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日本は鎖国時代には西洋国としてはオランダとのみ、貿易をしていましたよね。
長崎出島が有名ですが、オランダから日本までの貿易船は帆船では、最短で往復2年半くらいはかかっていたそうです。

嵐や座礁の危険を乗り越えて、日本まで来ていたと。
そこで思ったんですが、当時の貿易船や船員の生還率はおよそ何割くらいだったんでしょうか?

ご存じの人や想像つく人おられたら、ぜひ回答してほしいです、お待ちしてます。

A 回答 (1件)

オランダ東インド会社は琉球、フイリッピン、インドネシア、インドに


拠点の港が有り、琉球は三角貿易の中継として栄えていました。
インドから紅海を通り、陸路でエジプトのアレキサンドリアに行き、
地中海を経てオランダに行きます。
フイリッピンから長崎の間が、黒潮の流れが急で複雑だったので、
難礁でした。
フイリッピン沖は台風などで沈んだ船が近年でも発見されるので
遭難した船は相当数あると思われますが、調べられませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとう

フィリピンから長崎の間が、難礁であったんですね。
遭難した帆船も相当するあるだろうけれども、詳しい生還率までは分からないんでしょうね。 回答ありがとです。

お礼日時:2025/02/23 19:55

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