プロが教えるわが家の防犯対策術!

映画 パッチギの1を見ました。
(1)映画の中で 朝鮮のかたを日本人が無理に日本へ連れ帰り 生駒のトンネルを掘らせたり 国会議事堂の石を掘らせたり ヤクザに朝鮮人の管理をさせたり 食事も十分に取れなかったような ニュアンスのことが表現されていました。

台詞の中に お前ら日本のガキどもはなんも知らんと とありました。
私も知りませんでした。

(2)また 南北分断は朝鮮人同士の南北戦争によるものと理解しているのですが違うのでしょうか?だれが 38度線を引いたのでしょうか?

この映画をみて 今まで気にもしていなかった問題に興味を持ちました。(1)と(2)について どなたか教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

こういう質問があると本当に悲しくなりますね。

質問者に責はないですが、日本の学校で教えないからこういったことを生むわけです。
学校では徴用と習ったかと思います。賃金なしで不眠不休で働かされ怪我したり病気になって働けないと判断されたら病院にも行かせずそのまま放置されたり、殺されたりしました。戦後もこの強制連行は従軍慰安婦問題と並んで各地で訴訟が起きています。質問者もこの機会に、ドラマやバラエティだけでなく毎日のニュースや新聞も読まれることを望みます。貼ったリンクはちょっとしか情報がありませんが、強制連行と検索すれば情報はたくさん出てきます。日本の愚行・残忍さをしっかり教える中国や韓国に対して教えようとしない日本政府。反日感情が根強く続くわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%88%B6% …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。
少しづつ勉強しようと思います。

お礼日時:2007/06/05 23:28

no.1です。

38度線のこと忘れました。
日本が植民地にしてた朝鮮を戦後ソ連とアメリカが一時的に南北に領有したわけです。朝鮮のひとからみれば日本が植民地にしなければ南北分断・朝鮮戦争は起きなかったと考えているので、日本に対する憎しみははかりしれないわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/38%E5%BA%A6%E7%B7%9A
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですか。
お互い譲り合い 話し合い 許しあえればいいのにって思います。

>日本に対する憎しみははかりしれないわけです

悲しいですね。

お礼日時:2007/06/05 23:30

パッチギはちゃんと歴史を勉強していない井筒監督が、韓国・朝鮮の反日分子や朝日(ちょうにち)新聞の言うことを鵜呑みにして作った反日映画です。

 見てはいませんが、2はもっとひどいそうです。 戦前、戦中に日本に来た朝鮮人は殆ど自分の意思で金儲けのために来ました。 但し、日本での朝鮮人差別は厳然としてあった故、日本人より過酷な労働を強いられたりしたことは確かにあったでしょう。 でも、強制的につれて来られたと言うのは史実に反します。 また、朝鮮戦争はソ連(後に中共も加担)と米国の代理戦争です。 戦勝国同士で、日本が退去して自立できない朝鮮での覇権を争ったものです。 日本の支配が続いていれば、朝鮮半島が南北に分断されるような悲劇はおこりませんでした。 
    • good
    • 1
この回答へのお礼

真実を学ばなくてはいけませんね。正しい情報の入手を考えます。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/05 23:33

ちなみにですが, 昔学校の先生に「なんで 38度なの」と聞いたことがあります.


そのときの答えは「その辺で気候が変わる」だったと記憶しています.
日本も基本的に津軽海峡あたりで気候が変わるんですが, アメリカが (北海道の支配権を求めた) ソ連の要求を蹴ったので日本はずっと 1つのまま.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アメリカさん よくぞソ連の要求を蹴ってくださった。
でも まだいくつかの島は還ってきていませんが・・・。

ありがとうございました

お礼日時:2007/06/05 23:35

《在日朝鮮人について》


1. 戦前の日本では、多くの朝鮮人が鉱山や工場で働き、あるいはゴミ集めや土方などのダーティーワークに従事していました。

2. これは、朝鮮にいるより日本でそういった日本人がやりたがらない仕事をやる方がカネになるため、朝鮮人が日本に渡ってきたためです。日本の内政を司る内務省は「朝鮮人の内地移入を抑制する立場」、朝鮮を統治する朝鮮総督府は「朝鮮人の内地移入を促進する立場」で常に対立していました。戦前を通じて、多数の朝鮮人が日本への渡航を希望していたというのが実情です。

3. 上記とは別に、朝鮮半島から日本への密航は決して難しくありませんので、そうした方法での非合法の移住も多かったようです。例えば、しばらく前の映画「血と骨」
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2 …
の主人公は、そうした形で昭和初期に日本に渡り、戦後に富裕な在日朝鮮人になったようです。この映画と原作小説は実話に基づいているようです。

4. 昭和20年8月15日の後、日本政府は戦争を生き残った僅かなフネを動員して日本にいた朝鮮人を朝鮮へ送還しました。その中で、連合軍が日本近海にばら撒いた機雷によって朝鮮人を満載したフネが沈む「浮島丸事件」が起きています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E5%B3%B6% …
戦争中に、アメリカのB29が日本の港湾や航路に精巧な機雷をばら撒き、日本の技術ではこれを除去することができず、日本の船舶が機雷によって多数沈み、海上交通が麻痺していました。浮島丸事件はその中の一つですが、韓国では「日本が謀略で浮島丸を沈めた」と考える人もいるようです。

5. 下記URLで、昭和34年7月13日の朝日新聞の記事が紹介されています。
http://www.asahicom.com/anotoki/zai.htm
昭和20年8月以降、日本政府が朝鮮人140万人を送還したこと、昭和34年段階で日本政府の把握で61万人いる在日朝鮮人は、そのほぼ全員が「自由意志で日本に渡航し残留した者」であることが報道されています。

6. 戦後、韓国は長い間「世界の最貧国」でした。1960年ごろに韓国を訪問した日本の大学生が帰国後に雑誌に手記を寄せ「韓国の発展は21世紀の課題だろう」と書いたというエピソードがあるくらいです。
その時代、特に朝鮮戦争の戦禍で韓国が荒廃を極めていた頃、韓国から日本に密航し、現在は在日朝鮮韓国人になっている者も相当数いるようです。これについては、「密航が成功した結果」ですから、どのくらいの人数がいたのかは永久に不明です。

《38度線について》
「38度線」は、「それより北はソ連が占領、それより南はアメリカが占領する」という、戦勝国による取り決めです。1945年2月のヤルタ会談で、アメリカとソ連が取り決めたもので、日本は全く関与していません。なお、38度線で分けると、開城市が南側に属することになります。実際、朝鮮戦争の前は開城市は南朝鮮領でした。

朝鮮戦争の最終段階で、朝鮮半島の西側では戦線が38度線の南、東側では38度線の北で固定したので、現在のような「38度線に対して斜めの国境」になり、開城市は北朝鮮領となっています。

日本と韓国・朝鮮の歴史について正確なことを知るための文献として下記をお勧めします。

韓国・北朝鮮の嘘を見破る 近現代史の争点30 文春新書
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31759412
在日・強制連行の神話 文春新書
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31388625
    • good
    • 1
この回答へのお礼

大変解りやすい回答ありがとうございます。
血と骨 見ました。確かに一攫千金を胸に密航していたシーンありました。

URL大変参考になります。自分なりに調べてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/05 23:38

強制連行には反証が多く、直接国や軍が係わった例もほとんど無いようで、誇張と断定されてもやむを得ないでしょう。

(虚妄とまで言い切るとそれは単なる主観であり朝鮮側の主観とどっこいどっこいだと思いますが)そもそもそこまでしなくても重労働を求めるカモが次から次にやってきたというのが事実らしいです。
一方で強制労働の事実はかなりあったようです。
貧国からの労働者を騙して酷使する悪徳業者は今でもいますから、当時いなかったはずもありません。
詐欺まがいの貸金でカタにはめてタコ部屋にたたき売る、というよくある手口に大勢の朝鮮人が引っかかったそうです。
もっとも、これらの悪徳業者の主なクライアントは、基幹産業である石炭産業など国と密接につながりのある財閥系大手でしたし、国家総動員で労働力が貴重な時代なので、役所や軍も黙認していました。
ただ、これらの後ろめたい事実も証拠が乏しく、被害者側が挙証責任を持つ民事訴訟でこれらを立証するのは難しいようです。
国としては民間が勝手にやったことだとしていますし、法的にもこれはおそらく正しい見解です。
(まったく余談ですが、近年の日本では、年金行政など政府が法令に基づき行った怠慢には道義的責任を叫びつつ戦前の制度的欠陥や行政の不作為ないし暗黙的作為による人権侵害にたいする道義的責任は法論を盾に否定するという態度に羞恥心を覚えるような人は少ないようです)
ちなみに、私の故郷は炭坑町で、両親ともに戦中の炭坑時代のことをよく憶えていますが、当時のいわゆるタコ部屋の住人はほとんどが朝鮮人で、毎朝鎖に繋がれて現場へ行く彼らの姿については戦後厳しく箝口令が布かれたそうです。(むろん戦後体制で正式な軍令なり政令があるはずもありませんので日本人らしい暗黙の自主規制が強かったかも知れません)
また鉱山会社の事務員だった父の知人は軍属(これも当時の状況では曖昧な身分です)の指示で大量の労務関係帳簿を焼却させられたり、死体捨て場から骨を拾い集めて無縁塚を造らされたりしたそうです。
しかし、これらは多数の人間が認めない限りは単なる噂であり、どれも記録には残っていません(そりゃあ残すはずありません)から、あとは生き証人さえ死んでしまえばいくらでも否定することが可能です。
戦争の禍根とは、いつの時代、どこの国でもこのような経過で埋められてゆくものです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

実体験からの回答 大変興味深く拝見しました。
みなさまのご意見を見ていると 解釈の違いなどが明白で デリケートな問題だけに もっと意見を聞きたいのですが 締め切ろうと思います。もし 嫌な 辛い思いをなさったかたがいらしたらごめんなさい。
あとは 自分で調べます。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/05 23:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!