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1582年、50歳代半ばの柴田勝家は、天下の美人と誉れの高く、3人の娘を抱えた、35歳のお市の方を娶りました。

この結婚の要因は、どちらの方が強かったでしょうか? 政略結婚の方でしょうか? 愛情の方でしょうか?

A 回答 (6件)

従来は秀吉と勝家がお市の方を取り合ったとされていましたが、実際には柴田勝家とお市の方の結婚は、清須会議で秀吉の賛成によって成立していることが史料から分かっています。


秀吉にとって清須会議の最大の目的は、信長の孫の三法師を織田家の後継者にすることにより、後見役として自分の織田家での地位を確立させることでした。その最大の障害となっていたのが信孝を推す筆頭家老の勝家でした。そこで信長三男の信孝を推していた勝家を懐柔する目的でお市の方との縁組みを後押ししたと考えられます。
元々は信孝が織田家の後継者となることを目論んで勝家を味方に引き入れるために、未亡人となっていた叔母であるお市の方と勝家を引き合わせていたようですが、秀吉は、それを逆手にとって自分が勝家に恩を売る形にしたと考えられます。
こうした経緯から考えて、まさに周囲の政略的思惑によって柴田勝家とお市の方との結婚が成立したと言えます。愛情は勝家側にはあったとしても、お市の方がどうだったかは分かりません。お市の方にとっては織田家のためにというのが一番の理由ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<秀吉は、それを逆手にとって自分が勝家に恩を売る形にした>のですね。
秀吉の主導になるのですね。

お礼日時:2023/04/22 13:54

秀吉から逃げるため。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
勝家が<秀吉から逃げるため>ですか。

お礼日時:2023/04/22 13:52

清須会議で勝家とお市の婚姻が皆に了承されたということですから、最終的には政略結婚と云うことになるでしょう。



ただ、お市は勝家にとっては主筋の人物になりますから、お市も了承の上ではなかったかと思われます。

お市は北ノ庄城で満36歳で自死しますが、その当時も20代前半にしか見えなかったと云われていますから、勝家にとってお市と結婚できたことは相当な喜びであったと推察されます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<主筋の人物>を娶るのは<最終的には政略結婚>なのですね。

お礼日時:2023/04/22 13:50

二人が結婚したのは、信長が本能寺の変で亡くなった後ゆえ、政略結婚だったはずがありません。

 信長が生きていれば、お市は誰かと政略結婚させられた可能性が高いですが、逆に信長が死んだことで、お市も自由に結婚できたのでしょう。 お市がまだ小さいころから大好きだった柴田勝家の執念がお市の心を動かしただけでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<信長が死んだことで、お市も自由に結婚できた>のですね。
<大好きだった柴田勝家の執念がお市の心を>ですね。
哲学カテではもったいない、恋愛相談カテに投稿すべきだったですね。

お礼日時:2023/04/16 14:42

政略結婚以外の何物でもありません


それ以外にお市の方が柴田勝家を知る由もありません
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<政略結婚>ですね。
<それ以外にお市の方が柴田勝家を知る由も>ですね。

信長を通して両者は接触があった、と思いますが。

お礼日時:2023/04/16 11:29

どちらでもありません。


大嫌いな秀吉から逃れる術として選んだ結婚です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<大嫌いな秀吉から逃れる術>なのですね。

お礼日時:2023/04/16 09:41

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