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一つ目。学校から配られたプリントに書かれていること「日本の法律では臓器提供する人は脳死、しないひとは心臓死となり、二つの死の概念が認められたが、各方面から疑問や批判が出されている」とかかれていますが、この疑問や批判にはどういうものがあるんでしょうか?
二つ目。日本の法律では臓器移植は家族の意思と本人の意思が必要ですが、みなさんは家族の意思と本人の意思が必要だと思いますか?意見を聞かせてください。また、欧米では「家族、本人の意思なしでも臓器は使える」という国があるようですが、この法律を決めた人たちの神経が理解できません。どういう考え、理由によってこの法律が決まったのか教えてください。

A 回答 (7件)

刑事罰(刑法.強制法.知らなくても加罰の対照となる)の既定で.心臓死をもって人の死とする。

と定義されていました。
臓器移植法で「脳死」という心臓死に変わる死を定義しました。その結果.臓器移植を前提とする場合に.この法令施行以前は.医師の殺人罪(死刑.無機または3年以上の懲役)を問えましたが.臓器移植法によって.罰則がかなり低減(たしか3年以下の懲役)されました。
その為に.医師が臓器移植法を使った殺人を容易に行える環境ができました。この事から.かって殺人罪に問われていた医師は.臓器移植法の適応を受けて全員無罪になりました。
「脳死」の診断方法にも.神経に強い負担のある検査をして(殺してから).神経に負担の少ない検査をする.という手続きが定められているとかの批判があります。

欧米の場合には.保険がありません。大体盲腸程度で100万.癌で10000以上で勤労者世帯(サラリーマン)程度の下層階級では医療費が支払えません。サラリーマンのような金にならない貧乏人は金になる人々の道具になってもらう.という趣旨です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。刑法の軽減に批判の声がかかったというわけですね。

お礼日時:2002/12/25 17:30

他に忘れていた事。


米国で.脳死と診断されて.臓器摘出中に生き返り.怒鳴り散らしたという患者がいる事が報道されています。つまり「脳死」状態から心臓死にいたる前に生返る人々が報告されています。
このような報告の中には.小児で脳死状態から行き帰り.脳障害がまったくなく5年以上生存した例もあるよう出す。

米国で.妻とかかりつけの医師が共謀して.夫を殺して臓器売買を行った事が報道されています。かっては殺人罪にも問えたのですが.現在では臓器移植法の適応を受けました(罪が軽くなった)ので.より臓器売買が行いやすい環境にあります(先日の刑法適応年齢を下げた話を思い出してください)。
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>欧米の場合には.保険がありません。

大体盲腸程度で100万.癌で10000以上で勤労者世帯(サラリーマン)程度の下層階級では医療費が支払えません。サラリーマンのような金にならない貧乏人は金になる人々の道具になってもらう.という趣旨です。

アメリカはともかく、ヨーロッパの医療保険制度はそれなりに整っています。

臓器移植反対の論を張るために、嘘の現象を書くのはやめてください。

脳死になって生きる見込みの無い人間の臓器を、移植すれば助かるかもしれない人に分けるのがなぜ悪いのですか?

自分は、ドナーカードに全臓器の提供の意思のあることを明記しています。
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「アメリカはともかく、ヨーロッパの医療保険制度はそれなりに整っています。


→それは一意見として問題ないと思うが、質問者への回答ではない。

「臓器移植反対の論を張るために、嘘の現象を書くのはやめてください。 」
→嘘と断じるのであれば、正確な情報を他者の回答とはかかわり無く示すこと以外ありません。その場合でも『嘘』だとか『やめてください』だとかの言葉はこのOKwebでは禁じられているはずです。

「脳死になって生きる見込みの無い人間の臓器を、移植すれば助かるかもしれない人に分けるのがなぜ悪いのですか?」→これは本題とは何も関係ない内容であり、余剰な議論を生む可能性のある私情の吐露です。お控えになるべきです。どうしてもしたければ過去の質問を検索した上で新しくご質問されますか、「ロバの耳」ができる(ご紹介は個人サイトなので控えます)のような別サイトで好きなだけいっちゃって下さい。

「自分は、ドナーカードに全臓器の提供の意思のあることを明記しています。」
→それは素晴らしいことだと個人的には思いますが、回答とは直接関係の無いことです。それにそんなことは他人から見ればどうだっていいことです。

@@@@@@@@@@@@@
以上私の言葉も直接回答ではないので(多分削除されますね)すが、質問者様への回答の材料として生かすならば、こいった問答がすぐに生まれることからわかりますように、この問題の根源の大きな要因のひとつが『国民のコンセンサス』を整える以前に『医学者の要請』などが優先されて決められたという経緯にあるのです。

欧米の思想の元には経済的な合理性というもののほかに『キリスト教的死生観』というものがあります。それが根底となって脳死→臓器移植という経路は国民のコンセンサスが日本よりも得られやすい環境があったのです。

例えば古代エジプトの死者の魂が帰るためには肉体を残さねばならない…という感覚の根強いところにこの法律を強引に持ってくればどういうことになるかをお考えください。きっと国がひっくり返るでしょう。新聞のほんの一行の言葉のはずみでミス・インターナショナル(ワールドだっけ?)が暴動に襲われるほど『宗教』や『死生観』は人間の根底深くに横たわる激しいマグマのごとく存在します。そしてそれは普段は無宗教と揶揄されている我々日本人にも共通するものなのです。歴史や死生観というものはそれぞれの国の文化とでもいうべきものであり、日本にも日本人にも当然存在しているものです。法律をひとつ決めれば良いというものでもないんですよ。
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質問をよく読んだら(おいおい^^;)続きの項目があったので…



「本人の意思と家族の意志」
まず日本という国の実情、国民性というものをお考え下さい。もちろん心臓死=死とする概念もそうなのですが、注目するべきは個人が完全に独立した『個の社会』ではないというところです。最近は核家族などといって先祖だとか親戚だとかいった感覚は希薄になりつつありますが、子どもといえでも独立した人格であり、親とは生まれた瞬間から独立した…というような感覚はまだ根付いておりません(将来的にも根付くかどうかは疑問だが・・)。そのため、個人だけの意志で周囲が重要と考える案件を行うと弊害のほうが大きいと判断されたんです。すなわちいざ脳死段階で摘出を考えた場合、親が同意していなければ、子が同意していなければ、それぞれの反対にあって摘出が出来ないばかりか、貴重な人員や予算が使われた上での徒労に終わりかねず、その上強行すれば訴訟にでもなりかねない。これでは移植を広めることはおろか、コーディネーター等の職業を安定して継続させられないかもしれない・・そういった配慮とか遠謀の上に『家族の意志』も必要とされたんです。もし国民意識が変わり社会の制約が変われば『法改正』という形で変わるかもしれませんが、今の日本社会を俯瞰して考えた場合これがベストと政治的に判断されたと考えられるのです。いわば脳死否定派を受け流すための必要条項のひとつです。

「家族・本人の意思もいらない」というか「個人によるはっきりとした拒絶の意志が従前に示されていなかったら示されていたものと解釈する」では無かったですか?

これに関しては受け入れている国民感情の土壌というべきものがあります。これが「死生観」というものと「宗教的な奉仕の基準」というべきものです。この法律を決めた人たちの神経がわからないのはこういう法律が出来上がりうる社会における『宗教観』や『死生観』が理解できないというのと同意であり、例えばムスリムに対して『なんでこんなに美味しい豚肉を食べへんのやろ?』という疑問と大差ありません。

何も意志が示されていなかったら、<<当然この国に住むものやキリスト教の信者であれば喜んで自分の体を提供するはずだ>>だから提供するとしたほうが意志を「示し損ねた」人々にも有意義なはず…と考えているのが背景なんです。またそれによって需要にくらべ少ない供給を増やす目的も当然あります。

欧米では献体数が多いようですがそれ以上に移植医療が一般化しており実情足りないことこの上ないのです。実際脳死が認められていない、移植医療に貢献が少ない外国の患者(=日本他の患者)は排斥しろという運動が起こるくらい足りないのです。(つまり社会的な受け入れの土壌とそれを認める合理的な背景とが重なった結果です。法律を作るのは官僚や政治家ですが国民のある程度のコンセンサスが無ければ廃案になるはずというのはどの民主国家でも同じ事です。)
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>ヨーロッパの医療保険制度はそれなりに整っています。


東ヨーロッパーや旧ソ連地区の医療.特に下層階級の医療について.調べた事はありますか?。できれば.調べてみてください。
北欧等一部諸国の保険医療はそれなりに整っていますが.旧ソ連地区を含めたヨーロッパ全体では.ひどいものです。数年前までは人身売買(移植用臓器売買を含めて)も行われていたようですが.最近の情報はわかりません。
ヨーロッパは西ヨーロッバだけではないのですから。
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心肺移植という人間の生命に取って代わることに臓器問題が集中するから、事がややこしくなるのではないでしょうか?



角膜移植も骨髄移植も立派な臓器移植といえます。只、骨髄移植等ではドナーの生命には直接関与しないだけのことです。根本的には、移植する臓器に応じて法律を作るべきと思います。心臓を移植するのと骨髄を移植するのとを、同じ移植法案で解決しようとするところに問題があるといえます。よって、ご質問のような二つの死の概念が生まれるのでしょう。

また、欧米の法律の件ですが、それが事実とすれば宗教観の違いとしか言いようがないでしょう。
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