![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
この筆者であるアスナロウさんは、格助詞「に」の意義についての批判をいくつかのサイトを引用しつつ展開している。
これが、明らかな勘違いに基づくものであることを、要点のみを挙げつつ以下に証明していきたいと思う。
1.
「日本語 文法 格助詞:解説 - 東京外国語大学」
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/content …
に対する批判。
煩雑になるのでかいつまんで引用させていただく。
☞から
(31)木村さんに本をあげます。
(略)
このように、「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」とは個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではないのである。
格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしているのではないことは明らかであろう。(アスナロウ)
☜まで
この点はまったく同感である。
◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
問題は、このサイトでは、上記批判に値するようなことはまったく言っていない、という点。
つまり彼は勘違いをしているわけだ。
サイトでは上記(31)の例文に関して、
『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)
と解説している。
《個別の文における意味であり、名詞の語の意義や格助詞「に」の意義ではない》点では同じ認識であるにもかかわらず、アスナロウさんは勘違いして、その点をまず批判している。
これが第一の勘違い。
また、この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言ってるわけではない。
以下、順に説明してみよう。
(ア-1)格助詞「に」は、(「に」の前の語に、「に」の後に続く)動作を空間的・時間的に位置付けるという認識を表わす。
これはアスナロウさんも納得できるはずの「に」の本質的意義である。
上記例文に当てはめれば、
(ア-2)格助詞「に」は、「木村さん」に『「あげる」という動作』を空間的に位置付けるという認識を表わす。
ということになる。
「木村さん」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「あげる」という動作の行われる場所(=受け取り手)』として空間的に位置付けられた。
格助詞「に」を使うことによって「木村さん」は本の受け取り手として定められたわけだから、
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
という意味になる。
「受け取り手であること」の文中「こと=認識」であることは当然である。
これを『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』と言っているだけなのだ。
しかるにアスナロウさんは、「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないのだから間違っている、と主張している。
しかし、その論理でいくと、
・格助詞「から」は起点の認識を表わす。
という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということになってしまう、という矛盾に気づいていない。
これが第二の勘違い。
つまり彼は二重の勘違いを犯していることになる。
むろん、「木村さん」が受け取り手となるのは、この文における動作が「あげる」だからである。
アスナロウさんも、
『この名詞句が「受け取り手」として理解されるのは、「に」で動詞「贈る」「教える」「あげる」との関係が表現されているからで、動詞が「もらう」「借りる」などになれば起点の意味に変化するのである。』
と極めて的確に指摘しているとおりだ。(この件は重要な認識である。以下の2でも詳しく触れることになると思う)
いずれにせよ、このサイトをあえて批判するなら、『「に」の意味だけを述べており、意義について触れられていない』という点にすぎない。
誤った根拠に基づく批判は撤回されるべきだろう。
蛇足として付け加えておくと、このサイトでは「やりもらい」の「渡し手」の例文が載っていないという点での不備がある。論点を避けようとしているかのようで印象はよろしくない。
基本的に初級者向けということのようだ。
2.
菅井三実【格助詞にの統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ】
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
に対する批判。
☞から
「(格助詞「に」は)主格 NP から与格 NP へのエネルギー伝達を前提とする」ようでは、まともな文法の論理とは考えがたい。それが認知言語学の限界である。(アスナロウ)
☜まで
122ページで菅井は次のような例文を挙げている。
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
この場合「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」ということになるのだが、それは文法の論理とは考えがたい、とアスナロウさんは批判しているわけだ。
たしかに「エネルギー伝達」はわかりにくいかもしれない。
もう少し読んでいくと、菅井は次のように続けている。
(16a)のように先輩をニ格で標示したときは,主格 NP花子から先輩に借りることを求めたことが前提となっているのに対し(16b)のようにカラ格で標示したときは花子が先輩に借りることを求めるという働きかけの側面が背景化され,結果的に先輩から携帯電話が一時的に移動していることがることが前景化されているということになる。
つまり、(16a)の場合、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。
ここは今回読み直してみて気づいた新鮮な視点であった。
(16a)をアスナロウさんの定義に則って解釈するなら、
《この文における格助詞「に」は、「(花子が)借りるという動作」を「先輩」という地点に空間的に位置付けるという話者の認識を表している。》
となるだろう。
ところで、文中の「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に━」
という意味の他動詞である。
他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩という地点に空間的に位置付ける』という話者の認識は、「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識が話者にあったことを示している。
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識があったからこそ、話者は『「(花子が)借りるという動作」を「先輩という地点」に空間的に位置付けた』のである。
無論、
(16) b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
に、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』という認識はない。先輩は純粋な起点として認識されているだけである。
以上のように、
『「(花子が)借りるという動作」を先輩に積極的に求めた』ということが「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文の意味であり、『まともな文法の論理とは考えがたい』というアスナロウさんの認識は勘違いであることが明らかになったはずである。
また、この点に関して、
【イメージで教える日本語の格助詞】で杉村泰氏が述べている以下の内容も理解に役立つと思われる。
☞から
堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
☜まで
3.
さて、ここで【着点】という概念について若干触れてみたい。
すでに述べてきたように、
(16) a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
は、
「先輩」は、格助詞「に」(という主体的認識表現)によって『「(花子が)借りる」という動作の行われる場所』として空間的に位置付けられた。
という意味である。
「先輩」は「空間的に位置付けられた【先】」なのであるから、「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。
・この文で先輩は起点ではないか?
という疑問が生じるのもよくわかる。
ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
「先輩(間接目的語)」は、「(花子が)借りる」という動作の空間的【着点】として位置付けられた結果、携帯電話(直接目的語)の移動する「起点」となり得たのである。
つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。
以上のように考える次第ですが、諸賢のご見解・ご感想などいただければ幸いです。
A 回答 (83件中21~30件)
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No.63
- 回答日時:
>だから、それが勘違いだと言っているわけ!
やれやれ、箸にも棒にも掛からぬ とはこのことですな。(笑)
○物言えば唇寒し秋の風ものいえばくちびるさむしあきのかぜ
(芭蕉の句)人の短所を言ったあとには、淋しい気持がする。なまじ物を言えば禍を招くという意に転用する。//
一体、どの口が言っているのですか。
お詫びも含めしっかり説明する義務がありますね。
見苦しい言い訳ではなく、論理的な説明をお願いします。
つまらない言葉遊びは止めましょう。
ひょっとしたら、どこか遠くの国の辞書でも見られているのでは?(藁)■
ご回答ありがとうございます。
>見苦しい言い訳ではなく、論理的な説明をお願いします。
:
だから、そのために
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
という質問に答えてください。
と何度も何度もお願いしていますよね???
なぜ答えないのですか?
こんな簡単な質問なのに。
むろん、わからない、という答えでも一向に構いませんよ?
No.62
- 回答日時:
>次に、『「着点」などという客体を表している』と言ったことは一度もありません。
あなたは「いや、言っている」と思っているんだろ?
しかし、それは勘違いなんだな。
なぜ勘違いなのか明らかにするために、
>>ただ、「どのように位置づけるのか??」という点にまで踏み込み、
《格助詞「に」は空間的・時間的な [ 着点としての ] 位置付けの認識を表わし、》のように解釈するのが、より本質に迫る簡潔明快な定義である、ということです。
『着点を表わす』という定義を、あだやおろそかにしてはいけませんぞ。(笑)
ほほう!
これは誰の言ですか。
どこが勘違いですか!
日本語大丈夫ですか?■
ご回答ありがとうございます。
《格助詞「に」は空間的・時間的な [ 着点としての ] 位置付けの認識を表わし、》
という文が、
(「に」)が『「着点」などという客体を表している』
という意味になると思っているのですか?
だから、それが勘違いだと言っているわけ!
No.61
- 回答日時:
>こんな簡単な質問に何度尋ねても答えられない。
木村さんに本をあげます。
の格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表しています。
「着点」などという客体を表しているのではありません。
こんな簡単なことが理解できませんか?
もっとも、理解できないのでこれまで意味不明の言葉遊びに終始してきたということですよね!
これが理解できれば良いということです。
で、理解できましたか?
そうすれば、
《格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷》
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
はおのずと理解できるはずですが?■
ご回答ありがとうございます。
>木村さんに本をあげます。
の格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表しています。
「着点」などという客体を表しているのではありません。
こんな簡単なことが理解できませんか?
:
頭悪すぎ!(笑)
そんなことは最初から分かっていると何回言えばわかるのかな??
まず、『格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表しています。』には同意している、と最初から言ってるよね?
次に、『「着点」などという客体を表している』と言ったことは一度もありません。
あなたは「いや、言っている」と思っているんだろ?
しかし、それは勘違いなんだな。
なぜ勘違いなのか明らかにするために、
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
という質問をしているわけだよ。
あなたの勘違いを解消してあげるための質問なんだからまじめに答えなさいよ。(笑)
分からないなら分からないと素直に言えばいいだけの話。
No.60
- 回答日時:
>>やはり本当にわからないみたいですね。
?(笑)降参しますか?
説明してほしいですか?
ハ!ハ!ハ!
格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表すもので、「着点」などという客体を表すなどという誤りが理解できれば問題ありません。
後は、好きなように言葉遊びを楽しんで下さい。それは止めませんのでご自由に!■
ご回答ありがとうございます。
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
こんな簡単な質問に何度尋ねても答えられない。
自分の言ったことが自分でわからない・・・。
辛いですなあ。
しかも、その原因を解明しようという意志さえ持ち合わせておられない。
何というか、残念としか言いようがありませんな。
No.59
- 回答日時:
少しは理解が深まったようですね?
1.
>「文中のそれは何を―・しますか」という例文があるとおりで、「文中の言葉」でしょうね。
なるほど。単なるトートロジーですね。
語が何かを指したりはしないということが理解できましたか。
結局、指がないので、「―・」を使用するしかないということですね。
2.
>?????
頭大丈夫ですか???
ご自分の書いた文を読み直してみましょう。
その通りです。これまでのご自分の言葉遊びを読み直しましょう。
3.
>・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
も間違いということにはならない。
のですね?
間違いであることが理解できましたか。
4.
>誰も
「から」=「起点(客体的認識)」
とは言っていませんけど???
そうですか。ようやく理解できましたか?
大分、理解が深まってきたようです。
もう一度、これまでの応答を見直してください。
格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの認識を表すもので、「着点」などという客体を表すものではないということがしっかり理解できるはずです。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>なるほど。単なるトートロジーですね。
結局、指がないので、「―・」を使用するしかないということですね。
:
辞書例文の
「文中のそれは何を―・しますか」は、
「文中のそれは何を指しますか」の省略。
記号ではありません。
「指す」
【人や物をそれと決めて示す】
という語釈での例文だが、
「文中のそれは何を―・しますか」というのは、たとえば、
「雪が降ってきた。それはまるで天からの手紙のように彼には感じられたのだ。」という文章に対する
この「文中のそれは何を指しますか」
という設問を例文として挙げているわけだ。
つまり、この場合、
【文中の「それ」は「雪」を指している】
あるいは、
【文中の「それ」は「雪」を示している】
というのが答えになる。
つまり、「雪」を『文中の(「それ」という)言葉』で示している、ということだよ。
別に「指」は使っとらんだろ?(笑)
《トートロジー》でも何でもないちゅうこっちゃ。
2.
>これまでのご自分の言葉遊びを読み直しましょう。
:
猿にとって論理的言説が言葉遊びに感じられるようなものなんでしょうな。(笑)
3.
>間違いであることが理解できましたか。
:
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
も間違いということにはならない。
のですね?
に対するお返事は?(笑)
4.
>誰も
「から」=「起点(客体的認識)」
とは言っていませんけど???
そうですか。ようやく理解できましたか?
:
『最初から理解できている』と申し上げているのだが???
「ようやく理解できましたか?」は、今まで理解していなかったという認識なわけだが、その認識自体が間違っているということ。
理解できましたか?(笑)
5.
>格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの認識を表すもので、「着点」などという客体を表すものではないということがしっかり理解できるはずです。
:
「に」が「着点」などという客体を表す、と言ったことは一度もありませんがねえ。(笑)
あなたこそ、
何を?
どこに?
位置付けるのか、ということも分からずに、
『格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの認識を表す』
という主張をしてはいけませんなあ。
それがわからないから、あちこちで勘違いを露呈しまくっているわけです。(笑)
No.58
- 回答日時:
No.56 のお礼に応えて
1.
>人や物をそれと決めて示す。
という意味。
ではどうやって示すのですか。日本語が理解できていますか?
2.
>・格助詞「に」=「受け取り手」と言っているわけではない、
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』は、「に」は、物や情報の受け取り手を 示している」という意味です。
であれば、
・名(物や人の名前)=体(中身・実質)
であるのと同様で、
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』は、
「「に」は、物や情報の受け取り手を示している」という意味です。
だから、
・名(物や人の名前)=体(中身・実質)
でしょう。
ここが理解できればご自身としてもスッキリすると思いますけどね。
そして、こんな初歩的な議論は早く超えて、その先の興味ある地平について論じてください。
あなたの知識が非常に貧弱であることを批判しているのですが。
3.
ここが根本的な誤りです。だれが、いつそんな馬鹿げたことを言ったのですか。勿論、質問者意外にいませんが。(笑)
>「から(主体的認識)」=「起点(客体的認識)」ではないのだから間違い。
ですが、
>B. 格助詞「から」は【起点という認識】を表わす。
も間違いということにはなりません。ここが根本的に理解できていないところです。
格助詞「から」は【起点という(規範としての)話者の認識を表す】で、「から」=「起点(客体的認識)」ではありません。規範としての認識と個別の対象の認識を混同する誤りです。
こういう基本的な理解ができていないため、単なる言葉のお遊びに走るしかないところが致命的です。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>>人や物をそれと決めて示す。
という意味。
ではどうやって示すのですか。日本語が理解できていますか?
:
「文中のそれは何を―・しますか」という例文があるとおりで、「文中の言葉」でしょうね。
2.
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』は、「に」は、物や情報の受け取り手を 示している」という意味です。
であれば、
・名(物や人の名前)=体(中身・実質)
であるのと同様で、
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』は、
「「に」は、物や情報の受け取り手を示している」という意味です。
:
?????
頭大丈夫ですか???
ご自分の書いた文を読み直してみましょう。
3.
>「から(主体的認識)」=「起点(客体的認識)」ではないのだから間違い。
ですが、
>B. 格助詞「から」は【起点という認識】を表わす。
も間違いということにはなりません。
:
ということは、
「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないかのだから間違い。
ですが、
・格助詞「に」は「木村さん」が本の受け取り手であること表わす。
も間違いということにはならない。
のですね?
4.
>『格助詞「から」は【起点という(規範としての)話者の認識を表す】で、
:
であるなら、
『格助詞「に」は【着点という(規範としての)話者の認識を表す】と言えますよね?
着点が気に入らないなら、
『格助詞「に」は【位置付けるという(規範としての)話者の認識を表す】
でも構いませんが。
>「から」=「起点(客体的認識)」ではありません。
:
誰も
「から」=「起点(客体的認識)」
とは言っていませんけど???
No.56
- 回答日時:
もう一度最後の最後の指摘をしておきましょう。
1.
>「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」
こういうことを言っているようではお話しになりません。
語には指など無く、「さし得る」などありません。これが、言語とは何かが理解できていない根本的な誤りです。語に指があったら図示して下さい。(笑)
2.
>・格助詞「に」=「受け取り手」という意味ではない。
では、何なんですか?
そうでなければ、紛らわしい表現を何故するのですか。
要は、何を言っているのか理解できていないということです。
3.
>A. 格助詞「に」は【「木村さん」が本の受け取り手であるという認識】を表わす。
⇒
ここが根本的な誤りです。だれが、いつそんな馬鹿げたことを言ったのですか。勿論、質問者意外にいませんが。(笑)
格助詞「に」は【「木村さん」が本の受け取り手であるという認識】など表してはいません。一体、何をどう理解しているのですか?
もう少し、日本語を厳密に使用しましょう。言葉遊びばかりしていては進歩しません。
馬鹿話はいいかげんにしましょう。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>語には指など無く、「さし得る」などありません。
:
この場合は、
指などで目標とする物や場所・方向を示す。指さす。
という意味ではなくて、
人や物をそれと決めて示す。
という意味。
「文中のそれは何を指しますか?」という文において「それ」が指を持っているわけではありません。
日本語の「指す」には、こういう意味もありますのでよく覚えておかないと、このような頓珍漢な指摘を繰り返すことになりますよ?
というか、こんなことまで説明しなくちゃならないとは・・・、あなた日本人???
2.
>・格助詞「に」=「受け取り手」という意味ではない。
では、何なんですか?
:
そうそう、このように論点を外さないことが大事です。
やろうと思えばできるじゃん。
今後もその調子で頼みますぞ?(笑)
「名は体を表す」が、
「物や人の名前は、その中身・実質を示している」という意味であるのと同様で、
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』は、
「「に」は、物や情報の受け取り手を 示している」という意味です。
だから、
・名(物や人の名前)=体(中身・実質)
でないのと同様で、
・格助詞「に」=「受け取り手」
と言っているわけではない、ということ。
ここが理解できればご自身としてもスッキリすると思いますけどね。
そして、こんな初歩的な議論は早く超えて、その先の興味ある地平について論じてくださいよ。
あなたの知識自体について批判しているわけじゃない。
主体的表現(認識)と客体的表現(対象)という視点を得たのは収穫だと思っているほど。
ところがあなたが他を批判する、その根拠が無茶苦茶だと言っているわけ。
せっかくの知識が泣いていますぞ?(笑)
いい加減気づいてほしいものです。
3.
>ここが根本的な誤りです。だれが、いつそんな馬鹿げたことを言ったのですか。勿論、質問者意外にいませんが。(笑)
:
あなたが誤りだとする根拠は、
「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないから。
ですよね?
であるなら、
「から(主体的認識)」=「起点(客体的認識)」ではないのだから間違い。
となりますから、
B. 格助詞「から」は【起点という認識】を表わす。
も間違いということになりますよね?
と申し上げている次第。
No.54
- 回答日時:
>>まずは、
《格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷》が勘違いに満ち溢れている問題を解決してからにしてくれ。
はい、以下の通りです。
もう一度、面倒ではありますが労を厭わず、質問者の批判が全く批判になっていないことを明らかにしておきましょう。不明な点は懇切に指導しますので、個別に展開下さい。
真摯な質問とは、たとえば次のようなものです。
拳々服膺下さい。
「三浦つとむ著『認識と言語の理論3』p186L14で、「きわめて抽象的な客体的表現は、主体的表現に移行しやすいのである」とありますが、 これなぜなのでしょうか。あるいは三浦は何か根拠を提言していますか。教えてください。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
では、真の批判とは何かを明らかにしておきましょう。
1.
◎「意味」=様々なシチュエーションに対応して解釈可能な個別の意味。一つの語に対して辞書が表記している複数の語釈のことを指す。
◎「意義」=あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。
ということだ。
ここでは、「意味」とは何かを明らかにすることなく同語反復に陥っています。
「意義」とは、規範としての概念で、「あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。ということ」ではありません。
このように最初から誤った前提を提示しています。
>『2 「に」は物や情報の受け取り手を表わす』(要約)と解説している。
この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言っています。これを、「と言ってるわけではない。」というのは全くの勘違いです。
>「受け取り手であること」の文中「こと=認識」であることは当然である。
文自体が話者の個別の認識の表現であることが理解できていません。
>「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないのだから間違っている、と主張している。
その通りで、間違っています。
>・格助詞「から」は起点の認識を表わす。
という表現も《「から」=「起点」ではないのだから間違っている》ということになってしまう、
「認識≠起点」なので間違ってはいません。
つまり質問者は二重三重の勘違いを犯していることになる。誤った根拠に基づく批判は撤回されるべきだろう。
2.
>「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはある、と言っているわけだ。
そんなことはどこにも言っていません。どこで言っているのか具体的に提示してみて下さい。
>他動詞は他に働きかけるという機能を持つのだから、
語はそんな機能は持っていません。この点に言語とは何かの理解が全くできていないことが露呈しています。
以上のように、
「(格助詞「に」は)主格 花子 から与格 先輩 へのエネルギー伝達を前提とする」という文
は全くナンセンスな文でしかありません。
>「相手としての意味役割を持ち、主語が、相手に対して何らかの働きかけをすることが意味される。ここでいう働きかけとは、相手の好意を求める気持ち、相手の意志を動かそうとする気持ちが相手に向かって働くことである」と説明している。
これも全くナンセンスな文でしかありません。
3.
>「先輩」=【着点】という認識は極めて妥当である、と言えるはずだ。
「先輩」=【起点】であり、誤った認識です。
>つまり「起点」であるのは「に」の意義によるものではなく、あくまで【着点】として位置付けられたものが「(花子が)借りる」という動作だったからだ、ということである。
上記の通り全くナンセンスな文でしかありません。
以上のように考える次第で全く批判になり得ていません。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>「意義」とは、規範としての概念で、「あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味。ということ」ではありません。
:
また読解力不足による曲解ですねえ。
提示した内容で重要なのは「=の右辺」だということを理解しないといけません。
つまり、「=の左辺」は 意味A と 意味B でも一向に構わない。
因みに私と同じ考え方をする辞書編纂者もいるようで、広辞苑には、【言語学では、特に「意味」と区別して「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」の意に使うこともある。】という注釈もあります。
「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」=「あらゆるシチュエーションに通底する、ただひとつの意味」であることぐらいはお分かりでしょう。
2.
『「に」は物や情報の受け取り手を表わす』
>この解説文は『格助詞「に」自体が「受け取り手」や「到着点」「動作の相手となる人」を表わしている』と言っています。
:
非常に重要な箇所であり、「表わす」という日本語の問題になります。
確認ですが、アスナロウさんは、
・格助詞「に」=「受け取り手」
という意味になるからダメだ、と批判しているのですよね?
繰り返し申し上げていますが、それは まったく! 違います。
そして、ここが最大の勘違いポイント。
わかりやすい例を挙げます。
「名は体を表す」
この諺は 、
「物や人の名前は、その中身・実質を示している」という意味であって、
・名(物や人の名前)=体(中身・実質)
という意味ではありませんよね?
これと同じで、
「に」は、物や情報の受け取り手を表わす。
という文も、
・格助詞「に」=「受け取り手」
という意味ではない。
3.
>「認識≠起点」なので間違ってはいません。
:
A. 格助詞「に」は【「木村さん」が本の受け取り手であるという認識】を表わす。
⇒「に(主体的認識)」=「受け取り手(客体的認識):木村さん」ではないから間違いだ。
B. 格助詞「から」は【起点という認識】を表わす。
⇒「から(主体的認識)」=「起点(客体的認識)」ではないのだから間違いだ。
A が成立するとおっしゃったのだから、 B も成立しないと論理破綻では?
以下補足欄。
いずれにせよ、ある程度はまじめに読み込んでくれたようで感謝しておきますかな。(笑)
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(ア)格助詞「に」は、動作の空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
という解釈自体を否定しているわけではありません。
大辞林にも、
「動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法」
といった注釈がある。
ただ、本質的意義というのであれば、
( B-1 ) 格助詞「に」は動作・作用の着点(という認識)を表わす。(hakobulu)
とするほうがベターではないか、ということ。
このように解釈によって様々な勘違いや誤解を防ぐことができるだろう、という意味でもある。
因みに紙数の関係で端折りましたが、下記質問でも着点について述べています。
お時間のあるときにでも。
菅井氏や杉村氏の解釈とそれほど違ったことを言っているわけではなさそうで一安心しているところ。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12201688.html
「位置付けの認識」と「位置付ける認識」では意味内容が違う。
と言うのは、
「慰めの気持ち」と「慰める認識」では意味内容が違う。
と言っているようなものであることは理解なさっておられますか?
hakobulu:
『読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎだされたとき、紡ぎだした作者は、いわば、言葉によって逆に自分の位置をはっきりと限定される。』
とも言ってますが、ここで言う「言葉」は、おそらく主体的認識を表わす助詞・助動詞の類を指すのでしょう。
アスナロウ:
いいえ。
これは「作品の言葉」、つまり文、文章で、規範としての語の意義ではありません。
hakobulu:
図らずも読解力の無さをさらけ出しておられますね。(笑)
実に読みが浅い。
「作品の言葉」であるのは当たり前だが、「(読み手は)作者の認識の動きを追っている」と書いてるでしょ?
つまり、主体的認識を表わす語が絡んでいる言葉を指しているわけ。
たとえば「読み手」ではない、「読み手は」という主題提示の認識を伴う言葉のこと。
ブーメランお上手。(笑)
>もう一度、自身の質問の内容を真摯に見直して下さい。顔から火が出ると思うのですが?
:
どういった理由で『顔から火が出ると思う』と思うのですか?
その箇所を指摘して批判してくれば良いものを、そんな論議の基本すら実行できないでいるところをみると、おそらく、その理由さえ分からないのでしょう。
まあ、自己投影の典型例として拝聴しておきましょうかな。(笑)
しかし、勘違いは誰にもありますから、そう悲観しなくてもよろしいです。
知らざるを知らざると言う、これ知るなり。
過ちて改めざる、これを過ちと言う。
てな諺があったと思いますが、そゆことです。(笑)
#16お礼欄からの続き。
>6.
>>堀川(智也氏)(1988)はこうした「に」について、~~と説明している。
この説明が根本的に誤り。話者の認識の世界と客体の世界を混同している。
:
その辺りについては興味深い。
いずれ改めて伺いましょう。
とりあえず今はお互いの発言内容に対して責任ある解説を加えていかないと前に進むことはできないでしょう。
7.
>>ただ、格助詞「に」(という主体的認識表現)は、「(花子が)借りる」という【動作】を「先輩」という空間的地点に位置付ける認識なのだ。
意味不明の日本語。
以上のように批判というには程遠い奴シロウトの言葉のお遊びに過ぎない。
:
気持ちはわかります。
これも
>5時に位置付ける。
5時を位置付ける。
どちらですか?
の質問に答えることで解決につながるかもです。
繰り返しますが、逃げずに必ずお答えください。
ご自身のためにも。
いずれにせよ、読解力がほとんどなく、論理性の欠片もないことが明らかになったわけだ。
すばらしい書物は読んでいるのかもしれないが、あなたは、その内容を曲解している公算が大きい。
つまり、ダイヤを拾ってはきたかもしれんが、それを包丁研ぎに使って自慢しているようなものだな。(笑)
まあ、それなりに頑張れば良いが、他人を批判するタマじゃないことぐらいは、そろそろ自覚したほうがいいぞ?(笑)
そのたびに自らの論理性の無さ、読解力の無さを曝け出していることに気づくべき時だよ。
今までのよしみで忠告しおくから、拳拳服膺するがよろしかろう。(笑)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?isSho …
上記#38の質問にも逃げずに答えていただけますか?
まさか、こちらも分からない???
ひょっとして記憶にありません、とか?(笑)
>「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。(アスナロウ)
:
ご教授いただきたいのですが、
「先生に指導していただく」というのは、『「指導を受ける」という側から』見ている文ではない、とおっしゃっていますか?
4.
>どこで言っているのか具体的に提示してみて下さい。
:
他動詞には「他に働きかける」という機能を持つので、「花子は借りるという動作を先輩に積極的に求めた」という認識が話者にはあることになる。
「他動詞」
その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。(大辞泉)
5.
格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です。(アスナロウ)
「位置付け」という転成名詞の元である「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に位置付ける」
という意味の他動詞です。
上記定義文、
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
わからなければ、そのようにおっしゃってください。
ご自分の勘違いを知りたくはないのですか?
端くれとは言え、あなたも真理の徒でしょう。
>どこが勘違いですか!
だから、それを分かるようにしてあげるから、
「(時間的・空間的に)位置付ける」の場合
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
という質問に答えてください、と申し上げている。
なぜ答えない?????
勘違いの原因がそこにある、と言っているのに。
答えられない、ということ自体が勘違いであることを証明している、とは思いませんか?
自分自身でも。