【大喜利】【投稿~10/21(月)】買ったばかりの自転車を分解してひと言

友人が以前、日中戦争で国民党軍は日本軍と共産党軍に敗れて仕方なく台湾へ避難したって言っていたのですが、正しくは日中戦争で国民党軍は米英独ソからの支援を受け、首都移動戦術を使って日本軍との戦いに耐え抜いた途端に共産党軍が山岳から降りてきて不意討ちを受けボロボロになった国民党軍は台湾へ逃げたんですよね?(国共内戦)

A 回答 (8件)

1936年12月の西安事変で、国民党と中共の合作の道が開けます。


1937年7月の日中戦争開始で、第2次国共合作がなされ。紅軍(中共軍)は中華民国軍に組み込まれて、第8路軍(華北)と改称されます。日中戦争においては国民党軍は基本的に正規戦を行い、第8路軍は主としてゲリラ戦を行ないました。日本軍は点と線しか押さえられず、1938年には攻勢限界に達しました。
1945年8月の敗戦時には、日本軍は完全に守勢となり、大陸内部から海岸地帯へと戦線を縮小中でした。国民党軍はそれに伴い着実に地歩を回復していきました。第8路軍は長年のゲリラ戦により日本軍を疲弊させて、華北を中心に勢力圏を大きく拡大させていました。
対日戦勝利により、臨時首都であった重慶から本来の首都である南京に蒋介石は戻り、中華民国(国民党)が主権を完全に回復します。
1946年6月、国民党軍の攻勢により、国共内戦が開始され、最初は装備・兵力に勝る国民党軍の進撃が続き、1947年3月に中共の本拠地である陝西省延安が陥落します。1947年中頃には大陸の過半が国民党軍の手中に入り、勝利は目前とみられるようになりました。しかし、農村を根拠地とする中共軍は、都市を国民党軍に奪われますが、国民党の失政から支持を失い、着実に農村根拠地を拡大していました。これにより次第に勢力比が中共軍に有利となります。
1948年9~11月の遼瀋戦役で国民党軍47人に殲滅し、戦局が逆転します。以後、淮海戦役・淮海戦役(以上、3つの戦役を三大戦役と称します)で国民党軍を殲滅して、国民党軍は主戦力を失い、完全に戦局は中共軍のもとなりました。
1949年4月23日に首都南京が陥落して、国民党軍の敗北が決定的になります。以後、武漢・広州・重慶・成都と華中・華南の主要都市が落ちます。
1949年10月1日、北京で中華人民共和国の建国が宣言されます。
一方、国民党は1949年12月7日に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都としました。

すなわち、
>日本軍との戦いに耐え抜いた途端に共産党軍が山岳から降りてきて不意討ちを受けボロボロになった国民党軍は台湾へ逃げた
ではなく、装備・兵力とも優勢であった国民党の攻勢で第2次国共内戦は開始され、これに中共が勝利したのです。
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台湾旅行期より、場所は、忘れました。

台北の案内所で、聞いてね。
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国民党軍は、戦術と武器は、ナチスドイツ、武器はナチスのチェコ工場製品、台湾で見れる!

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国民党の蒋介石は、張学良に捕らえられ、国共合作となりましたが、共産軍はあまり戦わず、共産党を嫌った日本軍に撃破されて長征と称して奥地に逃れました。

国民党軍は日本軍の攻勢終末点よりも奥地の重慶に拠点を置きました。日本が戦争に敗れた後、国民党軍と共産党軍の内戦となりました。共産党軍は大陸に残された旧日本軍の武器弾薬やソ連の支援により、又挑発の酷い国民党軍に対する国民の不支持もあり、次々に要所を失って蒋介石と国民党軍の一部は台湾に逃げました。第二次大戦後に米国は巨大になった米軍の解体、財政難にあった英国という事情からソ連ほど国民党軍を支援しませんでした。
共産党軍が国民党軍に勝てたのは、国民の支持のありますが、武器弾薬とソ連の支援、さらに日本軍が長い戦争の間に国民党軍をかなり痛めつけていたからだと言われています。
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国民党は米国と英国からはパイロットの支援を受けただけである。


米国は日本軍を混乱させる目的。
国民党と共産党の確執は今となってはわからない。
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国民党と共産党が大同団結し、蒋介石が代表で英米の支援を受け


日本と戦った(国共合作)。

日本敗戦後、国民党と共産党が内戦となったが、ソ連の支援もあり
共産党が勝利。
国民党は台湾に逃げた。
が「中国」とは台湾であった。

後、ベトナム戦争に困ったニクソンが中共を「中国」とする誤りを
行った。
五大国は「英米仏」と「中ロ」になってしまった。
トランプさん、これ以上悪くしないでネ。
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日本と国民党が戦い、国民党が疲弊したわけです。


その間は、共産党は「長征」と称して、逃げ回って
いました。

その疲弊した国民党と共産党が戦い、
共産党が勝利して、国民党が台湾に逃亡しました。

昔、社会党の党首であった「佐々木更三」氏が
中国に出かけ、毛沢東に、日本の戦争について
謝罪したことがあります。

その時、毛沢東は次のような発言をしました。

「日本軍が国民党と戦ってくれたので、共産党が
 中国の政権を執ることが出来た。
 だから、謝罪することなどない。
 感謝している」

外交辞令もあったでしょうが、これが本質です。
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そうです。

毛沢東は、国民党軍を日本軍が、弱体化してくれたと喜びました。なおかつ後の中国共産党は、日本軍と戦っても、いないのに、さも、日本軍に、勝利したように、宣伝してます。歴史を見れない共産党。
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