部分的、且つ大雑把にではありますが、素人なりに以下のように解釈しています。
にわか勉強なので間違っている箇所があるかもしれません。
そこで2つお願いがあります。
1.もし間違っているようなら、どこが間違っているか【具体的な箇所】をご指摘いただけないでしょうか。
2.また、その【具体的な箇所】について、どのように表現すれば正しい解釈になるのかも併せてご教授ください。
なお恐縮ですが、この1と2の条件を【両方とも満たすことができる方だけ】ご回答ください。
厚かましいお願いかもしれませんが、見識をお持ちの方がおられることを期待いたしております。
※言語過程説についての大雑把な理解※
すべての言葉は辞と詞に分類できる。
「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもので、助詞や助動詞などのこと。「辞(助詞や助動詞)」による表現を「主体的表現」と呼ぶ。
「庭に二羽にわとりがいる」という文の場合、
(A”)「に」という助詞は、「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている「辞」である。
と言える。
次に「詞」とは、対象を概念として捉えた言葉のこと。「庭」「にわとり」などの有形物のほか「喜び」「悲しみ」などの無形なものも含みます。
これらを客体と捉え、「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。
「庭に二羽にわとりがいる」と言うとき、
話者は、まず「庭」「二羽のにわとり」という対象(客体)を捉えている。
次に、《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識に移るわけだが、その場合の認識は(上記(A”)で示したように)「に」という助詞によって表現される。
結果として、
「庭に二羽にわとりがいる」
という文の成立に至るのである。
特筆すべきは、
《その【認識】は「に」という助詞によって表現される。》
と申し上げたように、「に」は【話者の主観を表わす】という点。
このように言語表現は、
<対象>☞<認識>☞<表現>
という過程を経て成立する。
よって、これを「言語過程説」と呼ぶ。
A 回答 (58件中1~10件)
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No.58
- 回答日時:
No.58=57=41=7です。
庭と二羽のにわとりの関係が誰かが見なくてもにです。いるが詞でにも詞です。はが主観です。庭には二羽にわとりがいる。のようにはを入れると庭にが主題になります。話者の主観が庭にをはで主題にします。にが詞で客観です。はが辞で主観です。次のように表を修正します。
表 ○:である。X :ではない。AがBである。またはではない。
旧)
A
にわとり | に
B 対象 ○ ?
認識 X ?
表現 ○ ○
語 ○ X
詞 ○ X
辞 X ○
新)
A
にわとり | に | は |いる
B 対象 ○ ○ X ○
認識 X X ○ X
表現 ○ ○ ○ ○
語 ○ X ○ ○
詞 ○ ○ X ○
辞 X X ○ X
言語規範と使用が通時態と共時態です。『三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)』https://chicagoblues.hatenadiary.org/entry/20061 …さんがよかったです。『言語学の研究対象を定義した男【ソシュール知ったかぶり講座1】 #16』さんがよかったです。
No.57
- 回答日時:
No.57=40=7です。
No.40に誤りがありました。課題の文にはがありません。はがあると誤って読んでいました。下記のように2点訂正します。ごめんなさい。
誤)庭にはが3文字で4音が一つの塊で語です。
正)庭にが2文字で3音が一つの塊で語です。
誤)にとはとにはが語ではありません。
正)にが語ではありません。
対象が『うちの庭には二羽鶏がいる』http://simurate.blog.jp/archives/429368.htmlさんの画像です。認識がそれを見ていることとそれを頭の中に入れることです。表現が頭の中のことを言葉にすることとその言葉です。庭と二羽のにわとりの関係を表すにを対象と認識のどちらとするかわかりません。関係が上下と下に庭で上に二羽のにわとりで両者の接触です。
表 ○:である。X :ではない。AがBである。またはではない。
A
にわとり | に
B 対象 ○ ?
認識 X ?
表現 ○ ○
語 ○ X
詞 ○ X
辞 X ○
文 X X
言語 ○ ○
字 ○ ○
言葉 ○ ○
にわとり ○ X
に X X
ご回答ありがとうございます。
頭が悪くてよくわかりませんが、今のところ、
「庭」「二羽の鶏にわとり」が客体(詞)として認識している対象で、「に」は、それらの関係性を認識している主体的辞というふうに理解しています。
違っているようなら、また教えてください。
No.56
- 回答日時:
No.55 のお礼に応えて
1.
》《格助詞、副助詞、係助詞とは何かを》
どこかで全部書いたと思うよ。
夢の中じゃろう!!
2.
》それほど目くじらを立てることもなかろうが?
又々、矛盾が露呈すると逃げか!!!
》君の言ってる内容も、
《辞は話し手の持っている主観的な感情や意志を表現したもの》
という意味であることを理解しておるのかね?
君な!!
《辞は話し手の持っている主観の主観的な感情や意志を表現したもの》
という珍妙な意味になることを理解しておるのかね?
これがまともな表現か???
どうも君は突っ込みどころが、全て要点を外しておる。
わかりきったことを、あれこれ突っ込まずに、もっと重要なことを話せば進展につながるかもしれんぞ?
■
ご回答ありがとうございます。
▽《辞は話し手の持っている主観的な感情や意志を表現したもの》
という意味であることを理解しておるのかね?
▲君な!!
《辞は話し手の持っている主観の主観的な感情や意志を表現したもの》
という珍妙な意味になることを理解しておるのかね?
これがまともな表現か???
:
油菜!!
《辞は話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語なのじゃ!!!》
これは君が言ったことだよな?
これは、
《辞は話し手の持っている主観的な感情や意志を表現したもの》
という意味であることを理解しておるのかね?
と尋ねただけだよ。
《辞は話し手の持っている主観の主観的な感情や意志を表現したもの》
という珍妙な意味は、いったいどこから出てきたのかな???(笑)
No.55
- 回答日時:
No.54 のお礼に応えて
》明らかにしておるがね?
何を????
》《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》ではない、ということですか
ない!!
と何度言ったら理解できるのじゃ????
辞は話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語なのじゃ!!!
しゅ‐かん【主観】‥クワン
①〔哲〕(subjectの西周にしあまねによる訳語)客観に対する語。語源的には流動する作用・性質・状態を担う自己同一的な実体、基体(subjectum ラテン)を意味する。近世以後意味を転じ、対象の認識を構成する自我や意識の意となった。特にカントでは、主観は生得の、一定の形式・法則に従って、客観的対象を構成する超越論的主観とされた。カント以後は、単に認識主観にとどまらず、実践的能動性と自由の基体として主体とも呼ばれる。
【広辞苑】
という初歩的なことが全く理解できておらんのじゃ!!!
■
ご回答ありがとうございます。
1.
▽明らかにしておるがね?
▲何を????
:
《格助詞、副助詞、係助詞とは何かを》
どこかで全部書いたと思うよ。
2.
▽《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》ではない、ということですか
▲ない!!
と何度言ったら理解できるのじゃ????
辞は話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語なのじゃ!!!
:
そんなことはわかっておるって。
質問本文にも、
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもので、助詞や助動詞などのこと。「辞(助詞や助動詞)」による表現を「主体的表現」と呼ぶ。》
と明記しておるだろ?
それほど目くじらを立てることもなかろうが?
だれも「客体として扱う」などとは言っておらんだろ?
そもそもだが、君の言ってる内容も、
《辞は話し手の持っている主観的な感情や意志を表現したもの》
という意味であることを理解しておるのかね?
まして、
《カント以後は、単に認識主観にとどまらず、実践的能動性と自由の基体として【主体とも呼ばれる】。》
のだろ?
どうも君は突っ込みどころが、要点を外しておる場合が多いですな。
わかりきったことを、あれこれ突っ込まずに、もっと重要なことを話せば進展につながるかもしれんぞ?
No.54
- 回答日時:
No.53 のお礼に応えて
>>表現力の問題であるか、読解力の問題であるかは、人それぞれ、またはシチュエーションによって色々、と言えるのではないかね?
正しく、君の読解力の尻(けつ)如、表現力の欠陥そのものです。
ひょっとしたら全ては自らの読解力の問題かも? と深刻な疑念を抱く程度の謙虚さが全くありませんね!!!
。
そうじゃないと進歩はゼロだぜ?(笑)
「しか~ない」の応答を見ても明らかな通り、辞である助詞の本質、区分が全くできておらん。格助詞、副助詞、係助詞とは何かを明らかにすることもできず、
>>「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの
などと無意味なことを口走っているのでも明らかでは!!
結局、何も理解できておらず、言葉遊びに過ぎないということになります。
いかがかな!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>「しか~ない」の応答を見ても明らかな通り、辞である助詞の本質、区分が全くできておらん。格助詞、副助詞、係助詞とは何かを明らかにすることもできず、
:
明らかにしておるがね?
その見解に反対だからといって「明らかにすることもできず」と言うのは論理的思考とは言えませんな。
>>「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの
などと無意味なことを口走っているのでも明らかでは!!
:
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》ではない、ということですかな???
No.53
- 回答日時:
No.51 のお礼に応えて
>>何に基づいているかは基本関係ないのだよ?
ははは!!
No.52 の内容が理解できんのかね???
君は、何か無から独創した天才なのかね?????
その思い上がりが妄想を生んでいるのじゃ!!
>>何を言っているのか?ということのほうがはるかに重要なのだよ。
正しく。
妄想を並べられてもどうしようもありません。
それが自覚できんところが致命的なの!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>君は、何か無から独創した天才なのかね?????
:
滅相もございません、お代官様!(笑)
単に自分の感覚と、心理的背景に対する想像力と、あと若干の推理・想定への注力を重視しているだけですな。
>妄想を並べられてもどうしようもありません。
それが自覚できんところが致命的なの!!!
:
妄想でなくとも、受け取り手にとって妄想と捉えられてしまう場合はあるでしょうな。
表現力の問題であるか、読解力の問題であるかは、人それぞれ、またはシチュエーションによって色々、と言えるのではないかね?
つまり、妄想と感じたら、ひょっとしたら幾分かは自らの読解力の問題かも? と若干の疑念を抱く程度の謙虚さは必要だろうね。
そうじゃないと進歩はゼロだぜ?(笑)
No.52
- 回答日時:
ご参考までに、三浦つとむの日本語学への取り組みのスタンスを掲げておきましょう。
拳々服膺下さい。言語の一般論は、マルクスの弁証法の援助によって獲得できたが、この獲得それ自体が終局の目的ではない。一般論は個別科学の体系的な建設にとって導きの糸だからその獲得に努力したが、その成否は建設の中でたしかめねばならないし、研究の真の困難もまた建設においてはじまるのである。私の目ざす日本語学の建設の一環であるところの、大槻文彦や山田孝雄や時枝誠記など先駆者たちの遺産の吟味と継承という作業一つとってみても、なみなみならぬ大仕事であって、認識論で武装した思惟能力を持たなければすすめることができない。言語学の体系的な建設を抜きに、言語論ブームに乗じてフランス直輸入の材料をとりそろえ、革命的な言辞をちりばめて飾った言語論をくりひろげたところで、先駆者たちの業績とは比較にならぬ売文商人の哲学的雑文でしかない。「出陣の際に自慢するな、帰陣の際に自慢せよ」とはロシアのことわざであるが、言語論をものする自称革命家にも呈上したい。私は<助詞>の「が」と「は」の使いわけについて、認識論的に独自の解明を行っておいたけれども、最近聞いたところでは、国語の教師や日本語を学んでいるソ連の学生が、その説明でよく理解できたといっているそうである。科学に志す者にとって、自分の創造した理論の有用性の確認は、最高の報酬である。
(三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』「三 弁証法は言語の謎を解く」;勁草書房 1972.11.15)■
ご回答ありがとうございます。
>私は<助詞>の「が」と「は」の使いわけについて、認識論的に独自の解明を行っておいたけれども、最近聞いたところでは、国語の教師や日本語を学んでいるソ連の学生が、その説明でよく理解できたといっているそうである。
:
これは《大槻文彦や山田孝雄や時枝誠記など先駆者たちの》説明では全く理解できなかったが、という注釈がつくのですかね?
ま、素人ゆえ用語の曖昧性という恨みは引きずるわけですが、しかし、言語道具説と言語過程論はまったく矛盾する理論ではない、という予感はしていますな。
No.51
- 回答日時:
No.50 のお礼に答えて
>>と平気でのたまう。
判らん、おっさんやな!!
引用じゃぞ!!
>>三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
だから、言われなければ判らんおっさんにどう対処せいというのじゃ??
全く判っておらんということではないのか???
散々矛盾の証拠を突き付けられても、全く認めず、矛盾を曝け出し続けた点について一切の釈明もしない。
おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と聞いても答えられずに論点をずらして逃げ回っておる。
この件での釈明はどうなっておるのかな?
一体、どういう文法論に依拠し、何をほざいておるのじゃ!!
まあ、単なる君の妄想ということじゃな!!
君に独自の言語論、文法論を独創する能力があるとは思えんが???
■
ご回答ありがとうございます。
>>>三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
だから、言われなければ判らんおっさんにどう対処せいというのじゃ??
:
へえ~~?
ではなぜ、
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼけたのかね???
>おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と聞いても答えられずに論点をずらして逃げ回っておる。
この件での釈明はどうなっておるのかな?
:
おやおや???
何に基づいているかは基本関係ないのだよ?
何を言っているのか?ということのほうがはるかに重要なのだよ。
何に基づいているかということが何かの免罪符になるとでも思っておるのかね?
つまり、自分の言ったことの責任は自分で取る必要がある、というだけのことだ。
君にしても、三浦の言ってることだから正しい、というマヌケなスタンスを保持しているから、こういうくだらん点に拘るわけだよ。
私は三浦を否定しているわけじゃない。
君の説明内容に矛盾が多すぎるから、まずそれを解決しないと先に進むことができない、ということなんじゃ。
と答えておるだろ?
有難く拝聴しなさい。(笑)
No.50
- 回答日時:
No.49 のお礼に応えて
>>へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
君な!!
君は、『日本語は~』を三年も前から手元に置きながら、この定義の理解も無しに一体何をほざいておるのか???
ということです。
この件での釈明はどうなっておるのかな?(怒)
著者に対し全く礼を欠いておるぞ!!!
まずは正しく理解するなり、誤りがあれば反論するなりという良識ある行動ができんのか???
■
ご回答ありがとうございます。
>《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
君な!!
君は、『日本語は~』を三年も前から手元に置きながら、この定義の理解も無しに一体何をほざいておるのか???
ということです。
:
野沢菜!!!
では、なぜ
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
と言ってとぼけたのかね?
>著者に対し全く礼を欠いておるぞ!!!
:
わっはっは~~!(笑)
出ましたな、お得意のコケ脅しが。(笑)
定義は理解しているのだよ。
ただ、君の言っている内容に矛盾があって話が噛み合わなくなるからそれを説明してくれたまえ、と言っているだけなのだがね。
以下は、君自身の一連の発言を基にした記述だ。
自分の言ったことを振り返ってみて、そこに矛盾を感じることはないのかね???
※辞とは主観的ではなく主体的表現だと言いつつ
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と平気でのたまう。
↓
しかも、矛盾を指摘されると、それは自分の言ったことではなく
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れする。
↓
へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
↓
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼける。
↓
散々矛盾の証拠を突き付けられて、やっとこさ、
《その通りです。》
と認めるが、矛盾を曝け出し続けた点について一切の釈明もしない。
おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と論点をずらして逃げようとする。※
この件での釈明はどうなっておるのかな?
No.49
- 回答日時:
No.48 のお礼に応えて
>>《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と論点をずらして逃げようとする。
>>今はネットの世の中。検索すればいくらでも「典拠」はあるぞ?
あれば、挙げてみなさい!!!
挙げられんのだろう!!!
こんな目くらましで逃げられると思っておるのかね!!!
この釈明はどうなっておるのかな?(笑)
君の妄想を正す根拠になるのだが!!
一体、何に基づき、何を主張しているのか全く不明じゃ??
『日本語は~』一冊、全く読めないではそうなるしかないがの~~~!!
■
ご回答ありがとうございます。
>一体、何に基づき、何を主張しているのか全く不明じゃ??
:
何に基づいているかは基本関係ないのだよ?
何を言っているのか?ということのほうがはるかに重要なのだよ。
何に基づいているかということが何かの免罪符になるとでも思っておるのかね?
つまり、自分の言ったことの責任は自分で取る必要がある、というだけのことだ。
君にしても、三浦の言ってることだから正しい、というマヌケなスタンスを保持しているから、こういうくだらん点に拘るわけだよ。
私は三浦を否定しているわけじゃない。
君の説明内容に矛盾が多すぎるから、まずそれを解決しないと先に進むことができない、ということなんじゃ。
ということで、まず君の発言に基づいている下記の点について説明をしてもらいたい。
よろしいかな?
辞とは主観的ではなく主体的表現だと言いつつ
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と平気でのたまう。
↓
しかも、矛盾を指摘されると、それは自分の言ったことではなく
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れする。
↓
へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
↓
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼける。
↓
散々矛盾の証拠を突き付けられて、やっとこさ、
《その通りです。》
と認めるが、矛盾を曝け出し続けた点について一切の釈明もしない。
おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と論点をずらして逃げようとする。
この件での釈明はどうなっておるのかな?(笑)
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この説明も間違っている、ということですね。
#4のお礼内容が一部中途半端だったので書き直します。
>言語そのものが話者の主観の表現で、「詞辞」について説明するためには先ず語とは何かを明らかにした上で、「一切の【語】を、語形や機能ではなく、対象→認識→表現という過程においてしらべてみると、」という論理展開が必要です。
:
そうですか。
ところで、
「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもので、助詞や助動詞などのこと。「辞(助詞や助動詞)」による表現を「主体的表現」と呼ぶ。
次に「詞」とは、対象を概念として捉えた言葉のこと。「庭」「にわとり」などの有形物のほか「喜び」「悲しみ」などの無形なものも含みます。
これらを客体と捉え、「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。
という説明は間違いですか?
辞とは主観的ではなく主体的表現だと言いつつ
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と平気でのたまう。
↓
しかも、矛盾を指摘されると、それは自分の言ったことではなく
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れする。
↓
へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
↓
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼける。
↓
散々矛盾の証拠を突き付けられて、やっとこさ、
《その通りです。》
と認めるが、矛盾を曝け出し続けた点について一切の釈明もしない。
おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と論点をずらして逃げようとする。
この件での釈明は一切なしかね?(笑)