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部分的、且つ大雑把にではありますが、素人なりに以下のように解釈しています。
にわか勉強なので間違っている箇所があるかもしれません。
そこで2つお願いがあります。
1.もし間違っているようなら、どこが間違っているか【具体的な箇所】をご指摘いただけないでしょうか。
2.また、その【具体的な箇所】について、どのように表現すれば正しい解釈になるのかも併せてご教授ください。
なお恐縮ですが、この1と2の条件を【両方とも満たすことができる方だけ】ご回答ください。
厚かましいお願いかもしれませんが、見識をお持ちの方がおられることを期待いたしております。
※言語過程説についての大雑把な理解※
すべての言葉は辞と詞に分類できる。
「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもので、助詞や助動詞などのこと。「辞(助詞や助動詞)」による表現を「主体的表現」と呼ぶ。
「庭に二羽にわとりがいる」という文の場合、
(A”)「に」という助詞は、「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている「辞」である。
と言える。
次に「詞」とは、対象を概念として捉えた言葉のこと。「庭」「にわとり」などの有形物のほか「喜び」「悲しみ」などの無形なものも含みます。
これらを客体と捉え、「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。
「庭に二羽にわとりがいる」と言うとき、
話者は、まず「庭」「二羽のにわとり」という対象(客体)を捉えている。
次に、《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識に移るわけだが、その場合の認識は(上記(A”)で示したように)「に」という助詞によって表現される。
結果として、
「庭に二羽にわとりがいる」
という文の成立に至るのである。
特筆すべきは、
《その【認識】は「に」という助詞によって表現される。》
と申し上げたように、「に」は【話者の主観を表わす】という点。
このように言語表現は、
<対象>☞<認識>☞<表現>
という過程を経て成立する。
よって、これを「言語過程説」と呼ぶ。
A 回答 (58件中21~30件)
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No.38
- 回答日時:
大切なことを指摘するのを忘れていました。
>>《その【認識】は「に」という助詞によって表現される。》
の、《その【認識】》とは何を指しておられるのでしょうか???
>>「に」は【話者の主観を表わす】という点。
の、【話者の主観】とはどのような主観でしょうか??
これを明らかにしないと、
>>このように言語表現は、<対象>☞<認識>☞<表現>という過程を経て成立する。
の内容が不明で、
>>よって、これを「言語過程説」と呼ぶ。
というのは、単に聞きかじった言葉を並べてみたというに過ぎませんが??
【認識】、【話者の主観】もまた、単に聞きかじった言葉を並べてみたというに過ぎないことになりますが???
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>《その【認識】》とは何を指しておられるのでしょうか???
:
《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識。
「に」
動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示す(大辞林)
https://sakura-paris.org/dict/%E5%A4%A7%E8%BE%9E …
というのが「に」の本質的な意義なわけだ。
だから、
《「二羽のにわとり」が存在する空間的な位置が「庭」である》という認識。
と表現するのが本来なのだが、わかりやすく
《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識。
と表現しているわけだね。
おっけ~?(笑)
2.
>【話者の主観】とはどのような主観でしょうか??
:
《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識。
すなわち、
《「二羽のにわとり」が存在する空間的な位置が「庭」である》という認識。
が【話者の主観】ということになるだろうね。
3.
>【認識】、【話者の主観】もまた、単に聞きかじった言葉を並べてみたというに過ぎないことになりますが???
:
辞とは主観的ではなく主体的表現だと言いつつ、
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と平気でのたまう。
↓
しかも、矛盾を指摘されると、それは自分の言ったことではなく
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れする。
↓
へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
↓
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼける。
↓
散々矛盾の証拠を突き付けられて、やっとこさ、
《その通りです。》
と認めるが、矛盾を曝け出し続けた点について一切の釈明もしない。
おまけに
《で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
と論点をずらして逃げようとする。
そんな君が口にできる言葉じゃないと思うが、どうかね???
しっかりせえよ!!!
このドアホ!!!
No.37
- 回答日時:
No.35 のお礼に応えて
>>《非常に興味深いのだが、どの箇所が違うのかね?》
辞とは主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語で、「人間の主観(観念)を表わす働きをするもの」ではないということですが??
詞や辞が表すのは主観【的】な感情や意志で、主観そのものではありません。主観/客観は主体的/客体的とは次元の異なる概念ということです。
主観的な感情や意志は客体として詞でも表現され、辞だけが主観的な感情や意志を表すのではありません。
>>当方としては「すべて基本的に一緒」という見解なので
その誤った、粗雑な見解では何の解明にもならないということです。
初歩的な用語も理解できていないことを丸出しじゃがの!!!
【まともな】且つ【論理的な】日本語で質問するのが質問者の役目なんだがね?
それができんからといって八つ当たりで逃げ回るのは勘弁してくれよな。(笑)■
ご回答ありがとうございます。
>辞とは主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語で、「人間の主観(観念)を表わす働きをするもの」ではないということですが??
:
???
《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。》
という文と
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》
という文の、
【どこが】【どのように】違うのか?
という質問なのですがね???
No.36
- 回答日時:
No.34 のお礼に応えて
>>三浦の言ったことではないのかね?
その通りです。
で、君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?
その典拠と具体的な内容を提示して下さい。
自分の言ったことぐらい説明責任を果たしたまえ。
間違いばかり並べていないで!!!
よろしいか
逃げ回るだけが能ではないぞよ!!
ご回答ありがとうございます。
>>>三浦の言ったことではないのかね?
その通りです。
:
「どこでかな???」ととぼけておったが、
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》は、三浦の言ったことだと認めるわけだね。
#16でも、君は、
《私の文法学説に於いて、主観的・客観的といふことと、主体的・客体的といふこととは、全然別個の概念として使い別けられ、それが詞と辞の根本にも触れることにもなるのであるが、金田一氏は、私の主体的客体的の別を、無雑作に、主観的客観的の語に置きかえられてしまった。たとへば……//
これと同じ誤りをされているということです。》
と言っておる。
つまり、「辞」に関して「主観的」と表現するのはまったくの誤りであり、「主体的」と表現しなければならない、と君は言ってきたわけだ。
しかし、三浦は、「辞」に関して「主観的」と表現しておるのだろ?
君は三浦の見解を否定するのかね?
それとも自分の言ったことが誤りだったと認めるのかね?
どちらかでなければ論理破綻するよな?
どちらなんだね?
《君は誰のどこに示された言に基づいているのですか?》
などととぼけておる場合じゃないと思うがの?
No.35
- 回答日時:
No.30 のお礼に応えて
1.
>>《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを表現したもの》という文は《全く違う》という見解であることを確認しました。
だから、だめなのじゃ!!
何を阿呆な確認をしておるのじゃ??
《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。》と
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》
のどこが一緒なのじゃ???
この相違が理解できんようでは、君の日本語に対する理解は小学生以下だと断言せざるを得ませんな。
ということじゃ。時枝が怒りの余り化けて出るかもしれんぞ!!
3.
>>特に何かひとつに依拠しているわけじゃない。
だから勝手な妄想を抱いておるのじゃ。
どれでも良いから一つでも示しなさい。
結局何もないから逃げ回っているだけじゃの!!!
>>質問本文に簡潔明瞭に書いていると思うが?
説明になっていないと指摘しておるのじゃが???
あくまで【まともな】且つ【論理的な】日本語で頼むぞ?(笑)
まったく!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。》と
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》
のどこが一緒なのじゃ???
:
当方としては「すべて基本的に一緒」という見解なので、《どこが一緒なのじゃ???》と聞かれても答えようがありませんな。
ですから、
《非常に興味深いのだが、どの箇所が違うのかね?》
と尋ねていますよね?
どこが違うか教えていただければ、それは同じという理由を述べることはできると思いますよ。
>結局何もないから逃げ回っているだけじゃの!!!
:
逃げ回っている者が質問するわけないだろが?(笑)
その質問に答えられずにコケ脅しで逃げまくっているのは君のほう。だろ?(笑)
>説明になっていないと指摘しておるのじゃが???
:
だから、どこが、なぜ説明になっていないのか、という点を【まともな】且つ【論理的な】日本語で答えるのが回答者の役目なんだがね?
それができんからといって八つ当たりは勘弁してくれよな。(笑)
No.34
- 回答日時:
No.32 のお礼に応えて
>>矛盾してないのか?
どこが???
何度同じこと言わせるかね???(笑)
理解力が欠如しておるのう!!!
>>しかし、三浦も「主観的表現」と言ってるが、これは間違いじゃないのかね???
どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。
いいかね?
自分の言ったことぐらい説明責任を果たしたまえ。
間違いばかり並べて。
よろしいかな?
■
ご回答ありがとうございます。
>どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。
いいかね?
自分の言ったことぐらい説明責任を果たしたまえ。
間違いばかり並べて。
:
あらら。(笑)
もうお忘れですか?
君は#10で
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と言ってますな?
こちらが#23で、
※因みにアス坊は#10で、
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と言ってますが、※
と指摘したのに対して、
君は、#24で、
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れしたおっただろ?(笑)
《『日本語は~』からの引用》ということは、
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
は三浦の言ったことではないのかね?
No.32
- 回答日時:
No.28 のお礼に応えて
>>辞とは「主体的表現」じゃなかったのですか?
そうですが??
>>>「詞と辞の根本」がわかっていてもというのは三浦のことだから。(笑)
これぐらいも読解できんとはねえ・・・。
三浦が定義しているのですが??
そして、それが君には全く理解できておらず、<「詞と辞の根本」がわかっていても>というピン呆けな発言をしているということ。
三浦を読んだというのは嘘だろ?
君は一体、何を基に発言しておるのかな?
単なる妄想に囚われておるのじゃな!!!
ま、そうとしか思えん。
ピーマンな減らず口だけは一丁前だが!!
■
ご回答ありがとうございます。
>>辞とは「主体的表現」じゃなかったのですか?
そうですが??
:
やれやれ・・・。(笑)
しかし、三浦は、
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と言ってるんだろ?
矛盾してないのか?
と申し上げているわけだが、何度同じこと言わせるかね???(笑)
>そして、それが君には全く理解できておらず、<「詞と辞の根本」がわかっていても>というピン呆けな発言をしているということ。
:
今はそういう問題じゃないということぐらいわかりたまえよ。
辞とは「主体的表現」なんだろ?
だから、私が「主観的表現」と言っているのは間違いなんだろ?
しかし、三浦も「主観的表現」と言ってるが、これは間違いじゃないのかね???
と尋ねているだけ。
いいかね?
自分の言ったことぐらい説明責任を果たしたまえ。
正しいか正しくないかは別問題だ。
よろしいかな?
No.31
- 回答日時:
>>「詞辞の分類」について述べることが何か問題でも?
「言語過程説」で、詞と辞は重要なキーワードじゃない、ということですか?
「言語過程説」に基づく詞辞の理解は重要じゃが、それを支える言語観を明確にしないとピント外れになると言うことです。
「※言語過程説についての大雑把な理解※」ではなく、「※言語過程説による語の分類の大雑把な理解※」です。
全体が理解できていないため、表現がずれ、内容が誤っています。■
ご回答ありがとうございます。
>全体が理解できていないため、表現がずれ、内容が誤っています。
:
何を言っとるんだね、君は?
全体が理解できていれば質問するわけなかろう?(笑)
No.30
- 回答日時:
No.29 のお礼に応えて
>>《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを表現したもの》という文は「全く違う」と言っていることになるのだが、それで本当に間違いないかね???
この相違が理解できんようでは、君の日本語に対する理解は小学生以下だと断言せざるを得ませんな。
>>《これらを客体と捉え(るからこそ)》
というフレーズがある点で、天と地ほどの違いがあることは明白だろうが???
大丈夫か???
それが、ピント外れであることは明白だろうが???
大丈夫か???
で、君は詞辞をいったいどの原典に依拠し、どのように理解しておるのじゃ??
これに具体的に答えてくれんと話が進まんが??
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>この相違が理解できんようでは、君の日本語に対する理解は小学生以下だと断言せざるを得ませんな。
:
へえ~~?
《「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの》
という文と
《「辞」とは、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを表現したもの》
という文は《全く違う》という見解であることを確認しました。
非常に興味深いのだが、どの箇所が違うのかね?
2.
>それが、ピント外れであることは明白だろうが???
:
《《次に「詞」とは、対象を概念として捉えた語のこと。「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。》
聞き手は、この表現だけで【「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ理由】がわかる。
という主張を繰り返すわけだね。
個人的には、
次に「詞」とは、対象を概念として捉えた言葉のこと。「庭」「にわとり」などの有形物のほか「喜び」「悲しみ」などの無形なものも含みます。
これらを客体と捉え、「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。
のように表現しないと、【「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ理由】はわからない。
と思うがね。
《これらを客体と捉え(るからこそ)》という意図が大事なわけだ。
ま、それは見解の相違だから君の好きなように考えるさ。
3.
>で、君は詞辞をいったいどの原典に依拠し、
:
特に何かひとつに依拠しているわけじゃない。
>どのように理解しておるのじゃ??
:
質問本文に簡潔明瞭に書いていると思うが?
だから、それをたたき台にして回答してもらえば良いだけなのだが?
ただ、あくまで【まともな】且つ【論理的な】日本語で頼むぞ?(笑)
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言語過程説(げんごかていせつ)とは、日本の国語学者・時枝誠記が唱えた「言語=(主体による聯合の)継起的過程」という言語観である。
この説明も間違っている、ということですね。
#4のお礼内容が一部中途半端だったので書き直します。
>言語そのものが話者の主観の表現で、「詞辞」について説明するためには先ず語とは何かを明らかにした上で、「一切の【語】を、語形や機能ではなく、対象→認識→表現という過程においてしらべてみると、」という論理展開が必要です。
:
そうですか。
ところで、
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という説明は間違いですか?
辞とは主観的ではなく主体的表現だと言いつつ
《辞とは、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語です。」》
と平気でのたまう。
↓
しかも、矛盾を指摘されると、それは自分の言ったことではなく
《これは、『日本語は~』からの引用ですが??
それも判らぬと云う体たらくなのかの???》
と逆切れする。
↓
へえそうですか。
《『日本語は~』からの引用》ということは、三浦の言ったことなんですね?
と指摘すると、
↓
《どこでかな???
それこそ、具体的に挙げて下さい。》
ととぼける。
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《その通りです。》
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と論点をずらして逃げようとする。
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