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日本語文法‥自動詞か他動詞か
「心配する」「待つ」は、両方とも自動詞でしょうか。

質問者からの補足コメント

  • ホラフキさん、申し訳ありません!
    寝ぼけていて、間違えてしまいました!
    「心配する」には、自他動詞があるのですね!

      補足日時:2017/06/19 02:42

A 回答 (9件)

「心配する」


他動詞ですね。
目的語が示されていない場合でも、それは単に省略されているだけと思います。
何らか心配の対象があるからこそ心配する。

「待つ」
基本的には(一般的用法では)他動詞。
下記辞書の、
4 (「俟つ」とも書く)それを頼りにしてまかせる。望みを託する。期待する。「良識に―・つ」「手腕に―・つ」
という用法の場合は自動詞でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
「待つ」についての自動詞の使い方は、知りませんでした。
目から鱗です!

お礼日時:2017/06/20 00:24

日本語でも英語でも、基本的には使用の仕方の形式から判断するのが妥当なのでしょうか。



冬の厳しさを心配して、春夏秋と働けるだけはたらき、冬は根気よく春を待つしかない。

という文を考えてみて、意味的に考えたとき、人間同士は努力によってお互いに働きかけることができて他動詞だが、自然に関しては、基本的に人間の努力とは関係なく自然は自然にふるまう、自然は人間に恵みを与えることもあり、また、畏れをおこさせることもある。人間は生きるための努力することはできるが、自然は自然のままだ、人間の努力によって自然を動かすことができるとするのは、人間の傲慢かもしれない。科学はどうあるべきでしょう。

よって、自然を心配し、自然を待つのは自動詞、ということになりませんか?

あほな回答してすみませんでした。
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この回答へのお礼

素晴らしい例文をありがとうございます!
お考えはよくわかります。
私は‥文法的に考えた場合どうなのだろうか‥‥と。
私も、人間的に考えられれば‥‥同じように思うかもしれません。
何度もご丁寧に、本当に
ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/19 15:15

日本語の辞書では、自動詞・他動詞の区別をはっきり書いているものが少なく(例「大辞林」「大辞泉」)早くから区別していたのが「広辞苑」「日本国語大辞典」です。

最近の辞書は次第に区別するようになってきました。たとえば「三省堂国語辞典・第7版」などがそうです。
 その「三省堂国語辞典・第7版」によれば、「する」は自・他同形、すなわち使われ方によって、自動詞・他動詞のいずれにもなると言うことです。「する」単独よりも、多くのサ変複合動詞で、その複雑さが現れます。
 たとえば「漢語+する」の場合、動作性を持つ「漢語」(例・印刷)についた「印刷する」は、たとえば「テスト問題<を>印刷する」といえば、当然他動詞です。一方「爆発する」は「~を爆発する」のように「ヲ格」を取りませんから、自動詞と言うことになります。
 「うろうろする」のように、「副詞+する」という形の複合動詞の場合は「その辺をうろうろする」と言うので、一見他動詞に見えますが、この「を」は、経過したり出発点を表すため、「他動詞」とは考えないことになっています。
 また、「いう」の場合は、「ふうふういう」「がたがたいう」「こういう」「~という」などの場合は自動詞、「文句を言う」「意見を言う」「ものを言う」は他動詞としています。
(「三省堂国語辞典・第7版」による)
 このような判断の難しい問題があるため、辞書によっては書かなかったのだろうと思います。

 なお、「待つ」は他動詞です。また、「心配する」はサ変動詞ではありますが、「心配」という語には「相手に対する心配り」があり、「~を心配する」の形でつかわれるので、やはり他動詞でしょう。

 なお、自動詞・他動詞の機能的分類について、「日本大百科全書」では、次のように書いています。
 以下引用………………

一般に、目的語をとるものを他動詞、とらないものを自動詞という。日本語にこの区別を認めない意見もあるが、認めるのがよいと考えられる。その根拠の一つとして、語形のうえで自・他が区別されている動詞が少なくないことがあげられる。前に「を」がくるものを他動詞とするという基準は成立しない。「家を出る」(「出す」という他動詞形あり)、「道を進む」(「進める」という他動詞形あり)のように、自動詞も「を」をとりうるからである。一方、「大きな体を湯に浸(つか)る」「顔に笑みが湛(たた)える」「壁に背をもたれる」のような実例があるが、これは自・他の区別に関して厳密さを欠く用法として、別扱いにする必要がある。要するに、自・他の区別は、形態・意味・文法の3点から総合的になされるべきものである。

  引用終わり………………
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この回答へのお礼

大変詳しいご説明を、ありがとうございます!
全くおっしゃる通りですね。
「喧嘩する」は自動詞、「勉強する」は他動詞ですね。
よくわかりました!

お礼日時:2017/06/19 15:08

家にある国語辞典を見てみました。



心配 名・自他サ変
待つ 他五

となっています。国語辞典みてみてください。
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この回答へのお礼

何度もご丁寧にありがとうございます!!!
「待つ」には、自動詞と他動詞の両方があるのですね!

お礼日時:2017/06/19 02:37

わからないです。

文法の本を探して読んだほうがよいのかも知れません。

私があなたに完全に振られた状態で、「私はあなたを心配しています。いつもの公園で待っています。」と伝えて、あなたが公園に来たら、私の言葉があなたを動かしたので他動詞、あなたが公園に来ないで私が待ちぼうけを食ったら、あなたを動かすことができず、自分のみを動かしたので自動詞というのはどうでしょうか。

自分ではない何者かをも動かす行為なら、他動詞なのでしょうか。
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。
本当におっしゃる通りですねぇ‥。
考えれば考えるほどわからなくなってきてしまいますね。

お礼日時:2017/06/19 02:35

日本語における、その定義は格助詞「を」を伴う(いうる)かどうかの外形的なもので決まることになっています。


http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/1h93fy/jita.html

これに従えば、~を心配する、~を待つ、は当然他動詞で、また~の部分は必ずしも目的格と限ることなく、その対象と言うことになります。この点英語などとは異なるため、日本の若い英語学習者を逆に混乱させることもあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
英語(「心配する」も「待つ」も、英語では前置詞を取るので、自動詞ですものね)と混同してしまうと、わからなくなってきてしまいますね。

お礼日時:2017/06/19 01:50

~を、は確かにそうですね。


心配すること、待つことそれ自体で私自身にとって完結しているならば、自動詞なのでしょうか。

私はあなたを心配しています、私はあなたを公園で待つ、

はあなたを対象にしているように思います。もしかして、完全に振られた状態で、

(あなたはこのことを知らないが)私はあなたをいつも心配しています。
(あなたはこのことを知らないが)私は約束した公園で待つ。

となると、心配すること、待つこと自体あなたとは関係なく自分自身で完結する行為と考えて自動詞のような気がします。
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この回答へのお礼

詳しい例を、ありがとうございます。
そうですね‥‥確かに。
ところで、自分自身で完結する行為が自動詞なのですか?

お礼日時:2017/06/19 01:37

どちらも他動詞に思える。

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この回答へのお礼

「〜を 」に続くからでしょうか。
「〜」は目的語になるのでしょうか。

お礼日時:2017/06/19 01:16

はい

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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2017/06/19 01:10

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