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こんにちは。
最近、自分が他人に対して感謝の気持ちというものを持っていないことに気がつきました。
感謝の気持ちを持ちたいと思っているのですが、でもどうやって持てばいいのかわかりません。そもそも感謝の気持ちとは何なのか、理性なのか、感情なのかと疑問に思っています。
今まで僕は、「自分は他人に対して感謝の気持ちを持っている」と自分に思い込ませて、他人に対して「ありがとう」と言ってきた気がします。
今まで、みんなにありがとう、と言っていたのも、他人から美化されるために言ってきた気がします。ありがとうと言えば、立派な人間であると認められる、そのために言ってきた様な気がします。
どうすれば他人に感謝の気持ちを持てるようになれるのでしょうか?
そもそも、この感謝の気持ちを持ちたい、という理由こそ、他人から美化されるためなのではないかと思って不安になります。考えすぎでしょうか?
これと関係があるのかわからないのですが、現在統合失調症と神経症を持っていて、2年ほど前から病院に通って治療を続けています。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

あなたはあなたのままで大丈夫です。


たとえ心がこもっているのかどうなのかわからないとしても、
「ありがとう」と口に出していうことで大丈夫ですよ。
それが感謝しているということなんです。

「自分に思い込ませて・・・」でもOKですよ。

今のままでOKなんです。
みんなあなたのことを受け入れてくれていますよ。
安心して、「ありがとう」とこれからも言ってみましょう。

カタチから入ることも大切ですよ。
心がこもっていなくても、カタチがなければ心はもっとこもりません。
相手にはもっと伝わりません。
だからカタチだけでもいいんですよ。
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これはまさに、宗教にはまる人が統合失調や幻聴になるのと同じ原理です。


感謝というのは感情ですから、能動的に湧きたたせるものではなく、自然に感謝したい気持ちになることが「感謝」なのです。
なのに多くの宗教では「感謝しましょう」という教えをしており、信者は「感謝するのがいいこと」と思い込み、自分は「感謝出来ている」と勘違いしてしまうのです。それは本当の自分に嘘をついているわけで、そのギャップが幻聴などの精神症状となって出てくるのです。
感謝しなければならないというのは強迫です。人間は感謝や慈愛などのポジティブな感情だけで出来ているのではありません。怒りや恨みや妬み、悲しみ、苦しみといったネガティブな感情をもっと自分自身で認めることによって、自分の本当の姿とのギャップがなくなります。その時嘘ではない感謝の気持ちが湧いてくるものです。
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・断食したら食事への感謝を実感します。


・息をころしたら空気への感謝がわきます。
・我々は生かされていることに気付けば生に感謝します。
あたりまえと思っているところに感謝はないです。なにかヒントになれば。
御参考まで。
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こんにちは


 私は「感謝の気持ち」とは一番身近な、「誰か」から「何か」を「感じる」心だと思っています。ほんの些細な事に「気がつく」こと、人の心を「見よう」とすること。そこには、幼少時からの生育歴が大きく関わり、成長過程でのその人本人の努力や成長の結果だともいえるでしょう。sugar_ray_2005さんの文を拝見する限り、とても良心にあふれ、それゆえ自分を苦しめている・・・そんな感じがいたしました。決して偽善な人ではないと・・・。
>感謝の気持ちとは何なのか、理性なのか、感情なのかと疑問に思っています。
この質問にお答えするとすれば、その答えは「理性であり感情でありその両方」でしょう。

 いまは、感情・本心から感謝が述べられないとしても、理性で感謝を述べればいいのです。その言葉が、相手を助け、高め、そしてそれがsugar_ray_2005さん貴方自身を助け、救ってくれることになるはずです。

 そしてできることなら、貴方自身が小さな行動を起こして「ありがとう」とだれかにいってもらう事です。固くしまった結び目は、すぐにはパラりと解けないかもしれませんが、貴方のような真摯な心の持ち主であれば次第に結び目はゆるみ、ほどけ、視界がひらけると思います。

おそらく、
>感謝の気持ちとは何なのか
 と、いま苦しまれている根本には、感謝の気持ちそのものがわからないというよりは、こころが「疲れ」ていて、何かを「感じる心が休憩中」ということは考えられないだろうか?と感じました。

>この感謝の気持ちを持ちたい、という理由こそ、他人から美化されるためなのではないかと思って不安になります。考えすぎでしょうか?
 考えすぎです!全くそんなことはありません。感謝の気持ちとは本来発した人のためではなく、それを受けた人のために作用する言葉だからです。ですから、心配しないで感謝の言葉を述べてください。飽く事なく。相手のために。
そして未来の、今現在の、あなた自身のために・・・。
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感謝に気持ちは持つものではなく,自分が感じるものではないかと


思います。

自分が感謝の気持ちを感じたからありがとうと言う。
ありがとうと言われた本人がどう感じるかは考える必要はないでしょう。
また、必ずしも言葉にしなくてもいいと思います。
自分がそういう気持ちを感じられたことを喜ぶことです。
そうすればその気持ちは外にきっと現れているはずです。

何かをしてもらったから感謝すると思ってしまうと,何かをしてもら
わなければ感謝しなくてもいいことになってしまいます。
でも,何もしてもらわなくてもたまたま一緒にいられたことを
よかったと思えるこだってあると思えるのです。
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他人に何かしてもらったりして、「あー、この人がいてよかったなぁ」と思う気持ちが感謝の気持ちの正体ではないかと思います。


それを相手に伝える言葉が「ありがとう」だと思います。あなたのお陰です、ということを伝えるための言葉だと思います。
だから、感謝の気持ちは感情であり、それを表すために「ありがとう」と言うのは理性の部分なのではと思います。つながっているけれど、別のもののようにも思えます。

逆に言うと、他人に何かしてもらったりしたときに、「この人はここにいて当然で、してもらって当然」と思ってしまえば、それは感謝の気持ちがない、という状態なのかな、と思います。それでも口先だけで「ありがとう」ということはできるでしょう。

感謝の気持ち、普段は忘れてしまっていることが多いと思います。それを、持ちたい、と思った時点で、質問者さんは周りの人に感謝の気持ちを持っているのでは、と私は思います。
専門家でもなんでもないのですが、参考になれば幸いです。
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