プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

【疑問の出発点】
我昨天喫「了」三碗飯と我昨天喫飯「了」
文法書に『単文で「了」を使う場合、目的語に数量詞や定語が付いている時、動作動詞に状語が付いている時などは、例えば、「我昨天喫「了」三碗飯。」で文が成立するが、「我昨天喫「了」飯。」では文が成立しない。そのままでは、「我昨天喫「了」飯、学了一個小鐘漢語」というように文を引き続かせるか、文を終結させる文末の了を使って、「我昨天喫(「了」)飯「了」。」とする。』と書かれています。

【そこで質問】これは、次のように理解してもいいのでしょうか?
・「動作動詞後の了」は、その前に置かれた動作を強調する作用があるので、動作が具体的イメージを持つ時(例えば、目的語に数量詞や定語が付いている時、動作動詞に状語が付いている時など、動作動詞の前や後から当該動詞を修飾して、その動作に具体性を与えている。)には、「終わったんだ、・・・という動作がね。」と強調するに足る内容となるので、文が終結する。
・他方、「喫了飯」だと、「終わったんだ。飯を食べるのが。」と飯を食べるという強調するには動作の内容がなさ過ぎるので、「で?次に何か内容があるんでしょ?」となる。
 そこで、文が続けば、「終わったんだ。その次にね。」と順序という強調したい内容ができるので、文の座りがよくなる。または、「そういう状態になったんだ。」と文を終結させるニュアンスを持つ「文末の了」を文末に置けば、文の座りがよくなる。
・これを敷衍すると、「動作動詞後の了」の前に置かれる動作に強調すべき内容が、対話者間の頭の中であればよいので、別に、具体的に目的語に数量詞や定語が付いている時や動作動詞に状語が付いているときなどだけでなく、単に「喫了飯」であっても、対話者が文脈の中でその動作に具体的なイメージを持っているときには、文末の了がなくとも、文が終結する。

A 回答 (1件)

「そこで、文が続けば、」の前までは、だいたい、その理解でよいと思われますが、その後は、順序強調や、イメージのくだりは意味不明です。


たとえ、対話者間の理解がそうであろうと、世間には通じなくなっちゃいますから。(笑)
基本は、「了」が来ると、そこでポーズ(小休止)になるという解説が、どこぞかにありましたが、ポーズのあとに「飯」と来ると、はぁっ?ですかね。
食べ終わったよ、飯。→あたりまえじゃ!だからどうした。(会話不成立)
(食べるのがご飯だから当たり前という意味じゃなくて、飯とだけ言うことが意味なしだからということ)
食べ終わったよ、ご飯三杯!→ほぉっ!なるほど。(会話成立)

「了」が来ると座りがよくなるのは、そこで休止になるということで、そうですね。

ま、日本語を、こんな風には考えてしゃべってませんから、文法的なお話は、難しいですわな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度も同じようなこと聞いて済みません。
面と向かって質問できないので、また、全く逆の回答をして下さる方もいるので、確認のためにどうしても、、、。済みません。

あと、「たとえ対話者間の理解がそうであろうと」ですが、会話ですから、発話した音としては「飯」でしかなくても、意味としては具体的な「・・・な飯」を略して飯と発話していることもあろうかと思います。目的が、対話者が目的語に具体性を「感じる」ことにあるとすれば、それで十分なんでしょうね。
把構文などでも、目的語に具体性が求められますが、同じことが言えるかと思います。

お礼日時:2005/12/08 23:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!