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奈良時代の日本の天然痘と14世紀のペストではどちらが、人的損害が大きかったのでしょうか。
世相的にも張りつめていたのでしょうか。
もちろん、単純な死者の比較ではなく、その当時の地域の規模を考慮してください。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    ヨーロッパのユダヤ人の迫害は、その時代からあったのですね。
    ドイツのヒットラーによるユダヤ人迫害、すなわち、収容所に入れて強制労働させたり、ガス室で殺害したりしていた第二次世界大戦時のみかと思いました。
    なるほど、勉強になりました。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/19 18:15

A 回答 (3件)

ペストの流行は、教会への信頼を失わせました。



信仰してもバタバタ死ぬし、逃げ出す
神父も沢山出ました。

それで、教会への不信が強まり
免罪符事件や十字軍失敗と相まって
ルネッサンスへと導きます。

またペストの流行は、農奴、農民を
激減させ、困った領主は待遇改善を
せねばならくなり、
その結果、農民の力が強くなり
後世の、民主化へと繋がった、と
言われています。

これに対し、天然痘の影響は
せいぜいが、仏教が日本に普及した、という
程度でしょう。
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奈良時代の天然痘では、当時の日本総人口の25~35%に、


100万~150万人が感染により死亡したと推計されています。
一方、14世紀のペストでは、アジア・アフリカ地域を含む
世界全体で5,000万人、世界人口の1/4が死亡したと考えら
れています。ヨーロッパだけだと、その半分の2,500万人、
全人口の30~40%が死亡したと推計されています。
数的規模の比較なら世界中に流行したペストの方が遙かに
大きな人的損害を出していますが、比率的にはそれほど大き
く違いません。

単一民族の日本では、異民族虐殺のようなことは起こらず、
天然痘は天罰と捉えられたため、仏教の力にすがる政治が
行われ、東大寺の大仏建立など仏教関連の建築が積極的に
行われることになりました。
また、藤原四兄弟が死亡し、権力構造に変化が生じています
が、内乱や大規模農民反乱には至りませんでした。

一方、民族が入り交じったヨーロッパでのペストの余波は
非常に大きく、ペストはユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだ
ことが原因で起こったという風説が流行したため、ヨーロッ
パ人によるユダヤ人共同体の破壊と大殺戮が行われました。
ヨーロッパ人は神に祈るよりもユダヤ人に怒りをぶつけた
のです。これによってユダヤ人人口が減少し、フランスや
ドイツから東ヨーロッパ、特にポーランドへのユダヤ人の
移動が促進されます。

また、農民人口激減は封建制に大きな変動をもたらしました。
領主が農奴に対する支配権と収奪を強化したため、様々な農民
反乱が発生します。フランスではジャックリーの乱、イギリス
ではワット・タイラーの反乱、ドイツではドイツ農民戦争が発生
しています。

社会に与えた深刻さの度合いは、元々豊かではなかったヨー
ロッパの方が日本よりも遙かに大きく、社会変動を引き起こし、
中世から近世への移行を促すに至っています。
この回答への補足あり
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まるで、規模が違います。


奈良時代の天然痘では藤原兄弟が死に、大仏が建立されました、
地方への流行は僅かだった様です、記録が無いので、死者数は不明です。
ペストは欧州の人口の1/3の8500万人が死亡したと推定されてます。
神に一生懸命祈ったのに神は何もしてくれなかったと教会に不信感を
抱く事になり、プロテスタント教会の発祥の要因になりました。
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