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日本の細かい規制 ルールの発祥は徳川時代

NLPを少し学びに行ったのですがそのときに
日本は世界一犯罪が少ない
なぜか?
あれしちゃダメこれしちゃダメと細かいルール規制が沢山あるから抑止になっていると。
知らずしてメンタルブロックに皆さんはなっていて本当にやりたいことがわからなくなってませんか?的な。
その細かい規制ができたのは徳川時代なんです。

そんな前からなんだと驚きました。

徳川時代にそのような規制ができた書物知りませんか?
ググったけど分からなかったので。
宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

旧事諮問録 はご参考になるやも。

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難しいね。


というのは、統一された法制はないから。

幕府の隣組とか連座制とか言ってもそれは幕府直轄地(天領)に限った話で、幕府の法制を藩領にも強制することはできなかった。
藩領にはその藩独自の法が敷かれていた。

それらをすべて発掘するだけでも一研究者のライフワークになるはず。

加えて日本には「郷制度」というものがある。
郷とは農民の最小行政単位のようなもので、庄屋を筆頭に一つのまとまりを作っていた。
この郷にも大幅な内政権が認められ、たとえば村八分などの懲罰がその例である。
大名といえど一人一人の農民に勝手に年貢を課すことはできず、年貢は郷ごとに割り当てていた。
郷に年貢案を打診しその承諾としての請負状を得それでやっとその郷から徴税できるのである。
郷の内部でどのように各自に年貢を配分するかは、大名の関われることではなかった。
(小牧長久手の頃家康が領内に発した御触れの中で、この請負状に言及した部分がある。)

当時の人的交流の状況からすれば郷が違えば掟も違うと考えるのが自然であり、そういう掟まで拾えば一研究者の手の及ぶところでは到底ない。

なので、くだんの「徳川時代に細かいルール」はかなり疑問視せざるを得ない。
当時の日本の国家構成を考えれば、徳川家が全国津々浦々に通用する法を敷くなど到底不可能である。
せいぜい武家諸法度で武士を縛ったり直轄地の領民に御触れを出せるだけだった。

武士なら武家の棟梁たる将軍が支配できる。
直轄地なら誰にも気兼ねなく御触れを出せる。
しかし大名領に干渉すれば大問題になる。
当時の大名領は現在の主権国家だった。
さらに郷の問題もある。
郷の内部に立ち入れば一揆が多発し天下静謐どころではなくなる。
統一法制など出せない。

なので、難しい。

当時の日本は現在の中央集権国家ではない。
各藩領や郷を都道府県や市町村と考えると間違える。
各藩は現在の独立国家でありその中でもさらに知行地、郷があり、それぞれが強大な内政権をもつという、重層国家だった。
その面から眺めないと事実にたどり着けない。
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江戸時代は儒教の教えもありますが……



一番の犯罪抑制は秀吉が制度化し江戸幕府が踏襲した「五人組」制度です。
隣近所5家1組で5家の家族・住み込み従業員・店子に連帯責任を負わせた。
キリシタン・犯罪・年貢滞納など何かあれば連座制で処罰対象にする事で
相互監視・密告するようにさせた。
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>日本は世界一犯罪が少ない


>なぜか?
>あれしちゃダメこれしちゃダメと細かいルール規制が
>沢山あるから抑止になっていると。
それは、間違いと思います。
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