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ソナム・ギャツォが、アルタンハーンからダライラマの称号を得たときの話ですが、なぜ初めが三世だったんですか?

一世・二世の称号は、すでに亡くなっている人に与えられたそうですがそれはなぜですか?

A 回答 (3件)

ダライ・ラマ法王制度は世襲制でもなければ、選挙で選ばれるわけでもなく、先代の没後、次の生まれ変わり(化身)を探す「輪廻転生制度」であります。


ソナムギャムツォはゲルク派の転生譜では三代めの高僧となっています。
ゆえに三代目の ソナムギャムツォがダライ・ラマの称号を貰ったときに自らは三世、一世はゲンドゥンドゥプと考えたのでしょう。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/spr …
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いろんな宗派が、「おいらが偉い」と主張しあっていた。


というのが、当時のチベット。

アルタンハーンという武力のバックアップをもらった。
その代わりに、アルタンハーンに宗教的権威をダライラマは与えるという互恵関係にありました。
その時に、なるたけ古い、伝統があると言った方が効果的なわけです。
「創業10年の老舗」というよりも
『創業100年の老舗』といった方が、効果ありますよね。

それと一緒であります。
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Wikiからの抜粋ですが・・



>ダライ・ラマという称号はモンゴル人の支配者アルタン・ハーンが当時のデプン寺の座主であったソナム・ギャツォを師と仰ぎ、贈った称号である。従って最初にダライ・ラマという称号を持った僧はソナム・ギャツォであった。 しかし、彼を1世とはせず3世とし、遡ってゲルク派の始祖ツォンカパ大師の弟子ゲンドゥン・ドゥプパを1世とした。

ダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプパ(1391-1474)は、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパ大師の直弟子であった。1世から4世(1589-1617)までのダライ・ラマはチベットと周辺地域で広く尊敬を集めた学僧達であったが、「偉大なる五世」と呼ばれるダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャッツォ(1617-1682)は偉大な学僧であっただけでなく、モンゴルの後ろ盾を得て1642年に政教両面でチベットの最高指導者となった。以来、歴代ダライ・ラマは、チベット第一の都市であるラサ市を政治基盤とし、ゲルク派序列第一位の僧侶であると同時にチベット全域の政教両面の最高指導者であり続けてきた。

・・ 以下省略 ・・

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9% …
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