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大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』を見て、当時の考え方に対して疑問に思ったことがあります。

★乳母は当時人気職だったらしい?ですが、
 市が死んだ時乳母も殉じ、
淀が死んだ時大蔵卿局も殉じたわけですが、
仕えている家が戦になったら自分もいつ死ぬか分からないのに、
何のメリットがあって自ら仕官するのでしょうか?
恩賞をもらえたり、将来自分も身分が上がり、自分の子も重臣なれるのがメリットだとしても、
大蔵卿局も息子の大野治長も最後には殉じたわけであり、
リスクの方が高いと思うのですが。

★例えば淀のように自ら戦をしたがっているような主の臣下が
「私は死にたくないから戦したくないのに」と内心思っていても
やはり主の命令は絶対ということで素直に従うものなのですか?
現代だと一社員が社長のために死ねるかと言われたらほとんどの人がNOだと思います。
大野治長は「最後までお仕えでき、幸せでした」というようなことを最後に言いましたが、
内心「だから何度も忠告したんだろうが。息子かわいさに出馬させない過保護な淀のせいで何で自分も死ななきゃいけないんだ!」と思わなかったのでしょうか?
もしその忠義に対する見返りが恩賞だとしても、死んでしまったら使い道がないのでやはりリスクの方が高いのではないでしょうか。

★大阪夏の陣のような大戦で
何百人、何千人もの人達が刀で切り合っているシーンをよく見ますが、
一人くらい抜けても分からないと思うのですが・・・。
一人こっそり抜ける方が恥ずかしいという感覚なのでしょうか。

A 回答 (4件)

全く違います。

現代日本人はすっかり日本人の心を失ったから、そういう疑問を持たれるのでしょうが、死んだときにご先祖様に会わせるような死に方はしたくない。それが日本人の心なのです。生も死も同じことなのです。この世に生を受けたからにはどのように生きるか。死ぬ時はどう死ぬか。どちらも同じことなのです。それが最重要の課題です。鎌倉時代以降、仏教が武士の間にも広まった。死ねば誰でも仏になる。しかし地獄に落ちればもはや仏にはなれない。殉死や切腹や戦死の覚悟が無いなら、そもそも武士の家を継ぐ資格はない。だから、さっさと武士を辞めて別な道を探した人だっています。豪農に頭下げて作男になる。商家に丁稚奉公して商人になる。寺の小坊主になって僧侶になる。そういう人は子供の頃に、「こりゃ将来見込みがない」と親に判断されて、そういう家の養子になったりする。そういう人は大河ドラマの主人公になることもないから、現代日本人に知られないだけです。明治以前の日本は家が全てです。家督を継ぐということは先祖代々継承してきた土地や権利や名跡や財産や技能を引き継ぐということです。それは物凄い重いことです。一般には長男が家督を継ぐけど、無能だったら継げません。それはどの家も同じ。では家督を継げない二男、三男以降はどうなるかというと親が余程の人物でない限り何も継承することはありません。水戸徳川家の祖である徳川頼房は十一男なのに分家できたけど、これは例外中の例外。親が徳川家康だったから、大大名として身が立てられる領地をもらえたのです。もし親が下っ端の武士だったら、何にもらえません。貰えなきゃどうするかというと、頭下げて兄の家臣になるしかないわけです。下手をすれば嫁ももらえない。だから江戸時代は260年かかって人口が2倍にしか増えなかった。じゃあ合戦の意味は何かというと、万に一つも無い、手柄を立てるチャンスだということなのです。そこで手柄を立てれれば日陰の惨めな身の上から、急浮上して偉い武士の家臣に取り立ててもらえるかも知れない。だから逃げるどころではない。命がけで働くわけです。戦でもないと出世の機会などないんです。一生日陰の惨めな身の上で終わってしまうのです。手柄を立てなくても主君を失えば全て御仕舞い。流浪の旅にでて、いつ来るか分からない仕官の機会を待ちながら、傘貼りの内職でもするしかない。しかしもし合戦で逃げた奴だなどと後ろ指を指されたら、二度とそんな機会はありません。そういう負い目を持って生きて行くということができないのです。自分の気持ちとしてそんな自分を許せない。逃げるということは百姓になるしかないというのと同義です。しかし逃げたところで百姓になれる保証などありません。せいぜい野武士になって山賊の真似事をするぐらい。戦国時代はそういうルートも無かったわけでもない。

こんな説明で回答になっているのかな。武士として生まれたからには武士として死ぬしかないというのが日本人の死生観であり、それが武士道だったということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ものすご~~~く詳しく説明していただき、とてもよく分かりました。

現代のようにそこそこの大学行ったらそこそこの企業に勤められて、退職金ももらえるし年金ももらえるし(年金は今後どうなるかは分かりませんが一応今現在そういう制度があるという意味で)というような安定はなかったのだなあと思いました。

お礼日時:2011/11/21 18:30

まず大前提として理解しなきゃならないのは、当時は戦国時代という殺し合いがどこかで毎日行われていた時代だったということです。

「もしかしたら、明日死ぬかもしれない」のは当時の日本中の人たちが下は貧民から上は戦国大名の一族に至るまで思っていたことです。
今と違って、「平和になにごともなく生きてゆきたい」ということはかなわない願いであったことを理解せねばなりません。
リスクが高いというけど、リスクの低い生き方はできなかったのですよ。農村でひっそり暮らしたいと思っても、村に野武士やあるいはそこを支配する大名に対立する軍勢なんかが現れると、家を焼かれたり略奪されたり、家族や自分に危害が加えられました。

また乳母というのは武士の娘がなるものでした。武士の一族である以上、「戦いに巻き込まれて死ぬこと」は覚悟せねばなりません。これはもう逃れられない運命です。現代と違い「私は私らしく生きたい」なんてことは許されない時代であったことを理解する必要があります。これは男も女も同じですが、武士の娘であれば、嫁入り先だって親が決めたところに行く以外に選択肢はありませんでした。

また、現代は一社員が社長のために死ねるかというとNoということですが、会社に使い潰されて過労死したり過労自殺する人は少なくありません。「過労死」は日本語だけにある言葉で、英語はもちろん、中国語にも韓国語にも存在しない言葉です。死ぬまで働くのは昔も今も同じです。

あと、合戦についてですが、まあ日雇いのアルバイトにでも行ってると考えてみてください。途中で抜けて家に帰ったらどうなります?そうですね、バイト代がもらえません。それと同じで、こっそり逃げればお給料がもらえないだけではなく、もし見つかれば綱紀粛正のため見せしめに処刑されることだってあります。それが嫌だったら最初から足軽なんかやらなきゃいいわけです。
しかし合戦になればそれは影響してきます。どういうことかというと、負けた場合は恩賞つまり給料にありつける可能性は低くなりますよね。自分を雇っていたご主人が合戦で死んじゃって負け戦になれば給料どころじゃありません。じゃあどうなるかというと、足軽なんかの士気が低い連中は「これはもう負けそうだ」となったらその場からみんな逃げ出したのです。それで、合戦というのは大勢が決まると負ける側はみんな我先にと逃げ出して潰走するんですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

とてもよく分かりました。

現代とはやはり違いますね。

合戦の給料の話も、そう言われれば負けた方の大将の側についた足軽の恩賞のことも問題ですよね。

>自分を雇っていたご主人が合戦で死んじゃって負け戦になれば給料どころじゃありません。

負けた方の家の財産は、勝った方が奪うのでしょうか?

逃げる足軽もいるんですね。 なるほど。

お礼日時:2011/11/21 18:35

現代日本人の浅はかな感性・感覚で、16世紀の日本人を判断してはいけないのです



それは20世紀前半についてもいえることですし、また現代のアジアやアフリカについても同じです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。
昔の人とは全然違うようですね。

お礼日時:2011/11/21 18:36

2つ目の質問への回答



戦国時代は生きるか死ぬかの時代です。
なので当時の武士に忠義心というものはありません。
あくまでも自分の所領を保証してもらう代わりに働いているのです。
ですからその保証がされない場合は主君を見限るといったようなこともありました。

ただ大野治長の場合は豊臣家との関係が濃密なため、
逃げてもおそらく捕まり、処刑されていたでしょう。
なのでそれよりは潔く城を枕に討死する覚悟だったのではないでしょうか。

3つ目の質問への回答

実際に足軽が逃亡するような例はありました。
ただし着到状というものがあり、誰が合戦に参加したのかは分かるので誰が逃亡したかも分かります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

大河ドラマに出て来る下っ端武士で、
主君を見限るような人を見たことがなかったので、
意外です。
見限られるような主君が主役の大河ドラマって成り立たないですもんね。

あんなに大勢いて、誰が逃亡したのか分かるのですね!

お礼日時:2011/11/21 18:38

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