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「有名人の娘の子孫の方は「我は誰々という有名人の子孫なり」といわないのでしょうか(質問番号:5022432)」で質問したものですが、もう少しお聞きしたいことがあり、質問を投稿させていただきました。

先の質問で、母系は通常一代しかさかのぼれないという回答をいただいて納得したのですが、父系をたどることにより先祖が誰々の娘ということが分かっていたら、その有名人の息子の子孫と同じくその有名人の家を継ぐことはありえるのでしょうか?

具体的には現在の前田家の当主は前田利家の息子の子孫ですが、もし豪姫の子孫以外に前田利家の子孫が見つからないときには、豪姫の子孫が前田家の当主となることも考えられるのでしょうか?

A 回答 (3件)

「吉川晃司は毛利元就の次男である吉川元春の子孫ですが、彼も毛利家の当主となる可能性はほぼゼロということなのでしょうか」



「吉川晃司が毛利一族の吉川家の人」という話はソースがはっきりしませんので、
「旧子爵の吉川家(岩国藩)の人が、旧公爵の毛利宗家(萩藩)を継ぐ可能性」
を考えます。

旧子爵吉川家は、幕末まで養子を迎えずに毛利元就→吉川元春→吉川広家の系譜を伝えているようです。ただし、広家が関ヶ原の合戦において「毛利家を地獄に落とす」様な行為を行ったため、毛利宗家からは江戸時代を通じて冷遇されていたようです。

さて、旧公爵毛利家を宗家とする毛利一族は、明治時代に爵位を与えられただけでもこれだけあります。

宗家 公爵
豊浦藩主家 子爵
清末藩主家 子爵
徳山藩主家 子爵
吉川家 男爵→子爵
小早川家 男爵

私は毛利家の関係者ではないので確かなことは言えませんが「毛利一族の中での家格」は上記の順番になると思われます。

毛利宗家の跡継ぎがない場合、まずは毛利宗家の明治以降の分家や、毛利宗家歴代当主の縁戚で養子の当てがないか探すことになるでしょう。普通に考えて、この段階で養子の当てが見つかります。

次いで、上記の序列の順に、毛利宗家を継ぐのに適当な人がいないか探すことになるでしょう。普通に考えて、序列が下から2番目の吉川家に順番が回ってくる前に、「毛利宗家に養子に入る人」が決まるのではないでしょうか。

「宇喜多家の人が、旧侯爵前田宗家を継ぐ可能性は限りなくゼロに近い」と比べると、「旧子爵吉川家の人が、旧公爵毛利宗家を継ぐ可能性はそれなりにある」とは言えるでしょうが、「可能性は少ない」と言えそうです。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

一般的な当主の継ぎ方について、今までは全く分からなかったのですが、詳しく教えていただきよく分かりました。

最後になりますが、「吉川晃司が毛利一族の吉川家の人」というのはwikipediaの情報を信じきって投稿しました。裏づけがない状態で断言してしまい申し訳ありませんでした。

お礼日時:2009/06/10 12:53

ご質問が


「旧前田侯爵家を、宇喜多家の人(宇喜多秀家と豪姫の間に生まれた子供の確実な子孫に限る)継承できるか」
ということでしたら
「可能性は限りなくゼロに近い」
となるでしょう。

大名家や華族家の継承について調べれば分かりますが、直系が絶えた場合は
(1) 分家から養子を迎える
(2) 現当主の姉の息子<現当主の甥>、前当主の娘の息子<現当主が前当主の息子であれば、現当主のいとこ>などを養子に迎える
(3) 高貴な家柄、主筋の家柄から養子を迎える
などとして系譜を継ぎます。

(1)の例は無数にあります。
例えば、萩藩毛利家の継承や、仙台藩伊達家の継承を調べてみて下さい。

(2)の例は

* 江戸時代前期に、米沢藩上杉家の当主上杉綱勝が継嗣なくして死亡したため、上杉綱勝の妹と吉良義央の間の子が養子に入り、上杉綱憲として米沢藩を継いだ。

* 戦後の話ですが、五摂家筆頭の近衛家の当主である近衛文隆がシベリア抑留中に死去したと判明したため、文隆の父である近衛文麿の妹が細川家(熊本藩主家)に嫁いで産んだ子が近衛家に養子に入り、近衞忠煇として近衛家を継いだ。

など、結構多いです。

皇室に次ぐ高貴な家である近衛家と比べるのはおこがましいですが、私の曽祖父には継嗣がなかったため、曽祖父の姉の息子(曽祖父の甥)が養子となって跡を継いでいます。世の中ではこのような継承が結構多いと思われます。

(3)の例は、

* 江戸時代初期の近衛家当主である近衛信尋は、後陽成天皇の皇子。なお、実母は近衛前久(近衛家のしばらく前の当主)の娘。皇室から、皇室
に次ぐ家柄である近衛家に養子に入ったことになります。

* 徳川家斉(11代将軍)には子供が多かったので、娘は諸大名の正室になり、息子はいろいろな大名家の養子に入りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D% …

こういう例は現代では通常はないと思われます。

さて、ご質問の「旧前田侯爵家を宇喜多家の子孫が継ぐ」ことですが、パターンとしては(2)になります。
ただ、今から400年前に当時の当主の娘が嫁いだ家と、現在の前田家では普通に考えて「親戚」とは言えませんよね。

旧前田侯爵家には、明治以降に爵位を与えられただけでも

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0% …
「富山藩主家は伯爵、大聖寺藩主家・七日市藩主家は子爵、土佐守家は男爵となった」
と、4つの分家があります。
仮に本家である旧侯爵家が絶えたとすれば、
(1)のパターンで、旧華族の分家から養子が入る。
(2)のパターンで、現当主の姉妹の嫁ぎ先などから養子が入る。
となるでしょう。

400年も前に婚姻を結んだのみの「宇喜多家」から養子が入ることは「可能性ゼロとは言えないが、ゼロに近い」
ということはご理解頂けましたでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

詳しい説明で大体分かったのですが、少しだけ分からないことが出てきましたのでもう少し回答をお願いできないでしょうか。

私の質問は娘の子孫が当主となる可能性についてお聞きしておりましたが、それでは、息子の子孫の場合はどうなのでしょうか。
例えば、吉川晃司は毛利元就の次男である吉川元春の子孫ですが、彼も毛利家の当主となる可能性はほぼゼロということなのでしょうか。

お礼日時:2009/06/08 12:18

現前田家の当主が、


私の遺産と、先祖供養を○○に託します。
と、正式に行えばそれでいいんじゃないの?

つまり、当主としての実態は上記のことしかないから。

江戸時代で言えば、家臣団の認証が必要で、納得させるには、血統の近さが納得の元だった。
今だと家臣団もいないし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上杉鷹山
彼などは、母の母が上杉当主の娘。ってこれだけで養子に入っている。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

上杉鷹山は好きな人物なのですが、彼がなぜ上杉家を継ぐことになったのか良く分からなかったのですが、そのような血縁関係があったんですね。

お礼日時:2009/06/08 12:11

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