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上級武士は明治維新士族となりましたが、もともと武士の家の分家だった家柄も士族の身分がもらえたのでしょうか?

A 回答 (2件)

維新前に、名字帯刀許される代々の武士の家柄だった家は、分家でも士族となりました。




維新後は、
※戦前の戸籍は、現在と違い、男子ならば妻子と共に何世代も同じ戸籍にいる大家族主義でした。
事情あり、士族の男子が例外的に分籍し、自分が戸主の新戸籍作り、分家すると
士族から外され、平民となりました。
 原敬が南部盛岡藩の家老職という士族の家の次男に生まれながら
「平民宰相」と言われるのは、戸主が徴兵免除される時代に、
徴兵逃れのため、分籍し、平民・原(敬)家の戸主となり分家したからです^_^;
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この回答へのお礼

なるほど。分家でも帯刀が許されれば士族だったんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/25 14:41

土佐藩などは幕末に幕府派は反幕府派粛清(殺害)し、反幕府派も要人暗殺敢行、末端は互いに殺しあったから明治維新後「人材がいなくなった」。


早期に藩内統一した薩摩藩では武士の7人に1人は(いまは廃止された)華族士族になれた。

それでも西南戦争(西郷派の挙兵)で政府の権力は長州主導になる(いまも続く)
明治政府は賢くも「薩摩」出身者で討伐軍編成した。これが長州や会津主体なら抵抗軍の意気上がったでしょう
(討伐軍もここで奮闘しないと薩摩の存廃ととらえた。西郷はあっさり自決)
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