

No.5ベストアンサー
- 回答日時:
出だしは良いと思います。
元寇について私らが学校で教えられたのは、当時の世界大国である元の国書を無視し使節まで打ち首にしたことから元が日本を滅ぼすためだった、ということと神風が吹いた、ということでしたので、着眼点を日宋貿易にして深堀すれば良いと思います。
具体的に深堀りすべきポイントについて指摘してみます。
・日宋貿易における主要品目の交易量がわかると良いのですが、日宋貿易と言っているが実態は日本の各地のドンが独自に宋と交易していただけなので無理かな、と思います。
・硫黄がキーになるとのことですが、当時の中国で硫黄が産出されていないことと黒色火薬の消費量が推測できるといけそうですけど、これも無理かな、と思います。
・中国にとって硫黄が必須にも関わらず、元寇の第三次計画が実行されなかった理由が必要になると思います。ここはこじつけ出来そうな気もします。
・侵攻した海洋ルートも大事です。アホな歴史家は古代から東シナ海ルートが存在していたかのようなことを言っていますが、遣唐使の海洋ルートの変遷から判断して、それはうそっぱちです。
対中国や対朝鮮半島と関わる日本の歴史は、日本側の島国根性丸出しの無知すぎる理由で歴史解釈されていることが多いので、中国側の視点にたって考えることが大事だと思います。私なりに整理してみましたので、参考にしてください。
まず鍵となる出来事です。
1271年 クビライが元を国号とする
1274年 文永の役
1279年 南宋滅亡
1281年 弘安の役
以下、調べたことを元にたぶんこれかな、という内容です。
1274年時点でクビライにとって日本の存在は魚のしっぽ程度の存在で、東アジア地域支配における最重要は南宋を滅ぼすことだったと想定されます。そのために万が一脅威になるかもしれない日本を攻撃した、というのが有力だと思います。事実、この時の現場要員は高麗軍だったようで、少なくとも元の主力ではなかったと思います。
1281年時点で南宋は滅んでいますので、文永の役とは全く違う目的だったのではないかと思います。それは、南宋軍残党の日本移住計画が有力だったと思います。
日本の場合、内乱収束後に失業した軍人の処遇をみると、江戸幕府初期や明治維新において全て殺してしまっていることから、国内の平和な時代を築くうえで余った軍人の処遇は重大な事項だったように思います。
質問者様の説をもとにチョコっと調べてみました。
文永の役で日本人が始めて目にした黒色火薬の威力は絶大で、多くの記録もあると思いますが、この時代 最後は肉弾戦で勝敗を決していたようです。
肉弾戦の前に相手の兵力を削ぐのが目的だったと思われ、弓矢と同じような使われ方だったと思われます。この火薬がヨーロッパに渡って大砲に進化するのは15世紀初頭だったようで、まだ100年以上先ですね。
黒色火薬の硫黄成分比は20%程度ですので、例えば、南宋で年間1トンの火薬を生産していたとすると、硫黄200kgを輸出していたことになり、確かに薩摩硫黄島で取れる硫黄は薩摩藩の時代は重要な輸出品となっていたようですが、鎌倉時代に交易されていたのかどうかについてはめんどくさいので調べていません。
南宋滅亡後も元にとって硫黄が重要品目だったのならば、第三次元寇を優先していたはずですが計画だけで終っています。このこじつけは、以下のようなことを考えました。裏はとっていません。
・済州島から産出される硫黄で十分足りた。
・東南アジア進出により、この地方からとれる硫黄でまかなった。
・元の弓矢や騎馬軍は威力があったことから、南宋ほど火薬を重要視していなかった。
なお、歴史家のこじつけには凄いものがあって、バカじゃんと思うような説でも、「誰からも反論無かったので認められたと判断します。」ということを真面目に書いた書籍を見たことがあります。
過去に起きた事実はたったひとつなのに、歴史家の手にかかると「諸説あって」ということになるのが歴史の面白いところではないかと思います。そういう意味で、自説は、反論できる有力な証拠がない限り押し通すことができ、なんでもありの世界だと思います。
最後に、くれぐれも目的を見失わないように。目的は単位をとること、できれば優で、ですので教授の歴史的関心事や自説などには注力したうえで、教授が食いついてくるような抜けのあるレポートにすることが大事だと思います。
書籍の丸写しはどうでも良いことで、私も全くそのとおりだと思ったので、結果としてこの文章になってしまいました、と言っておけばよろしいのでは?
ほどほどに頑張ってください。
No.4
- 回答日時:
はじめまして
>クビライは日本と宋の同盟関係を見抜いていたので、日本を攻略しようとしたのである。
少なくとも当初は日本と国交を結ぶことを提案しており、最初から攻略しようとしていたわけではありませんね。
このあたりフビライの国書をきちんと読まれましたか?
日本を攻略することになったのは、日本が国交締結を拒否しあまつさえ外交の使者を斬首したことでしょう。
どの程度のレポートなのかはわかりませんが、対馬での闘いの武将まで入れていたら分量が卒論や修論並みになってしまいますよ。レポートでどういう構成にするのか、どこにポイントをおくのか、箇条書きに整理をする、そこから、肉付けをしていくようにしましょう。
諸論文だけをみていれば、丸写しになってしまうのはあたりまえです。
No.2
- 回答日時:
あなたの立場が学士課程なのか修士課程なのか博士課程なのか分からないけれど、おそらく貴方の立場と学力では、本の丸写しみたいなレポートが限界じゃないかな?
そこを越えようとしたら、10冊以上は多種多様な文献、それも当時に生きていた人が記したような一次資料にあたって、それを解読しないといけないよね。
> クビライは日本と宋の同盟関係を見抜いていたので、日本を攻略しようとしたのである。
確かに、そういう説もある。
ただ元が日本の攻め込んだ軍勢を見ていると、2回目までは、どうも本気で攻略しようとしていない。
弱兵を頭数ばかり揃えている。
実施されないで中止になった3回目の元寇があって、どうやら、そこで精鋭部隊を用意していた形跡がある。
No.1
- 回答日時:
>自分はいつも読んだ本の丸写しみたいになってしまうのですが、どうすればいいですか?
あなたが考察したこと、主張したいこと、なぜそうなったかに対するの仮説(できればその理由・根拠、正しさを裏付ける事実・事例なども)などを書けばよいだけです。
まさか「何も考えなかった」ということはないでしょう? 「それ、本当?」「ええっ?どうして?」「嘘でしょ!」と突っ込みながら読んでいれば。
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写真見えないので書き途中のレポートここに補則します
蒙古襲来について
はじめに
蒙古襲来とは何が原因でどのような戦いだったのかまとめる。
1.蒙古襲来の原因
13世紀の日本は盛んに日宋貿易を行っていた。その中でも硫黄が原因になったのである。硫黄は宋が自国では入手できず火薬の材料に必要だったので、日本から取り寄せたのだ。
そして元にとって当時宋は最大の敵国であった。クビライは日本と宋の同盟関係を見抜いていたので、日本を攻略しようとしたのである。
2.日本と元軍の戦い
文永の役
元と元に服属していた高麗の連合軍9千人はまず対馬に上陸した。対馬では少弐氏代官宗右馬允と久根兵衛三郎資定が戦ったが討死(1)
弘安の役
おわりに
(1) 久根定能言上状『御旧判控』
(2) 『一代要記』
参考文献 服部英雄『蒙古襲来と神風』