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「ず」の連体形+「なり」で「ざるなり」ってでてきた時、「なり」は「伝聞推定」の場合も「断定」の場合もあるんですか? 「ず」+「断定の『なり』」のとき100%「ぬなり」になると認識していたのですが、間違えてたってことですか?

A 回答 (8件)

「伝聞推定」どんな状況を表現した場合にそれに該当するのかご存じ?。


多分、日本語文法の解説・・・なんてタイトルの文献から?。
でも幼児に文法なんか教えずとも勝手に日本語しゃべりだしますね。
日本語の会話、それを文章にした言葉が先なんです。
文法は後から、品詞分類に始まり、何らかの規則性があるものについて整理して体系づけたものなんです。
したがって、全体の内容が理解できてから、文法に照らして初めて、「伝聞推定」と判断可能になります。
先に意味として、形式のみで「伝聞推定」であるんだ、という決めつけはできません、文法の知識のみでは、まともな異本後しゃべれません。羅回できません。
中学の同窓生「勉強の仕方が間違っているのに気づくのが襲すげた」と言っている人がいました、最も「これではだめだ」とは早くから気づいていたようです、それfで1旧建築士資格を取り今は悠々自適です。
はよ勉強の仕方が間違っていることに気づく必要がありそうです。
参考
動詞の連用形なぜ連用形?、用言(活用する詞、動詞・形容詞・・その他)が後に連なる場合の活用。
で、見分け方として記憶したのが「ます・たい。ながら。て・た・たり」
いずれも用言ではありませんね。
代表(典型)的には用言なので、それ以外を見逃すことないように・・・。
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問題点


①「ず」の連体形+「なり」で「ざるなり」ってでてきた時
見事な回答あり
②「なり」は「伝聞推定」の場合も「断定」の場合もあるんですか?
現実に内容的にはそうなりますが、その場での形式では、断定で十分
③「ず」+「断定の『なり』」のとき100%「ぬなり」になると認識していたのですが
否定語「ず」と「ぬ」の相違についての理解が必要なんです
文字での表現の形式にこだわりすぎた結果問題点①②③がくそみそのごちゃまぜ。
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ついでに


①・・・ですよね、または・・・だよね
②・・・ですね、 または・・・だ②
①と②の表現の相違わかりますか。
②葉単なる断定の念おし?
①は余分な【よ】が入っています。

③そうでしょう。
④そうでしょうよ。
③は同意というより順当で異存なし
④は、単に異存なしではなく、当然(あたり前)、そんなことも知らない(理解できない)の!。
ということで、このカテで、「・・・ですよね」は質問の必要すらない内容ということになります。
断定は確定とは異なります。
確定はある程度それなりの客観性が必要なんですが、断定は主観オンリーでも断定は断定可能なんです、
伝聞情報をコピペ丸投げのままで断定するのも極めて自由なんでしわ。
味噌も、くそも一緒くたになったいるだけ。
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「ざるなり」は「ずあるなり」の「ずあ」の音が熟合したものです。



この「ある」には存在を表す動詞の場合と、断定を表す助動詞の二種類があります。

従って、このいずれの場合も「なり」が「伝聞推定」の場合も「断定」の場合もあります。

「断定の『なり』」は連体形の場合「なる」で「伝聞推定」の場合があり、「ず」+「断定の『なり』」のとき100%「ぬなり」になる訳ではありません。

そうした単純な形式的判断は誤りです。■
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NO3追記


伝聞情報の断定表現の例
このサイトでもたくさんあります、
最低レベルの質問で・
「・・・・ですよね」の形
断定助動詞「だ」の連用形「で」
「・・・・だよね」とすれば理解可能かな?
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伝聞情報


文字通りのみでしか理解できない可能性も否定できないのかも?
伝え聞いた、情報、伝え聞いた【だけ】の情報。
この【だけ】どうとらえるか。
「それのみ」ととらえると、伝え聞いた事実関係のみ、主観による判断は無し(当然伝え聞いた時点で、既に誤りの場合もあり得る)。
「唯それだけのこと」ととらえると、重要ではない、となり、主観的判断が入っていることになります。
文法では、通常は伝聞情報と言うより、「単純描写」と言う方が妥当のようにも思います。
その上で
「せぬ」「せず」
「せず」はその時点での客観的な単純描写、未来もそうなのか・、状況が変われば・・?当には一切言及んし。
「せぬ」は極端な場合は決意表明(主観)とも?、将来も多分そうだろうと予測可能。
表現には、常に、客観的な描写表現、と主観による表現が有ります。
どちらがベター・・・と言うおのは有りません、個々の内容によります。
ネットで炎上は、主観表現のみで振り回されている様子
ニュース報道は客観的事実関係のみが理想
学術論文等は、双方を明確にして区分する必要が有ります
それはそうと、いつも気になるんですが。
>「なり」は「伝聞推定」の場合も「断定」の場合もあるんですか?
どこで仕入れた知識なのか?
聞いた話、日本語を学ぶ中国人のために、中国人が著した「日本語の解説」などと、うたったものもあるようです、幼稚園児も間違えないような、内容が平然と載っていることもあるそうな。
伝聞推定であっても、当人がそれを発する時点では。コピペ丸投げ知識のままで信じこんでいれば、当然断定で表現します。
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「ず」、「ぬ」どちらも「否定」の表現ですね


個人的な感覚ですが
「ず」は客観的な表現
「ぬ」は主観的にとらえた表現
主観で、否定するのに伝聞はあり得ませんね。
文法だけにこだわると、そんなことになるのかな。
実際に使われている実例に多く接することも重要なんです。
言葉による表現は先にあり、文法は後からなんです。
現実の幼児も、文法なんか習う前に言葉をしゃべり、表現します
参考
以後こんな無様は、さらさぬ
以後こんな無様は、さらさず(まるで他人事?)
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「ず」の活用はご存知のように2列ですよね。

また「なり」は「伝聞推定」「断定」の場合があるので、ご指摘のようなややこしい問題が生じます。その識別についてもご指摘の通りですが、その部分のみ切り取って解釈するのではなく飽くまでも文脈に沿って判断すべきです。
この問題を単なる文法問題として扱うとドツボにハマること必定です。。
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