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 私たちは会話で何時代の人とまで通じるでしょうか。
 幕末生まれの人と話した経験から推測すると、同じ地域の人であれば、江戸時代の最初くらいまでは通じると思いますが、あまり先の時代になると見当がつきません。
 古い時代の話し言葉の資料があれば、判断しやすいと思いますが、どれくらい先まで行けるでしょうか?

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A 回答 (14件中1~10件)

タイムマシンに乗って昔の時代に行ったらどれくらい話が通じるのか、なんか夢があっていいですね。


明治時代以前の口語史料が残っていないと書かれている方がおられますが、とんでもないことです。口語史料はいろいろ残っています。詳しくは、橋本進吉『国語学概論』7 口語の變遷 を参照ください。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hasi/hasi7 …
このHPでも紹介されていますが、キリシタン時代の史料にはローマ字で記載されているものがたくさんあり当時のほぼ正確な発音がわかって貴重です。
 中でも、1593年に出版されたローマ字版イソップ物語をちょっと読んでみましょう。
ESOPONO FABVLAS
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/es …
この中の、「からすと、きつねの こと」を取り上げます。
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/es …
この部分のローマ字を現代のカナ表記に直すと次のようになります。
      「からすと、きつねの こと」
  あるとき からす しょくを もとめえて、きの うえに
やすみ いるに、 きつねも しょくを もとむれども、
えいで ふぁしぇかえるとて、 からすの ふくんで いる しし-
むらを みて、 うらやましゅー おもい、なんとぞして これ
を たぶらかいて とらばやと たくんだが、からすの いた きの
もとに いってゆーたわ 「いかに しょちょーの なかの すぐれ-
て けたかい からすどの、ごふぇんの つばさの くろー かか
やくわ、 こんれおーの ぎょいか? またわ にしきか?
   どうですか? 当時の口語はだいたいこんなものです。
 この頃は、「はひふへほ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」でした。まあ、これも慣れればかなりわかるのでは? 昔と現代では、通じない単語もたくさんありますが、基本語彙はかなり通じます。ゆっくり話せばなんとか話が通じそうです。 
 平安朝の日本語の発音については、金田一春彦博士の『朗読 源氏物語-平安朝日本語復元による試み-』(一九八六 大修館書店)があります。たしか、録音テープも制作されていたと思うのですが、聞いてもあまりわからなさそうです。平家物語の方ならかなりわかりそうなのですが。結局、鎌倉時代くらいまでならなんとか意思の疎通ができそうに思うのですが。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/es …

この回答への補足

お礼の続きです。
 ESOPONO FABVLAS 大変おもしろいです。袞竜などのように知らない言葉も稀に出てきますが、大体わかりますね。何話か読ませてもらいましたが、読み進むにつれて、こちらも少しずつ慣れてきます。
 英語が不得意な小生などは、やさしい英単語が並んでいる文章でも意味が取りにくく首をひねる場合がありますが、こちらはそういうことはありません。
 当時にタイムスリップしてもいけそうな気がします。
 ただ下のような台詞を声を出して言って見ると、どうしても狂言風になってしまいそうですね(笑)。
>「いかに しょちょーの なかの すぐれ-
て けたかい からすどの、ごふぇんの つばさの くろー かか
やくわ、 こんれおーの ぎょいか? またわ にしきか?

 ありがとうございました。
 

補足日時:2006/12/01 22:18
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この回答へのお礼

 いい史料ご提供していただきありがとうございます。
 お説と引き比べながら、じっくり読ませていただきます。
 とりあえずお礼のみ、ありがとうございました!!!

お礼日時:2006/11/30 14:38

やはり何をもって通じたとするかによって答えは大きく違うと思います。



私は中高と英語を習いましたが英会話は出来ません。読んで理解できる文章もネイティブに話されたらもう分かりません。
知っている単語も文法も聞き取れないからです。
お年寄りどうしが方言全開で会話していたのを、地元の若者が理解できなかった話も何度か聞いたことがあります。(私も経験あり)

私たちは昔の言葉を耳で聞いたことがないですから、おそらく明治以前にタイムスリップしたら英語以上にチンプンカンプン、ほとんど聞き取れないと思います。
しかしゆっくり話してもらったり筆談や身振りを交えても良ければ、最低限の意思疎通は可能だと思います。
しばらく滞在すればどんどん耳が慣れて話せるようになるが、完全にネイティブのようにはなれないのも同様でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
>やはり何をもって通じたとするかによって答えは大きく違うと思います。
 仰せの通りだと思います。私は最低限度の通じ方、道を尋ねたり、食べ物を買ったり、宿屋で泊まったりするのに、話せる程度を想定しています。込み入った話をするとなると難しくなってきます。
>お年寄りどうしが方言全開で会話していたのを、地元の若者が理解できなかった話も何度か聞いたことがあります。(私も経験あり)
 たしかにテレビの影響で方言が廃れてきているようですね。
 方言というのには昔の言葉が多く残ってまして、同地域でタイムスリップすれば結構昔まで行けるような気がしたんですが、若い人では難しいかも知れません。
 まあこれは、どの程度の会話をするかの認識、タイムスリップする現代の人の年齢、古い言葉に対する理解度、方言会話能力、性格などによってさまざまなご回答が出ているように思います。
 参考になりました。 
 

お礼日時:2006/12/03 17:31

どのくらいまで会話するかによると思うのですが・・・



現代人との問題だと、結構いろいろと言葉の変わりがありますからね・・・
たとえば教養。「鞍馬から牛若丸が出てきた」「ならば義経にしておけ」という食い物屋の表現ではないですが、そういった具合に、現代ではほぼ死んでしまった表現がかなりあると考えます。会話においてはこれが出てくるのが問題。
また、平安頃までは漢文が教養の時代ですから、上流階級の人については、そういった漢書の知識を端々に出してくると考えますから(和歌なんか見れば分かりますね。端々に、知識がないとわからない表現がでてくるのです。そして、問題はそれが恋歌に使われるほど常識であったということです)、ついていけるかは疑問です。
ほかにも、感性の問題も・・・たとえば江戸時代以前に見られる同性愛とか・・・平安期の梅雨や曇りに対する感性とか・・・

また、文語を基準に考えるのも、考え物です。現代でもそうですが、小説とかであってもいわゆる若者言葉で文は書かれません。
言葉が乱れているといいますが、実際問題言葉は移り変わるのは当然のものですから、本来的には乱れているのではなく、変わっているだけなのですが・・・
まあ、このあたりは口語資料をたどるしかないかと。
ただ、これらの資料の多くは「上流知識階級の口語表現」なのは強く留意すべきですね。
場末の街中で使われるようなものや、田舎で現代よりはるかに強い方言をつかって会話されるものとは、やはり違うものと考えられます。
まあ、本音を言えば私は方言を持っていない人間なので、方言というものはいまひとつピンとこないですけどね・・・

また、いわゆる会話のラリーみたいな形になると、現代人は多かれ少なかれ「カタカナ語」を使う癖がついていますから(私も上で使っていますね・・・)、これがでると向こう側は混乱することでしょう。
まあ、それ以前は逆に「漢字語」が大量にまぎれる可能性があるので、こっちが混乱するような表現も出てくるのではないかと思いますけどね。

まあ、日本語の場合、最大の点は「文法が大きく変わっていない」という点ですから、このあたりを加味すれば、現代イギリスの老人とアメリカの若者が話すのと同じくらいの会話は出来るのではないかと思います。

ただ、発音はもとより、語彙、教養にずれがありますから、そのあたりで「教養が無い」と嘲られたり、「何を言っているのかわからない」と返されたり、意味の食い違いからおこる無用な混乱がおこることは、容易に想像が出来ますね。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
>現代イギリスの老人とアメリカの若者が話すのと同じくらいの会話は出来る・・・
 これは相当なもんですね。
>「教養が無い」と嘲られたり、「何を言っているのかわからない」と返されたり、意味の食い違いからおこる無用な混乱がおこる・・・
 シミュレーションも迫真化してきました。

お礼日時:2006/12/02 16:11

#11様の挙げられたテープを聞いたことがあるのですが、イントネーションが、根本的に違うので、知っている共通する言語も聞き取れません。


しかし、これは、テープだからであって、直接、平安人と対面すれば、意思疎通は、可能だと思います。
なにしろ、ゆったりしたペースですので、聴き取りのきっかけがつかめれば、いけると思います。
奈良時代も同様に考えます。
かなりなところまで、遡れるのでは、ないでしょうか。
とりあえず、ですが、奈良時代までは、いける。
と、踏んでおります。
筆談が、可となれば、漢字が取り入れられた時代まで、Okかと、思います。
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この回答へのお礼

 テープをお聞きになりましたか! 私も聞きたかったですねー。
 奈良時代まではなんとかなるとは力強いおことばです。
 NO.11さんに教えてもらった学者さんの論文をザッと読んだ限りでは、江戸初期まではスラスラ、その先もかなり行けそうな感じがしてきました。
 漢語を使わず、やさしいことばをつなげて話せば結構通じるような気がします。
 筆談とは気が付かなかったです。英語教師だった叔母が進駐軍との通訳のピンチヒッターで出たとき、通じにくいときは、書いたといってました。グッドアイデアですね。
 万葉仮名を勉強してやってみますか。しかし、質問文の最後に「?」をつけて相手に怪訝な顔をされたりして(笑)。
 ありがとうございました。
 

お礼日時:2006/11/30 20:51

口語っぽい文章をいくつか。


土佐日記(935年頃)
http://www.osk.3web.ne.jp/~t819kwbt/Contents/Kob …
平家物語(13世紀)
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/heike.htm

片言なら10世紀くらいまでは通じそうかと。
音韻も現代語に近いし。文法的にも連体形が終止形を兼ねるようになるころだし。
語彙を慎重に選べば意思疎通くらいはなんとかという範囲でしょうな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

それ以上さかのぼると発音が違うのと、地方ではアイヌ語や上代琉球語に近い、方言周圏論の適用範囲外の言語が出現する可能性があって厳しいと思われる。
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この回答へのお礼

 明解なご回答ありがとうございます。
 よくわかりました。
 昔、八重山の方言を書いたものを見たとき、八重山の人は奈良時代の人とも会話できるんじゃないかと思ったことがあります。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/30 14:31

>江戸時代では、田舎の武士が遠方の武士と言葉が通じないので、浄瑠璃言葉を覚えたという話を聞いたことがあります。



浄瑠璃じゃなくて謡曲です。能の言葉です。で、能というのは狂言と二人三脚のくせに、ぜんぜん狂言とは異なる言葉と台詞回しで、ほんとに聞き分けにくい代物です。それはきっと演劇的効果を追うためのもので、狂言は、じっさいに能楽堂に足を運ばれればさぞ驚かれることでしょうが、現代語とたいして違いがありません。五番さんが仰るように、六百年前までくらいは大丈夫でしょう。楽勝ですよ。

平家物語は読まれましたか。簡単ですよね。簡単すぎて大学入試の問題文に使えないくらいのものだ。言葉ってのはそんなに変化しませんよ。生きものが変化しないように。言葉が生きものであれば、そう簡単に変化しねえってことだよ。

江戸時代でさえ通じないなんて言う人は何を根拠に言うんだろう。円朝の筆記本なんか見たことないのかしら。天保老人だよ。だのにつーつーに通じます。

文字記録が残っているかぎりの間では日本語は大して変化しておりません。その間はタイムスリップしたって平気の平左ですね。むしろ大喜び。

通じないなんて言う人は昔の人が書いたものを読んだことがないんでしょう。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 英語もロクに勉強せずに、度胸英語で世界中を飛び回っている奴がいますが、そのような気持ちで500年前にタイムスリップすれば、通じるでしょうね。ありがとうございました

お礼日時:2006/11/30 14:25

私もkamehameha1941さんが幕末生まれの人の言葉を理解したのではなく、幕末生まれの方がkamehameha1941さんが理解できるような言い方をしたに一票です。


厳密に言えば、いつの時代までさかのぼれるかは「わからない」というしかありません。エジソン以前は、我々は音を記録する手段を持たなかったのですから。明治初期の人たちがどんな言葉で会話をしていたかももう分からないのです。

ただ、幕末のときには歌舞伎の台詞がもう当時の人々には理解できなかったそうです。つまり、その頃にはもうあの独特の台詞回しは様式美になっていたってことですね。しかし、そもそもは歌舞伎も「現代劇」として始まったわけです。当時は、別に気取った台詞回しじゃなかったってことですよね。
kamehameha1941さんがある程度の年代の方ならご存知でしょうが、今「新派」なんてもう古典の領域ですよね。でもそもそもは「慣習に囚われない新しい劇を作ろう」として立ち上げられたのが新派です。

言葉というのは現在進行形で変わっていきます。80歳以上の高齢な方と話すと「あぁ、美しい日本語だなあ」と思うことがあります。けれども、もうそんな美しい話し言葉を使う人は60歳でもいません。今の人に「お前は本当に五ン合徳利だね」といっても意味は通じないでしょう。逆に若い人が「こないだ女紹介してもらったんだけどさあ、それがホント理想どおりのツンデレたんでヤベエと思ったんたんだけどQBKでダメダメだったよ」といわれてもちんぷんかんぷんです。
もう「ら」抜き言葉は文句をつける人もいなくなってしまいましたよね。

日本ではほとんど知られていないフランス映画で、ジャン・レノが主演をしているんですが、中世の騎士が現代にタイムスリップする話があります。そこで中世の騎士様は現代フランス人がみんな「オーケー」というのに面食らいます。そうです、オーケーは英語なのです。それで、そのうち中世の騎士様はそれを面白がって「オッ、ケッ」といいます。ラストシーンは中世に舞い戻った騎士が「オッ、ケッ」というところで終ります。

おそらく私たちが江戸時代や明治時代にタイムスリップしても同じことが起きるでしょう。言語としては基本同じでも、単語の意味や言い回しが全く違うので実は意味は通じないと思われます。
「あそこのラーメン、ちょうヤバイよ」と今の若い人がいったらそれは「あそこのラーメン、とてもおいしいよ」という意味だそうです。でも私には「あそこのラーメン、すごくまずいよ」としか聞こえません。
例えば江戸時代の人と恋愛談義はできません。恋愛という言葉が明治になって「love」の訳語として作られた言葉だからです。「恋愛の話をしましょうよ」といっても「恋愛」という言葉が通じないのです。

だから21世紀日本人がどこまで通じるかというと、戦争のあたりがひとつのターニングポイントになるでしょう。戦後、外来語が入ってきましたから。戦前生まれの人は「戦後日本語」というのが話せる人だと考えるほうが自然だと思います。もうひとつは大正時代で区切りがあるかもしれません。そして、明治維新前後で日本語は全く違うでしょう。現代の日本語は大げさにいうと森鴎外や夏目漱石らによって作られた新しい言葉といってもいいかもしれません。幕末以前は、たぶん半分以下しか通じないような気がします。古典落語も、ほとんど明治から大正の頃に今の形で完成されたそうですから。

この回答への補足

 お礼の項に書き洩らしましたので、歌舞伎の件について一言。
 歌舞伎 現代劇→様式化→独特の台詞回し については100%賛成します。
 ただ、幕末の人が理解できなかったのは、実際の話し方と違った台詞回しになているため、面くらい、理解しにくかったのではないかと想像しています。
 バスガイドや葬儀屋の司会を見てもわかりますように、同じ台詞を毎回しゃべっていますと、独特のリズムと抑揚が付いてまいります。歌舞伎の場合はそれに動作が付いているため、動きに合わせた台詞回しになってきますので、普通のしゃべり言葉とはますます乖離し、初めて聞くと「わからん」ということになったんじゃないかと思いますが。
 そういうことで、私は回答者さんとは逆に、普通にしゃべれば「通じる」という方向に解釈してしまいました。
 なお、これは反論とかそういうものではありません。
 解釈の仕方でいろいろ違った結果が出ます、私のは我田引水かもしれません。
 丁寧で立派なご回答には感謝します。

補足日時:2006/11/30 17:25
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この回答へのお礼

>私もkamehameha1941さんが幕末生まれの人の言葉を理解したのではなく、幕末生まれの方がkamehameha1941さんが理解できるような言い方をしたに一票です。・・・
 私もこのご意見には同意します。ただ、80年くらい前の年代の人と何の支障もなく、会話できたということが重要だと思います。
 ここから、あの幕末爺さんも自分より100年以上前の江戸中期の人とは結構無理なくしゃべれるんではないかと想像したりしています。
 江戸時代になると鎖国であり、文明開化以降のような新用語の出現も少なく、人の移動もあまりないでしょうから、言葉の変化によるロス率も少なく、結構江戸初期くらいまではなんとか通じるんじゃないかと、推測してみました。
 私も戦前生まれですが、仰せの通り完全な戦後派です。しかし、父母は明治生まれですし、戦前の日本人がしゃべっていた言葉は、初期のトーキー映画(昭和の初め頃)を見ればわかりますが、今の若い人が見てもほとんど100%理解できるんじゃないでしょうか。
 仰せの通り、森鴎外にしても夏目漱石にしても口語の小説を書き始めました。小説の書き方としては画期的なことだと思いますが、当時の教養人のしゃべり言葉を基準に書いたものだと理解しています。
 まあ、こっちのいうことを100%昔の人に理解させようと思ったら、仰せの通り少し世代が変わるともう無理ですね。
 しかし、こちらができるだけ難しい言葉を使わないようにすれば、そこそこ昔まで通じるような気がしたもんですから、質問させてもらいました。
 丁寧な長文のご回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2006/11/30 14:19

二度目の投稿です。


今、使われている日本語が明治に創られて、変化したもの。江戸時代の人からみたら完全な外国語であるという認識が必要だと思います。
 >幕末生まれの老人と方言を交えて・・
ここで大切なのは、老人が今の日本語を理解できるバイリンガルであって、
幕末の日本語しか話せないわけではないということです。孫の世代とお話するのに感情的にでもならないと、難しい言い回しは使わないですから。

>同じ地域であれば、相当遡れるんじゃないかと思うんです。
 今使われているお国言葉自体が、かなり変質していると思います。
元々里単位であった言葉が、学校、会社、軍隊といった生活集団が形成されるにあたって、同じ地域でも一定の共通性のあるもの以外は標準語に置き換わっています。 特に軍隊を挙げたのは、同じ地域にいる者で部隊を構成するため今のお国言葉は、この時に創られたように受け止めているからです。
 
 生活感覚の違いも大きいでしょう。太陽と共に生活し、自分の足で歩ける範囲が行動範囲の時代の人と感覚的な共有部分が少ない現代日本人では「あつい」と一言、発声しても、受け止め方は大きく違うのではないでしょうか?  
 明治生まれの人が江戸時代やそれ以前の人と話せても不思議はないと思いますが、生活感覚の大きく異なる世代ではどうでしょう。
 それほど単純に言葉が通じるとは思いません。
 
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/29 21:01

大正末から昭和初期くらいではないでしょうか。


文章と違って言葉は全然通じないと思います。中国がいい例で昔から漢字を元とする文は理解しあうことができても、言葉は地域が異なれば通じません。学校教育で文字と読みが普及しても、発音する先生がお国言葉であれば、意思の疎通は難しいです。 少なくとも明治後半生まれの人に、お国言葉中心に話されると、カタコトのお国言葉しかしらない私はまったく理解できません。
 ラジオ放送等で、標準語の日本語の発音を意識するようになる時代か、もしくは徴兵による軍事教練による軍用語の共用といった特別な要素があってはじめて言葉が通じるのではないでしょうか。 
 今使われている言葉自体が、非情にローカルなお国言葉だと考えれば、明治で考えても東京の一部地域でやっと通じるレベルだと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。仰せの通り方言を別の地方の人が理解するのは困難です。
 質問にもありますように、私は同じ地域の幕末生まれの老人と方言を交えてツーカーでしゃべった経験があります。
 同じ地域であれば、相当遡れるんじゃないかと思うんですが、そのような前提で、御再答願えればと思います。

お礼日時:2006/11/29 19:21

どのような会話をするか、にもよると思います。

日常会話ならば、例えば「私たちがアメリカに行って、カタコトの英語で会話が成立する程度」には成立するのが室町末期くらいだろうと思います。
根拠は、狂言の台本です。読めば分かりますが、現代の普通の日本人が読んでも、大雑把な意味は把握できます。また、会話、というのは音声言語以外にも表情や身振り、場の状況など、様々な要素から成り立ちますから、個別の単語が分からなくても、全体として意思の疎通は可能だろうと思います。
ただし、私たちが今日使用している、特に、抽象的な概念を表現する言葉には、明治時代に漢語で翻訳された単語が大量にありますよね。これらは通じないと思いますから、複雑な話は難しいだろうと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。狂言の台本ですねえ。台本を読んだことはありませんが、あの独特のしゃべり方は長い間に様式化され、あのようになったと思われますので、普通のしゃべり方でやると、結構通じるかも知れませんね。
 江戸時代では、田舎の武士が遠方の武士と言葉が通じないので、浄瑠璃言葉を覚えたという話を聞いたことがあります。狂言やこのようなものから類推していくと面白いですね。
 現在の田舎の、ある程度教養のある老人で、機械化以前の農業経験のある人が、ポイッと室町末期の同地域に放り出された場合、そこそこ通じるような気がしてきました。同時代の鹿児島人対青森人とくらべてどんなものでしょうかねー。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/29 13:45

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 仮に,ごく普通の現代人がタイムスリップして,昔の人と会い,普通に会話しても通じるものなのでしょうか?
 江戸時代末期の人となら,何とか普通に会話できそうな気がするのですが,それより前の人は難しいのかなあ・・・と個人的には思っています(大正初期生まれの祖父母の話なんか聞いていると,明治時代や幕末期の人の口語は何となくイメージが湧きます。)。
 戦国時代,鎌倉時代,平安時代,奈良時代,古墳時代・・・とさかのぼるにつれ,会話は困難にいっそう困難になるとは思いますが,実際のところは,どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

 日本語の最大の変化は平安期と鎌倉期のちょうど境目あたりで起っています。文法、発音、語彙がかなり変化しています。たとえば「花」を、平安時代前期にはファナ(パナ)と発音していました。「男」はウォトコです。二度目の、これよりややちいさい変化は江戸時代に入る直前、戦国末期くらいにおこりました(たとえば動詞の活用などかなり現代語に近くなってきます)。これ以降はほとんど現代語とおなじです。
 ですから、常識的にいって、江戸時代いっぱいまではたいがいの人が通じる。勘のいい人なら鎌倉時代ごろまではなんとか会話が成りたつのではないかと思います。それ以前となるとやはり専門知識が必要だろうと思いますが……。
 ちなみに言いますと、歌舞伎の台詞は多くの場合、文筆家が苦心惨憺して書いた美文であり、当時の話し言葉とはかならずしも一致しません。歌舞伎において古い江戸時代の話し言葉を残しているのは、たとえば黙阿弥をはじめとする世話物などでしょう。近松や南北、黙阿弥の世話の台詞は現代でもじゅうぶんに理解できると思いますが(役者の口跡がひじょうに悪い、というのは別にして)。

Q現代の標準語は戦国時代の人に通じるか?

例えば仮に日本の戦国時代にタイムマシーンでワープしたとします。
そこでそこら辺の通行人に、現在の標準語で話しかけて、会話したとします。
そしたら、相手に日本語は通じるのでしょうか?マジ、パネェ、ガチで、とかの完全な現代語は話さないとして。
例えば、
「今日はいい天気ですね」 「そうですね、昨日は雨だったけど、晴れてよかったなぁ」
とかまともに会話できるんでしょうか?

Aベストアンサー

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。

 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったでしょうね。まぁどちらも世間の広い人で、西郷さんも江戸に居た経験も豊富ですから。

 今も、近所の青森出身の方が郷里の方と話している内容は全くわかりません。日本語ではないような気にさえなります。

 ご近所のいろは四十八組の一番筒先の方に小学校の時に可愛がられました。
 お尻の割れ目とおちんちんを残して青と赤の彫り物(刺青は罪人にするもの)が鮮やかで、銭湯なんかうめていると、金魚がおよいでいらい。なんていってと水道を停めてしまう。
 舌使いや発音が違うので、同じことばでも慣れないとわからない。
 それが江戸職人のことばかもしれません。江戸の範囲も年々変わりましたが、地域と職業で言葉は全く違っていたのですね。

 戦災で浅草聖天町から隅田川や荒川などの川を越えたところにきて、子ども達の話し方はずいぶん違いました。
 無論気風も違います。
 学校に誘い合う呼び方だって、全く違う。
 ことばの変化は激しいものですね。戦国時代の日常言語の社会は私たちは入れないでしょう。
 古典の高座や芸能では何か偲べるでしょう。
 敗戦終戦後の映画を見ますと、昔の話し方が聞けてとても懐かしいですね。
 昔の世界、人間関係、そして生活が伝わってきます。

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。

 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったで...続きを読む

Q現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーション

現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーションが取れるのでしょうか?例えば、平安時代にタイムスリップしても果たして通じ合えるものでしょうかね?現在人の話す言葉には昔と比べて圧倒的に単語量が多いから通じ合える範囲は限られるのでしょうけど、

Aベストアンサー

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのがいけなかったようです。町内会長さんが“通訳”をしてくださって、ことなきを得ました。

それに皆さんも、アナウンサーが話す言葉なら全国的に理解できるでしょうけれど、どこかの田舎に観光にでも行くと、声をかけてくれたお婆さんや、電車で見かけた不良高校生が話す言葉を一言も理解できない、なんてことがザラにあります。それだけ“内輪でしか理解できない言葉”を彼らは話しているのです。日常的にそれで済んでいるからです。

一方で私は言葉の通じない外国へ行くのが好きです。スペイン語の知識は皆無に等しいのですが、英語も日本語も通じないスペインやベトナムで、世間話から盗難届から苦情まで、コミュニケーションを難なくとってきました。奇をてらったことを言わなければいいのです。例えば初対面の人に会ったら、だいたい話すことは決まっています。「どこから来たのか」「家族は何人か」「ふるさとは広いか」などなど。それをベースに、知っている英単語「レッド」に似ているスペイン語の「ロッソ」を活用するなどして、会話ができます。逆に、とあるテレビ番組でこんな場面を観ました。一夫多妻制を続ける遊牧民の主婦たちの中へ入っていった日本の現代女性が「私は独身で、毎日働いています」と、通訳を介して笑顔で言ったのですが、何度説明しても相手は真意を理解してくれずに「かわいそう」と言って泣くのです。

前置きが長くなりました。江戸時代以前の書物は、話し言葉とは別物でしたから、私たちが古文の授業で朗読させられているものよりは、わかりやすい言葉をしゃべっていた可能性があります。また、方言がより濃厚に残っていたはずですから、その地方の方言に関する知識があるかどうかでも変わってきます。それから、その時々の政権の中心地が言葉に影響を与えていたでしょうから、江戸時代なら東京の言葉が参考になりますが、平安時代なら京都の言葉の知識があったほうが通じやすいでしょう。そしてこうした知識をベースに、あまり奇をてらったことを言わなければ、食べ物や着物くらいは買えると思いますよ(当時の通貨があればね)。

ちなみに私は言語学の専門家に、平安時代に使っていたと思われるイントネーションで古文を朗読してもらったことがありますが、それは昭和天皇の演説にそっくりでした。

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのが...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

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匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q昔の人の話し言葉はどういった言葉を使っていたのでしょうか。

昔の人の話し言葉はどういった言葉を使っていたのでしょうか。
リアルな言葉がどうだったのかを知りたいです。
たとえば今の渋谷言葉であったり、そういったものが昔にもあったはずです。
小説を昔の人のリアルに近付けた言葉で書こうと思っています。
何か参考になる本とかはありますでしょうか?

時代としては、戦国時代、源平の時代、平城京の時代のいずれかと考えています。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

地方の方言のほうが古代の言語の特徴をかえって残していることが多いそうです
特に沖縄及び西南諸島の方言が古代日本語の音韻、文法、語彙を
一番多く残しています

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%AA%9E
http://www.citydo.com/okinawa/column/hogen1.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hel/jp/prago/okinawa.htm
http://mabui.blog.shinobi.jp/Entry/90/

例えば現代日本語の「ハ(H)行」は古代日本語(室町時代以前)では
「パ(P)行」「ファ行」が使われていたと考えられてます。(ハナはパナと発音してた)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/lang/lang42.htm
現在でもこの古代日本語の発音法が残ってるのはこの地域の一部だけだそうです。
また、文法や単語でも古代のものが残っています.


無論、沖縄で独自に変化した部分もあるので、そこは古語と区別しなければいけませんが
古代の口語を考える際に、参考になるかもしれません。

参考URL:http://www.citydo.com/okinawa/column/hogen1.html

地方の方言のほうが古代の言語の特徴をかえって残していることが多いそうです
特に沖縄及び西南諸島の方言が古代日本語の音韻、文法、語彙を
一番多く残しています

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%AA%9E
http://www.citydo.com/okinawa/column/hogen1.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hel/jp/prago/okinawa.htm
http://mabui.blog.shinobi.jp/Entry/90/

例えば現代日本語の「ハ(H)行」は古代日本語(室町時代以前)では
「パ(P)行」「ファ行」が使われていたと考えられてます...続きを読む

Q昔々の喋り言葉ってどんなだった?

口語体が使われる以前(江戸時代以前?)の話言葉について。
当時の文学では古文の時間に習ったような言葉が使われていますが、実際の会話で用いていた話し言葉は、現代とあまり変わらなかったとどこかで聞いたことがあるのですが、詳しく知りたいと思って質問しました。
つまり極端な話、蟇目鉤鼻のお姫様も、マロでおじゃるの殿様も、語尾であったら「ですます」だったり「~した」とか「~する」とか、現代と同じ話し方だったのでしょうか?
その他、時代・身分によっての使い方の違いなども是非知りたいです。
参考になるサイトもあったら是非教えて下さい。
小さい頃からすごく気になっていたことです!

Aベストアンサー

 以前の私の質問が一部参考になると思います。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2568715.html
 この中で識者の方に教えていただいた切支丹時代のイソップ物語は面白いです。今の話し言葉とは大分違いますが、意味は大体わかります。
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/esopo/mocurocu.html
 あと狂言、浄瑠璃、歌舞伎などの台本が手に入れば、大体のことがわかるんじゃないでしょうか。
 舞台を見ても、その芸能の独特の抑揚や間がある台詞回しになっていて、慣れないとわかりにくいですが、当時の社会における実際の話し方は、もっと普通に喋っていると推測されます。
 まあそれでも、現代の歴史小説や時代劇の侍言葉(「現代口語に「ござる」をつけただけのようなもの)よりも、わかりにくいと思われます。

Q古語の素朴な疑問

私は学生時代 古語が苦手でした。これが同じ日本人の書いたものか!?と思う位です。素朴な疑問ですがもし当時の人と話せるとしたら会話は通じるのでしょうか?

Aベストアンサー

音韻変化が激しくて現代人には通じないでしょう。
アメリカ人が古代ローマ人に出会ったような感じかも知れません。もっとも古語の年代にもよるでしょうが。

よく例に出される単語に「母、はは,haha」があります。
この言葉はポルトガル人が日本へ来た16世紀ごろには
ファファと発音されていたことが記録に残っています。
研究者によれば室町時代以前はパパ(papa)と発音されていたといわれます。つまり、音だけで捉えればパパとは古代人にとってハハのことを意味するので混乱が起こるでしょう。

一方現代人の話す言葉は外来語が非常に多いので、たとえ音韻変化の壁を乗り越えても理解不能となるでしょう。わずかに通じるのは縄文以来変化していない可能性の高い身体語(メ、ハ、ミミ、テなど)と一部の地名ぐらいだと思います。文法的には大きな変化はないとすれば、古代人と1-2ヶ月ともに暮らせば日常会話には不自由しなくなるかも知れません。

身近な江戸時代まで降っても未だ標準語が存在しなかったので、漢語の素養がない限り十分な意思疎通は難しいと思います。(出身地が離れた者同士の場合)

音韻変化が激しくて現代人には通じないでしょう。
アメリカ人が古代ローマ人に出会ったような感じかも知れません。もっとも古語の年代にもよるでしょうが。

よく例に出される単語に「母、はは,haha」があります。
この言葉はポルトガル人が日本へ来た16世紀ごろには
ファファと発音されていたことが記録に残っています。
研究者によれば室町時代以前はパパ(papa)と発音されていたといわれます。つまり、音だけで捉えればパパとは古代人にとってハハのことを意味するので混乱が起こるでしょう。

一方現...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q北朝鮮からミサイルが飛んできたら

 北朝鮮から核ミサイルが飛んで来て、永田町に落ちたとすると、被害はどのくらい広がりますか? 即死のみならず、疾病による死亡や後遺症も含めて。

よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

■他サイトで同じような質問に答えているのですが、解りやすく新たなデータを追加したため長文となってしまいました。

 北朝鮮が保有する弾道ミサイルで、日本への発射が懸念される物にノドン2号とテポドン1号ミサイルがあります。
 ノドン2号は旧ソ連が開発したスカッドの亜種で、1,300kmの射程を持つと言われています。一方テポドンは1段目にノドンを使い、2段目にスカッドの弾体を結合して作った2段式弾道ミサイルで、射程も1,700km~2,200kmと見積もられています(射程および発射速度から中距離弾頭ミサイルとする記述もあります。が正直、どの数値が正しいという確証がないため、かなり曖昧な分類となっていることは確かなようです)。

 弾頭を搭載する2段目スカッド・ミサイルの弾体直径は0.9m弱で、弾頭を搭載するスペースが非常に小さく、核運搬兵器としては戦術ミサイルと呼ぶべき種類の物でしか在りません。
 同サイズのミサイルの弾体重量も最高で0.8tを下回り、最大重量を搭載すれば当然ながら最大射程まで飛ばすことはできず、目標距離を計算した搭載重量に低減させられることになります。

 核専用ミサイルとして新規設計するならともかく、化学・生物兵器弾をも搭載可能な柔軟性設計とするのが一般的な考え方であり、弾頭重量を500kgとした場合、そこに搭載される核弾頭は20~50kt程度と見積もることが出来ます。

▼弾頭の威力と被害予想に関する書籍やサイトを調べたのですが、詳しく述べている物を見つけられませんでした。

 現在、北朝鮮は20kt級核爆弾を7~8発製造可能なプルトニウムを抽出していると観られています。
 広島は投下されたLittle Boyは13kt(ウラン235)により20万人の犠牲者をだし、長崎もFatmanが22kt(プルトニウム)によりは7万4千人が数箇月の間に亡くなり、その後の調査で死亡者数が15万人にも達しました。平坦な広島に対して山間部による起伏が被害を減少させたのです。
 しかし、都会の場合、破壊された建造物が市街地を埋め尽くし、瓦礫と化した廃墟街を車輛で移動することは非常に困難であり、そのような地を人が歩くことも容易くはないでしょう。人口1200万(平日であれば都郊外からの近県から、多くの労働者が都心へと集まるため、被害想定人口はかなり高いと見るべきでしょう)の中心で核爆発が発生したシミュレーションをまだ目にしたことがないので解らないというのが本音です。

 ただ爆発後の死亡と放射能汚染による傷病認定が懸念されるかも知れませんが、他国からの攻撃であることを考慮するなら、政府も寛大に攻撃による疾病患者であることを認めるはずです。
 さらに大都市が核汚染に見舞われた場合、救援する側が対核防御服を身につけていなければ活動できないことです。日本ではこの手の状況対応能力が(ちいさな自衛隊部隊以外)ほとんどゼロであると言う事実です。つまり、救援したくても救援する側に被害が出るため救援活動が行なえず、放置された数日の間に助かる多くの命が失われるでしょう。

 個人的にはその数を500万~700万と見積もるのが妥当かと思っています。

■他サイトで同じような質問に答えているのですが、解りやすく新たなデータを追加したため長文となってしまいました。

 北朝鮮が保有する弾道ミサイルで、日本への発射が懸念される物にノドン2号とテポドン1号ミサイルがあります。
 ノドン2号は旧ソ連が開発したスカッドの亜種で、1,300kmの射程を持つと言われています。一方テポドンは1段目にノドンを使い、2段目にスカッドの弾体を結合して作った2段式弾道ミサイルで、射程も1,700km~2,200kmと見積もられています(射程および発射速度から中距離弾頭ミサイ...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む


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