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帰国子女の人とかがよく偉そうに「活きた英語」って言いますが、これはどういう意味でしょうか?

A 回答 (10件)

実は、英語には、NHK・テレビで基礎英語「続・発音だけならネイティブなみ」の9月3週目で紹介されているように、音を変化させて話すことができるという性質があります。


(例えば、「Thank you」をつなげて、「サンキュー」と言ったり、「Don’t mind」で、tやdを発音せずに、「ドンマイ」と言うなど、だれでも知っている例はたくさんあります。)

http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do? …

ただし、番組では、音の変化は一通りであるかのような内容になっていますが、洋画等のように、より複雑に変化させれば、発音記号を覚えただけの人がまったく聞き取れないようにしゃべることも可能です(つまり、音の変化は一通りではないということです)。英語教師はたとえこの事実を知っていても、教えることができないため、生徒に説明することはありません。また、英会話教材は論外ですが、英会話スクールでも、授業形式で発音を完璧に習得させることができないことを知られるとお金にならないため、ネイティブ講師であっても、受講生にこのことを説明しませんので、利用しても時間とお金の無駄です。

●音の変化は方言などではなく、英語本来の性質である
このような音の変化は、方言あるいは若者言葉であるため覚える必要がないと批判する者がいますが、そうではない証拠をあげておきます。
(1)社会的には、洋画や外国ドラマでしゃべっているような流暢な英語が理解できなければ、英語ができるとは評価されないという共通認識があります。
(2)英検1級や国連英検A級、特A級のヒアリング試験には、流暢な英語が使われているため、発音記号を覚えただけの人はほとんど得点になりません。

これらの事実は、流暢な英語は、方言あるいは若者言葉のため覚える必要がないという批判と矛盾しています。

●英語にはどれくらい違った言い方が可能なのか
音の変化が一通りであるなら、留学経験のある英語教師やネイティブならば隠す必要はありません。しかし、ネイティブさえもはっきりと、英語が音を変化させて話すことができる言語であることを言っているのを聞いたことがないはずです。実は、英語はどんな文でも無限に違った言い方が可能です。縦横無尽に音を変化させて話すことができるのです。例えるなら、音階でドとレの間には無限に違った高さの音が存在するのと同じです。これを直接証明することはできませんが、英語がしばしば「つかみどころのない魔物だ」と言われるのは、この事実を遠回しに述べています。また、ネイティブさえも英語が様々な言い方のできる言語であることを隠していることから、教えることができないくらいたくさん違った言い方が可能だということは推測できるはずです。

●留学経験者に確かめる方法
英語のできる者たちはそれだけなら問題ないのですが、実は、英語が様々な言い方のできる言語であること、そして、発音記号はそのうちの一通りでしかないことを知っています。ネイティブが普通に話すのがわかるようになると同時に気づくのです(もし、知人に留学経験者がいたら、「どれくらいでいろいろな言い方ができることに気付いた?」と、あたりまえのように尋ねてみてください。「半年」「一年くらい」という答えが返ってきますので、それにより、留学経験者は英語が様々な言い方のできる言語であることを知っていることがわかります。)。
しかし、それらの事実を留学未経験者が知らないほうが有利なため、普通は絶対に他人には教えません。ゆえに、英語ができると得意になっている者に対しては、血を吐くまで人格を否定してやりましょう。

●音の変化をマスターする方法
どのような言い方をされても理解できるようにするためには、留学経験者が留学中、無意識のうちに行っていたように、ネイティブどうし(ひとりではだめです)が普通に話しているのを何もわからなくてもひたすら聞いて慣れることにより、縦横無尽な音の変化に対応できる脳を作るという方法しかありません。英語が無限に違った言い方のできる言語(少なくとも、ネイティブでさえも授業形式で教えられないくらい様々な言い方のできる言語)であるとすれば、これしか方法がないのはわかるはずです。このことを前提とすると、日本には数多くの英会話スクール(講師はどこも一人)があるにもかかわらず、英会話ができるのは留学経験者だけなのも納得いくはずです。
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「活きた英語」、、、どういう意味でしょうね


定義をするにしても何を基準にするかによって意味がどんどん変わります

推測としては、日本の人が作る文法上は非の打ちどころがないけれど、英語をネイティヴ語とする人たちはそういう表現はしないよ、という意味のように思えますが、どういう状況でそういう「活きた」という表現をしているのかがわからないのでこれ以上は言えません

確かに日本で英語を勉強をした人の英文というのは、(今思うに)、堅苦しくて、もっと簡単でいいのになぁと思ったりします
しかし、同じような英文は私も作っていましたが、次につながる通過点として考えると恥じることは何もないと思っています(ここを通過しないと次のレベルはないということです)
教育体制や、日本特有の言語環境を考えるとしょうがないことであり、そういう不自然な英文を作る過程がないと先に進めないのだろう、と思っています

外国の人が不自然な日本語を話していても、それを笑うようなことは当然できません
まして、英語での会話を聞くことがまれな日本の環境において、英語ネイティヴの人らと同じ表現をしろと言われてもそれは無理ではないですか?
文法ガチガチで堅っ苦しくて、長ったらしい、意味は通じるけど自然ではない英文を作ったとしてもいいではないですか
それを、おかしいとか、活きていないと表現するのは、不自然な日本語を話す外国の人を笑っているのと全く同じことです
質問の方が「偉そうに」という表現されたのは、そう言わざるを得ない雰囲気があったのではないかと推測しています

学生から社会人になる際の言葉の切り替えにおいて、学生方の尊敬語などの社会人として習得すべき表現(相手への心遣いも含み:つまりpragmatics)は、「不自然」もしくは「正しくはない」のが多いです
やたらに長ったらしい語尾をくっつけて、慇懃無礼に尊敬表現を使用されても、嫌な感情だけが残ることがあります
この場合は、言葉の表現自体を知らないと言うこともありますが、社会というもの(人間関係など)がどういうものかわからないこともあるから、「適切な」表現ができないのではないですか?

日本で英語を勉強している人が、外国で日常使用されている表現を知るというのは非常に難しいことです
もともと、日本という環境で、日本の文化をもとにして、ただし英語はネイティヴ国の表現をしなさいというのは無理な話しです
外国に行けば、その国の文化や習慣をもとにした言語表現が必要になると思いますが、日本国内で使う限りにおいては、日本の文化が反映された英語を話してもいいではないですか

まあ、「英語的表現」というのは習得すべきだとは思いますが、文の形や単語レベルの話しであれば、多少鼻で笑われても恥ずることなく、「日本人の英語」としての表現をしていいんじゃないかと思います
外国で学んだ英語表現もあるでしょうし、日本で学んだ英語表現もあっていいのではないですか?
英語のレベルが上がれば、たぶん堅さもこなれて「自然な」表現になるはずですし(日本英語として)

もう一つ付け加えますと、外国の環境で使用していた表現は日本の環境では使用できないものもあるわけです(特にpragmatics: 空気を読み方、場に合った表現など)
英語だから、英語ネイティヴ国における表現をしなければいけないというルールや文法はどこにもありません
英語はもはや、英語ネイティヴ国だけの言語でなくなっているわけですし
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>帰国子女の人とかがよく偉そうに「活きた英語」・・



もし日本に住んでいた外国人が自分の国に帰れば「おれは生きた日本語がしゃべれるぜ」って自慢するでしょう。

どの国の言語でも「生きている」のそうでないものがあります。

たとえば日本語で言えば先ほどの「おれは生きた日本語がしゃべれるぜ」は口語的な現代の男性口調です。これが現地で日本語学校に通っている生徒であれば男でも女でも「ワタシは生きた日本語が話せます」になるでしょうし、これがテキストに載っている日本語の正解になっていることでしょう。

現代の日本において「はなせる」という言葉は多少堅苦しく響き、友達同士で話すなら女性であっても「しゃべれる」と表現するのが普通になってきていると思います。

これが「生きている」という意味の本質です。極端に言えばギャル語当たりは生きている日本語の最先端といえるでしょう。今の時代の気分をいままでにない言葉使いで表現しているからです。
ですのでちょっと前に流行ったKYなども生きた日本語だといえます。

しかし、外国で日本語を教える場合、どのような場合でも使える言葉使いを教える必要があり、またどの地域でも使える単語を選ぶことが必要になります。
そうすると「ワタシは生きた日本語が話せます」という言葉使いで教えざるを得なくなり「しゃべれる」という単語の持つ、生き生きとした表情が消えてしまい、なんとなくかしこまった感じにならざるをえなくなります。

これが言葉が「生きてない」ということであり、同じことを表現するにも感情や裏にあるニュアンス(例文の場合は自慢)を生かすためにはその時代にあった、単語と言い回しが必要になるわけです。これが生きているということです。

英語で言えば、たとえばインターネットが発達して大きく変わったことがあります。
それはなるべく早く返信するために、単語をどんどん短くしていったということです。有名なのはyouをU、toを2、forを4のように1文字で打つようにしたことでしょう。

最近話題になっているのが、オバマ大統領がRedditというサイトで「何でも聞いてね」と30分ほど誰でも質問していいようにしたそうなのですが、これをニュースでは「 I am Barack Obama, President of the United States ? AMA」と紹介したのですが、このAMAはAsk Me Anything:なんでも聞いてよ。というReddit用語なんだそうです。

つまりアメリカ人でもRedditを知らなければAMAがちょっと意味不明で、このオバマの行動を日本で当てはめれば、野田総理が2chで「俺、マジで野田総理だけど、なにか質問ある?」って言ったぐらいの衝撃があったでしょう。

こういう現代の気分(この場合はネットで使っているポップな表現)は当然そこに住んでいる人たちじゃないと使えないわけです。

ですので、こういうのを生きた○○語というのです。

質問者様も生きた日本語ができるのですから、帰国子女に「ああそう、でも生きた日本語知らないでしょうから、教えてあげるよ」といってあげればいいと思いますよ。
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【活きた英語】



帰国子女や、英語圏にある期間滞在している日本人が使う英語のこと。こつこつと英語の勉強をしている生徒や一般の学習者、さらには学校の英語の先生をビビらせるときにこの言葉が使われる。
 
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多くの帰国子女の人が文法テストに弱い一方で、人との会話や歌の歌詞やブログやテキスト・メッセージで困らない理由は、構造を考えずに、欲しいものや表現したいことが出てくる、そういう力を持っているためです。

偉そうにしてるかどうかは別として、自然に身についたその力を、過小評価すべきではないと思います。

文法を日本語であれこれ考えて意味を解釈しようなどとせずに。聞いただけ、読んだだけで、そのまま理解できる人の英語が、活きた英語です。

参照リンクでの人々の葛藤をみてください。
ビートルズの「All You Need Is Love」の歌詞の意味がわからず、一生懸命ひとつひとつの文章の文法解釈をしようとしている。
そんなことせずに、すんなり歌詞の意味がわかる人が使っている英語が、活きてる英語なわけです。その人にとって、構造が何であるかを考える以前に、自分のイメージや気持ち、考えをカタチにできる、コトバにできる、そういう英語は活きています。

私はニューヨークにいますが、日本から来る日本人の英語はへきえきするほどヘタだと思います。TOEICのスコアが900点かどうかを、活きた英語力の基準にはできません。それはネイティブ度のテストではないから。文法はでたらめだけどお客とちゃんと話して商売ができている日本人の美容師さんとか、ふだんから英語のみを話す現地の人たちと交わっている人々は、周囲の人たちが話す活きた英語を学べる機会を豊富にもてます。その人の英語テストのスコアが低くても、アメリカ人のもの言い、ものごし、思考パターン、文化や価値観を肌身で経験しているから、活きた英語に近づけるのだと思います。

その一方で、このサイトで文法解説を日本語でやられている日本人の方々は、活きた英語の定義はできるかもしれませんが、その人自身が話す、書く英語が活きた英語であると判断するためには、その用途をネットなどで調べて、十分に使用例がある、などといった事実の裏付けがなければなりません。なぜなら、過去の使用例をもとに学習した英語力で、しかも英語の構造をを日本語で考え、組み立てていったうえで、イミがつうじるかどうかを判定しようとしている人たちの英語ですから。だれかの英語を活きた英語かどうか判定する力はすばらしくても、それは自分で活きた英語を造り出す力とは違うわけです。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7682781.html
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>帰国子女の人とかがよく偉そうに「活きた英語」って言いますが




「偉そうに」とは一体どういう意味ですか?
「活きた英語」という言葉は、海外経験のない人たちの間でも使われますよ。

一言でいってしまえば、日本の学校英語教育や受験英語のような作り物英語とは異なり、国際社会や海外(英語圏、及び非英語圏)で日常的に会話や活字媒体としてコミュニケーション上使用される英語のことをさします。

日本だと英字新聞のJapan Times、Daily Yomiuriに出てくる社説やエッセイ、NHKニュースの英語音声放送や海外から配信されるドラマやニュース番組などがいい例です。

日本に来る英米人観光客や在住する外国人の話す英語も、この部類に入ると思います。
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1)帰国生の人たちが言うのは、日本の英語教育で教えられる英語が、実際には使われない、ないし、聞いていて尻こそばゆくなるような英語だという意味でしょう。



2)また現在よく使われる、hip な(coolな)表現ということもあるでしょう。

3)「生きた英語」を英辞郎で引きますと、everyday English, practical English, natural English などと出ています。そういう感じで捉えればいいのではないでしょうか。

4)以下は、私の考えですが、「生きた英語」は、実際には2つの意味があると思います。1つは、上記のように、日本人がよく使う、黒板とチョークの匂いのする不自然な英語に対立した概念です。そしてこのカテゴリーには、i) ご意見ごもっともな場合、と、ii)「偉そう」に言っているだけで、実際には噴飯物の場合があると感じています。waterを「ウォーター」と発音しては通じない、「ワラ」と発音するのが生きた英語だ、というようなのは ii) です。It's raining cats and dogs.(土砂降りだ)が、ダサいというのは i) になるかと思います。

5)もう1つの「生きた英語」は、ネイティブも気にする概念です。あることを表現するのにも、読んでいて(聞いていて)あくびが出そうになるものと、惹きつけられてしまうものとがありますが、後者が「生きた英語」と言えるでしょう。
 前者は、クリシェ(cliche)的、つまり機械的な英語です。逆に「生きた英語」には、よく verve(気)があるなどと言いますが、それは、spontaneity(内から自然に湧いてきたような感じ)、creativity(創造性)、individuality(個性)といったような要素によって生み出される、まさに「生きている」、機械ではないということを実感させてくれる何かがあるということを意味しています。

6)したがって、日本人として意識すべきは、

 自分の使っている英語が、ネイティブから見ると、不自然だったり滑稽なものになっていないか、が1つ、

 もう1つは、その上のレベルとして、自分の言いたいことを、ただ機械的な単調な英語によってではなく、自分の生き生きとした「声」(英語でも voice と言います)で言えているかどうか、

 ということになるように思います。どちらも簡単なことではありませんが、意識する価値はあると思います。
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私は社会人になってから仕事、留学と英語が必須ですが、自分の学生時代にならった英語表現や意味が実際その言語で生活している人たちには通じないということがままありました。

ですから、海外で生活していた時に使っていた英語とはまったく違ういいまわしなどを、これがスタンダードですよって感じで言われるとそれって違う、実際は役に立たない=活きてない英語 と感じる人はいるでしょう。

それと複数のアメリカ人の友達に日本の高校、大学受験の試験問題を見せた時、「これって何いってるのかわからない。古い英語みたいだよ。今はこういうのは言わないね。」といわれたことがあります(苦笑)日本語でいうと、現代用語ではないという感じでしょうかね。そういうのを活きてない英語に入ると考える人もいるかもしれません。
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    別に「偉そうに」言う必要は無いと思います。



    僕は英語圏に住んでいるから仕方なしに英語を使っていますが、別に日本の学校で習ったのが「死んだ英語」だとか、今使っているのが「活きた」のだとも思いません。

    近所のお襁褓をした子どもがペラペラ喋っているのを聞くと、あんまり偉そうにも見えませんし、、、あまり気になさることではないように思います。
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