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日本人は首狩り族なのでしょうか。日本人は源平の時代から戦のたびに、敵将の首を狩って褒美をもらってました。こうした習慣はずっと続き、新撰組の近藤の首がさらしものにされたりしてます。また西南戦争でも、西郷の首をさらされないように切り落としたと聞きました。明治時代でも、敵将の首を狩る風習は残っていたようです。こうした負かした敵の首を公然とさらしものにするという発想は、(首狩り族のように首を直接加工、保存はしませんが)首狩り族が戦争で倒した敵の首を飾る発想と近いものがある気がします。倒した敵兵の首を公然とさらす発想や習慣は、ヨーロッパやアラブでも日本の明治ごろまでなされていたのでしょうか。それとも日本だげなのでしょうか。歴史に関してはただの素人ですがよろしくお願いします。

A 回答 (14件中11~14件)

首狩族の一つと考えて問題はないと思います。


まず、戦場ですが武士は刈り取った敵の首を持って帰ることで、これが証拠になり恩賞がもらえました。その首がだれのものか判断する首実検も陣中でありますし、その首に対しての扱い作法も事細かくきめられていました。またその首に薄く化粧をほどこし見目良いようにするのは女性の仕事でした。戦場では味方同士で刈り取った敵の首を奪い合う首争いもありました。刈り取った首を入れる専用の「首袋」もあります。家紋で「串に刺した団子」という一見ほのぼのとしたものがありますが、これは槍に突き刺した敵の首をあらわしたものです。運動会の騎馬戦は帽子の取り合いですが、もちろんこの帽子の意味するものは首です
これらを見て他国の戦争と比較すると日本の場合首取りそのものが個人の目的ともとれ首そのものを特別視していることは間違いありません。

もちろん、首は生命の象徴であり死んだ首にはその人の力が宿るという考えもあります。また斬首は確実に相手が死にます。これらを考えると人を殺す場合、首をはねるという方法はもっとも効果的でまた宗教的見地からも納得のいく方法です。また示威的効果もたかいです。
刑罰としては1の方も書いておりますが、斬首は名誉のある方法でした。刑一等を免じて縛り首から斬首ということもよくありますし、ギロチンは罪人を瞬殺するための良心的な発明品でした。首切り役人は一発で首をはねないと見物人からブーイングをおこされましたし、首をきられる側も「うまく一発で切り落としてもらえるように」チップをわたしました。公開処刑というものは中世ではイベントであり市がたつほどでした。公開処刑の価値あることは原因と結果がよくわかることです。
子供心にも悪いことをすればどのような結果が待ち受けているかは容易にわかります。
現在では人権の名の下で密室でこっそりと行われます。人権保護主義者がどういおうと罪人のさらされた死体が本能的に原因と結果をうけとめるのはカラスの死体がさらされた畑にはカラスが近づかないことを考えても効果があるのは確かです。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます、やはり首狩り族なんですね。首争い、首袋、騎馬戦まで首に関係しているとは、ちょっと怖いですね。

お礼日時:2007/12/08 23:43

合戦で敵を討ち取っても証拠がないと褒賞はもらえません。


かと言って、体ごと運んでいては、一人討ち取ったら、そのあとは合戦に参加できません。
足や手では、名のある武将を討ち取ったとしても誰かわかりません。
なので、首です。
その時代に、写メがあったら、首は狩らなかったと思います。
証拠の写真を撮って、本陣で待つ大将に送信したでしょう。

首をさらすのは、「敵=悪」が滅んだ事を民衆に報告するためです。
現在、犯人の写真が新聞に載るのと同じです。

どちらも、首を狩って喜んでいたわけではないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。要するに首は証拠なんですね。首の重要さはわかったのですがたとえばヨーロッパの騎士達も、戦争で支配者が変われば日本の侍のように敵の将の首を公にさらしていたのでしょうか。

お礼日時:2007/11/21 01:49

中世とかそれ以前の神話の騎士でも相手の首を取るというのが映画の中


で出てきませんでしたか?300で、ギリシャの使いが王達の首を
持ってきたくだりがありました。

普通に今日がありますが、歴史上地球上で流された男の血はすさまじい量だと思います。覚悟の上でやっていたわけですから、普通の兵士でも
相手に切れらたり、銃撃されると分かっている中に進むわけで、

手を切り落とされり、目を付かれたり、腹部を刺されたり、そうゆう時代があって今ですから、彼らの偉業は忘れてはならないと思います。

第二次世界大戦でも、アメリカ兵は硫黄島で日本兵のすねの骨を
煮込んで骨だけにして首飾りにしていました。インディアンも相手の
頭の皮を生きたままはぎます。

普通の生活をしていたら分かりませんが、そうゆう生死を分ける
状況に常に身をおいて、戦うときは雄たけびを上げ高揚させ、会った
相手を殺す。という任務を遂行するわけですから、それをイメージすると単純に残酷というより、儀式を楽しむという事、であると確信しますが。

現代の感覚で良い悪いの問題じゃないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。たしかに戦場での兵士の心理は、現代の日本人には考えられないことだと思います。「第二次世界大戦でも、アメリカ兵は硫黄島で日本兵のすねの骨を煮込んで骨だけにして首飾りにしていました。」とは
恐ろしいことです、その人は復員してきちんと社会復帰できたか疑問ですね。

http://www.asyura.com/0601/bd45/msg/595.html

「ところで日本人も首への執着が強いように思う。中世の合戦は相互の大将の首取りゲームの要素があった。獄門という死刑にした上になおかつその首を晒すという刑罰には単なる“死”以外のものを首に価値づけているからである。江戸時代の赤穂浪士の討ち入りも吉良上野介を殺すことではない、首をとることに復讐の意義がある。吉良上野介の首を下げた行列を誇示して復讐のセレモニーが終了する。
 桜田門において水戸浪士によって井伊大老は暗殺された。水戸浪士が求めたのは井伊大老の死そのものではなくこれもまた首である。明治になっても西南戦争で敗れた鹿児島軍は大将である西郷隆盛の首をとられないように隠した。
 日本とカリマンタン島の中間になる台湾の高砂族も20世紀まで首狩りを慣行とした。日本人の首へのこだわりもその延長にあるような気がするが、民俗学の泰斗(たいと)柳田国男先生の膨大な著作にも日本人の首への執着についての言及は残念ながら一言もない。」

を読んでの疑問でした。こうした日本人の首狩りへの執着した理由はなんなんでしょうね。

お礼日時:2007/11/21 01:46

日本に限った習俗ではないでしょうね。


何故なら「刈り取った頚」というのは敵兵を倒したという「何にも勝る証拠」だからです。また、「素顔」を晒す事で斬首された者の素性を明らかにする効果もあります。斬首された者の知り合いが見れば、生前の面影を見る事も出来、より威圧効果が高い事でしょう。

敵兵の頚を晒さなくなったのは、戦死者が増えた近・現代戦が行われる様になってからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。たしかに斬首にはそうした効果があるのですね。
やはり、日本以外でも敵の敗将の首を狩る風習は近代までのこっていたのでしょうか。

お礼日時:2007/11/21 01:38

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