プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

小学校で、音楽や図工や体育の時間があるのはなぜですか。
それらの時間を、国語や算数に費やせば、子供の学力低下を防止できるのではないでしょうか。

A 回答 (21件中11~20件)

学力の低下の問題についてですが…



塾と学校の問題は、すでに数十年前から問題になっていました。
それは将来の就職戦線を見越した受験戦争に端を発し、塾に通う児童
とそうでない児童の学力格差を招きました。
しかし、受験戦争の過熱は止まず、はては学校を休ませてまで家庭教師
や塾の授業を受けさせる、という親まで現れ、それではと学校側も
受験用の授業内容を採用し始めました。
結果、児童たちは閉塞感に苦しめられ、こんどは「ゆとり教育」が
叫ばれるようになり、授業数を減らしたり、教科書の内容の簡素化が
行われるようになったのです。

学力低下を招いたのは、他でもない、その場限りの対応ばかりしてきた
身勝手な社会と、他でもない親たちなのです。

単に、数学と国語の授業数を増やせばいいというものではありません。
教育制度を根本から見直さなければならないのです。
小学校は本来の機能を取り戻さなくてはなりません。
学校は塾ではないのです。子供に社会生活の基礎を学ばせ、情操を
豊かにさせる場所でもあるのです。

それと関連して、教員の質の低下も忘れてはなりません。
昔の小学校の教員は、本当に子供が好きな人が多かったものです。
今は、「成績の良い子しか可愛いと思えない」などと発言する教員
がいる始末です。たとえコマ数を増やしたところで、そんな先生の
授業に、誰が身を入れて取り組めるでしょうか。

学力の向上を含む教育の質の問題は、授業のコマ数を増やしただけで
は、解決をみるとは思えません。
    • good
    • 0

学力低下が騒がれているので質問者さんのお気持ちもわからなくはありません。



けれど小学校教育の本来の目的に立ち返った時、所謂数値で判断できる「学力」だけの向上を求める教育だけに偏るの良くないと思います。

子供に世の中のあらゆることの下地として色々なものに触れさせるのが目的です。
親が優れていれば全てのことを子供に教えることも可能かもしれませんが、誰にも苦手なもの、わからないことがあります。
子供には無限の可能性があり、世の中には色々な世界があることを
ほんの少しだけ見せるというのが目的です。
そこから興味を持ち学ぼうという姿勢を育てるのが学校教育の本来の目的ではないでしょうか。

私の子供の親ですから無駄に見える時間の使い方を感じないわけではありませんが、そういう時間を排除するのは良いとは思えません。
中学で掘り下げて学び、高校以上になれば自分の適性や興味を自覚でき自ら選択できるよう成長するための一過程だと思ってみてはいかがでしょう。
    • good
    • 0

それは、教育の目的が「人格の完成」を目指しているからです。

最近、改正?されましたが、第一条「教育の目的」では「教育は、人格の完成をめざし」と明記してあります。
つまり、読み書きそろばんの学力を充実させることが、教育の目的ではなく、人間としての全面的な成長(学力は無論ですが、肉体的な成長、芸術的な感性等々の充実)を目指すことが、学校教育の目的だから、なのです。是非はともかく、目的が違うから、としか言いようがありません。

私は、仕事柄、色々な国の学校の授業を実際に見ます。フロリダのある小学校では、図工(Art)の授業が年に4回しかありませんでした。先生は、もちろん非常勤講師で、図工室は無く、図書室の隅で授業をしていました。彼女に「日本は週に2時間、年間で70時間は図工の授業があるよ」と言ったら、ため息をついてうらやましがっていました。その学校では体育の授業も、日本の中休み・昼休みの代わりでした。

これはつまり、その学校を管轄する郡の教育委員会(アメリカは日本の文科省に当たるところはありません)の教育の目的が、「学力の充実」だからです。実際、その学校の正門には「私たちの学校は、郡の学力テストナンバー1」と表示されていました。
一般的にアメリカの学校は、そういう傾向が強いですね。だから、HighSchoolの学生でも、描く絵は稚拙です。日本で言えば、小学校高学年程度の技術しか有りません。もちろん、これは一般論ですよ。

どちらが良いか、というのは議論のあるところでしょう。ただ、失業対策(笑)というのはあり得ません。
    • good
    • 0

国語や算数の時間が増えたからといって何かいいことはありますか?もし、それで子供たちの“学力”が向上しても、それは子供にとっていいことではありません。

子供が望んでいることをきちんと理解してあげてください。
あなたは、小学校でやった音楽・図工・体育の思い出は何もありませんか?きっとあるはずです。「今の子供」はあなたの時代と何も変わっていません。なら、あなたの時代と同じことをしていく必要があるのではないですか?
学力ばかりが身についても豊かな人間にはなれません。しっかりと生きていくには、楽しい人生を歩むためには、様々な経験や様々な能力が必要なのです。
    • good
    • 0

子供には、ありとあらゆる可能性が備わっています。


ひょっとしたら、それは将来、画家や彫刻家、あるいは建築家や、
歌手、指揮者になる可能性かもしれません。

かの天才、イチローでさえ、野球と出会わなければただの人です。
彼が野球選手を目指したきっかけがどこにあったのかは不明にして
存じませんが、あるいはそうしたきっかけが、小学校の授業の一こま
にあるかもしれません。

「先生に褒められたのが嬉しくて」、「授業で聞いたあの音楽が
忘れられ無くて」、あるいはただ、「自分がその授業が大好きな
ことに気がついて」、将来を考える子供、自分の中の才能に気づく
子供もいることでしょう。

貴方は、そうした機会の芽を摘んでもいいとお考えでしょうか?

最近言われる「学力の低下」は、何も授業のコマ数だけの問題では
ありません。授業の内容、教員の質、さらには目先の都合だけで
二転、三転してきた教育システムの問題が、まとめて噴出して
来たに過ぎないのです。

それらを考えもせず、解決もせずに、「身勝手な大人の都合」のまま、
今度は子供の可能性を開くきっかけさえ奪おうとするのは、あまりにも
理不尽だと言わざるを得ない、と私は考えます。
    • good
    • 0

質問者様の考え方は間違っています。


その一言しか言えません。
    • good
    • 0

小学校で学習することは、


生きるための基礎を学ぶとお考えください。

体育は主に運動能力を育てるものですが、
それだけではありません。
神経系の発達は10歳前後がピークと言われています。
体を動かす基本動作(手足を動かすこと、歩く、走る、投げる、取る、跳ぶ、避けるなど)は、
この年齢でなければ獲得できません。
反射神経を養うことでもあります。

手足を動かすことで、脳の働きを活性化させることも出来ます。
体育はこういう動作を獲得できるように構成されています。
(中学校以上は筋力や持久力を獲得できるように構成されています)
また体が健康に発達するためには、体に刺激が無いといけません。
(何人の方が書いていらっしゃいますが、
 反射神経の鈍い方は、けがや事故に遭いやすいです。
 また、体力が無ければ病気にかかりやすいのも確かなことです。
 つまり、自分の体を守るためでもあります。)
大人の運動と子どもの運動では目的が根本的に違うのです。

図工は空間認知と想像(創造)力、物の構成を見る力、
そして芸術を楽しむ心を養います。
算数は計算ばかりしているように思われがちですが、
学年が進むごとに、問題を解く上で、ひらめきや想像力が必要になってきます。
この傾向は中学校以降だと、さらに顕著ではないでしょうか。
この発想力は、算数だけやっていて、つくものではありません。
空間認知は体育とも関わってきますが、
この力が弱いと、空間図形の問題や、3次元のグラフなどの問題は解けません。

音楽も、突き詰めると非常に数学的なのですよ。
(バッハなど、典型ですね。)
音楽も楽しむ心も学ぶでしょうが、
曲の情景などを思い浮かべるなど、こちらも想像力が必要です。

こんな感じで、教科はお互いに影響しあっているのもなのです。
また、これから生活して行く上で、最低限必要なことを学んでいます。
読み書き計算だけやっていれば、学力が向上するかと言うと、
そうでないことをご理解ください。
    • good
    • 0

小学校の先生は担任がすべての授業を担当します。

音楽や体育専門の先生はいませんので失業対策にはなりません。
さて、ご自分にはお子さんはいらっしゃいますか?いたとして、子供にはどのように育って欲しいでしょうか。どのような教育をされたいでしょうか。
早く正確に読み書きができる、計算が出来る、多くの知識を持っている。それは大切なことだと思いますが、人を思いやる気持ちや社会の一員として協調性を持たせる、善悪を知る、判断できる、喜怒哀楽の感情を知り、人とコミュニケーションできる、そんな人としての基本と呼べるようなことをきちんと学ぶことはもっと大切なことだとは思いませんか。
感情豊かな心を育んだり、生きてゆく上で大切な体を鍛えたり、またそういった活動の中で助け合うことや交流を深めたり。そんな人としての基本を見につけるためにもこうした授業は必要です。
本当に学力低下が心配なら、算数や国語や英語を学ばせたいのであれば放課後に塾に通わせればいいことではないでしょうか。人の価値観はさまざまです。放課後にスイミングスクールやピアノの塾に通わせたりスポーツ少年団に入れたり、絵画展に積極的に連れてゆく親もいます。自分の子供を芸術家やスポーツの選手にしたいと思って行かせているわけではありません。
学力は後でも補えますが感情や心、運動バランスなどは成長期に身についたものが一生影響します。小学生にはこちらのほうが大切であると思います。
    • good
    • 1

一言でいえば「子供の将来」という事ではないでしょうか


音楽、図工、体育をなくして他の教科へ時間をまわせば学力の低下は防止できるはずです。
しかし、それだけあれば大人になって本当に生きていけるとは言えない筈です。
例えば体育を無くした場合、子供達の身体能力は向上しません。体育は単純な身体能力の向上もですが、
反射神経や判断力を養う意味を持っています。反射神経や判断能力が鈍くなるとちょっとした事でも怪我をしたりするようになるでしょう。
すぐに怪我をしたり病気になる人を組織が正規雇用するでしょうか?
そういった「理屈」ではない部分も将来にわたって問題となる事があると思います。

子供が学校に通う期間は人生の中で考えると短い期間ですが濃度でいえば大人の30年に値する期間です。
子供の期間だからこそ、もそれらの教科を行う意味はあると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

今、音楽や図工や体育という科目が、既成事実として存在するから、皆がそれらを必要と思っていますが、
もし最初から無かったとしたら、教育関係者は、音楽や図工や体育という「新科目」を新たに作ろうとするでしょうか。

ご回答は大変参考になりました。

お礼日時:2007/04/08 10:24

建前はさておき、一番の理由は、失業対策です。



考えて見てください。音楽、図工、体育を廃止したら、
その免許で先生として雇用されている教師はどうなるのでしょうか?
クビですか?
教科が廃止になれば、教育大学でその教科の教授達はどうするのですか?
クビですか?

教科の廃止は、先生達のクビに直結します。
だから、学校現場はもちろん、教育大学の先生達も、こぞって反対します。

理由は、どうとでも付きます。

この回答への補足

もし、失業対策が主な理由だとしたら、
最初に教育制度が出来たときから音楽、図工、体育がなかったら、そういう問題は起きなかったわけですね。
もちろん今となっては、どうしようもないわけですが。

補足日時:2007/04/08 08:20
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答を大変ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2007/04/08 08:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!