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義経殺しの藤原泰衡は鎌倉に汚名を着せられ、滅ぼされました。
もし父の遺言を守り、義経を支持していたら、どうなっていたでしょうか?

A 回答 (5件)

義経を前面に出して、奥州独立国家に。


頼朝の鎌倉幕府のほうが、つぶれたかも。
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滅亡は動かないと思う。



巨大な富と軍事力が自分に屈することなく存在している。
時間を与えたらどうなるかわからない。
自分だって追放の身から平家を滅ぼした。
一刻も早く叩き潰すに越したことはない。

義経は口実にすぎない。
義経以外の口実を作ることもできる。
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変わりません。


ほぼ全国を統一して大軍勢を動員できた頼朝と奥羽だけの奥州藤原氏では話になりません。
奥州藤原氏が勝てるとしたら、清盛から陸奥守に推挙された頃です。同盟関係にあった越後城氏、常陸の佐竹氏や海道平氏らと手を組んで頼朝を攻めていれば、後々まで関東は奥州藤原氏の強い影響下に置かれたはずです。
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同じことです。

名目はなんであれ大軍に攻められて滅びる運命だったのです。多勢に無勢。どこにも味方がいなかった。
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歴史にIFはありませんが、義経を擁していても、無理だったと思いますよ。



義経の戦術の特徴は防衛戦ではなく攻撃戦なのですよ。
義仲を破った宇治川の戦い、
平家を滅ぼした一の谷、屋島、壇ノ浦、すべてそうですよね。

奥州平泉は鎌倉のような堅固な地形ではありません。
ですので、いかに義経であっても鎌倉の軍勢には勝てなかったでしょう。
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