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人の優劣とは何なのでしょうか?
思ったことでいいので回答をお願いします。

A 回答 (10件)

私の思うところ、人をすきになれるか、すかれるかかな。

人はいろいろいるから。
物じゃないんだから。

この回答への補足

ではなぜ優越感とか劣等感とかかんじるの?

補足日時:2010/04/20 16:59
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この回答へのお礼

好き嫌いで優劣ありかも。世間ではそうなのかも。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/20 17:20

そりゃ、うん代目の政治家として生まれることが優であることに決まっているじゃないですか。

こないだも自民党をぶっ潰すと言って出て来た3代目のなんとか泉なんちゅうのが、総理大臣になって派遣を自由に出来るようにしてしまい、給料が安過ぎて結婚も出来ない若者が出て来ているのに、その3代目は最近4代目に既得権を譲ったら、その4代目もまたまた大人気だ。民主党も自民党も同じで、鳩山だって、麻生だって、安倍だって、福田だって、谷垣だって、小沢だって、河野だって、菅だって、自殺した中川だって、石原だって、皆うん代目ばかりだ。こんなの序の口で、数え出したらまだまだ切りがない。もし、あんたが政治家のうん代目じゃなかったら、その優劣は歴然としているんじゃないかね。

人は心の持ちようで幸せにもなれるなんちゅうことを言うが、それは言うが易し、行い難しなんじゃ。ところが、日本人は自分たちの指導者としてうん代目が好きなことは、彼らの歴代の選ばれ方を見ていれば明らかで、このうん代目連中は心の持ちように関係なく、あんたよりも遥かに充実した優勢な人生を送れる可能性が与えられているんじゃ。

この回答への補足

ご自分のことはどうなんでしょうか?

補足日時:2010/04/20 17:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2010/04/21 02:46

「人」=人類とは、社会的生命であり、たとえば社会性の発達して


いなかった頃(個体同士の生存競争)であった時にメインの「優劣」
決定要因であった肉体的強さは、今では付加的なものとなっています。
同様に、たとえ優れた能力を持っていても、意識が自己チューで、
実体生産よりも楽に株やFXのあぶく銭で生きる方を望むのならば、
それは社会的に貢献しない=社会的価値は低い、と言えます。

その人の存在によって、「生存単位」である社会全体の最大限の
「生存=エントロピー増大への抵抗(反エントロピー)」増進に
寄与する事が、「優秀」だと言えるでしょう。
ただし、その「生存=反エントロピー」は、物質としての存続力
と意識としての認識力としての両面(=物質的な増殖最大化か、
精神的な充足量の最大化)があり、前者は実体生産力に関わる
(一般的な意味で「優秀」)のに対し、後者は同じ行為でも
助け合いであれば大きくなり、たとえば身障者であっても、
同じ境遇でもより満足し、また他の人を幸せな気持ちにさせる
事ができるならば、「優秀」だと言えるのです。
(その両者のバランスは「反エントロピー」が指標)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
馬鹿なのでよくわかりません。すいません。

お礼日時:2010/04/20 23:00

人そのものに優劣は無い。


シロアリやジフテリア菌の個体に優劣が無いのと同じだな。
でも、なにか後付けの評価項目で優劣をつけたがるのが俗世間ではないでしょうか?

どんな人間でも、ある評価項目では優、別の評価項目では劣、となりますよね。

だから、自分が優になれる評価項目が重要だよ、それ以外は重要じゃないよ、と主張する。あるいは信じる。もっと凄い場合は、洗脳しちゃう。

重要、重要じゃない、が個人の主張であるうちは、「勝手に言ってろ!」ぐらいで済みますがね、それが社会のコンセンサスというか、共同幻想になってくると、なかなか悩ましいですね。

たとえば、「身長が高い男」とか「おっぱいの大きな女」みたいのが優であるという共同幻想が出来あがる。
哲学する人は、そのような共同幻想には、一応、一旦は疑問を持つ人たちだから、まだ救われますが、自分の頭で考えることをしない人、できなくなっちゃった人、できないように教育せれてしまった人々は不幸だよなぁ。

経済社会では、親からの遺産をたくさん相続した人が優で、なんの支援もない人は劣ということで人生が始まる。

色の赤と青に優劣はないでしょう?
人の属性も、色と同じように、異なる(=個性)けれど、優劣は無い、と考えることができるようになりたいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>どんな人間でも、ある評価項目では優、別の評価項目では劣、となりますよね。
そんな気がします。
そんなことで傷ついたり、傷つけたりするのがいやに思います。
今ってそんな時代じゃないかとしみじみ思います。

お礼日時:2010/04/20 22:55

人の優劣なんてものは見方次第でどうとでもなります。


環境しだいかと思われます。

お金大好き!資本主義の代名詞アメリカへ行けば、お金をたくさん
稼ぐことが優劣を決めるモノサシになります。

狩猟民族のマサイであれば、四肢のバランスが取れ、バネのある
しなやかで屈強な体を持っているか否かが、優劣を決めるモノサシです。

自分が生活する環境によって、優劣を決めるモノサシは変わってきます。
競争マネーゲームに疲れて、田舎に引越し自給自足の生活をする。
もしくは、日本の文化とかけ離れたアジア・アフリカなどに旅行に行く。
これだけで、全く違った価値観(優劣のモノサシ)の中で自分が存在する
ことができます。

この回答への補足

回答はありがたいのですがもっと身近な話をしてくれると幸いです。

補足日時:2010/04/20 23:03
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
kannosuke9様はそういう経験がおありでしょうか?

お礼日時:2010/04/20 23:25

人の優劣の判断基準というものを表面化すれば必ず批判に晒されるように思います。


社会的な或いは個人的な暗黙の基準としてのみあるのかもしれません。
個人的な長所短所において、他に優れているという面においてのみ、人はその基準を強く持つのでしょう(思い込みと言えばそれまでですが)
そうした自己の存在価値を強く信じる意志が、他の人から驕り高ぶりと取られた場合には、決して優れたとは評価されなくなってしまいます。
評価を恐れる心が、個人的な優劣の基準を表に出しずらくしているのではないでしょうか。

人は自分が優れていると思う事にのみ、優劣をつけたがるのでしょう。
反対に、自分が劣っていると思う事には、優劣をつけたくないのだと思います。
人の優劣に客観的な基準は一応はあるにせよ、最終的には個人的な思量の範囲に留まるように思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もそんな気がします。

こういう回答を待っていました。

お礼日時:2010/04/20 23:08

そのひとAが他人BよりもPという点で優れている場合、優劣A>Bがつきますが、それにはひとつの条件Pがつきます。

絶対的にA>Bではありません。別の条件でA<Bである場合も多いと思います。
何をもって優劣をいうのか、その条件、あるいは尺度(難しくいえば価値観)はそれこそ世の人の数だけあるのではないでしょうか。どんな人間でもすぐいくつかの長所が目に付き、短所もまたあります。
小泉元首相は優れた政治家ですが、彼よりも背が高いひとは世にごまんといるでしょう。彼よりも金持ちは沢山います。彼よりも若ければ、年齢(余命)で勝っているわけです。
他人の優劣をいう時、好意的に考えるとそのひとには事務的に誰かれを弁別しなければならない何らかの必要があるのでしょう(早く走らせてメダルをゲットしたいとか)。
一般的には優劣をいうより、AとBは同じではない、それぞれ異なった存在であると考えた方がより正確ではないかと私は思います。
人間は人間であるという意味で誰でも同価値です。人格に優劣はないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

政治家のことは私はよくわかりません。

>人間は人間であるという意味で誰でも同価値です。人格に優劣はないと思います。
私もそう思います。

一つ質問していいですか?
「あんたって何もないのね」っていわれたらどう返せばよかったでしょうか?

お礼日時:2010/04/20 23:31

商品として高く売れるかどうか。


入札数が多いかどうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/21 02:48

はじめまして お寺のさんばーくんと申します。

日蓮正宗信徒です。
優劣について人それぞれですが、優についてはいまいち疑問を感じる事があ
ります。
世の中では、実績に関係なく、美男、美女、ただ裕福なだけで人から尊敬さ
れ出世したり、どこかの新興宗教の会長みたいに、ちょっと寄付をしただけで
表彰される事を新聞報道したり、地位や肩書きを自慢したがり、現実的に優と
見られる事が多いと思います。
また、会社の中でも、実績を上げているわけでもないのに上司の言う事を
聞いたふりをして、他人や、上司にまでも仕事をふり、逆手をとって出世する
人もいます。(これら“優”であるならば、くだらない事であり、小生望みませんが…)
返って、“劣”の人こそ、四倍も仕事し、実績を上げるも、整理整頓がおろそか
になっている人が嫌われ、卑しまれ、なかなか出世できないケースもあります。
結論として、“優”と思われる人は、カモフラージュの上手な人が多いと思います。
悪く言えば、嘘つき、ごまかし上手なだけで、中身空っぽの腹黒い人だと思います。

日蓮大聖人の御紋に、“愚人にほめられたるは第一のはぢなり”とあります。
一般のことわざでも、“先生先生と呼ばれるほど馬鹿じゃない”とあります。
“優”であるか、“劣”である人生で生きるかは、人それぞれですが、小生、今後
も、ごまかしの無い人生で、生きたいと思います。
嘘で固められた人生なんてつまらないですよ。明日も日蓮正宗のお寺参詣します。
日蓮正宗のお寺に参詣すると、優劣を考える事すらくだらなくなりますよ。
危険な現場仕事を終え、今日も無事にお寺の仏様の前で、一日の反省をする事が
小生の喜びであり、これこそ生きながら成仏する事なのです。

参考URL:http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nitirens …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
参考URLも少しだけのぞかせていただきました。

お礼日時:2010/04/21 06:33

>ご自分のことはどうなんでしょうか?



ご質問なので、もう一度書かせてもらいます。私なんか4代目なんとか泉御曹司と比べれば、劣の劣、大劣でさあ。あれだけ派遣を増やして、国民の就職人口の半数以上を派遣にした3代目を相変わらず優れた政治家だと言う人が未だにいるんだもの、優劣の違いは自明じゃないですか。かっこ良く大見得を切って、先のことを考えずその場だけの溜飲を下げてくれさえすれば、いくらでも票を入れてくれるのが現実なんですね。こう言うのは何匹でもドジョウがいるもんで、自分の息子に芸術の催しの一翼を担わせて、優れた芸術家に金を出して何が悪いとか、オリンピックの招聘だとぬかして大枚の税金を叩き、はたまた、「立ちがれ日本」と命名して大見得を切っているなんとか知事や、都という日本人の作り上げた言葉の文化を理解せずに、他にも何とか都をもう一つ作って、伝統的な京都や首都に対抗しようと大見得を切って、大スペクタクルな演劇を演じて見せ、自分たちがその結果どうなってしまうかを余り考えずにカッコいいことだけに感激する大衆の票集めを狙っているような政治家がいくらでも出てくる土壌が日本には在るんですね。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
ちょっときつい言い方で失礼しました。

お礼日時:2010/04/21 06:36

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