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「される」は「する」の受身、尊敬形だと思いますが、可能、自発形でもあるのでしょうか。

A 回答 (10件)

「される」は、サ変の動詞「する」の未然形「さ」+受身・可能・自発・敬意を表す助動詞「れる」です。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
される と することができる がどうも結びつかないのですが。
できる なら分かりますが。

お礼日時:2018/10/01 09:57

可能は「れる・られる」これも敬語にもなります。


自発もこれですね。
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しうる

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

しうる も聞きますね。

お礼日時:2018/10/01 22:21

「することができる」は、「する」を「事」として名詞で捉え直し、これを「出来る」と可能表現してます。



彼はトラックを運転することができる。
彼は何でもすることができる。
 
なお、「する」+可能の「れる」の場合は、「する」が未然形の「せ」になり、

彼はトラックを運転せれる。
彼は何でもせれる。

のようになります。■
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

受身、尊敬は される で、可能は形が変わって せれる になるということですか。

お礼日時:2018/10/01 22:25

自発は簡単で、「自然と思い出される」みたいな感じですが。


可能の用途は、「可能動詞」の登場で、「動詞+助動詞(れる,られる)」と言う可能表現は、古語的になってしまい、余り使われなくなって来ています。

たとえば「5時に来れる?」と尋ねられて、可能な場合、現在は「行けます!」って言いますよね?
ただ、昔は「行かれます」と言う表現もされていました。

「行けない/行けません(可能の否定形)」の方が、まだ判りやすいかな?
すなわち、「行かれません」なら、辛うじてまだ通用するでしょ?

「行かれません」も、「行くことが出来る」と言う可能表現を、否定形にして、不可能と言っている訳です。
従い、「れる,られる」と言う助動詞には、可能の意味も含まれると理解してください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに自発はありますね。
される は可能の意味もあるということですか。

お礼日時:2018/10/01 22:13

先に「可能動詞」の動きについて述べておきます。

「可能動詞」は本来「五段活用」にしかないことになっています。しかし、それに楯突くのかどうか知りませんが、「起きれる」(上一)「寝れる」(下一)「来れる」(カ変)という形が一部で使われ、「ら抜き言葉」と批判される一方で、専門家の中には将来これが正式になるだろうと、予測する人もあります。「サ変」の場合はどうかといいますと、「(することが)できる」言うのが代用として使われます。(ところで、これは一応おいといて)
 本来の決まりに従って、「サ変」には「れる・られる」がつくと、「せ・られる」ではなく、「五段」と同じ「れる」がつきます。すると「さ・れる」ということになり、受身・尊敬・可能・自発のいずれも「される」で表して良いことになります。
(サ変の未然形は「さ」「し」「せ」の三つがありますが、この場合は「さ」を使う)
○人々から<尊敬さ>れる(受身) ○今度の選挙に<立候補さ>れる(尊敬)
○こんな喧しいところでよく<勉強さ>れますね(可能)
(これ本当に可能を表しているかどうか、すっきりしません。尊敬にも取れるし。この場合最初の「可能動詞」でもいったように、「できる」を使えば問題なく分かります。)
○こうしていると、自然に<記憶さ>れます。(自発)
(「自然に」という言葉をつけてやっと「自発」かなと、思われますが、どうなんでしょう。実は現代語の自発にはちょっと条件を伴うようです。以下、「日本文法大辞典」より引用)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自発の意味は可能から一転してできたように説かれるが事実はむしろ逆で、自発から可
能ができたものである。この自発という用語は「子供が自発的に勉強する」というような、「他から強制されずにみずから進んで」という意味とは異なっている。
 自発の意味を表わすのは、上に来る動詞如何によることが大きく、「思う」「感ずる」「忘れる」「驚く」「聞く」「思い出す」「見る」[考える]「味わう」「しのぶ」「想像する」など、心の動きを表わす動詞や感覚に伴う動詞に限られている。
 しかしこれらの動詞の下に助動詞が来ると、いつも必ず自発になるとは限らない。この自発被動の場合の主は非人格なもので(自動詞なら主はない)、被動の客体(自然作用の主体)は特定人であって客語はない。
 日本語では自発の表現が一般的によく使われ、「……と思われる」「……と見られる」
「……と考えられる」などという文末表現が多い。また動馴に自発の助助制がついたのと同じような意味を表す自発的動詞(中相動詞)が発達している。
すなわち、「泣ける」「授かる」「…にあずかる」「教わる」「売れる」「くずれる」などその例である。
  (吉田)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ということで、「可能」「自発」は条件次第ということになりそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

される には可能の意味もある(あるいは、あった)ということですね。

できる が する の可能動詞と言えると思いますが語源的には する と できる は全く別のものでしょうね。

お礼日時:2018/10/01 22:31

No.6です。

OCRを使ったので一部に意味不明の部分がありました。よく確認しませんでした。すみません。
「また動馴に自発の助助制がついたのと同じ…」×

「また動詞に自発の助動詞がついたのと同じ…」○
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自発なら複合動詞にありますよ。


追慕される(自発):亡き母が追慕される

可能は、~しうる、~されうる、となりますね。紛らわしいからでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

しうる の うる は動詞ですか。れる のような助動詞ではないですね。

お礼日時:2018/10/01 22:40

> される は可能の意味もあるということですか。



現代では余り使われませんが、まだ残留していると考えてください。

また、正確には「される」に可能の意味が残留しているのではなくて、助動詞の「れる/られる」の方です。
従い、「行か(動詞)+れる(助動詞)」と、その否定形の「行か(動詞)+れ(助動詞)+ない(否定)」を例示した次第です。

「行ける」が可能を示すことは判りますよね?
では「行けない」は、可能の否定であって、可能が含まれています。
更に「行けない」と「行かれない」は同義ですから、この中に含まれる助動詞「れ」には、可能の意味がある訳です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/10/02 16:50

>される には可能の意味もある(あるいは、あった)ということですね。


「勉強さ・れる」は「サ変動詞」の未然形に「れる」(「れる・られる」の「れる」の方)が付いたものです。これが今でも正しい形と考えられています。しかし、実際使うと「受身・尊敬・可能・自発」の意味を兼ねているため、分かりにくいのは確かです。
そこで、「勉強+できる」(勉強ができる)という「複合動詞」の方が分かりやすいことが理由で使われます。
 なお、「れる・られる」(せる・させるも同様)は、「れる」は五段活用に付き、それ以外の(上一・下一・カ変・サ変)活用には「られる」付くという分類が分かりやすいのですが、「サ変」だけは「五段」と同じように「れる・せる」がつきます。
 勉強さ・れる(勉強さ・せる)

>できる が する の可能動詞と言えると思いますが語源的には する と できる は全く別のものでしょうね。「できる」は可能の意味を持った動詞です。(上一段活用)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
よく分かりました。

書く の場合は 書く から派生した可能動詞 書ける があり、普通こちらが使われるので 書かれる と言っても 書く の可能形という感じがしない。

する の場合は する から派生したものではないが、可能の意味を持つ動詞 できる があり、普通こちらが使われるので される と言っても する の可能形という感じがしない。

ということですね。

お礼日時:2018/10/02 16:50

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