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明治学院大学文学部フランス文学科は
偏差値50で入れますか(;_;)?

どなたか教えてくださいm(__)m

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    模試で偏差値50だったのですが
    判定がEでした。きびしいのでしょうか。。(´・_・`)

      補足日時:2016/05/22 22:03

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A 回答 (4件)

偏差値を持ち出すときは正確な模試名を添えて下さい。


模試によって偏差値の出方が違いますので。
「あなたが受けた模試のランク表」はどうなっていたのでしょうか?

まぁ厳しくない人はぶっちぎりのA判定が出ている人だけで、それ以外はみんな厳しい。
ぶっちぎりで無理、というので無いなら、合格率が10%だと仮定すると、それは逆から見ると10人に1人は受かっているということですから、まずは10人のうちで1番の質と量の勉強をすることでしょう。
「偏差値50のまま」ではたぶん無理なのでしょう。
でも、身長は天賦の物ですが、偏差値は勉強すれば変えることができますんで。
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下記だと50ですね。


http://xn--swqwdp22azlcvue.biz/kantou_c.php#4
ただ、偏差値=合格ではありませんし、
A判定=合格でも、E判定=不合格と決定したわけではありません。
ここで入れるかどうか聞いても意味はないと思います。
あなたの実力も高校のレベルも、どこの模試かもわからない状態で、
合否に責任もない第三者が、「入れますよ。」と言えば安心しますか?
何年生かわかりませんが、入れるかどうかより、
入れるように今から試験前日まで必死に勉強するしかないのでは?
まだ5月です。模試の結果に落ち込んでいるひまがあったら、
1問でも多く問題を解きなさい。
合格お祈りしています。
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まだ時間の余裕はあるよ。

これから上げていこう。
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いちおう調べたら48だけど。

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Q明治大学と明治学院大学の違いは?。

 明治大学と明治学院大学というふたつの大学が存在すると思うんですが、両大学は同じ明治という名前を付けてますが同じ系列の大学とかなんでしょうか?。
 
 共通点と顕著な違いがあれば教えてください。

Aベストアンサー

明大OBです。友人に明学を中退した明大時代の友がいっていたことを書きます。

明治大学と明治学院大学は系列も違うし、カラーも違います。

明大ははっきりいって男臭いです(笑)。文学部は通常女性の割合が高い学部ですが、明学は通常通り男2:8女でしょうが、明大は男5:5女です。文学部といえども男の数が多いのです。でも明学は女性の方が多い大学だと思います。

あとは皆さんも書かれていますが、明大の方が偏差値が高いです。一応「東京六大学」ですから。明学の場合はそれよりも落ちます。よく「MARCH」、「坊ちゃん四大」、「日東駒専」、「大東亜帝国」と大学のレベルを指す表現がありますが、明大はMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政大学)のレベルに属します。明学は坊ちゃん四大(学習院・成城・成蹊・武蔵大学)のレベルに入るでしょう。

それと明大は無宗教ですが、明学は宗教色が強いキリスト教のプロテスタントの教えを基盤とした学校です。

以上まとめると、
1.男臭い(明大)か女臭い(明学)かの違い
2.無宗教(明大)かキリスト教(明学)かの違い
3.偏差値の高(明大)低(明学)の違い
4.キャンパスが三箇所(駿河台・和泉・生田)の明大と横浜市戸塚区のキャンパスの明学

この四点が上げられます。

明大OBです。友人に明学を中退した明大時代の友がいっていたことを書きます。

明治大学と明治学院大学は系列も違うし、カラーも違います。

明大ははっきりいって男臭いです(笑)。文学部は通常女性の割合が高い学部ですが、明学は通常通り男2:8女でしょうが、明大は男5:5女です。文学部といえども男の数が多いのです。でも明学は女性の方が多い大学だと思います。

あとは皆さんも書かれていますが、明大の方が偏差値が高いです。一応「東京六大学」ですから。明学の場合はそれよりも落ちます。よく「M...続きを読む

Q『にんじん』って

フランス文学 かの有名な『にんじん』ですが、あれは何が伝えたいんでしょうか。
最後に読んだのが小学生の時だからなのかも知れませんが、私のイメージは「虐待の話?」です(^_^;)
少年の苦悩を描いた、とかなんとか評論には書いてあるけど、なんか納得いきません。明らかに残酷な話で当時の私は激しいショックを受けました。少年の苦悩がダイレクトに分かる程心理描写が巧み、というような作品でもなかったような…。
作者は何を伝えるつもりだったのでしょうか。

Aベストアンサー

日本では児童文学のカテゴリーに分類されることが多い『にんじん』ですが、それにはかなり疑問を持っています。わたし自身、小学生のころにルナールの『博物誌』はおもしろいとおもったけれど、『にんじん』は気持ちが悪くてイヤで、読むには読んだけれど、自分のなかではずっと放ったままになっていました。

その見方に変化が起こったのは、のちに阿部昭『短編小説礼賛』(岩波新書)を読んでからです。

この本は、みずからも短編小説や身辺エッセイの名手であった阿部昭が、さまざまな短編作家にスポットを当てながら、短編小説とは何かを解き明かしていく見事な評論なのですが、残念ながら、現在では手に入りにくいようです。それでも古書検索にかけると、比較的流通しているようですし、図書館にはかならずといっていいほど所蔵されている本だと思いますので、ぜひご一読をおすすめします。

このなかで、阿部は『にんじん』の冒頭『めんどり』というテクストをとりあげ、わたしたちを『にんじん』の世界に誘います。

「ルナール自身は『にんじん』を「不完全で、構成のまずい本」と言っているが、それでも『にんじん』の一巻が『めんどり』で始まるのはいかにも適切で、作者のアレンジの妙であり、かつまた読者への親切である。それは一編の挿話でありながら、要領のいい人物紹介を兼ねている。そればかりか、各人物のこの物語における位置や役割や相互の関係といったものを一挙に示す、わかりやすい見取り図になっている」

なるほど、こうやって本というのは読んでいくものなのか! 
もう少し、引用を続けます。

「そうして、問題の主人公が初めて読者にお目見得する。その彼はどこにいたかといえば、場所もあろうにテーブルの下にいたのである。主人公の出現の仕方にもいろいろあるが、これはかなり異色である。比較の相手は大きすぎるが、スタンダールの『赤と黒』でジュリアン・ソレルが最初に登場するとき、彼は製材小屋の高い梁にまたがってナポレオンの『セントヘレナ日記』を読んでいる。あれと同じくらい印象的で象徴的である」

この阿部の読解のどこが優れているのか。
それは、こうした文章と比較してみると、実によくわかると思います。

「フランスの文学がルナールの「にんじん」(白水社)で私たちに語っているのは、親と子という血の近さではうずめられない大人と子供の世界の、無理解や思いちがいという程度をこした惨酷さではないだろうか」
(宮本百合子『若き精神の成長を描く文学』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2899_9156.html)

こうした読み方をしていると、絶対に『にんじん』のおもしろさを味わうことはできない。事実、この宮本の一文にも、「世間ではいい本ということになっているけれど、自分はこの残酷さをどう受け取っていいかわからない」という困惑が見え隠れしています。

確かに『にんじん』は「他人や動物に対して残酷な、嘘つきで、早熟な、ひねくれた、卑怯な振る舞いも平気でする、野蛮な少年」(引用は阿部同書)の行動が、つぶさに語られますから、読んでいて非常に息苦しくもなります。特に、ネコを文字通りなぶり殺しにしていく『猫』の章などは、途中でやめたくもなる。

けれども「残酷は残酷であるが、あまりに細心、精密な書き方がかえって笑いを生じるようである。…ルナールの笑いは、彼のそうした正確さへの執念、対象の骨までしゃぶり尽くそうという、徹底した書き方からも来ている」(引用同)

だからこそ、そのあとの夢の場面が生きてくる。

「作者は何を伝えたかったのか」という考え方をしているかぎり、わたしたちはほんとうにその作品を味わうことはできません。
ならばどうしたら良いのか。

「ある物語についてその主題を論じられる場合、すなわち物語の本体から主題を引き離せるとき、その作品はたいしたものではないと思っていい。意味は、作品の中で体を与えられていなければならない。具体的な形にされていなければならない。物語は、他の方法では言えない何かを言う方法なのだ。作品の意味が何であるかを言おうとしたら、その物語の中の言葉がすべて必要である。……それは何についての物語か、とたずねる人がいたら、正当な答えはただ一つ、その物語を読めと言ってやるしかない」(フラナリー・オコナー『秘儀と習俗』 春秋社)

『短編小説礼賛』は、読むための格好のガイドになってくれると思います。

日本では児童文学のカテゴリーに分類されることが多い『にんじん』ですが、それにはかなり疑問を持っています。わたし自身、小学生のころにルナールの『博物誌』はおもしろいとおもったけれど、『にんじん』は気持ちが悪くてイヤで、読むには読んだけれど、自分のなかではずっと放ったままになっていました。

その見方に変化が起こったのは、のちに阿部昭『短編小説礼賛』(岩波新書)を読んでからです。

この本は、みずからも短編小説や身辺エッセイの名手であった阿部昭が、さまざまな短編作家にスポット...続きを読む


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