絵を描いています。いえ、もしかしたら「描いていました」となってしまうのかもしれません。上手くなりたくて、以前は毎日練習していましたが、ここ数週間は鉛筆も全く握っていません。

私が絵を描かなくても困る人はいないと思っています。なぜなら、私よりも若く私よりも上手で、且つ(これが一番重要なのですが)私の絵をそのまま理想的な形へと昇華させたような絵を軽々と描かれる方が、既にいらっしゃるからです。言うなれば、私はその方の「劣化版」といったところでしょうか。

私が個性を出そうとすると、ほぼ全てその方の影に隠れてしまいます。せめて追いつこうと必死に必死にもがいてきましたが、未だ近付くことすらままなりません。その人の手の平の上で来る日も来る日も踊り続け(るような感覚を覚え)、自分がほぼ完全に包括されている状態がずっと続くことで嫉妬心等を抑えられなくなり、ついにはその方に少し言葉で当たってしまったこともありました。自分がどんどん崩れていく、嫌な感じがしました。そして今では、手が完全に動きを止めてしまいました。

描いた絵はよくネット上に公開してきました。その絵たちについて時々、お褒めの言葉を頂くこともありますが、きっとその言葉はお世辞だろうとしか思えない自分が今います。「必要とされている」と感じることはできません。

仮にもし、私の絵が(私が)必要とされるというのなら、いったいそれって、どんな場合なのでしょうか。その方は私よりも若く、私よりもずっとよい絵をずっと早く描かれます。私がもしこの先絵が上手くなっても、その方の手の平で踊り続ける形は変わらないかもしれません(私のオリジナリティの多くが、その方の手の平の上にきれいに乗ってしまっているからです)。そんな私の絵の(私の)必要性って、何なんでしょうか。

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A 回答 (4件)

芸術というのはどうしても誰かと「同じようなもの」になってしまうに決まっています。

全世界何十億人がいっせいにボールペンで「適当な長さの横線をえがけ」と言われて書けば長さや筆圧が一致しているというのが果たして何万でてくるか・・・。

私は音楽です。作曲のメロディーはもちろん、すべてのパートの音のニュアンスまですべてを見渡して作っていますが、同じく何十億人にきかせれば何万もの人が「どっかで聞いたことあるよ!」とか「○○に似てる!」と絶対に言います。

さて、需要というのは作品に用があるわけじゃないんです。その才能に用があるんです。
たとえば私は「作曲できる!」と言います。そして無名。
作曲ならかっこいいからYOSHIKIさんに頼めば良いじゃん!と言えばそういうわけにも行きません。ああいう人たちにお願いすると一曲で何十万円にもなってしまうのです。

でも、プロでもなく、どこぞのプロダクションに所属しているわけでも無いアマチュアであれば、直接契約することで、その才能を自由に使うことができるわけです。
そして雇われた先であなたができることをすればいいだけのことです。

かくいう私も実は「パソコンサポートの手伝い」という題目でアルバイトを募集しているところに「MIDI検定3級!パソコンなぞちょろいぜ!」と履歴書でアピールしたのが始まりで、その会社では音楽全般を一手に引き受けることになりました。

社内で経営するサイトのフラッシュムービーに載せる音のプロデュース、社内音楽の作成など。
パソコンを作曲マシンに改造する作業など、私の持てる知識と技術を精一杯発揮しました。私はこのとき初めて「プロ」になったわけですね。

今は就業していないためにまたアマチュアとして音楽を楽しんでいますが、いつかまた家の外で私の音楽技術がほしいと働き先で頼まれれば私はまた「プロ」になるわけですね。

そのめぐり合わせに劣化もなにもあったもんじゃありません。
音の魔術師を望む人とそれに応える音の魔術師。それだけの関係です。

あなたの場合は書籍の出版社やイラストレータといった道があります。
若い人向けの文庫などはしばしばイメージ絵が入っており、そういったものを担当したり、あるいは漫画を描いたり。(別に自分でストーリーを考えなくても、既存の話を漫画にしてしまうのも可)

絵に関する様々な知識や方法を知ることです。そして最初から我一人で名を上げようとは考えずに、組織に所属するなどの方法で最初は自分の技術を売るのがいいでしょう。もちろんそのときは新規に絵を作ることもあるでしょう。いわゆる画家のように美術館に売り飛ばすというレベルはさすがにごく普通のプロのレベルでは無理です。

プロといえどもその中にもやはりレベルがあります。
プロ=一般人ではない
のは確かですが、
プロ=プロ
というのはほぼありえないことです。
麻雀の世界でも音楽の世界でも。はたまた野球やスポーツなど。

一番良い例が相撲界です。みんなテレビに出れるほどのプロですが、横綱から十両まで細かくランクが設定され、しのぎを削りあっています。
その中のさらに天才が横綱と呼ばれ、その強さは素人目にもわかるほど明らかです。もちろん、人間ですから失敗はあります。

芸術力の高い人はしばしば精神的にも追いやられることが多くなります。その証拠に私が今まで話したことがある精神疾患者のほとんどが高い芸術力を持っていて、(才能に手をつけないままの人もいましたが)
音楽の話を通じて、その人達の感性の高さに閉口したものです。

「俺の持ってる技をそっくり譲り渡したら、絶対成功するだろうな」と。ただ「俺の持ってる技」もやはり15年以上かけて養ったものだけに、包んで「はい」と手渡すわけにもいかず、もったいないと歯がゆい思いをしました。

かく言う私も精神疾患者で、よく薬に関する質問を受けます。(もちろんここでも回答していますし)最近はひょんなことから「薬博士」呼ばわりをされる始末です・・・。個人的には音楽か麻雀をほめてもらいたいのに・・・(ボソボソ・・・)
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この回答へのお礼

心の置き場所(心底から安心できる何か)をお持ちなんですね。うらやましいなぁ。(嫉妬ではないですよ) 私も、絵を心の置き場所にしてみたいなぁ。今の私は「心の置き場所」をひとつも持っていません。

絵を描いて上手くやっていきさえすれば、それだけで自分が認められる、そんな恵まれた環境(ある種の障壁が無い環境)に、私は生かされています。やっとここまで来ました。あとは自分の歩き方を身につけるだけなんです。

peacementhさんは、私にはない前向きな考え方をお持ちなんですね。良いなと思いました。今の私には、未来の自分の可能性をいろいろ前向きに考えるということが、全くと言ってよいほど、できません。できるようになるのかな。なりたいです。

質問をさせて頂いてから、及びご回答を頂いてから日数が経ち、私の考え方も少しだけ変化しました。弱い念ではありますが「絵に関して、本気で悔しがれる自分が好きだ」などと、プラスに捉えようとするようになりました。質問内容の周辺で悩み続けてもうずいぶんになるのですが、自分の中に置くべき基盤として「自分のことが大好きであること」がとても重要であると思い始めました。「歩き方」が、見えないところで少しずつ形作られている証拠、だったら嬉しいです。

余談ですが、私も音楽をします。様々な音楽をたくさん聴いて、歌うのが好きで、リコーダーを吹くのが好きで、ピアノを弾いたり聴いたりするのが好きで、作曲が上手くいくと嬉しくて。peacementhさんのように、一人前に仕事ができるほどではありませんが、MIDIやボーカロイドを自分なりに扱うぐらいのDTMスキルはあります。この世界で生きていく途上で……絵を描いたり、曲を作ったりしていく途上で、peacementhさんのような方と出会えたら……今の自分の予測の外側にいる、心の中で自分の歩く足になってくれるようなそんな方と出会えたら……私は、満面の笑みで、嬉し泣きしながら往生できるかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/09 22:41

天才と言われているピカソはまた模倣の天才だったようです。

つまりピカソといえども先輩画家の絵の中にある着想を踏み台にして上へ行ったということではないでしょうか。おそらくピカソは、貴方の言う閉塞感、包囲感を、徹底的な模倣を通してsらに上に行きかろうじて自信を取り戻していたのではないでしょうか。貴方にかけているのは模倣の精神ではないでしょうか。模倣を繰り返しているうちにどこか先輩の弱点(?)を発見できればそこを突き破れるのではないかと思います。まだまだその先輩の模倣が足りないのではないかと思います。参考図書高階秀爾「ピカソ剽窃の論理}劣化版は制作途中の作品と考えればよいのではないでしょうか。オリジナリテイというのはオリジン(起源)であることという意味ですが、この起源というのは新しいことというより自発性があるかどうかということだと思います。ですからあなたのオリジナリテイは作品に中に新しいことが見いだせないように見えても、貴方がこよなく絵を描くことを愛している限りあなたのオリジナリティは確固として存在しているはずです。このように考えれば劣化版であるかどうかはどちらでもよいということにもなります。このことにあまりにこだわってあなたの創作意欲に悪影響が及んでは、ほんまつてんとうになってしいます。
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この回答へのお礼

私に欠けているのは、kaitara1さんの仰るとおり「模倣の精神」なのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。何かが欠けているのは確かです。大きいものは、自分を好く気持ち、かもしれません。

「突き破れる」というのは、後頭部を殴られるような言葉ですね。「突き破れる」と考えることをしていませんでした。自分を磨こうとし続けてはいたものの、突き破るなどということはずっと諦めっぱなしだったようです。

kaitara1さんの書いて下さった全文に含まれた意味や思いを、あまり上手く読み解けてはいないかもしれませんが、参考になりました。ありがたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/09 22:58

はなから人に追いつく必要も、人から評価される必要もないと思います。



あなたが描きたいから絵を描く。それで十分なのです。
私も精神病院に入院中、毎日1枚水彩画を描いていました。
そうしなければいられなかった自分がいました。

今はまったく描いていません。その必要がなくなったら、描けなくなりました。

人から必要とされて描くのではなく、自分のために描いてください。
評価などどうでも良いのです。あなたを描ききれるように描く。
それで十分です。
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この回答へのお礼

自分の絵を認めない自分がいます。自分の絵を、一番認めていないのは自分かもしれません。自分の世界、描きたいです。描きたくてたまりません。でも描けません……。質問内の「その方」の存在は、やっぱり眩しくて、そして苦しいです。

mac_resさんの仰ることは真理なのかもしれません。けれど、私の中の葛藤はなかなかきれいに消えてはくれないようです。

ともかく、自分なりにちょっと生きてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/09 23:09

芸術なんて、自己満足を他人が評価することですから、他人の必要性で書いている限り、誰もあなたの絵を必要としません。


それは絵の職人であって他人にとって誰の筆跡でもいい。

誰かのたなごころで踊っているのは、その人より芸術理論が構築されていないから。
あなたは試行錯誤から個性を見つけていますが、先方は理論からオリジナリティが生み出されています。
で、それは才能の差じゃなくて、勉強不足。しいていえば絵が好きな才能の差です。

自分の理論が完成しているなら、他人の猿まねでも、他人に描けないところまで自分だけが描き込むことができる唯一の芸術になります。
自分の理想にたどり着いている人間がいるなら、その人間の理論を完全に読み取り再現できる、オリジナル以上の贋作を描けることは必須スキルです。
その時点で、成長した貴方とさらに先を行く先方の理想は違う道を示し、あなただけの筆が存在しているはずです。
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この回答へのお礼

今の私にはピンとこないことばかりなのですが、うまく階段の踊り場まで上れたら、改めて拝読させていただきたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/09 23:20

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