    >「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。(アスナロウ)

    ご教授いただきたいのですが、
    「先生に指導していただく」というのは、『「指導を受ける」という側から』見ている文ではない、とおっしゃっていますか?

    No.51の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/22 23:45
  • 4.
    >どこで言っているのか具体的に提示してみて下さい。

    他動詞には「他に働きかける」という機能を持つので、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはあることになる。
    「他動詞」
    その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。(大辞泉)

    5.
    格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です。(アスナロウ)

    「位置付け」という転成名詞の元である「位置付ける」は、
    物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に位置付ける」
    という意味の他動詞です。
    上記定義文、

    「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合

    何を?
    どこに?

    位置付けるのですか?

    わからなければ、そのようにおっしゃってください。
    ご自分の勘違いを知りたくはないのですか?
    端くれとは言え、あなたも真理の徒でしょう。

    No.54の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/23 16:27
  • >どこが勘違いですか!

    だから、それを分かるようにしてあげるから、

    「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合

    何を?
    どこに?

    位置付けるのですか?

    という質問に答えてください、と申し上げている。

    なぜ答えない?????
    勘違いの原因がそこにある、と言っているのに。
    答えられない、ということ自体が勘違いであることを証明している、とは思いませんか?
    自分自身でも。

    No.62の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/24 17:43

A 回答 (83件中71~80件)

>>はからずも読解力の無さをさらけ出しておられますね。

(笑)
実に読みが浅い。

うーん!
はからずも無知を曝け出していますね。読み以前の問題です。
『言語にとって美とは何か』を読んでないので、襤褸が出ますね。これは吉本言語論を知っている人には常識ですが、彼は主体的表現の語/客体的表現の語という用語は使用していません。何と言っているかはNET上でも探して下さい。

>>「読み手は」という主題提示の認識を伴う言葉


またまた、言葉遊び。(笑)
そもそも、ここで問題にしているのは「読み手」つまり、「受け手」の側の問題で、表現過程ではなく、理解過程です。これを理解できずに混同するのではお話しになりません。

物言えば唇寒し秋の風

ということです。

所詮、この程度の理解ではしっちゃかめっちゃかの言葉遊びになるしかないことを露呈しています。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>これは吉本言語論を知っている人には常識ですが、彼は主体的表現の語/客体的表現の語という用語は使用していません。

なんちゅうか本中華。
三浦の著作に対する解説文中での発言だろ?
自分が使用してなかった概念だからこそ「内容は、きわめて高度で、画期的なもの」と賛辞を呈しているわけだよ。
そんなこともわからんの???(笑)
いやはや、

唇、大寒し

ですな?(笑)

お礼日時:2021/02/16 00:39

>>「時間的・空間的に位置付ける」主格と対象(目的語)は何ですか?



良い質問です。
まあ、ここがポイントです。
主格は話者です。だから、話者の主観の直接的な表現の語だということです。
対象は、「に」が付く語が表しています。

5時に始まる。

この場合、「5時」です。

>>論理的な筋道は外していません。

だから、それが誤りで最初から踏み外していると指摘しています。懲りない方ですね!
その踏み外しで言葉を弄くり回すので訳が分からなくなってしまいます。

これまで、何度もこの点を指摘していますが、結局堂々巡りになっているということです。

>>初心に戻って、論理的に自らの主張を検証しなおしてみるがよろしいでしょう。
当方の批判も、その一助として真摯に受け止めるのがご自身のためです。

もう一度、自身の質問の内容を真摯に見直して下さい。顔から火が出ると思うのですが?

それとも、冷や汗!

何も感じないとすれば、それこそが問題だということです。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(ア)格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表す。(アスナロウ)

>主格は話者です。だから、話者の主観の直接的な表現の語だということです。
対象は、「に」が付く語が表しています。

5時に始まる。

この場合、「5時」です。

5時に位置付ける。

5時を位置付ける。

どちらですか?

お礼日時:2021/02/15 00:55

>>なぜここにこだわるかというと、#2での


《>ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
という解釈自体を否定しているわけではありません。

そもそも、これが誤りです。回答の通り、

格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。

で、これを言葉遊びで、あれこれ弄り回しているため混乱しています。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

出ました!!ちゃぶ台返し!(笑)
さんざん、それを前提に論議してきましたよね???
今更、何をおっしゃっているのですか?????
呆れ果てますが、まあ、乗りかかった舟ですから付き合って差し上げましょう。
とにもかくにも、

(ア)格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。

なんですね。
よろしい。
さて、「位置付け」というのは、動詞「位置付ける」の転成名詞。
「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に━」
という意味の他動詞です。
ここで質問です。

「時間的・空間的に位置付ける」主格と対象(目的語)は何ですか?

明確にお答えください。

お礼日時:2021/02/15 00:16

>>>>ここで言う「言葉」は、おそらく主体的認識を表わす助詞・助動詞の類を指すのでしょう。



いいえ。
これは「作品の言葉」、つまり文、文章で、規範としての語の意義ではありません。
吉本隆明『言語にとって美とは何か』を読まれたことはありますか?
こんな、頓珍漢なことを言っているようでは救いようがありませんということです。

物言えば唇寒し秋の風

【読み】, ものいえばくちびるさむしあきのかぜ.
【意味】, 物言えば唇寒し秋の風とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえ。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえ。
<故事ことわざ辞典kotowaza-allguide.com ›

>>《格助詞「に」の意義とは、話者による対象の捉え方である主観を直接的に表す語》における「対象」は「客体的表現の語」のはずです。
つまり、
《格助詞「に(という主体的表現の語)」は、「客体的表現の語」の捉え方である主観を直接的に表わす語》である、とおっしゃっている。

ここにも根本的な誤りがあります。
対象自体が語ではありません。
ここでも媒介ということが理解できていません。

なにせ、理解力も無いままに、思い付きであれこれ応答しても意味はありません。まずは、しっかり学習して出直してください。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ここにも根本的な誤りがあります。
対象自体が語ではありません。

アスナロウさんは、#2で、

《格助詞「に」の意義とは、話者による対象の捉え方である主観を直接的に表す語で、文に表現された結果としての語の動作(←これは客体的表現の語)を位置付けるという認識を表わすのではありません。》
とおっしゃっています。

《格助詞「に」の意義とは、話者による対象の捉え方である主観を直接的に表す語》という文に出てくる「対象」は「客体的表現の語」ですよね?

つまり、
《格助詞「に(という主体的表現の語)」は、「客体的表現の語(=対象)」の捉え方である主観を直接的に表わす語》である、とおっしゃっていることになりますよね。

違うのですか???

失礼ですが「思い付き」と感じるは、おそらく読解能力の不足を意味していると思います。
必要に迫られて若干ややこしい記述になっているかもしれませんが、論理的な筋道は外していません。
この程度の内容を理解できずに、三浦や隆明を読解できたとは到底思われませんな。
そう思っておいでなら、それもおそらく勘違いという公算が大です。
初心に戻って、論理的に自らの主張を検証しなおしてみるがよろしいでしょう。
当方の批判も、その一助として真摯に受け止めるのがご自身のためです。

お礼日時:2021/02/15 00:06

もう一度、念を押しておきますが、



>>格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
「先輩(間接目的語)」は、「(花子が)借りる」という動作の空間的【着点】として位置付けられた結果、携帯電話(直接目的語)の移動する「起点」となり得たのである。
つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。//

これが、意味不明なことば遊びの結果に過ぎません。■
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>>この2文は別々の意味だ、ということですか。


「レベルが異なる」と言うより「次元が異なる」という印象を受けます。
「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味が違う。
とおっしゃっていることになりますが、それで間違いありませんね?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12189564.html
No.30で、

先に No.20 で記した通り、

この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。

と回答している通りで、これを言葉遊びで、あれこれ弄り回しているため混乱しています。いい加減に言葉遊びは止めましょう。

まずは、これまでの指摘を真摯に受け止め正しく理解しましょう。

怪しげな、日本語紛いの言葉遊びは止めましょう。
何のメリットもありません。ただ、混乱、混迷するだけです。

こんなことをしていると、誰からも相手にされなくなりますよ。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>先に No.20 で記した通り、

この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。

と回答している通りで、これを言葉遊びで、あれこれ弄り回しているため混乱しています。

言葉遊びでも弄繰り回しているわけでもありませんよ?

なぜここにこだわるかというと、#2での
《>ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
という解釈自体を否定しているわけではありません。

であれば、

(ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。

などと言えないことが理解できていませんね。この点が根本的な誤り、欠陥です。》
というご回答に、アスナロウさんの勘違いが如実に表れているからです。
おそらく感づいておられないのでしょう。
なので、それをわかりやすく解説して差し上げようとして質問しているわけです。

非常に簡単な質問です。

もういちど問いますから、素直にイエスノーでお答えください。
それとも、ご自身の矛盾を暴かれるのが嫌さに、あれこれ屁理屈を捏ねて誤魔化そうとする姿勢を続けますか?

【再質問】
(ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。

(ア-2)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的に位置付ける認識を表わす。
では意味が違うということですね?

お礼日時:2021/02/14 23:49

>>そんな子供みたいな応答はやめましょうよ。



良識ある大人の対応です。

まず、自分がどんな論理を展開しているのかよく反省してみましょう。

言語とは何かを理解することなく勝手な思い込みを展開した好事ということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

どの箇所が『錯綜して』いるのかも分からずに《色々錯綜しており議論に値しません。》とおっしゃるのが、《良識ある大人の対応》なのですか?

それとも、追い手に帆を掛け始めた、ということですかな?(笑)

お礼日時:2021/02/14 21:52

>>質問文をちゃんと読んでから回答しているのですか???



はいはい。

>>問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。


色々錯綜しており議論に値しません。

所詮、言葉遊びの域を出ません。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>色々錯綜しており議論に値しません。

そんな子供みたいな応答はやめましょうよ。

どの箇所が『錯綜して』いるのか、ご指摘いただけませんか?

お礼日時:2021/02/14 21:38

>>(ア-2)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的に位置付ける認識を表わす。

という文に言い換えることはできますか?
ご教授ください。

できません。

当方の回答を良く読んで理解して下さい。

いい加減に、言葉遊びは止めましょう。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。

(ア-2)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的に位置付ける認識を表わす。

この2文は別々の意味だ、ということですか。
「レベルが異なる」と言うより「次元が異なる」という印象を受けます。

「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味が違う。

とおっしゃっていることになりますが、それで間違いありませんね?
念のための確認ですが、どのように違うのか教えていただけませんか?

お礼日時:2021/02/14 21:45

先に回答の通り、格助詞「「に」の意義とは、



辞書の見出し「に」には着点も動詞もありません。点や動詞には客体としての対象の概念が対応しています。では、格助詞「に」に対応する概念は?ということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ですから、

>このサイトをあえて批判するなら、『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点

と申し上げていますよね?
質問文をちゃんと読んでから回答しているのですか???
それとも、この文の意味が理解できないのですか?

お礼日時:2021/02/14 20:57

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