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下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。
(ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」
(イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」

わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。
「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。
ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。
名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。
また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。
しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。
と迷っている次第です。

A 回答 (14件中11~14件)

 現在の皇室で、天皇の地位をどのように考えているかで、表現が変わってくるでしょう。

本来は天皇があなたに会うのでなく、あなたが天皇に「お目にかかる」と言うべきでした。だから「陛下に拝謁が可能かどうか、確かめて参ります」あるいはもっとあっさりと「陛下にお会いできるか、確かめて参ります」と言うべきかと。つまり、こちら側が会いに行くのですね。この点はNo.2の方の考えに賛成です。ただ、前触れもなく直接訪ねることはないと思いますが。

 質問については、
  (ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」
  (イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」
の二つはほぼ同じ。この点はNo.3の方に賛成です。
 
 あと、他の方の回答での「可能動詞」や、「ら抜き表現」については異論がありますが、質問に答えることとは関係ないので省略します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(ア)(イ)の敬意の度合いに差は無い、というご見解ですね。
「なれる」を可能形として考えると「お~なる」という尊敬表現の型から外れてしまうため、敬意は低くなるかなと思ったのですが、#3さんのご指摘で、「お 会いに な れる」と分解できるので、「お~な(なる)」という型が維持されていることがわかりました。
可能動詞って、何か規則性があるんですかね・・・。

お礼日時:2014/02/08 18:20

小生なら、(イ)に1字だけ挿入して、


(イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになられるかどうか確認して参ります」
とします。
「ら」の一字で尊敬語が強まります。
むしろ、「ら抜き」は失礼にも当たります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

たしかに「会う」の尊敬語の場合は、おっしゃるとおりと思います。
今回は、可能形の尊敬語ということについてお伺いいたしました。

お礼日時:2014/02/08 18:13

このふたつは敬語としては同じです。


「お~になる」は尊敬語ですよね。ですから「お会いになる」は尊敬語です。
(ア)はこの「お会いになる」に可能の意味を表す「ことができる」をつけているんですね。
(イ)はこの「お会いになる」の「なる」を「な」に活用させてこれに可能の意味を表す「れる」をつけているんですね。
つまり、どちらも「お会いになる」という尊敬語を用い、それに可能の意味を持つ表現として「ことができる」をつけるか「れる」をつけるかの違いがあるだけです。つまり敬語としては同等です。

ちなみに「なれる」は可能動詞ではありません。繰り返しになりますが動詞の「なる」に助動詞の「れる」がついたものです。
可能動詞とは「泳げる」「書ける」などです。これは単独の品詞です。一方「食べられる」は「食べる」に助動詞の「られる」がついたもの、「泊まれる」は「泊まる」に助動詞の「れる」がついたもので、可能動詞ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「お会いになる」の「なる」を「な」に活用させてこれに可能の意味を表す「れる」をつけている

「お~なる」という尊敬表現の型になっている、ということですね。

五段動詞なので可能動詞かと思ったのですが、そうではないのですね。
たしかに辞書検索でもヒットしません。
何か規則性があるというわけでもなさそうで、覚えるしかないんですかね。

お礼日時:2014/02/08 18:08

どちらも間違っている気がしますが・・・



あなたが陛下にお会いになることが出来るかどうか~

なら正しいと思いますが。

天皇は究極の地位ですから、謙譲語の適用にはそぐわない
気がします。

では、例えば総理大臣の秘書が面会を求める人に
謙譲語を使うなら、

総理が本日、日銀総裁閣下と面会が叶うかどうかを
確認してまいります。

のように、誰が誰にという地位のレベルによっても
使って自然な言葉、不自然な言葉があるように
感じます。

あなた、というのはとても砕けた言い方ですし、
それとバランスがとれる言葉として会う、という
言葉をお会い、というようにするなら、

天皇があなたにお会いになれるかどうか、

は日本語として不自然に思います。

あなたが天皇にお会いになれるかどうか、

というように逆に使うのが正しいのではないでしょうか。

特に、天皇陛下の場合は、その意思というものは
現在でも人ならぬ高位のもので、滅多なことで
それを問うてはならないものだとされているのでは
ないでしょうか。

では、天皇陛下よりずっと格下の、謙ることが
不自然でない、例えば総理大臣や最高裁長官などに
置き換えてみても、その位の高位の人間であるなら
双方とも謙譲の対象であり、同時に謙譲の主体でも
あるように、上下関係を儀礼的にも明確にしない
あやふやな部分を残すのが敬語としてしっくりくる
ように思います。

やんごとなき人々の説話が、どうも地位の上下、
ヒエラルキーが不明瞭な感じに聞こえるのは
そのためでしょう。

陛下の場合は、常に「会う」という意思が叶うか
どうか判断されるのは「あなた」という気がします。

あなたが会社の一社員としてクライアントの
社長に面会を申し込んだような場合になら、

社長がお客様(あなた)にお会いできるか
確認してまいります、と言ってもやはり
不自然に感じます。

社長が、儀礼的にへりくだって持ち上げるべき
「あなた」に対して「お会い」と偉そうにするのは
おかしく感じる・・・。

やっぱり

社長がお客様に面会できるか確認して
参ります。

が比較的、まともに感じる。

韓国では、対外的にも「当社の社長様は
あなたにお会いになられません」というような
言い方が通用すると聞いたことがありますが、
日本では零細企業の一社員と大企業の社長でも

お客様が社長に御面会頂けるか、問い合わせ
ますので、少々お待ち頂けますか?

ではないかしらん。


(あなたが、あなたより目下の相手に)
お会いになれるかどうか、確認して参ります。
なら、まだしも自然かもな、と思います。

すみません、ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

天皇陛下にお会いする機会がありましたら、ぜひ参考にさせていただきます。
普段の口癖で「天ちゃん」と呼ばないように気をつけます。

お礼日時:2014/02/08 18:03

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