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日本語には夥しい外来語が入っていますよね。中には既に日本語にあるのに、わざわざ外来語というか英語を多用しますが、それにはどんな要因が考えられますか?

また、最近の質問「http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2636206.html」である方の回答によると、常用漢字の制定により常用漢字外の使用が制限され、また義務教育で中国語を習うこともないので、同時代的で国際的な繋がりも弱まり。日本語では漢字の成長力が止まってしまったそうです。それで、その方の意見によりますと「中学校で英語の代わりに中国語を教えたら 外来語の不必要な使用にも歯止めがかかり、状況が変わってくるかもしれない。」というようなことを仰っていました。私はこれも満更悪くないような気がします。というのは、初めての外国語なら英語よりは中国語の方が取り付きやすいだろうし、どうせコミュニケーションの為ではなく、試験の為の外国語なら何語でも同じだろうとも思います。それに、幼稚園から英語を習っても出来ない人は出来ないし、大学で第2外国語を始めてもマスターする人はマスターするので、高校で英語を始めても大きな支障はないようにも思います。論点がはっきりないと思いますが、タイトルにある質問と合わせてご意見を戴ければ幸いです。

A 回答 (11件中11~11件)

もともと日本語(やまとことば)は未熟な言語でに抽象概念を表すのが不得手だったんです。

古代には漢語を輸入して、特に抽象概念を表現しました。

江戸時代には漢文が知識階級の常識でした。明治時代になって、江戸時代には知られていなかった概念がヨーロッパから多数入ってきましたが、知識階級に漢文の知識が豊富にあったため、日本流漢語を発明して翻訳しました。読む方も漢文を知っていましたからそれで通用したのですね。日本流漢語は中国にも逆輸出されました。毛沢東は国の名前を決めるとき「中華人民共和国」のうち日本からの輸入でないのは「中華」だけだと知って嘆いたそうです。

大正時代以後は漢文が日本人の共有常識から脱落し、漢語による造語能力が極端に低下しました。そのとき、外来語をカタカナで表せば、ともかく表現できるということに胡坐をかいて、漢語に翻訳する努力を怠ったんですね。

さらに、欧米崇拝精神が根強く残っていますから、外来語をカタカナで表現する方がなんとなく知的に見えるという感じもあるのでしょう。コンピュータで、和田英一先生他が「プログラム」を「算譜」と書こう、「アルゴリズム」は「算法」にしよう、などと努力されましたが、追随者がほとんどいないので潰れてしまいました。

今でも文部科学省だったかが、外来語をカタカナでなく漢語にしようとガイドライン(これもカタカナだ!)を発表しましたが、たとえば「メセナ」を漢語にしようとしたら、メセナに思い入れのある文化人から猛反対を受けて後退した例がありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>毛沢東は国の名前を決めるとき「中華人民共和国」のうち日本からの輸入でないのは「中華」だけだと知って嘆いたそうです。
輸入というより「逆輸入」ですよね。しかし、皮肉ですね。

お礼日時:2007/01/05 12:12

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