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冷蔵庫のなかった時代、といっても江戸時代などではなく、
高度経済成長期で冷蔵庫が普及する以前は、
食材はどのように保存していたのでしょうか。

やはり塩漬け・乾物が主で、生鮮品は使い切る・・・
そういう意味では江戸時代とかと
基本的には変わらなかったという認識でいいのでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

もうかなり前ですが、明治生まれの祖母の家に、昔の冷蔵庫がありました。

氷冷蔵庫というのでしょうか。
大きな氷(30x20x15cmくらい)を冷蔵庫の上段に起き、冷気が下にさがってくる冷蔵庫でした。
当時そこの街中には、製氷屋さんがあったので、定期的に届けてくれていました。

もちろんすでに電気冷蔵庫もあり併用していましたが、それらもいまほどマイコン制御ではなく、必要以上に冷たくなると野菜などが傷んでいました。祖母は裏の畑でとれた野菜などを、氷冷蔵庫のほうにいれたり、小さな孫がすぐに口にするヤクルトなどを、そこにいれていました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
氷冷蔵庫は皆さんおっしゃっているように、かなり普及していたようですね。
私自身はまったく目にしたことがないので、興味深いです。
やはり高度経済成長期の電気冷蔵庫の普及で、完全に消滅したのでしょう。
とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:58

東京でしたが戦前の保冷は台所の床下でした。


台所は北側にあり床下は風も通り、夏でも涼しかったのです。
上げ蓋になっている床板をあげて、地面の上に新聞紙にくるんだ野菜を保管していました。   高温を嫌う糠味噌樽もありました。  魚は無理でしたが。
それから氷を使う保冷庫、戦後冷蔵庫になりました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際の話は具体性に富み、とても興味深いです。
都内にあった私の祖父母の古い家(戦後のものだと思いますが)にも台所の床下があったと記憶しています。
参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:54

>氷型冷蔵庫も買えない一般庶民は、当時どうしていたのでしょうか。



日持ちのしない料理や食材は、ご近所にお裾分けしてたのでは?
昔は今と違って、隣り近所の関係が強かった!と記憶しています。

ちなみに、
白黒テレビを近所で集まって観たり、お風呂を借りるという風景も
ありました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
「隣近所の関係が強かった」というのはそうだと思います。
実は私が幼児の頃、隣の人が電話を借りによく家に来てました。
(このような庶民の生活のあり方を何らかの形で記録しておくことが必要ですね。)
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:51

東京の話です。


曾祖父がやっていた工場に、戦前からGEのアメリカ製冷蔵庫がありました。主に工場・会社の厨房用で、工場の社宅に住んでいる人たちは、魚屋、豆腐屋、八百屋がくるので、生物はその日の内に(野菜類はぬか漬けもあり)、というのはかわりませんが、ときどき社宅に住んでいる工員さんとか会社の人がその電気冷蔵庫に週末用やお祝い事用のビール冷やしていることがあったそうです。
ラムネは氷屋さんから買った氷をいれたタライにつけてあって、一本いくらで工場の庭で販売していたのですが、氷屋さんがラムネを一緒に持ってきたと、父は記憶しているそうです(ラムネはビンがリサイクルできるので安い)。家庭には皆さまがいわれている、氷いれる冷蔵庫もありました。あと井戸が大活躍で、スイカ、トマト、きゅうり、の他に、一般の家庭ではビール冷やすのに(縄で3・4本くくるやり方があったそうです)重宝したそうです。蛇足ですが祖母は「疫痢(えきり)になる」と言って、アイスキャンデー、かき氷は絶対買ってくれなかったと、父は言っております。私にも、縁日のものは食べてはいけないと厳命しており、映画に行くと言うと、やたらなもの食べるんじゃないよ、と言っておりました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際の話は具体性に富み、とても興味深いです。
「アイスキャンデー、かき氷、縁日のものは食べない」という話は他でも耳にしました。
冷蔵技術が身近でなかった時代は、やはり食あたりが頻繁におこったということですね。
昔は大変だったんだなとつくづく思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:36

大昔、田舎でおばあちゃんと冷蔵庫のない生活をしていました。

そのときの記憶ではなします。(田舎なので都会はたぶん違うと思います)
 まず、野菜類ですが、畑にあります。またお互いあげたりしていて、実質的な物々交換で旬の野菜(旬以外は物流もだめなので食べられない)を食べていました。
 あと、店でしか売っていないもの(魚類)はその日のうちに食べました。(新聞紙に包んでおいたら結構冷たいままです)干物類も多かった記憶あります。(後は釣りで自給)
 肉・・・・・ってなんですか?そういう生活です。そういえば豆腐の味噌汁も食べた記憶ありません。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際に冷蔵庫なしの生活をしていたという体験談は
生々しく、貴重です。
お話を総合すると、やはり冷蔵庫なしだと、
食生活は江戸時代と基本的に変わらないということになるのですね。
大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:30

こんにちは長野県に暮らしています



私の近所に冷蔵庫という屋号のお宅があります
昭和25年頃まで氷室(ひむろ)を使ってお客さんの冷やして欲しい
物をあずかってお金を取っていたそうです。氷室さんという苗字のかた
や氷室という地名はそのなごりだと言われています
雪が沢山降る地方の話ですので参考にならなかったら申し訳ありません

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%AE%A4
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
「冷蔵庫」という屋号は珍しい!
氷屋さんが姿を消した今、時代の生き証人的な存在ですね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:24

昭和30年代中頃から、「テレビ、洗濯機、冷蔵庫」を「三種の仁義」とよんでいました。



東京ではそれまで、氷で冷やす冷蔵庫があり、縦型式の表面が木製で2扉式と外がホーロー仕上げで上蓋を開けるアイスボックス式の物とありました。
入れるものは、麦茶、毎朝届く牛乳やヤクルト、豆腐やさつま揚げなどのようなもので、冷蔵庫に氷があるまでに使い切るのが原則でした。

毎日、氷屋さんがリヤカーやミゼットで氷を届けに来ました。支払いは月末に払う「付け払」いでした。氷屋さんは冬は炭屋さんを兼ねているところが普通でした。その当時は練炭を火鉢に使ったり、コタツに使うところがまだありました。

冷蔵庫が有っても、生鮮食料品を購入するため夕方になると何処のお母さん達も買い物に出かけていました。
魚屋や肉やも今の様に数豊富にある時代ではありませんでした。
卵などは今と値段はほとんど変わらないほどで、貴重品でした。

早朝や夕方にはお豆腐やさんがラッパを鳴らして毎日、豆腐や油揚げ、納豆等を売りに来ていました。

また、何処の家でも牛乳やヤクルトの配達箱が家の前に在りました。

昭和40年くらいまでは真夏でも35度を越える日等はなかったように記憶しています。野菜やスイカなどは、水道水や井戸のある家では井戸水で冷やしていました。私の家の近くにはうなぎ問屋が数件あり、そこでは広い御影石貼りの土間にうなぎを大きなザルに入れ一つの壁の上から一日中井戸水をシャワーで掛けて居ました。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際の話は具体性に富み、とても興味深いです。
「氷屋」「練炭」「貴重品の卵」・・・時代の変化を感じますね。
「真夏でも35度を超える日はなかった」・・・そうだとすると、温暖化の進み方に恐ろしさを感じます。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:22

記憶では


いなか(農村など)においては
・なるべく保存食にする(乾物など)
・自分の畑で自給自足の家庭が多かったのでその日の分だけ収穫
・ほらあなを作ってそこへ保存
 (ある程度涼しいので、たまねぎ じゃがいも かぼちゃが
  長持ちする)
 (氷が中に残っている場合はいわゆる「氷室」ですね)
ということで たしかに 冷蔵庫にないときは
江戸時代と大差はないですね

なま魚は漁業組合から、氷ももらってそれで冷やすこともありました
漁業組合のでっかい冷凍庫に中に一時あずかりをしてもらって
いる場合もありました
すいかは 井戸のなかへつるして水でひやしてから食べました
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際の話は具体性に富み、とても興味深いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 15:17

http://fureai-rekishikan.cocolog-nifty.com/blog/ …

こんな記事がありました。


亡くなった祖母の話ですが(聞いたことあるんです^^;)
魚は塩漬け・干物が多かった。山育ちなので新鮮な魚はほとんど手に入らなかった。(すみません昭和初期の話かな)
農家だったので野菜などはその季節に食べるもの。
鳥はその場でしめて・・・というのは私も見たことがあります(おかげでしばらくは鶏肉・・・ダメでした)
山菜や漬け物、そういった物を食べていたようです。

でも上記のような氷を入れる冷蔵庫はあったみたいです。
氷屋さんがまわってきたと。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
実際の話は具体性に富み、とても興味深いです。
氷屋さんというのが昔は当たり前にあったというのが、
不思議な感じがします。

お礼日時:2008/11/08 15:09

今で言う食器棚のことを水屋、あるいは水屋箪笥と呼んでいましたが、冷蔵庫が普及していなかった頃はこの水屋に食べ物も入れていました。

そのために、風通しをよくして、なお且つハエが入らないようにするため、中段の扉に金網を張ったり、簀子(すのこ)にしたものが多くありました。 ただし食品・食材の保存については、ご質もにあるとおり、「塩漬け・乾物が主で、生鮮品は使い切る」と言うのが原則でした。 
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ありません。
水屋箪笥というものも初めて知りました。
そういわれてみると、漫画のサザエさんの中にそれらしきものが
出てきますね。(カツオがつまみ食いしようとしたり・・・)
とても参考になりました。

お礼日時:2008/11/08 14:57

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