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多くの宗教では親を敬え、従順であれと説いていますが、一種の収斂進化?なのでしょうか? どういう理由なのでしょうか? 親を敬う必要はないとする宗教は生き残れなかったということなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    >>親子を円満に保てば社会も円満に
    適切な縁切り制度がない事は社会の不安定化に繋がってると理解してますけどね
    あと社会で上手くやってるのに家庭は不和とか、あるいはその逆もあるんで一概には言えないかと

    あと自分はそういう因果応報的なのはあまり信じてないです。大事にしてたからって大事にされるとは限らないし、大体自分一生独身になりそうなんで返って来ようがないです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/02 21:26
  • どう思う?

    頼んでねえわ、って話にはならなかったんですかね?
    まあグノーシス主義とかあまり普及できなかったっぽいのでそういうことかな....
    今だったら先進諸国なら経済面なら国が面倒見れる感じになってますし、知的な面でもマスメディアや書物、インターネットの拡大で親抜きでも学べるって部分も出てきてるんで(乳幼児は流石に別ですが)前提条件が崩れて来てるんですかね

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/02 21:40
  • 日蓮ってそんな事言ってたんですね
    ただこれも普及は....どうだろう?尊属殺厳罰はこっちも一緒だし
    原理主義的な不受不施派は禁教にされちゃいましたし

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/04 13:23

A 回答 (7件)

古典的な宗教は、農業文明国で生まれ、拡大発展し、世界のほぼすべての地域を覆いました。


基本的には、農業なので家族総出で家長の指示で動かなくては生産が上手く行かない社会でした。しかも、古代は80歳以上長生きする人も稀にいましたが、基本的には50歳まで活きれば長生きで、30歳前後くらいまでに死ぬ人も多かったわけです。

であれば、親子と云っても、文字通りの親と子、一応大人と精々思春期を迎えた子供くらいの関係が多かったわけです。

そういう社会では当然子供は親に従うものという話になります。現代のような長寿社会とは違うのです。

こういう宗教が世界を席巻したわけですから、「親を敬う必要はないとする宗教」が興ったとしても、新興宗教ですから、古代宗教を駆逐しなければ大きくはなれません。残念ながら、そういう既存宗教を脅かす新興宗教は、早期に徹底して既存宗教に駆逐されてしまう運命にある。そういうことになります。
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あなた個人が信じようと信じまいと、宗教が説くこととは関係ないです。



古代から存続する宗教は親を敬えと説いているのです。
そうでないと人類は存続できず、人類が存続しなければ宗教も不要になるからです。
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親を敬え、とは説くが、従順であれ、とは説かない



親孝行には三段階あります
①親に衣食住などをプレゼントすること。
②親の思いに従うこと
③正しい道に導く事

宗教で説く最高の親孝行は
③の正しい道に導く事だと思います
 それは絶対的幸福をプレゼントすることになるからです

「母の声」「母の手」に守られて、人は皆、大人になっていく。
親子は目に見えぬ一つの法則で結ばれているともいえます。
その心の絆こそ、親子の結晶であると思います

犬や猫でさえ恩を知る
まして人間であればなおさら、親の恩に報いなければならない
と思います
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そもそも親を大事にするというのは生物進化の上で得たものでしょう。

だって親を大事にしない子をつくるというのは、むしろ自分の競争相手をつくるということで危険ですから。

なお、親よりも教えを信じる方が大事だと主張している宗教家はいくらでもいますよ。日蓮は書簡の中で次のようにいっています。

父母を殺す人は何なる大善根をなせども天・是を受け給う事なし、又法華経のかたきとなる人をば 父母なれども殺しぬれば大罪還つて大善根となり候、設い十方三世の諸仏の怨敵なれども法華経の一句を信じぬれば諸仏捨て給う事なし(治部房御書)
この回答への補足あり
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収斂進化かどうかはわかりませんが、親があって子があります。


その子は成長して親になり子を持ちます。
生物はそれを繰りかえして現在に至っています。

今の日本は子を持たない人が増えていますが、これはむしろ特殊減少。
生物は子を産みまないと存続できません。
子には必ず親がいる。
子はいずれ親になる。
とすれば、子に対して親を敬えと教えれば、いずれ自分が敬われる存在になるのです。
親子は社会の最小単位です。
親子を円満に保てば社会も円満に存続していきます。

親を粗末にしていいと教えるのは、いずれ自分が粗末にされる結末になります。
そんなことを教える意味はないし、社会が荒む原因になります。

宗教というより、種が存続していくための根本的な知恵です。
この回答への補足あり
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宗教の大部分は「偉大なる力(神でも天でも仏でもいい)があなたを見守り救って下さる」という教義をもっています。



なので「偉大なる力」は信者にとって「保護者」という位置づけになります。どの宗教でも「神=父」とか「天=親」とか「菩薩=母」というような「信じる対象=親」という関係性で語るわけです。


そして現実社会での人間関係では「親=保護者」ですから、宗教であっても親を否定つつ「保護者の必要性」を説くのは非常に難しいことになります。

たとえばある宗教が「お前の命は神が与えた」と説明したとします。でも実際にはその人物に命を与えたのは「母親」ですから「神は母親に影響力を行使してお前を産ませた」という説明にしかなりません。

その事実を無視して「親なんかいらない、神だけあればいい」という説得はほぼ不可能です。
この回答への補足あり
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神という存在が人類全体にとっての親に当たるわけで、親を敬うことは神を敬うことに通じるのです。

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