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ドイツ語の古典を読もうと思ってドイツ語勉強中の者ですが、不定代名詞とは何か、というか、何が不定代名詞なのか、が良く分からないので質問します。

1.man, jedermann, jemand, niemand, etwas, nichitsあたりが不定代名詞の代表選手らしいのですが、それ以外で、allerとか、vielだとかwenigも不定代名詞らしい。welcheとかkeinerはどうなのか。はたして、不定代名詞を全部列記すると何になるのでしょうか。それとも全部を列記する事は出来ないのでしょうか。

2.あるソースによると、不定代名詞と思えるeinem(m3)とか eines(n 1)などは、不定限定詞という名前が着いています。不定代名詞と不定限定詞はどう区別されるのでしょうか。また不定限定詞はリストアップ可能でしょうか?

3.manが不定代名詞で、der Mannが名詞であることを考えると、jedermannはなぜjedermanではないのか、語源的なぎもんが生じます。jedermannがなぜ男性だけを示す語形になったか、ご存じの方がいらしたらご教示ください。

どれか一つでも良いですので、ドイツ語にお詳しい方よりアドバイス頂けると有り難いです。

A 回答 (3件)

便宜上、2番目の質問から始めます。


「不定限定詞」という用語は、ドイツ語の文法では使いません。
ほかの言語でもほとんど聞きません。
英語などで「限定詞」という場合、それは名詞の前に置かれてそれを修飾し、
名詞の意味を明確にする語を指します。
http://www.efjapan.co.jp/eigo-resources/english- …

some booksというときのsomeは、booksを限定するものの、漠然とした数(不定)です。
someが単独で使われる場合は、不定代名詞ですが、
名詞の前に置かれて形容詞的に機能する語を限定詞という呼ぶので、
「不定限定詞」という言い方をするなら、それは、
「不定代名詞の形容詞的用法によって名詞を限定する」ということになるはずです。
検索で調べてみましたが、ウィキペディアの「ドイツ語の文法」を御覧になったのでは?
もしそうなら、einerだけを不定代名詞から区別するようなその記述は誤りです。
日本語で書かれたドイツ文法にしろ、ドイツ語で書かれたドイツ文法にしろ、
不定代名詞の項目でeinerを特別な機能として定義しているものはありません。
私は日本語版のウィキペディアを全く信用していませんが、
その記事の代名詞の冒頭の説明からして不適切ですね。
ドイツ語文法ではなく、英語文法の考え方で書いているようですし、
量もわずかで、10年前から更新されていません。
「不定代名詞の形容詞的用法」ということなら、ほかの不定代名詞もそういう用法が可能です。
不定代名詞(Indefinitpronomen)の多くは形容詞的な用法が可能で、
ドイツの文法では、そういう用法で使われた不定代名詞を、冠詞類(Artikelwörter)として記述することもあります。
単独で不定代名詞として使うなら、
Jedes ist gut.(どれも良い)/ Alles läuft perfekt.(全て完璧に行く)のようになり、
冠詞的(形容詞的)に使うなら、
Jedes Buch ist Abenteuer.(どんな書物も冒険である)/ Alle Leute laufen davon.(全ての人が走り去る) のような形になります。
通常、どちらの用法の場合も、「不定代名詞」という呼称で通しています。

「何が不定代名詞かわからない」という御質問は、
この「不定限定詞」という妙な用語による混乱からきているのではないかと思いますが、
不定代名詞というのは、不特定の人、物、概念などを表す語で、それほど難しいことではありません。
ただ、先ほど書いたように、単独で代名詞として使う場合も冠詞的に使う場合も不定代名詞と呼ぶため、
それもわかりにくい原因の一つになっているかもしれません。

どういう語を不定代名詞と定義するかや、その意味や機能による下位区分は、
ドイツの文法でも統一されていませんので、列記される語も文法書によって異なると思います。
日本の文法書では、まず人を表す不定代名詞として、man, einer, keiner, jemand, niemand, jederman、
ものを表す不定代名詞として、etwas, nichts などがまず挙がります。
人を表す不定代名詞には、さらにirgendwer, irgendjemandなどがあり、
ものを表す不定詞にもirgendwasなどがあります。
人を表す不定詞には、「誰かのような人(達)」を表す、-gleichenで終わる語もあります。
これは、すべての人称で作成できるので、
meinesgleichen(私のような人、誰か)deinesgleichen, seinesgleichen, ihresgleichen,
unseresgleichen, euresgleichen, Ihresgleichenとなり、次のように使います。
Seinesgelichen findet man nirgendwo.(彼のような人はどこにもいない。)
人、物、両方に使えるものもあります。たとえばall-ならば、
Alles ist vorbei.(全ては終わりだ)/ Alle waren freundlich.(みな親切だった)のように使います。
このようなタイプの不定冠詞を含め、以下のような不定冠詞がまだあります。
alle, andere, beide, einige, etliche, irgendein, irgendwelche, jeder, manche, mehrere, sämtliche, viele, welche, wenige
(sämtlicheは、基本的に冠詞的用法が主となります。)
口語では、irgendwerやetwas, irgendwasを、wer, wasと短く言うので、これも入ります。
また、文法書によっては、単独で使わない語も不定代名詞として挙げていることがあります。
allesamt, ein bisschen, ein wenig, ein paarなど。
これらを不定代名詞としてとらえるのは少しわかりにくいかもしれませんが、副詞的な用法ということになります。
Die Tests sind allesamt gut verlaufen. テストはどれもみな順調に経過した。
Ich habe noch ein wenig Geld. 私は、まだ少しお金を持っている。

文法書によっては、alle, jede, mancheなどを「不定数冠詞」として冠詞の章で扱っています。
以上のように、単独で使う場合も、形容詞的、冠詞的に使う場合も不定冠詞と呼んだり、
冠詞類の一種として扱ったりするところは、わかりにくいと言えるかもしれません。

回答No.2に続きます。
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この回答へのお礼

なるほど、日本語のWikipediaはやはり問題が多いです。

私は、Wikipediaと東京外国語大学(TUF)のドイツ語モジュールと、京大の法学部の先生が個人的に書いているサイトをよく見るのですが、ドイツ語に関してはWikipediaの日本語サイトは観ないことにします。

ドイツ語を学ぶにはドイツ語のサイトが良いに決まってると思うのですが、まだドイツ語の理解力が怪しいので、ドイツ語でドイツ語に関して読むのはもう少し先かなと思っています。

信憑性に確証がないネット上の情報は観ないで、古典的な関口存男の文法書でも購入した方がよいでしょうかね?
なにか一つ、最後に戻ってくるべき文法書があると安心ですよね。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2017/08/27 23:43

jedermannの-mannですが、manと(der) Mannの語源は同じです。


Mannは、今はもう男性の意味しかありませんが、最初はただ「人」を表しました。
古高ドイツ語と中高ドイツ語のmanにはまだ「人」「人間」の意味が所々残っているそうですが、
その意味はmanの方に残り、Mannは男性の意味に限られてきます。
語源の解説は非常に込み入っていて理解しにくいのですが、
「人」「人間」を意味する古インド語のmánuh(人)や、
タキトゥスがゲルマン民族の祖である神の名前として書いている、
ゲルマン祖語*mannan-由来のラテン語Mannusと関連があるとのことです。
ヨーロッパ諸語の同義語の大部分の語源と考えられているのが印欧祖語の*manu- もしくは*monu-ですが、
nの数の違いは、ゲルマン祖語と印欧祖語の間での違いと関係があるように見えます。
そして、これらの語源として考えられているのは、印欧祖語の*men(ə)-ですが、*men-の可能性も考えられています。
*men(ə)-の方は、「考える」「興奮している」などの意味で、mahnenなどもこれが語源とされますが、
こちらに従って、「考える者」というのがMannの原義という説明が主です。
もう一方の*men-は、「突出している」「そびえ立つ」の意味で、
こちらに従った場合は「そびえ立つ者」「直立して歩く者」という意味になると推測されています。
そしてこれは、「山」を意味するラテン語のmōnsが語源とのことなので、
そうなった場合、英語のmountainと語源が同じということになります。
jemandやniemandの中のmanも、「人」を表すmanが入っていることになりますが、
jedermannの-mannも元の意味である「人」「人間」であって、「男」の意味は入っていません。
こちらになぜnが二つ残ったのかまではまだ調べていませんが、
男女平等がうるさくなってきて、女性を考慮すべき微妙な状況では避けられるようになったということです。
こういう傾向は1970年代から始まっており、
たとえば、「学生たち」というときに、男性形Studentの複数形Studentenではなく、
間に大文字のIを挟んだ die StudentInnen という綴りや、
動詞studierenを名詞化した die Studierenden を使う習慣は数十年前からあります。
jedermannも、それに相応する女性形jedefrauという語が作られたそうですが、
私がドイツ語圏にいた頃は一度も聞いたことがなく、比較的最近のことかもしれません。
Dudenなどの辞書にはすでにjedefrauが収録されているということです。

参考
Mannの語源
http://www.wissen.de/wortherkunft/mann
https://www.dwds.de/wb/Mann
jedermann
https://www.korrekturen.de/beliebte_fehler/jeder …
~~~~~~~~~~~~~~~
knowledge, intelligence, wisdomの質問も拝見していたのですが、
仕事で時間がなく、投稿はできませんでした。牽強付会には困ったものです。
この質問とは関係ないのであまり書きませんが、部分集合にはならないと思います。
intelligenceは、知識をつなげて活用する「知力」と考えます。
良いか悪いかには関係なく、ITの知識を豊富に持っているものが、
それを巧みに活用する知力を持ってウィルスを作成したりハッキングを行ったりする場合も、
intelligenceの内に含まれると考えます。wisdomは、そういうことをしても良いことはない、
と判断する賢明さでしょう。
普通、knowledgeとwisdomの比較は割とありますが、intelligenceはあまり比較されないような気がします。
ドイツ語ではWissenとWeisheitですが、ドイツのテレビで放送した『西洋の思想家たち』という
対談番組のシリーズでは、その1回がWeisheitに当てられていて、Wissenとの違いを語っていました。
ここで最初にWeisheitの例として挙げられているのが、ブレヒトの戯曲『コーカサスの白墨の輪』です。
戦乱のさなかに親と離れ離れになってしまった子供を育てた女性と、
血のつながった母親が、自分こそが母親であると主張し、
裁判官は、白墨で引いた輪の中に子供を立たせ、二人に子供の手を引かせます。
育てた方の女性は、子供が裂けてしまうことを恐れて途中で手を離してしまいますが、
裁判官はそれを以て、育てた女性を本当の母親と言い渡すものです。
現代ならば、DNAで判定し、法律の知識を活用すれば、実の母親が確実に勝利しますが、
こちらはintelligenceという知力の範囲と私は考えます。


聞きとりにくければ、文字に起こした書籍もあります。
以下、回答する時間があればと思って見つけておいたサイトだけ紹介しておきます。
間に合わなかったので、私はほとんど読んでいません。

Information, Knowledge & Intelligence
https://philosophynow.org/issues/98/Information_ …

knowledge
http://www.iep.utm.edu/knowledg/

wisdom
https://plato.stanford.edu/entries/wisdom/

教育の観点からは、下のような図を多く見かけました。
http://ritholtz.com/wp-content/uploads/2010/12/u …
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この回答へのお礼

大変興味深いサイトをご紹介いただき、有難うございます。

私のドイツ語力ではまだ聞きとれませんが、このDenkers des Abendlandesを覚えておきます。名前も素敵ですしね。


Information, Knowledge & Intelligenceに関しても有難うございます。
私の問いと同じ問いが他所でも議論されていると思うと、なんか嬉しいです。

ご紹介いただいた図ですが、この図上にintelligenceを位置づけたらどうなるのか、興味津々です。
でも、部分集合の関係にはなさそうですね。相互になにが差分となっているのか、問題意識を持って考えてゆきたいと思います。

DNA鑑定よりも、人間の英知による判定の方が「より良い」感じがしますね。
真実よりも良い判断があるという事が、哲学など人文科学を学ぶ動機になります。

重ね重ね御礼を申し上げます。

お礼日時:2017/08/27 23:57

>古典的な関口存男の文法書でも購入した方がよいでしょうかね?


>なにか一つ、最後に戻ってくるべき文法書があると安心ですよね。

関口存男はさすがに古すぎます。用語にも奇怪な造語が多く、
独訳の問題文にも滑稽なものが多く、独訳の例も使えないものがたくさんあります。
一度も海外へ出ず、文献のみで研究した人なので、今でも評価する人はいますが、
現代に実用になるドイツ語習得には向きません。
大著が多いのですが、講話のような内容で無駄話も多く、
Frakturという旧字の活字のものもあります。
すでに著作権が切れているので、ダウンロードできるところがいくつかあります。
特にお勧めはしませんが、一応有名なものなので、保存しておくのもよいかとは思います。
私もダウンロードしてはありますが、使ってはいません。
一部、なぜかアダルトの広告が出てしまうサイトがあるので、
リンク先はすべてプロフィール・ページの方に張っておきます。
用が済みましたら削除します。

文法書は、やはり複数必要と思います。初級の文法書を既にお持ちなら、
中級の充実したものを2~3冊。私も最近、確認したいことがあって1冊買い足しました。
ただ、辞書も文法書も、最終的にはドイツのものを見ないと細かいところ、
微妙なところがどうしてもわかりません。ドイツのものは何冊も見ています。
辞書では、現在入手困難ですが、白水社の『ドイツ語不変化詞辞典』が手放せません。
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この回答へのお礼

有難うございます。
早速、新ドイツ語大講座をダウンロードさせていただきました。

白水社のドイツ語不変化辞典は、1975年に購入し、死蔵していたものが蔵書にありました。ほとんど使用した形跡がありません。カビ臭いですが、使ってみようと思います。

文法書に関しては、「中級ドイツ語のしくみ」清野智昭著をネットで注文しました。書評が良かったのと、検索型ではなく、読み物風の書物が良いとおもったからです。

今回も大変貴重なアドバイスを頂きありがとうございます。

頂いた情報をできるだけ活用して、「ドイツ語が読めるようになる」という目標を実現したいと思います。

お礼日時:2017/08/28 08:30

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