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なぜ、日本ではこうも長く世界一と言えるほど千年以上もの間、天皇が君臨してきたのですか?

「なぜ、日本ではこうも長く世界一と言えるほ」の質問画像

A 回答 (12件中1~10件)

いつと利用されるだけの存在。


今も自民党にいいようにあしらわれていますね。
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他の方の回答にあるとおり君臨したりなしていません。


日本の国教である天皇教(神道)のトップを世襲していたというだけです。
宗教なので寿命が長いですね。
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君臨なんかしていません、が正解と思います。

「君臨すれども統治せず」という人もいるが、君臨すらしていなかった。
たとえば、室町幕府は天皇から任命されていたが、次第に有名無実化していった。ある回答者が言うように、「日本最高権威である天皇の指示なので、自動的にみんな将軍に従ってくれる」のだったら、矛盾してますね。
天皇には権力も権威も不足していた。実際、武士同士の争いの「最終調停者」はろくに務めていない。権威があるなら、それが務まるはずだ。
「天皇が任命したリーダーに対して文句を言わない」なんて約束も、ありはしない。幕末の志士たちは、倒幕の密勅が出る前から、倒幕のために奔走していた。出る前は、将軍こそ「天皇が任命したリーダー」だったはずだが。

「天皇が日本の最高権威」という人もいるが、江戸時代の最高権威は徳川将軍だった。政治学で権威主義というが、権威者が権力者である政治体制を指し、江戸時代などはそれだった。将軍の権力は将軍の権威から発生しており、天皇の権威に依存していない。
江戸時代、将軍宣下(天皇が将軍を任命する)の儀式は、「京に上って天皇から将軍の役職をもらう」のではなく、逆に勅使が江戸城まで来た。将軍が上座、勅使(天皇の使者)が下座に座り、宣旨が渡された。宣旨の箱にリベートの砂金を入れて返すのがならわしだった。

天皇は宗教勢力に対する権威も失った。
それが紫衣事件(しえじけん)である。古くから朝廷は、諸宗の高徳の僧に紫色の法衣を許可していた。天皇が高僧を権威づけてリベートを得ていた。
しかし1613年、幕府はこれを禁ずる。その2年後の禁中並公家諸法度でも再度禁じた。当時の後水尾天皇は幕府に逆らって、紫衣着用の勅許を出す(1626年)。幕府はここぞとばかり勅許状(天皇のお墨付き)の無効を宣言した。高僧らを流罪にした(1629年)。
このように、幕府は天皇の権威すら一部は否定したうえで、一部だけ利用したのである。

天皇の領地(禁裏御料)はたった1万石だった。のちに将軍から加増を受けて3万石になったが、それでも小大名程度である。
お金に困って大嘗祭を挙行できない帝さえいた。大嘗祭は、現在の学説では「毎年行う新嘗祭の大型版」となってるようだが、昔の著名な学者・折口信夫は「天皇霊」説を唱えている。
それによると、大嘗祭の中心部分は真夜中の秘儀(秘密の儀式)で、新天皇は「真床襲衾」に臥して、その体に「天皇霊」が付着するという。それが天皇の天皇たる源だという。

まあ折口の説はともかく、大嘗祭は皇位継承に伴う最重要の宗教的儀式である。それを挙行できなかったことは、天皇の権威に響いた。かげで「半帝」と呼ばれる始末だった。
このような点から見ても、「宗教的な権威がリーダーを指名するやり方」だったとは言えない。

以上のように権力も権威も衰えた天皇が、なぜ幕末から明治にかけて復活したのか?
それは「足軽政府」のためだろう。倒幕や明治新政府で活躍したのは、足軽レベルの下級武士だった。将軍・大名などの上級武士を倒した。
新しい権威として、天皇を役立てるしかなかったのである(すごく古い権威でもあった)。こうして、皇国史観が捏造された。

しかし、明治維新後80年も経たないうちに、この体制は破壊された。
1945年8月日本はポツダム宣言を受諾して降伏するが、アメリカのバーンズ国務長官は同宣言の意味内容として、日本側に回答した。「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、〔中略〕連合国最高司令官に subject to する」。連合国最高司令官とはマッカーサーである。

このとき日本外務省は、「subject to」を「その制限の下に置かれる」と訳した。しかし、英語を解する人ならご存知のように、「subject to」は「…に服従(従属)させる」、「(人・国などを)…の支配下に置く」という意味である。
つまり、戦後の天皇はマッカーサーに従属して、その支配下に置かれた。7年間もである。

付け加えておくと、従属すれば庇護されるのも、世の習いである。昭和天皇もそれなりの地位を保った。
天皇は、進駐軍が占領統治を円滑に進められるように、日本の「お飾り」を務めた。敗戦国の傷心の国民にとって、「天皇陛下は今も宮城においでになる。お変わりあらせられない」は、心の支えだったのである。
天皇はマッカーサーに利用されつつ、いきのびた。

なお、ローマ教皇は「神の代理人」とも呼ばれるが、みずからは「神のしもべのしもべ」と称する。信徒は神のしもべであり、信徒に奉仕するのが教皇ということだ。そこまでへりくだってこそ、教皇はカトリック13億人をまとめられる。
天皇についても、みじめな時期が長かったことを日本人は知っている。だからといって軽蔑しない。君臨しなくても、一時期ガイジンに従属しても、「生きてるだけで丸儲け」である。あなたは私たちと同じだ。
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なんか、近視眼的な回答が多いですね・・



本当のことを書きます。
天皇が世界一の長さで君臨できたのは
・天皇が日本の最高権威で特に宗教的な権威でもあるから
・日本が異民族に支配されなかったから
です。

まず、人間というか「人間社会」には必ずリーダーを必要とします。ただ「誰がリーダーになるか?」はものすごい論争があります。
 たとえばロシアのプーチンは選挙で選ばれる大統領制のはずなのに、ライバル候補たちを逮捕したり暗殺したりして、何十年も事実上の独裁をしています。
 また韓国大統領が常に不幸になるのも有名な話ですし、アメリカ大統領選挙もここ数回大荒れになっています。

これらの話ですべて共通しているのは「お前がリーダーだというのは認めない、と言う人たちをどうやって納得させるか?(また抑え込むか)」という問題である、ということです。

これは自民党総裁選も同じで、今回石破氏が総裁に選ばれ首相になったのに、自民党内ですら「石破はダメだ!」という声が大きいわけです。

本来、社会を安定させるためにリーダーを選ぶのに、そのリーダー選びが社会的混乱の元になることも多く、戦争になってしまうことも多いわけです。

ではどうすれば、多くの人が納得するのか?
 その方法の中で近代以前ずっと利用されてきたのが「宗教的な権威がリーダーを指名するやり方」です。
 わかりやすく言えば、イギリス国王の就任に教会の大司教が「神の許しを得て、貴方を国王とする」と戴冠式をするような方法です。

ちなみにこれを破ったナポレオンは「皇帝」になりましたが、フランスだけでなく周辺諸国も大騒動になったわけです。

日本の天皇は毎年行う新嘗祭などで「日本のすべての神々に祈る」ということをしています。なぜ天皇が、いや天皇だけが《日本のすべての神々に一度に祈りをささげられるか?》というと、大和朝廷ができる際に「豪族たちの氏神たちをすべて朝廷で奉り、天皇が祈ることで豪族たちを平等に扱ったから」です。

これにより当時の日本(大体4世紀~5世紀ぐらい)は「天皇を中心とした各地の豪族がすべて平等に認めてもらえる社会」になったのです。

これにより、天皇は日本のリーダーになり豪族たちは公家となって平安時代まで上手くやっていたのです。

しかし、公家となった豪族たちは自分達の土地を離れて京の都で贅沢三昧をするようになります。地元を守り経営する人たちがやがて武士になり「なんで京に居る連中にこき使われなきゃならないんだ!」と反乱を起こします。

これがきっかけで《東の国の武士たちだけの自治組織を作りたい》と言ったのが源頼朝で、天皇は「じゃあ征夷大将軍にしてやるから、東国はお前が治めていいよ」としたわけです。

で、この時重要なのは「源頼朝を征夷大将軍に任命したので、東国の皆々は将軍に従いなさい。従わないと天皇に逆らうことになるので反逆罪(朝敵・国賊)とします」ということも同時に伝わっている、ということです。

つまりこの時点から「幕府を開くために、天皇から征夷大将軍に任命してもらうと、日本最高権威である天皇の指示なので、自動的にみんな将軍に従ってくれる」というメリットが生まれたのです。

これなら日本人である以上、天皇にはずっといてもらって、自分が天下を取ったら「オラを将軍に任命してちょ」とやれば、日本全国を簡単に統一できるわけです。

実際、戦国時代の「天下一」とか「天下統一」という言葉の意味は「京に上って天皇から将軍の役職をもらう事」だったわけです。

そしてこれは今も同じです。内閣総理大臣や最高裁判事長は「天皇が任命する」し国会の開催は天皇が招集する、と言うやり方をしているからです。

つまり日本は豪族たちが朝廷を作った時代から今に至るまで「天皇が任命したリーダーに対して文句を言わない」という約束があり、現代でも「天皇が任命したから、たとえ嫌いでもその地位についてはちゃんと従う」というルールができているわけです。

なので、日本の中では「誰がリーダーになろうと、天皇が《君がリーダーね》と任命してくれると、同時に日本人全員が《あいつが任命されたのか。しょうがない従うか》となる」ので、幕府の時代や戦国時代、明治維新後の立憲政府でも全部「天皇がいちばんの権威」であり、それを利用することで日本の社会を安定させてきたのです。

で、このような権威の仕組みは古代には世界中に存在しました。実際には19世紀ぐらいまでは結構多くの国でこのような仕組みがあったのですが、異民族による侵略や植民地支配でどんどん無くなってしまったのです。

その結果、今では日本の天皇家が「現存する最長の君主家」とされるわけです。
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「君臨すれども統治せず」という、近代のイギリスが発明したことになっている概念を、日本の皇室は知らず知らずのうちに実践してきたからです。



言い換えると権威と権力の分離です。日本の歴史の中で天皇自身が政治的実権を持った、持とうとしたのは、大化の改新、建武の新政、あと明治維新も入れてもいいかもしれませんが、期間としてはわずかしかありません。ほとんどの期間、実権を握っていたのは豪族やら貴族やら武士やらで、彼等によって担がれる象徴的存在として天皇は存在してきました。
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若い子達でも年末年始は初詣に自然と神社に出向く・・


観光でも寺社に行くことも多い・・
勘違いであろうがそれでまとまっていると感じること自体が
素晴らしいのでは?あえてそれを否定する理由もないです・・
被災地の人の言葉・・「天皇が声をかけてくれてがんばろう!と
思いました・・総理大臣ではそんなことは思えない」
これが全てかな・・と思います
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色々な理由がありますが、最大のモノは


天皇は、神と人間を媒介する存在だ
ということです。

ローマ教皇と同じです。

神様がバックにいるので、時の権力者も
手を出しにくかったのです。

○承久の乱
承久の乱で後鳥羽上皇と戦うことになった北条義時は、
落雷事故などがあると、これは祟りではないか、と
恐れおののいた、と吾妻鏡に記録されています。

○現天皇が皇太子の時、雅子さんと結婚しました。
パレードが始まるや
降っていた雨がピタリと止み、空が晴れ渡りました。
テレビで観ていたワタシの上司などは
やはり天皇は特別なんだ、と感激していました。


その他。

1,途中で権力が無くなり、ただのお飾りになった
 ので、滅ぼすよりも、利用するようになった。

 王権神授説と同じです。
 将軍を任命するのは天皇。

 なぜ将軍は偉いの?
 天皇が任命したからだ。
 
 現代でも、総理大臣を任命するのは 
 天皇です。
 国会は指名するだけ。

2,天皇は日本人の祖先。
 日本人の祖先を遡れば、皆、天皇に
 行き着く。
 そういう物語になっています。
 とてもじゃないが、滅ぼすなど考えられない。
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天皇が君臨してきた、この認識は間違いです。


これは共産党系の学者が作った幻想です。明治・大正時期でも憲法学者は天皇機関説を唱えて、天皇は政府の国民の意向に沿って機能しているとしています。戦前にあっても天皇が統治しているとは思っていないのですし、それの有無を真面目に国会や裁判所で議論していたのです。
奈良時代から現代まで、天皇は統治のシンボルですが天皇の権力で自らは統治をしていません。統治のシンボルであり最終調停者の立場で存在しているのです。
この統治のシンボルであり最終調停者の立場だったから長い歴史で天皇家は安泰だったのです。権力者は天皇を使って自らの権力とその正当性を示し、何か重大な問題で紛糾したら天皇の名で最終調停をして貰っていたのです。それで歴代の権力者は天皇を担ぐことに力を入れ、その地位を奪うことをあえてしなかったのです。
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神様だと長い間騙されてきましたが、騙されやすい性格なので、最近はオレオレ詐欺が利用していますね。

もはや、騙されるのは伝統ですね。
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長い間、神様と勘違いしてきましたから。

顔も見てはいけないとか。
それと、昭和には、マッカーサー元帥が天皇置いたままの方が操りやすいと思ったからでしょう。
つまり、勘違い人間が多いだけ。
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