あなたの習慣について教えてください!!

を読んで思ったのですが、どうして連合国は、日本に降伏を求めているのに、その返答の期限をさだめていないのでしょうか? ふつうなら何月何日までに、というように書くように思うのですが。

質問者からの補足コメント

  • 交渉のテクニックとしては期限をきめないほうが効果的なのでしょうか?
    それから、できれば期限を決めなかったことの根拠になるような資料があれば教えて下さい。

      補足日時:2024/09/20 14:48

A 回答 (7件)

期限を明示すれば、その期限が過ぎれば無効になるからです。


日本政府が和平のために重慶政府やソ連と秘密裏に接触していたので、日本に終戦の意思があることはわかっていましたから、条件を突き付けてそれを丸呑みするように締め付ければよかったのです。
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ポツダム宣言が日本に通告されたのは7月26日、ソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告したのが8月8日深夜で、時刻が8月9日を越えてから侵攻を開始しています。



ドイツがソ連に降伏した5月9日ですが、連合国側は、すぐにソ連軍に対日参戦を求め、ソ連軍の主力部隊が欧州から極東に移動し、対日戦の準備が整うのを待っていたのです。

ポツダム宣言は、ソ連軍の対日参戦準備が完了し、攻撃開始日がほぼ確定した頃に発せられました。
米軍は米軍で、週一ペースで原爆投下の準備が整い、第一弾が広島に投下されたのが8月6日ですね。第二弾の長崎が8月9日です。

連合軍としては、返答期限は関係ないということでしょう。
米国は、原爆投下とソ連軍の参戦で、自国兵士が死ぬことはほとんどない状態になり、日本がいつ降伏するかを高見の見物していれば済む話です。
ソ連はソ連で、日本の降伏が遅れれば遅れるほど、軍事的占領エリアを増やして自国の権益を主張できることになります。現実にソ連は、日本がポツダム宣言を受諾しても攻撃を止めずに侵攻を続けましたよね。
スターリンは、連合国内の米国が主導した戦後処理案が不満だったのでしょう。

日本はそうとは知らずに、ポツダム宣言を聞いても、ソ連が講和の仲立ちを引き受けてくれるよう必死に交渉していたのですから、トンだお笑い草です。

結局、原爆のこともありましたが、一縷の望みだったソ連が中立条約を破って侵略してきたことで、一気にポツダム宣言受諾の方向に動き、最後は昭和天皇の聖断を仰ぐ形で降伏したわけです。
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理由は


・いずれ日本が負けることは確実だったから
・戦後処理をふくめた日本への最後通告がポツダム宣言だったから
です。

つまり「ポツダム宣言」は降伏を求める文書というより「日本が降伏したときに、連合軍はこういう処理をすることを約束しますよ」という文章であったわけです。

なので、GHQが日本に到着し、マッカーサーが「日本に軍政を敷く」と宣言したとき、日本政府は「ポツダム宣言を受諾したのに、条件違反をするのは認めない」として、強く抗議し、結果的に日本政府は存続して新憲法も選挙による新しい議員たちによって可決、天皇によって発布されています。
(天皇が国事行為を行うのは新憲法からで、新憲法自体は旧憲法による天皇大権に基づく発布でした)

このような性格だったポツダム宣言ですから、期限を区切ると「その後日本が降伏したときの処理の仕方と日本への通告」をまたしなければならなくなります。

宣言が出た後何年も戦争が続いたなら、別の宣言がでたかもしれませんが、ポツダム宣言は7月に出され日本は1か月程度で受諾しているので、変える必要は無かったわけです。
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交戦中なのだから期限を切る意味がありませんね。



休戦、停戦中なら期限を切って返答がなければ交戦開始といった意味を持ちますが、
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そりゃあ、その条件に天皇を処刑する事が含まれていたからですよ。

そんな事、簡単に決められないじゃないですか。
どれだけ時間をかけても、天皇を処刑する事を国民に納得させろという事です。
天皇は、最初から処刑をされても仕方が無いと覚悟はされてましたけど、何とか東條英機が身代わりにA級戦犯として処刑される事で天皇の助命嘆願をし、それを連合軍が受け入れたという事です。
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相手にも準備がいると思ったからじゃないですか。

下手に実現不可能な期限を切ったら逆上するかもしれないし。
 余談ですが連合軍の日本本土上陸作戦では米軍に最大で100万人単位の人的損失が出るという予測もあったようです。
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当時の連合国も、日本本土への侵攻を避けたかったからです。



当時の予測だと、米兵が10万人以上戦死すると言われたので、もし本土侵攻が決まると反戦運動が高まって実行できず、一部の日本が持つ海外の領土を残しつつ休戦または終戦協定を結ばざる得なかったでしょう。

ただ、降伏を要求する一方で広島と長崎に核爆弾を落として大虐殺を行い、精神的に追い込ませたことは賛否が分かれるでしょう。
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