プロが教えるわが家の防犯対策術!

小学校からの英語教育も始まりましたが、キチンと生徒に英語を教えられる教師が十分に養成されないうちに実施されたので、先走った感じは否めませんよね。
さて、このカテでも英語の早期教育が話題に上ることがありますが、
「外国語を覚えるのは 早いほど頭も柔軟だし、呑み込みもいい。」
とか、
「英語耳を作るには早いほどいい。大きくなってからだと 英語の微妙な音の違いを区別するのも難しくなる。」
というのは よく聞かれます。
しかし、否定的な意見の方が若干多いように感じられました。
中でも特に目を引いたのは次の二つの意見です。

「日本の英語の学習は半分は国語の勉強でもあるんです。なぜなら、辞書で適切な訳語を選び、日本語の論理に合うように訳文を組み立てるのは日本語力に他なりませんが、これは学校の教科としての国語ともベクトルが違うものです。それよりも、国語の方が 作者の考えに同調するとか、教師たちが用意した模範に沿った感想を出せるかとか、日本語力以外の要素が加わり、むしろ、 英語の方が日本語力を計るバロメータになる部分もあります。また、小説全体の趣旨を汲み取るというのは国語と英語に共通している部分ですが、やはり国語力が土台になっています。」

「小さな子供に英語を教えてるのは、スピードスケートにたとえれば、まだよちよち歩きの段階でスケート靴を履かせて氷の上で遊ばせるようなもので、仮に小学校からスケートの授業があるとして、最初のうちは、みんなよりスイスイ滑れるでしょうけど、徐々に
駆け足で足腰を鍛えた子供たちからは追い越されてしまいます。」

両意見とも妙に説得力があり納得させられる部分もありますが、何か少し違和感も感じます。

そこで質問です。英語は子供にどのように教えるのがベストなんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    必要な人に合わせたカリキュラムを作るというのには特に異議はありませんが、私が感じているのは
    化学とか物理とか理系に強くとも 英語が苦手なために チャンスロスしたり、ハンディを背負う人が少なくない一方で、英語が得意でも 理系に弱いために 折角の英語力を仕事に発揮する機会に恵まれない
    人が多いというミスマッチ現象です。まあ、もちろん Chicago243さんのように英語が得意で理系にも強ければ 鬼に金棒ですけどね。
    しかし、随分 質問の本題から逸れてしまいましたね。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/02/06 06:49

A 回答 (11件中1~10件)

読み書きなんてどうでもよく、とにかく聞ける、話せることに。

孫娘11歳で5年生ですが、英語のドラマなんか見ても、英語でやじを言ったり。歌だって、聞いてすぐに歌いだしています。宿題は10分ほどで終わる程度の量で、SPELLING CITY ってアメリカの小学生と同じ教材です。英語ってものすごい簡単って言ってます。

私も、外国語は簡単だと、思っています。

でも、今の中学校みたいな教え方をすれば、英語嫌いの子供を、大量に作り出すだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/02/04 13:44

反対意見、賛成意見どちらも正しいのですが、実は論点がずれているのです。

そこを正しく認識して、議論しないといつまでたってもかみ合わない議論にしかなりません。

賛成派の考え方は質問者様の書く通り
「外国語を覚えるのは 早いほど頭も柔軟だし、呑み込みもいい。」
「英語耳を作るには早いほどいい。大きくなってからだと 英語の微妙な音の違いを区別するのも難しくなる。」
ということです。語学という点では実にもっともです。

反対派の考え方も質問者様の書いておられる通り
「国語の土台ができていないのに、英語を学んでもうまく行かない」ということです。これももっともです。

しかしこの意見同士は全くかみ合っていないのです。
まず「外国語を覚えるには早い方が頭が柔軟」というのはその通りですが、これは母国語として覚えるということにほかなりません。親が国際結婚で日本語と英語(またはその他の外国語)の両方を常に聞きながら両方の言葉を同時進行で覚えていくならそれもよいわけですが、実はそうなると英語も母国語であって、中学以降の外国語は母国語以外、つまり英語と日本語以外で勉強する必要が出てきてしまうのです。
 なぜなら外国語の勉強というのは「母国語の文法などとの違いから、別の言語を学ぶメソッド」だからです。

したがって、英語を母国語としない、またはそういう環境がほぼありえない日本での英語教育には「早期に行う」というのは無理があるといえます。

もっとも「英語耳を作るには早いほどいい」というのはその通りで、中学生からの英語では「英語耳」は遅いのは事実です。ここだけは早めにやってもいいでしょう。ただし英語耳は「英語が話せる」ということではありません。「英語の発音をきちんと理解できる」ということにすぎない、と思っておくほうがいいでしょう。

これらを踏まえた時に日本人が中学で習っているのは、あくまでも英語を使った「外国語を学ぶためのメソッドの学習」であることを認識すべきでしょう。日本人の80%以上は英語が全く話せなくても生活が成り立つのです。しかし、仕事や趣味など英語以外の学習をする際にも、英語を習うというメソッドは役に立ちます。それはつまり「国語【日本語)を土台として外国語を覚える」ということであるわけです。

これらから浮かび上がってくる日本の英語教育の問題点は以下の点です。
・早期に英語教育をするのは無駄が多すぎる
・しかし、英語の発音だけは早期の教育のメリットがある
・中学以降の英語教育は「外国語習得メソッド」なのか「英語教育」なのかをはっきりとさせるべき

私には小学生の子供がいますが、とりあえず「点数化せず、英語に小学生のうちから触れる」というのはよいと思っています。特に最近は小学校にもALTが派遣されているため、日本人教師のスキルとは関係なくネイティブの発音に触れることができるのはよいことでしょう。
ですから、文部省の方針である「英語に親しんだり」「英語を楽しんだり」する外国語活動という定義なら私は大賛成です。そのかわり中学受験などには絶対に英語の科目を入れてはいけません。そうなると≪メソッドの学習」になってしまうからです。文部省は法律で禁止してもいいぐらいだと思います。

その代り中学の英語は「外国語を覚えるメソッド」に注力するほうがいいでしょう。リスニングはATL程度に任せて、日本語と英語のかかわりを徹底的に学ぶのです。これは受験にもなじみます。

逆に高校は中学の「外国語を学ぶメソッド」から離れて「英会話」に特化しても良いと思います。学校のレベルにもよるのでしょうが、こうすることで高いレベルの学校の生徒は早めに英会話力が見についていくでしょう。

その上で大学入試の英語は英検とかTOEFLの点数によって、試験の免除や下駄をはかせることがあっても良いと思います。

纏めます。各世代で行うことは
・小学校 英語の発音などに親しむこと、英語耳を作ること、受験で英語を設定することは禁止
・中学校 小学校の国語の仕上げも含めて、英語(外国語)学習のメソッドを徹底的に教育する
・高校  メソッドは少なめにして、徹底的に英会話にシフトする
・大学  受験の際に、英検やTOEFLのランクを勘案する。
です。

英語教育を各段階に合わせて効率化するのが良いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>これらを踏まえた時に日本人が中学で習っているのは、あくまでも英語を使った「外国語を学ぶためのメソッドの学習」であることを認識すべきでしょう。
なるほど。ですから、大学で第2外国語として学ぶドイツ語やフランス語も 2年もすれば、粗削りながら
辞書を引き引き哲学書が読めたりするわけですよね。

>日本人の80%以上は英語が全く話せなくても生活が成り立つのです。
80%どころか、90%以上でしょうね。

お礼日時:2017/02/04 13:51

私は、しっかりと日本語が使えるようになってから、英語を学ぶべきだと思います。

だからといって、英語を教えるなというわけではありません。実際、英語が身近にいっぱいあふれていますから、子供たちをそれから隔離しろといっても不可能です。その環境(たとえば、身近に英語を話す人がいるとか、英語の楽曲が好きで聞いているとか)に応じて、自然に英語も日本語も身に付けていくようにするのがいいのだろうと思います。教えるという言葉には、強制するというニュアンスが付いて回ります。それは避けるべきだと思い、自然に入ってくる環境ならば、それは好ましいけれど、無理はするべきではないということです。

現実問題として、日本語のあふれている環境において、英語がネイティブのようにできるはずはありません。言葉は、紙の上で、あるいは教材によって習得できるものではないと思います。それが用いられたときの状況などからその言葉の意味(表面的な意味だけでなく、本当に言いたいこと)を理解して、身に着けていくものだと思います。文化を含め、一体として理解できるようになるには、それなりの成熟が必要だと思います。

われわれは、日本語同様に英語が自然に話されている環境にないわけですから、早くから英語を教えても、せいぜいのところ表面的な意味だけしか教えられません。覚えられる量に限界があるとすれば、英語も日本語もと、欲張ってやっていると、虻蜂取らずになって、下手をすると日本語についても、表面的な意味だけだと思ってしまう可能性があるように思います。なんとなく、言外の意味(本当に言いたいこと)を理解しない人が多くなってきているように感じるのは、英語の早期教育の所為ではないかと思いたくなります(今の問題からずれました)。

ということで、早くから英語を教える必要はないと思います。それよりしっかりと日本語を身につけ、後に英語を学んだときに異なる文化、考え方があるのだということを理解して身につける努力をする方がいいと思います。

英語の発音、聞き取り能力については、喉や耳が日本語の音声に特化する前に話したり、聞いたりするメリットが十分あることも理解します。ですから、その人一人ひとりの環境に応じて対処することが良いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私は、しっかりと日本語が使えるようになってから、英語を学ぶべきだと思います。
極端な話、高校から英語を始めても遅くはないかもしれませんね。ただ、そうすると 大学で第2外国語を選ぶ余裕もなくなりますが。

お礼日時:2017/02/04 13:54

ピアノや水泳の教室に通っていた人が、日本語がきちんと使えなくなるわけではありません。


同じように、日本語がきちんと使えるようになるために、英語の勉強は邪魔になりません。

「英語は早くからやったほうがいい」と言う意見と、「日本の英語の学習は半分は国語の勉強でもある(だから日本の国語の勉強をしっかりやったほうが良い)」と言う意見は反対する意見ではなく両立可能です。

スピードスケートのお説に関して言えば、その子供がスピードスケートだけやっていればその通りですが、実際にはその他の運動もやるわけで、スピードスケートは生活のごく一部に過ぎません。
小さい子供に英語を教えても、家や学校での日本語・国語は普通にやるわけですから、英語をやることが日本語・国語の邪魔になるわけでは無く、小さい子供に英語を教えながら日本語・国語も鍛えれば良いだけの話です。

ただ、大部分の日本人にとって、英語はピアノや水泳と一緒であって、できたほうがいいかもしれないけど生活の必需品ではありません。
その意味で、小学校での英語教育には否定的な人が多いのでは無いでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>同じように、日本語がきちんと使えるようになるために、英語の勉強は邪魔になりません。
ここが 私が違和感を感じていた部分と関係があるかもしれません。例えば、英語の苦手な人に限って
国語力が滅法強いなんてことは珍しいと思います。私も国語の勉強の最大の妨害は 英語でなく、
全く別の要因だと考えております。ただ、小学校の低学年の児童にNHKの基礎英語をやらせたら、テキストの漢字が読めなくて挫折した という話を聞いたことがあります。

>「英語は早くからやったほうがいい」と言う意見と、「日本の英語の学習は半分は国語の勉強でもある(だから日本の国語の勉強をしっかりやったほうが良い)」と言う意見は反対する意見ではなく両立可能です。
両立させて 高い効果をあげるとすれば、一種の英才教育に近くになるでしょうね。つまり、国語をどんどん先取り学習させて 英語も小学2,3年生で始めるのです。

>スピードスケートのお説に関して言えば、その子供がスピードスケートだけやっていればその通りですが、実際にはその他の運動もやるわけで、スピードスケートは生活のごく一部に過ぎません。
kattun175さんは そう解釈されましたか。私は 英語も スピードスケートと同じように 大事なのは 基礎体力の養成であり、英語の基礎体力とは 英語に慣れることよりも「言語能力」を養うことだと 解釈しましたが。

お礼日時:2017/02/04 14:11

No4です。


コメントありがとうございます。

何よりも大事なのは言語能力である、というのは全くその通りと考えます。しかし、言語能力が学校の勉強で身につくとは到底思えません。この、教えてgooでも、何が書きたいのか全く意味不明の文章はよく見かけますし、全く論点の異なっている口論を聞くたびに、言語能力の貧困を感じます。恐らくは、言語能力は、多くの文章に触れ、多くの文章を書き、多くを聞き、多くを考え、多くを発言する、実践の中で身についていくものでしょう。

そして、日本人である以上、頭の中でものを考えるときに使う主要な内的言語は日本語でしょうから、日本語の言語能力の育成が重要であることは言うまでもありません。

しかし、英語の勉強は、全く別の話です。
英語を主要な内的言語にしようとすれば、英語圏に住むしかありませんが、それは主たる目的にはなりません。

日本人にとって、英語の勉強は単に技術の問題です。
英語の勉強をすることで、日本語能力が低下するという証拠はどこにもありません。むしろ、私の個人的経験からは、英語を上手に使える人は、日本語も上手に使えています。このことは、英語の勉強は日本語習得に邪魔にならないという証拠と言って良いでしょう。

英語が基礎的言語能力と関係ない単に技術に過ぎないとすれば、それはピアノや水泳と一緒であって、英語のみを目的とする限り、遅く始める利点はありません。
義務教育としては、足し算や九九よりは遅くてもいいでしょうが、因数分解や二次方程式の解の公式よりは早くても良いでしょう。そして今の小学校5年6年が勉強していること(つるかめ算など)を見ると、英語より後でもいいんじゃ無いと感じることは少なくありません。
である以上、英語を小学校から始めることは妥当と考えます。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>むしろ、私の個人的経験からは、英語を上手に使える人は、日本語も上手に使えています。このことは、英語の勉強は日本語習得に邪魔にならないという証拠と言って良いでしょう。
これは 質問にある スピードスケートに当てはめるなら、氷の上を速く滑れる人は 陸上を走るのも速いと いうことになりますね。

>英語が基礎的言語能力と関係ない単に技術に過ぎないとすれば、それはピアノや水泳と一緒であって、英語のみを目的とする限り、遅く始める利点はありません。
これには 特に異論はないのですが、現状は質問でも書いたように マトモに小学生に英語を教えられる教師が非常に不足しているんですよね。

kattun175さんのご意見には頷ける部分もあるし、特に私の考えと衝突するわけではありませんが、
何か、すれ違っているような気がします。

お礼日時:2017/02/04 16:09

小さい頃からやると英語土台で英語力がつくのではないかと思います。

大人や年齢がある程度を超えてから勉強するには国語力を伴わないと身につくのが遅くはなりますけど、プラクティカルに英語をこなしている人はやがて英語土台で単語を選んだり、理解したりしています。すなわち日本語に訳さなくても英語が理解できるし、思ったことを日本語ベースで英訳しなくても、いきなり英語で喋ることができます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>小さい頃からやると英語土台で英語力がつくのではないかと思います。
それには、日常的に英語にどっぷり浸かる必要があるでしょう。海外帰国子女なんかは そういう環境にある人も多いですが、今度は日本語力の弱さで苦労している人も多いようですね。

お礼日時:2017/02/04 16:13

>それには、日常的に英語にどっぷり浸かる必要があるでしょう。


それについては、どの程度英語の環境が必要なのか調べる必要があると思います。例えば日本で子供がセサミストリートが好きでづっと見続けていたら、Lookなんて言って親にテレビの画面を指差して言い出したとかいう話も聞いたことがあります。普段は日本語での生活なのに。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>例えば日本で子供がセサミストリートが好きでづっと見続けていたら、Lookなんて言って親にテレビの画面を指差して言い出したとかいう話も聞いたことがあります。
セサミストリート、懐かしいですね。まあ、テレビの影響は大きいですからね。ですから、英語も机の上だけの勉強だけでなく、そうやって リラックスして日常的に親しむのは英語の学習に大きな効果があると思います。でも、まだ 右と左を間違うような幼児が 英語を話した途端に 急に感覚が冴えて rightとleftを使い分けるのは無理だと思います。

お礼日時:2017/02/04 16:56

>でも、まだ 右と左を間違うような幼児が 英語を話した途端に 急に感覚が冴えて rightとleftを使い分けるのは無理だと思います。


同時期のNativeの子供が英語圏にいたばあいでもrightとleft(右左)の区別ができないうちにrightとleftを使い分けるのは無理なわけだから、それは英語学習とは別で、吸収できる時期の問題では?
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

>それは英語学習とは別で、吸収できる時期の問題では?
それもあるかもしれません。しかし、英語も日本語も地球人の言語です。そして、言語とは大辞泉によると「人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志 等々を伝達するために用いる記号体系。およびそれを用いる行為。音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現したり伝達する、あるいは他者のそれを受け入れ、理解するための約束・規則。および、そうした記号の体系」とあります。つまり、英語も日本語も 機能としては ほとんど変わりありません。そして、子供が言葉を覚えていくということは
外界の様々な概念の認識を学ぶことでもあります。ですから、外国語の勉強は 母国語を覚える時に すでに外界の様々な概念の認識を学習しているわけですから、それを 新しい言語に応用していくことになります。
語学って人によって 得手不得手がはっきり分かれます。でも、英語の苦手な人だって、英語によって表現された概念を理解するのは さほど難しくありません。つまり、100%正確というわけではありませんが、日本語に訳せば どんな英文だって理解できますからね。

例えば 次の英文です。

The molecule of water contains one oxygen and two hydrogen atoms.

ごく簡単な文ですが、英語ネーティブの幼児には理解できないと思います。そして 英語の苦手な高校生も 読めないでしょう。先ず、両者とも 最初の moleculeで引っかかると思います。
それで、moleculeとは何か 英語ネーティブの幼児に英語で"the smallest of matter into which an element or compond can be divided....”と 説明しても近い出来ないでしょう。 特に、今度は elementで引っかかるでしょう。一方、英語の苦手な高校生だって、moleculeを辞書で引けば「分子」という意味だと分かります。そこで、「分子」が numeratorの意味なのか moleculeの意味なのか 一瞬迷うかもしれませんが、of waterと続くので 後者の意味だと すぐ分かるはずです。

お礼日時:2017/02/05 06:47

>The molecule of water contains one oxygen and two hydrogen atoms.



>ごく簡単な文ですが、英語ネーティブの幼児には理解できないと思います。そして 英語の苦手な高校生も 読めないでしょう。先ず、両者とも 最初の moleculeで引っかかると思います。

そんな高校レベルの英語の前にいくらでも学ぶことがあると思います。走るとか寝坊するとか歯を磨くとか本を読むとかさぼるとか、、、そういうのから組み立てていけばいいわけだし、そういう概念がわかるときにその概念と英語が直結すればいいと私は思うのです。日本語から英語を理解するとかいうのも、中学校からだと仕方ない面がありますが、その段階では英語ができるとは言えないんです。やがて日本語なしに英語を理解していけるようにならなくてはならないし、それは非常に時間がかかり、中学からの教育ではそれを達成できているのはほんの僅かです。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

>そんな高校レベルの英語の前にいくらでも学ぶことがあると思います。
いや、この英文自体は関係代名詞もないし、中1で学ぶ構文ですよ。難しいのは単語だけです。
関係代名詞の構文で理解に苦しむのは 英語ネーティブの幼児ではなく、 英語の苦手な高校生の方でしょう。
それでは もっと易しい文にしましょう。

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これなら 中学レベルの英語ですよね。でも、昔 大学の英文科を卒業して英検1級を取得していても、パソコンを触ったことすらない人なら
「下の幟旗をカチッと鳴らしてください。」
と和訳したものの 何のことか分からず首を傾げるかもしれません。


>そういう概念がわかるときにその概念と英語が直結すればいいと私は思うのです。
ただ、これも限度はありますが、早い方がいいと思います。また、化学の話に戻りますが、 日本人で化学が苦手で 大人になっても 元素と元子を混同するようでは、いくら英語が得意でも elementとatomも混同します。これでは 英語でも日本語でも 化学の文献は読めません。

>日本語から英語を理解するとかいうのも、中学校からだと仕方ない面がありますが、その段階では英語ができるとは言えないんです。
Chicago243さんは バイリンガリズムを目指しているようですが、#2さんも仰っているように 大部分の日本人は 英語が全く話せなくても生活が成り立つわけだし、そこまで しゃかりきになる必要もないのでは?

お礼日時:2017/02/05 16:57

>#2さんも仰っているように 大部分の日本人は 英語が全く話せなくても生活が成り立つわけだし、そこまで しゃかりきになる必要もないのでは?



それでは、化学や数学、物理学は日常使わないしやる必要がないのでしょうか。高校までの教育というのは例えば化学だと化学の知識が将来必要な人のためにきっちりとした基礎知識がつくカリキュラムを用意しておかなければなりません、たとえ化学の原子だとか理解していなくても将来困らない人がいても。英語においても現在社会で使っている人のレベルまで達成できるベースが保証できるカリキュラムが用意されているべきです(たとえ将来英語が必要出ないひとがたくさんいたとしても)。今私が一番高校生でかわいそうだと思っているのは、高校生は志望校を選ぶ自由があります。米スタンフォード大学に行きたい日本の高校生が英語以外は全く問題ない学力であっても行けないわけです。高校生の自由が英語だけのためにかなり制限されている。もちろん誰もがそれほどの英語が使えるようになる教育を考えているんじゃないですよ。そういう人が目標を達成できるカリキュラムを用意する必要があると思うのです。実際(今はわかりませんが)ゆとり教育導入前だったら、日本のそこそこの国立大学に行ける人なら米有名校には英語さえできれば結構入学できる人がいるレベルだったと思ってます。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

>米スタンフォード大学に行きたい日本の高校生が英語以外は全く問題ない学力であっても行けないわけです。
英語だけできても入学できるわけでもないし、それで悔しい思いをしている人ってそんなに多くないと思います。
どうあがいても、非英語圏の人が英語圏の大学に入るのには ハンディがあって当然ですよ。
それに、そんなことを言ったら、フランスのソルボンヌ大学に行きたい人は ますます困るでしょう。

>そういう人が目標を達成できるカリキュラムを用意する必要があると思うのです。
それには、インドやフィリピンのように 小学校から算数や理科などの教科も英語で行うようなシステムでないと厳しいでしょうね。

お礼日時:2017/02/05 18:14

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