No.5ベストアンサー
- 回答日時:
戦国時代の歴史の記録は少なく、戦国武将の逸話の多くは江戸時代の創作です。
この創作を抜き取る作業は、小説では極めて不十分。ゲームではほとんど為されていません。また、Wikiの豊臣秀吉の記事も、まともな研究と創作の玉石混淆。ある程度の知識のある者以外には誤った創作の秀吉像を与えてしまいます。具体的な創作例の一部として、
1,1965年の土地給与文書の副署以前にはまともな史料は無い。65年以前は確かな史実はねねとの結婚ぐらい。
2,墨俣の一夜城は創作。位置的に稲葉山城攻略には役に立たない。
3,鳥取城の米の買い占めも信頼される史料には無い。
4,竹中も黒田も軍師では無い。そんな職業も身分も日本には無い。竹中家と黒田家の創作らしい。
さて、本論。
本能寺の変から山崎の戦いを例に秀吉の傑出した能力を述べます。
秀吉は織田軍の大軍の指揮官であり、高位の外交官でもあります。こういう責任のある人物が、信長近辺との間に早馬等の連絡手段を持っていたのは当然であり、光秀への密使を捕まえたとする創作話抜きに、本能寺の変を早く知ったのは当たり前です。
知ってからの秀吉は、毛利との和睦を急いだ後、ただちに出発します。秀吉がすごいのは、
1,「天正記」によれば全軍を率いず、一部の足の速い部隊のみで畿内に帰っている。
2,「信長様は生きている。」という手紙を摂津の武将に送っている。
3,摂津の諸将や四国遠征部隊を結集して、これを主力として明智光秀を破った。
つまり、信長は生きているというデマで明智光秀の謀反の失敗を世間に印象づけ、いち早く畿内に帰って勝ち馬秀吉を印象づけ、大軍を素早く現地徴募して、数の力で勝ったのです。(天王山の件は創作)
戦国の戦いの多くは、ゲームや近代戦とは違って、真剣に戦う者は一部だけです。優れた政治宣伝で諸将をかき集めて大軍を結集した者がハッタリで勝つ、という戦国の戦いの本質をよくわきまえており、その実行能力も抜群でした。少数の奇襲で勝つ、という創作を信じる種類の人間ではありません。
☆秀吉の出自として、
29才で信長の書類に副署できるほどだったのだから、農村のリーダー格の家の出身という説もあります。私自身は、秀吉の父親に対する無関心さから、未婚の子が普通だった貧農層出身だとは思いますが。どちらにしろ、武士と農民の間に大した身分差が無い時代ですので、さほど重要では無いと思います。
No.6
- 回答日時:
私としては、決断力と度量の大きさだと思っています。
金ヶ崎の退き口や本能寺の情報を得た際の人生を左右する際の決断力は
本当に素晴らしいと思います。
それと人たらしの部分に入るとは思いますが度量の大きさですね。
お茶会で当時病となっていた大谷吉継が回し飲みする茶碗の中に
肌の膿が落ちてしまった際に他の武将が飲みたがらないのを素早く察して
石田三成が飲み干したという逸話がありますが、
これが秀吉だったという説もあります。
また、天下を取った後、外に出かける際に見かける貧乏な町民に
お金を分け与えていたという逸話もあります。
こういう人の痛みがわかり、心配りが出来る度量を持った人材なので
立身出世につながったんだろうと思います。
No.4
- 回答日時:
苦労してる分だけ、毛並みのよい武家の子息にはない技術や人脈をもっていました。
たとえば土木工事の知識。中世の戦争では土塁を築いたり橋をかけたり、それもなるべく早く、できれば一晩以内に、といった技術が非常に重要でしたが、秀吉は土民時代にそういったガテン系の知り合いが多く、一夜で砦をきずくといった泥くさいけど重要な仕事が、得意中の得意でした。
あと戦さがべらぼーに強かった。
それも剣の達人みたいなスカした技術ではなく、城を水攻めで落としたり、敵の10倍の兵力を集めて叩きつぶしたり、美しい勝ち方ではないが、武士階級出身でないぶん形にこだわらない合理的な戦術を使えました。
似た例ではジンギスカンやナポレオンがあげられます。いずれも正攻法や騎士道などクソ食らえという連中ですが、その共通点は、出自が賤しいこと。だから中世的フェアプレイ全盛の時代に、謀略をまじえた実戦的な戦いができたのです。
戦さにたけた男が立身出世できるのは、戦国の世なら当然ですね。
No.3
- 回答日時:
秀吉が立身出世できた秘訣
↓
運なのか、自分の選択なのか、織田家に仕えたこと。
※ 実父が織田家の足軽であったとか、義父が織田家に出入りしていたなど、織田家に仕官できたのはそれなりの背景があったかと思います。
※ 高坂弾正も百姓(しかも、遺産を親族に取られて、資産0)から武田家の四天王レベルになったわけなので、本能寺の変の段階で織田家の有力家臣になっていた秀吉と比較すると、「ある戦国大名家の中での出世」と考えれば、同程度の出世と考えられます。
人たらしといいますと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%BF%83% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E6%B2%BC% …
このへんの調略あたりが、後世の潤色もなく、かなりリアルな秀吉の交渉力を示しているのではないでしょうか。
他のひとたらしの話って『おれも、太閤様には評価された』というような話で、『おとうさんも、昔はワルだった』と同じような潤色を感じます。
No.2
- 回答日時:
人心掌握だといわれています。
よく語られるエピソードとしては、信長のぞうりとりをしていた頃、
冷たいぞうりを信長にはかせないように、ふところにいれてあた
ためたというものがあります。
なまぬるいぞうりに足をいれた信長は、「尻にしいていたな!
無礼者」といって激怒するのですが、そのとき秀吉は、「ふと
ころにいれてあたためていたのです。それが証拠に」といって
胸元をひらいたところ、胸元からぞうりについていた泥がおち
たのをみて、信長は胸をうたれた、といわれています。
これが、秀吉がとりたてられるようになったきっかけです。
ほかにも、一夜城のエピソードなどもあり、ただのごますり男
ではなく、事務処理能力などにもすぐれていたことがうかがえ
ます。
いずれにせよ、そうそう思いつくことでもまねのできることでも
ない、という印象ですが、そうは思いませんか。
そもそも図抜けていたのではないでしょうか。
No.1
- 回答日時:
rannhouさん、こんにちわ。
そうですね。秀吉は他の織田家の武将とはちがい、出自が低く、そのために武士の常識では考えられない知恵を持ち、奇抜な戦い方をしましたし、非常に人心を収攬する能力にたけていました。また、機会を待つ忍耐力と機会を利用する能力に恵まれていました。
詳しくはURLを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3% …
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