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お世話になります。

歴史音痴で歴史の本も一切読まない者です。

教えてください。

明治維新になるまでの経緯が知りたいです。

ペルー来航で「これ以上鎖国は無理??」で「開国意識」が全国的に
広まり熱く若き志士達が同盟を作り「革命」を起こし明治維新に
繋がったのでしょうか?

その熱く若き志士達が

坂本竜馬  (土佐藩)
高杉晋作  (長州藩)
西郷隆盛  (薩摩藩)
 
その他 沢山の人達。


解かり易く教えて頂けないでしょうか。

宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

徳川幕府瓦解と明治維新の流れは大きく3つに分けると良いと思います。



1.ペリーに代表される外国の植民地政策が、鎖国日本を刺激した初期。
 この時期はまだ幕府の威光が強かった時期ですが、平和ボケではいかんという論客達の国防論が出始めたころです。吉田松陰などは有名どころですが、他にも梅田雲濱(うんぴん)や横井小南などの論客や、薩摩・宇和島・水戸などの藩ぐるみでの対外政策論も沸騰した時期です。

2.幕府内は勿論のこと、日本中のあらゆる階級を巻き込んだ開国・攘夷議論が起きた混乱の中期。

 大老 井伊直弼のほぼ独断による米国との条約締結により、開国派と攘夷派の対立が激烈化してしまいます。政治論争から暗殺などの実力行使が横行し、幕府による反対勢力の弾圧(安政の大獄)が起こり、これに反発した反幕府派のテロの横行が井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)で頂点を極めます。この時点で「倒幕」という明確な目的が攘夷派の中に形成されたと思います。

3.世論を二分した倒幕運動~戊辰戦争へとつながる後期。
 長州藩と薩摩藩、土佐藩など関が原の戦い(1600年)の時に西軍に付いた藩は、江戸期には不遇な対応をされていました。特に下級武士(郷士)は、関が原で負けたがために、幕府から送られてきた上級武士には逆らえず、半農で生計を立てていました。こうして抑えてきた鬱憤が、討幕運動に火をつけたといえます。この時期は、前半の長州の暴発(天皇を奪って反徳川政権を目指すが失敗:禁門の変)と、薩長同盟(坂本竜馬が成し遂げた)後の新政府樹立に向けた時期になりますが、日本を二分した内戦へと発展していきます。

下記の人物たちは、上記の中でそれぞれが重要な役割を果たしました。
坂本竜馬(薩長同盟・大政奉還の計略)
高杉晋作(長州藩革命・倒幕戦争の開始)
西郷隆盛(薩長同盟~戊辰戦争・江戸城無血開城など)

彼ら以外にも、明治維新を導いた重要な人物はたくさんいますが、上記の3つの時期に分けて(賛否はあるかもしれませんが)考えると整理しやすいかと思います。

参考URL:http://www.bakusin.com/eiketu/eiketu.html, http://www.bakusin.com/sabaku.html
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この回答へのお礼

大老 井伊直弼の桜田門事件が無ければまた動向が変わっていたのかも!?

300年の幕政の終幕。
本当にすごい事ですね。

解かり易く教えて下さって勉強させて頂きました。

アドバイスをありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 13:45

無理です。

この時代は短期間に歴史的な事件が多発したことに加え、海外情勢や思想的な側面も絡んでいるので、真面目に説明したら一冊(あるいはそれ以上)の本ができます。
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この回答へのお礼

近く図書館で明治維新に繋がる書を借りて読もうと思います。

アドバイスをありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 13:58

>ペルー来航で「これ以上鎖国は無理??」で「開国意識」が全国的に


広まり

この時広まったのは「攘夷意識」です。
当時の天皇が外人恐怖症だったのと、徳川御三家のうち水戸藩が強烈な攘夷思想に支配されていたため、外人排斥運動が拡がりました。
その後、幕府はプレッシャーに負けて次第に開国するようになるのですが、ここで日本はテロの時代に突入します。
攘夷思想の浪人が幕府の要人を暗殺する事件が増えていくわけです。
幕府側も尊皇攘夷の浪人を取り締まる必要があり、京都で暴れ回ったのが京都守護職会津藩に雇われた新撰組。
坂本、高杉、西郷たちもこの頃は攘夷思想を持っていました。
ところが長州や薩摩は、外国と戦うことで彼らの強さを知り、一転、開国派に転びます。
またこの頃はアヘン戦争などで清がどんどん植民地化されており、薩長の中でも若手藩士たちは、もはや攘夷などと言っていられない、外国に対抗するためにも天皇を中心とした強力な日本を生み出す必要がある、といった確信を持つようになります。
さらに、長州征伐の失敗で、幕府はその弱体ぶりをさらけ出してしまいます。
そして、坂本の仲立ちでそれまで犬猿の仲であった薩長が手を結ぶに至り、倒幕へと向かうことになるのです。

ちなみに薩摩、長州、土佐は全て関ヶ原で西軍について苦杯をなめた歴史があり、その頃から彼らの中に倒幕の火種はあったと考えられています。
関ヶ原後、土佐は東軍の山内氏が治めることになりますが、坂本らは西軍について改易された長宗我部氏家臣の流れです。
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この回答へのお礼

関ヶ原の戦いでその後の火種がくすぶっていた・・・・・。
薩摩、長州、土佐藩の結束力があの戦いから潜在的に生まれていたのかも!?

解かり易く説明して下さって勉強させて頂きました。

ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 13:56

学問のジャンルです



質問程度のことは 図書館か書店で 何冊か眺めれば(購入して読めば)判ることです
手間と費用を惜しんではいけません
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この回答へのお礼

>質問程度のことは 図書館か書店で 何冊か眺めれば(購入して読ば)判ることです
>手間と費用を惜しんではいけません

その通りですね。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2008/03/29 13:37

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