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とある 教会の祈祷会で知り合いが お祈りをしていて、聞いていて少し驚きました。

どんな祈りだったかというと、

「私は今まで何か自分に害を与えてきた人間に対して、害を与え 返してきました。仕返しをしてきた。もし私が誰かに害を与えられた時に、その誰かに害を与え返さなかった時に限って、どうか私にご加護を与えてください。
もし私が害を与え 返した場合、私が仕返しした場合は、ご加護はいりません」

というような趣旨の祈りでした。

一言一句 あってるわけではないですが、こんな感じの祈りでした。


僕が思ったのは、自分に対して厳しい 祈りだなあとも思ったんですが、何か 神様の愛をどこか 否定しているような 、ほんのりと ひねくれた、お祈りだなと思いました。

もっと神様に信頼して、例えば自分が害を与えられた時に仕返しをしてしまったとしてもその弱さを認めて、そんな時こそ自分が仕返しをしないように自分のことを助けてください、とお祈りすれば、とても素直なお祈りになるのにな と僕は聞いていて思ったんです。

ただ その人のもちろん 自由なので、その人がどんなお祈りをして、神様との間にどんな約束をするかは、尊重するべきだと思い、その時は心の中では上に書いたようなことを思ったんですが、本人には何も言いませんでした。

ただただすごい 祈りをしたなあと感心するというか、おののいてしまうような気がしました。


神様は 愛と言いますが、誠実に生きようとするにあたって、そんな時は様々な手助けをしてくれると思います。

全幅の信頼を置いて 神様により頼んでみたらいいと思うんですけど、皆さんはこの知り合いのお祈りを読んでどんな感想やどんな意見を持ちますか。

皆さんの考えを教えてください。

A 回答 (6件)

意地わるく解釈すると、その祈りは、


自分に厳しくしている自分を神様にアピールしています。
悪いことをした自分に厳しい自分=善い自分、という自己陶酔が感じられます。
本人はそんな意識はないとは思いますが。

神とは何かについてはいろいろ考え方があります。
「愛」というのは、主としてキリスト教です。
ユダヤの神は厳しい神、妬む神、罰する神です。
キリストはユダヤ文化から出てきたので、罰するのではなく愛すのが神です、という考え方です。
その次に出てきた考え方がイスラムです。
イスラムでは、すべての判断を神に預ける。
いいか悪いかの最終判断は神がする。
神ではない人間が、いい悪いを判断するのは思い上がりだ、という考え方です。
神ならぬ人間は、「これが神の御心に適う行いだ」と思うことを一生懸命やればいい、最終判断は神がする、です。

だから、質問文の人は自分で、あれはいい、これは悪いと判断して、神に加護しろとか加護しなくていいと要求してるので、それは思い上がりだ、ということになります。
イスラムの神が聞いたら、お前は神に指図するつもりか!と言われてしまうでしょう。
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神が愛という本来の教えはともかく、キリスト教の教会や聖職者って、過去からずっとそういう行動を取っているから、現在の教会が復讐や自分がされたことを他人にやり返すことを否定すると、過去の信仰まで否定することになりますよ。


 キリスト教徒って、神や教会権力を復讐に利用したり、富や権力の拡大に利用したり、その積み重ねが現代のキリスト教会じゃないですか
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キリスト教ではありませんね。

聖書にそんな文言あった?
イスラム教も沢山あり目には目を...と信じている宗派もあり、新興宗教もありますから複雑ですね。
バチカンはトランプの多様性のなさを批判しています。
そもそも、神様仏様は皆に平等に光や愛を与え救う存在ですよ。
自己満足の人はほっといて。関わらない。
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そういう風に教えた誰か(神ではなく人)がいるのでしょう。


おそらくは子ども頃に言われたんだと思います。
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自分を律する為の存在、それが神様だと思います。


多かれ少なかれ人は、神様を自分に都合よく解釈します。
その人にとっての神様との距離感が、貴方には厳しく思えただけだと思います。
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いろんな人がいて当たり前では?と思います。

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