あなたの習慣について教えてください!!

 夕べskypeで韓国の方と知り合ってしばらく話したのですが、なんでも日本の皇室や文化の根は百済にあったというのです。百済は4世紀頃から半島南部にあった国で特に皇室の起源は半島南部にあると日本書紀にも記録が残っていると彼女は言って聞かないのですが、そういう話にはとんと思い当たる節がありません。その根拠は韓国のテレビの放送内容なんだそうですが、韓国では嘘を放送しているのか、あるいは本当に日本の文化は半島にすべての起源があって私が知らないだけなのか、ご存じの方お教えください。
 できればどういった文献を読めば状況がはっきりするのか詳しい方教えてください。お願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

圧倒的な経済力を持っている中国本土から、海を隔てていた日本は7世紀ころに、勝手にいろいろやり出した。


地続きの朝鮮半島はなかなか、勝手にやることも出来なかった。
んじゃ、勝手にやる前はどうだったのよ?日本や韓国は。
どこが国境とか、どこが親戚づきあいしていたか?
現在の中国東北部から、朝鮮半島、日本列島、そしてロシア沿海州も含めて、なんとなーく 隣の集団とは婚姻関係があるような グラデーションの世界だったと思いますよ。そのグラデーションの中に 古代百済があり、古代日本があり 古代蝦夷があり、古代隼人があり、古代高句麗があり って感じであって、ちょうど古代のゲルマン民族がその時その時の有力者の元に 集合離散していたようなモンだと思います。
フン族のアッティラが強大な軍事力を持っていたのは、まわりのゲルマン達が合力していたからですし。その中では「おいらは サクソン人、のちのち 半分はイギリスに行くんだぜ」とか思っているヤツはいないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。日本も朝鮮も独自の民族文化といえるものが見えるのは7世紀後半からのようで、そのまえの文化や人的な交流を根拠にして立場を決定づけるような言動は意味がないとも思えます。ただもしなんらかの史実が明確になりそれが客観的な事実であれば当然歴史として認める態度は必要でしょうね。仁徳陵をあけないのは朝鮮系であることがばれるからだ、との言いがかりのような言い方には日本人として腹が立ちますが・・・ご回答感謝します。

お礼日時:2008/03/29 01:24

半島南部自体が、日本だったとしたら?


倭が半島南部に勢力を築いていたのは
完全に間違いないことですから
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。おそらく列島半島双方に今のような明確に分離した民族主義があったのではないと思われます。双方に支配地を持つ豪族もいたのかも知れません。その地方政権が日本に属するのか朝鮮に属するのかいくら論じてみても無意味なのでしょう。

お礼日時:2008/05/15 17:01

 日本人はDNA鑑定で、その7~8割が渡来人であることが判っています。

縄文人と渡来人の混血ですね。(縄文人も元を正せば大陸から渡ってきた人々だから渡来人とはいえますが)
 しかしだから日本人が朝鮮民族の子孫であるかと言われるとそれは違うでしょう。
 というのは、三国志(この中にいわゆる魏志倭人伝があるのですが)の東夷伝を読むと、3世紀の半島の様子がわかりますが、この時代朝鮮民族は満州や北朝鮮のほうに住んでいて、南には倭がありました。そしてこの倭人が朝鮮半島南部と日本列島西半分に住んでいたのですね。
 この時代、百済という国はなく百済のあたりは馬韓という50数ヶ国の小国に分かれた地帯でした。百済は満州の扶余国から高句麗が分離し、さらに高句麗の王子が南にきて建国した国とされます。
 ちなみに中国の史書によると、百済は支配階級と被支配階級で言葉が違ったそうです。言葉が違うというのは民族が違うということですね。
 要するに、日本人のルーツは半島にあるが、当時はそれは朝鮮半島と言うよりも「倭」半島というべきであり、当時の朝鮮民族は満州民族であったと言うことです。
 そして大体7世紀頃に日本は半島から撤退し、日本列島のみに住むようになりました。ちなみに百済は7世紀に滅亡し、日本に大量の亡命者が来ています。
 もちろん隣の民族として影響はいろいろあって当然ですが、それを過大に考えるのは間違いでしょう。倭人は半島にいた頃から倭人だったと思いますよ。
 こういう民族移動は世界中であったことです。ゲルマン民族大移動が有名ですが。日本人が日本だけに住んでいたとか、朝鮮民族が昔から朝鮮半島の主人だったとは考えない方がいいと思えます。
 ただ、昔は朝鮮半島南部は日本だったなどと韓国人に言うと、大げんかになる危険がありますから、言わない方がよろしいかとは思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

われわれ日本人はこの列島の上にずっと住み変わらぬ同一の民族が結集して作ってきた国が日本だという意識がありますが、考えてみるとこれは世界でも希有のことで同じように地誌と民族史が一致してきた民族や地域はまずないと考えなくてはいけないと思います。半島では新羅以降はたぶん文化の連続性はあるのでしょうが、百済や高句麗となると断絶しているのかも知れません。シジツウショウ(漢字がわかりませんが)ろいう史書にはそう書いてあるそうです。例の東北工程でぴりぴりしている時期でしょうからあまり詳しくは言わない方がいいのかも知れませんが。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 01:42

大和朝廷の中での渡来系の豪族の割合の多さから考えると、皇室の起源が朝鮮半島にあったであろうことは、容易に想像できます。

今の時代(有能な技術者は国境を越えて求められますね。日本のIT企業にもインド人技術者は多いですし)ならさておき、5,6世紀頃の日本で、その中央政権が渡来系じゃないのに、あれだけの技術者が渡ってきてその周辺を固めたとしたら、それはかえって不自然でしょう。むしろ、渡来系の征服王朝と考えた方がすっきりします。
まあそれはさておき、私は、起源の問題はそんなにたいした問題ではないと考えます。むしろ、そのあとに、日本と韓国が、お互いに、これだけ豊かな文化を育み現代まで伝えてきたかという、そのことの方が大事でしょうから。
日本と韓国の文化的な類似点や相違点に関しては、「列島と半島の社会史(網野善彦・川村湊/作品社)」という対談形式のわかりやすい本がありますね。少し古い本ですので、今、手に入るものかどうかはわかりませんが。ナショナリズムとは離れて、真に学問的な立場から公平に古代における日本と朝鮮半島との交流史を扱った好著も多いですので、そちらを調べてみられるのがいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

朝廷としての権威が確立した時代ですがある程度の人口が日本にはあり、それ以前にも中国揚子江中流域や南方系、北方系の多くの人たちがそれぞれの文化とともにこの地にわたってきているのは確かなようで、朝鮮だけの影響を特別視する必要はない、と私は思っています。ただしこれはあくまで私見でして、文字が残して記録がない以上固有名詞まで交えた物語は学問としての歴史の中には入ってこないと考えます。一次資料として資格のあるのは日本書紀や魏志東夷伝などでしょうがそれにしても数百年もの間の出来事の口伝筆記ですしある権威が要求する事柄だけを伝えているでしょうから注意深く東アジアの周辺の歴史書と読み合わせをする必要があるでしょう。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 01:33

 桓武天皇の歳暮の件など、歴史的に一部、そういう事実があったことは確かです。


 韓国人にとって、色々教えてやった(前述の一部事実を針小棒大な解釈して)のに、埋めようのない現在までの経済力の差など、ライバルの日本は強力で、戦争でも何でも、一度も勝ったことのない日本(人)が理屈ぬきで憎くてたまらない。その気持ち分かります。理解してあげましょう。
 私のソウル駐在時代の経験ですが、88年ソウルオリンピックの前のアジア大会で獲得した金メダルの数が、日本のそれを上回ったとき、「泣いて喜んだ」インテリ韓国人(友人)がいました。しみじみ「何でもいいから何かで日本に勝ちたかった・・・」。別の機会にソウル駅前にある李瞬臣将軍の銅像前で「秀吉の水軍を破った韓国で一番尊敬されている歴史上の人物」との話も熱を込めて語っていました。
 この友人の言葉は、韓国人の日本人に対する「劣等感の裏返し?」と理解して、今でも強く印象に残っています。
 すべてを肯定するつもりはありませんが、彼ら(韓国人)の心情も理解してあげましょう。すべてに優位に立つ(?)日本人としては謙虚に、おおらかでありたいものです。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

戦前朝鮮史は国史の一部でしたから日本敗戦による反動があるのは覚悟しておかなければなりません。しかし何より歴史や学問において中立性や客観性は何よりも大事ですので、きちんとした史実により自分たちの足下を固めておかなければ彼らとおなじ事になります。調べてみると放送や新聞記事で韓国では堂々と嘘が流されるのも事実のようで、その点ではあきれるしかありませんが、そういう嘘に直面したときに同じように感情的な態度をとるのは愚かなことかと思います。心情を理解するように努力するのは当然のこととしてもわれわれを優位たらしめている知性をとぎすましておくことも大事にしたいものです。ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 01:19

少々きつい言い方になるかもしれません。



ANo.3さんの仰るとおり、あらゆる物の起源を韓国だと主張したがります。剣道や柔道、果てはドラえもんさえも…。
確かに日本文化は歴代中国王朝の影響を多分に受けています。しかしながら、朝鮮はその文化の通り道にすぎません。
日韓併合まで朝鮮半島は、中国からみれば万年属国扱いでした。そこに日本敗戦により、初めて独立国家になったのですが、振り返っても誇れる独自の文化が決して多くなく(勿論、チマチョゴリやテコンドーなど素晴らしい文化は幾つもあります)、民族としての自尊心を保つため、国家をあげて様々な文化や歴史を捏造してきました。

お知り合いになった韓国の方も、決してそのような意図はなく、そう信じ込まされているのです。日本国民も例外ではありません。自国のことをもっと知るべきです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おっしゃる通りかと思います。日本や半島で人類が発生した証拠はないのでみなどこからかやってきているのは事実です。それに確かに私の知る限り漢(韓?)方や孔子の出自、漢字の起源、活字印刷の起源、飛行機の原理の発見、剣道の起源や桜の起源、イカとっくりや、ねぶた祭り、勾玉、茶道、アニメやお菓子、イチゴなどの園芸作物に至るまで広い範囲で半島の皆さんは起源を主張されているようですが、彼らに腹を立ててもしかたないような気もします。オーム真理教の信者を説得するような無力感があります。われわれ自身がアイデンティティを守らなければ文化はいずれ奪われるでしょうが客観性や中立性に基づいた議論をするためにも正確な知識や相手の話をじっくり聞いておだやかに説得する態度は必要でしょう。(実は私は内心悲観してますが。)
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 01:12

文明の伝播と言う事を考えれば、起源は上流側にあるというのは事実でしょうね。


元々中国の史記で「倭」と言う劣悪な意味の字を当てられている地方ですから、中華思想から見れば野蛮国な訳ですが、朝鮮半島の様に陸続きでなかったので、生意気にも何度も中国に戦いを挑む国でもあったのですね。
地域的な配置を考えれば、現英国王朝が元々仏国のノルマンジー公であったように、朝鮮半島の一勢力の版図が日本列島にあったと言うほうが合理的な気はします。
何れにせよ英仏の問題ほど学問的には明確ではありませんし、英仏間でそれをもって仏が英を見下している訳でもありません。
日本の史記にはかなり朝鮮半島の逸話の剽窃があったりする事は事実ですが、日本の起源はユダヤと言う説があったりする訳ですから、「それがどうした」と言うレベルの話でしかないと思いますが・・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

われわれはずっと日本列島に住んで一つの国家を構成してきた意識の元に「日本」に結集していますが、大陸では地域の歴史や民族の歴史が別々に進行するのが普通だと思います。記録を読む限り百済や高句麗を作った人々はちりぢりになっていますし、別の政治勢力が入り込んで定着しふたたびその後に国家を作っています。そういった大陸や半島の流動的な歴史と日本との接点とはどんなものだったか、正確にはわかりませんが、9世紀以降は特に日本は半島とは意識的に距離を置いたふしも見えます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 01:03

#2さんの仰る通り、逆説の日本史をお勧めいたします。


ですが、こんなサイトもあります。
http://homepage3.nifty.com/osuzume/izawa/
両方併せて参考として下さい。

 

参考URL:http://homepage3.nifty.com/osuzume/izawa/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

一般的にこういう歴史を扱う学問の世界ではある主張が展開されればそれに対抗するように批判が起こるのは至極健全なことなのでしょう。残念ながら主張のベースとなる歴史認識において知識が不足しておりますので主体的に参加できないのはつまらないことではありますが。ご回答に感謝します。

お礼日時:2008/03/29 00:57

あまり関わり合いにならない方がいいとは言っておきますが、この辺が参考になるかも。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD% …

とかく韓国の人は「筋の通らない証拠」をもって、あらゆる物の起源を韓国だと主張する傾向があります。日本の全ての文化は韓国起源だと主張していますし、つい先日も中国の七夕や孔子などを韓国起源だと主張して国際問題になりかけたこともありましたね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

戦後朝鮮戦争や軍事独裁政権を経てはじめて経済的な豊かさを得、はじめて彼らが民族主義を主張できる立場になって自らの文化の根について自尊心をもったからなのでしょう。それに対して遙かに先輩であるわれわれ日本人が独自の民族主義で対応するのは大人げないと思うし、明らかにおかしい主張に関しては客観的論点で指摘する必要があると思います。むろん彼らに限らず頑迷な方も多いでしょうが、それは無視するしかないでしょう。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 00:53

>できればどういった文献を読めば状況がはっきりするのか詳しい方教えてください。

お願いします。

この問題については、井沢元彦著「逆説の日本史・第一巻」をお読みになれば疑問が氷解するでしょう。同書は日本古代史の本ですが、歴史の考察をする中で日韓の意識の違いに関して述べた部分があり、この部分が質問者さんの疑問にそのまま答えてくれる内容となっています。ぜひともご一読をお勧めいたします。

参考URL 井沢元彦著「逆説の日本史・第一巻」
http://www.amazon.co.jp/%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

逆転の日本史、ご紹介ありがとうございました。昔読んだことがあるのですがベースになる歴史認識が当方に不足しているせいか読み物としては楽しめましたが精読のレベルまでは至っておりません。勉強して読み下せるようになりたいと思います。

お礼日時:2008/03/29 00:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報