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先ほどNHK大河ドラマの毛利元就を見ていたら
松寿丸が家臣に「松寿丸も話がある」と言う台詞がありました。
主君が家臣に一人称を使う時は「わし・俺・まろ」のどれか
だと思っていたのであれっと思いました。
現代でも子供が一人称に自分の名前を使うのを見たことありますが
それは小学校低学年ぐらいまでの幼い子供達だけです。
でも松寿丸は十歳は超えているし、当時の子供は現代の子供より
大人だったと聞いているので、そんな幼い言動をするのかなと。
当時は元服するまでは一人称に自分の名前を使うのが
普通だったのでしょうか?

A 回答 (2件)

>松寿丸



元服(16歳前後)前の名前ですから、幼い言動とは言えないと思います。

>小学校低学年ぐらいまでの幼い子供達だけです

現代のことです。
現代とは感覚が違うことがあります。「○○」と言う姓があるのに官称を呼ぶ慣例
例:伊達様とは言わず陸奥守様と呼ぶ(伊達政宗 武田信虎 島津貴久の複数いて紛らわしいのに)
守は官位が上がって変わるので紛らわしいと思います(間違えたら無礼になる)なぜ姓を言わないのか、現代ではわかりかねます。

参考URL:http://www.m-network.com/sengoku/senkan.html
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当時の子どもの一人称がどうだったかということに関しては、まず文献には残っていないと思われます。


というのも当時は口語と文語ははっきり区別されていて、たとえ口語で一人称の話し方が決まっていたとしても、文語にする段階で決まり語句に変更されて記録されている可能性があるからです。

では、全く当時の一人称のヒントがないかといえばそうではありません。
ある時代の口語の一人称を探る手段として使われるのは当時成立した芸能のセリフを使う方法があります。
お尋ねの件にある実例がちょっと思い浮かばないのですが、室町時代を描いた能や狂言あるいは舞歌で子どもが出てくるものがあれば、当時の口語表現を伝えていると考えられますからヒントになると思われます。

なお
>主君が家臣に一人称を使う時は「わし・俺・まろ」のどれか
と思われているようですが、考証的にはどれも使っているかは実はあやしいと考えられます。
というのは主君クラスだと、一人称がなかったとう説があるのです。
つまり主君は、その家臣団にとってただ一人なので、わざわざ家臣に一人称を使って自分を表現する必要がなかったからです。
これは幕末になってからですが、大名の側近がその殿様が直接に言った言葉を記録したものを検討した結果、近年になって唱えられている説です。
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