今学校でマレーシアがイギリスの植民地だった時代について勉強しています。マレーシアは複数の国に植民地にされていたせいでウィキペディアなどで調べてもいろいろあって分かりづらいです。イギリスの植民地だった時代だけで、簡単に説明してもらってもいいですか?おねがいします。あと、よければなぜイギリスが植民地にし始めたかも教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

まず基本的なところからいえば、元々インドネシア、フィリピン、マレーシアなどという国は存在しません。

現代基準に考えようとするから、いくら調べても分からない。それは倒錯した発想であり、問題解決のアプローチが逆なんです。

帝国主義時代にオランダが今のインドネシアと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。
同様にアメリカはフィリピンと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。
同様にイギリスはマレーシアと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。

それらの地域が戦後、それぞれオランダ・アメリカ・イギリスから独立してインドネシア、フィリピン、マレーシアになった。

それだけの話です。何も難しいことなどない。単純極まりない。

欧米列強はそれぞれライバル国と対抗する為に東南アジアに進出した。欧米列強はそれぞれ妥協して縄張りを決めた。それだけの話です。欧米列強の都合で、国境が決められただけであって現地人の都合など全く関係ない。だからマレーシアだけを切り取って理解しようとするアプローチにも意味がありません。
帝国主義時代の列強の利害調整の結果が今のインドネシア、フィリピン、マレーシアだというまで。
    • good
    • 0

http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H19/kyouyou/ninge …
マレーシアということではないが、東南アジアのざっくりした歴史は上記のシラバス
    • good
    • 0

東南アジアの政治体制



内陸部の農業生産を中心にした勢力
沿岸部の貿易通商を中心にした勢力

これがお互いに攻め合ったり共存したりというのが大きな流れ。

大航海時代以降、欧州勢力が入ってくると、彼ら欧州勢力の目的は、貿易通商なので沿岸部の勢力に取って代わる。
だから、世界規模で海上帝国を構築した欧州勢力が、マラッカも抑えた。
マラッカ王国(イスラム勢力)→ポルトガル→オランダ→イギリス というマラッカの支配者の変移は、そのまま東南アジアにおける交易の主体者となります。

イギリスがマラッカを押させたのは、1795年 つまりナポレオン戦争でフランスとイギリスが対峙していたとき
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF% …
この時代です。

さて、19世紀に入ると産業革命が進み、海外植民地は、移民対象や貿易通商から資源の獲得、商品の販売地へと目的が変わります。
資源や商品の購買者は、沿岸部ではなく内陸部にいますので、イギリスは順次内陸部を支配下に入れていきます。
http://history.husigi.com/VHv2/koneta59.htm
錫が欲しくて内陸支配へ
http://www.kusamado.com/contents/sc_baio17.html
天然ゴムのマレーシアへの移植
    • good
    • 0

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC% …

上記の「歴史」の項で、イギリスが現在のマレーシアを獲得した1795年から、日本が占領した1942年までを読めば、簡単に分かります。

 イギリスが植民地にした理由は、東洋と西洋を結ぶ、重要な地理的な場所だからです。今でも(例えば、石油産出量の少ない日本に向かうオイルタンカーは、全部マラッカ海峡を通ります)海賊が根拠地としています。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qアメリカはなぜ日本を植民地にしなかったのか?

江戸時代にペリーが来たとき。第二次世界大戦後。アメリカは圧倒的な国力の違いで日本を植民地にできたはず。
ペリーが来たときは領土の拡大には関心がなかったんでしょうか?
事実欧米列強は19世紀アジア、アフリカなどに植民地を広げていました。
日本とタイだけがアジアで植民地になったことがないと聞いたことがあります。
占領されたことはあるけど植民地になったことがないのはなぜなんでしょうか?
植民地というより貿易はせまられましたが。
アメリカは島を領土にしたことがありますが、国を植民地にしたことはないみたいですが、ヨーロッパみたいに。
でもフィリピンは一時期植民地だったんでしょうか。
アメリカにはヨーロッパ的な感覚がなかったんでしょうか?
好戦的な国なのに。

Aベストアンサー

 幕末期のアメリカ合衆国は、まだ独立後100年程度で、イギリスなどと比較して、大した海軍力を持っていません。そのアメリカが、大西洋から、わざわざ太平洋に進出する訳がありません。また、ペリー来航後、南北戦争が発生して、国内も混乱しています。アメリカが、力を持ち始めるのは、第1次世界大戦後です。
 また、幕末期の植民地ですが、インドでは、セポイの反乱などが発生し、一筋縄では行かなくなっています。

Qイギリスがマレーシアを植民地にした理由

イギリスがマレーシアを植民地にした最大の目的とはなんなんでしょうか?
缶詰・ゴムの生産のための他にありますか?
参考のサイトもあればよろしくおねがいします。

Aベストアンサー

東アジアの海上交通の要衝、マラッカを抑えるためですよ。マラッカ海峡は東アジアにおいてはヨーロッパのジブラルタル海峡にも匹敵する存在です。
イギリスが七つの海を支配したのは伊達ではなくて、海上交通の要衝になるところはほとんど全てといっていいほどイギリスが支配していました。マレーシア支配もその一環です。イギリスとしてはマラッカ海峡さえ抑えればいいんですが、まあ国境線は向こう側にあればあるほどいいですからね。
あと質問者さんがあげていないことではスズがあるかしらね。

ちなみに、ゴムが非常に重要な戦略物質になったのは20世紀になってからです。なぜ20世紀なのかというと、車の発明と普及があったからです。そうです、タイヤの生産にゴムが欠かせなかったからです。車が普及するまでは、ゴムはそこまで重要な物資ではありませんでした。

Q中国は植民地化されなかったのではないですか?

アジアの中で植民地化されなかったのは日本とタイだけだと言う人がいます。

でも、中国もアヘン戦争などで負け、香港などの極一部が植民地にはなったものの、インドやインドネシアのように全土が植民地になったことは一度もなく、19世紀末は軍閥の台頭などで相当混乱したものの、中国大陸の9割以上は中国人が統治し、欧米や日本の植民地支配を受けなかったのではないでしょうか。
いや、中国全土は満州族による植民地支配を受けていたのだぞと反論する人もいるかも知れませんが、ここでの植民地支配は近代の欧米によるものを念頭に置いています。

Aベストアンサー

おっしゃる通りです。

列強による虫食い、蚕食の途上にはあったが、植民地化はされていません。

定義付けなど面倒だからしませんが、例えば、内政統治権・徴税権・外交権・軍事権など、要するに主権がどこにあったかを考えれば良いのです。

清朝、共産ゲリラ、割拠する軍閥勢力、国民党政府などなど、支配権は行き渡らず、分裂抗争やむことなく、大混乱状態が続いたものの、いっぽうの列強もまた、中国大陸を支配するほどの力なく、その決断もできず、せいぜい海岸べりや大河沿いの租借地や、狭い範囲の分捕り領地などの、有効活用程度に留まらずを得ませんでした。

条約や約束事などを、国際的に一貫して守ることは、上述の事情で、出来ないような弱体国家でしたが、とはいえ、主権は清朝政府、次に、国民党政府にあった、けっして外国にあったのではない、これは確かなことで、ゆえに植民地化されていたわけではありません。

Q戦争時代に日本領(日本の植民地)だった国の一覧

戦争時代に日本領(日本の植民地)だった国の一覧を教えてください!

Aベストアンサー

avgkbgtudiz さん、こんばんわ。

第二次世界大戦中でよろしいでしょうか?
詳細は下記のURLを参照ください。







大日本帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD

Q植民地

新植民地主義について調べてます。
wikiの説明が少し難しくて。ネット情報によると日本は戦前に占領して植民地化し、戦後にodaをばら撒いて新植民地化したと書いてありますが、マジですか?
odaで、損しているだけで、その国を植民地化しているという認識がまったくないのですが。
あと、この国は植民地みたいな国なんですか?周辺国の傀儡なんですかね?

Aベストアンサー

回答No.3です。
お礼欄での最質問に対して補足しておきます。

>日本のodaが賠償だったのですか?

直接的な賠償であったわけではありません。
名目上はあくまでも「政府開発援助(ODA)」です。
日本は戦後の国際社会復帰のため1954年10月6日にコロンボ・プランへの加盟を閣議決定しました。
コロンボ・プランというのは,戦後最も早く出来た発展途上国援助の為のプランです。
そして,そのプランのモデルとなっているのが米国のマーシャル・プランです。
日本は国際社会復帰の場として米国の後押しもあって第六回会合から正式に参加しました。

その辺りの事は,外務省のホームページに載っていますので引用します。

===引用===

戦後賠償と並行して行われた経済協力


 政府ベースの技術協力は上記のコロンボ・プラン加盟をもって始まりますが、資金協力は、1954年11月に署名された日本とビルマ連邦(現ミャンマー)の間の平和条約、賠償と経済協力に関する協定が発端となります。その後、賠償協定はフィリピン、インドネシア、ベトナム共和国(南ベトナム)との間で次々に署名されました。このほか厳密な意味での賠償ではありませんが、やはり戦後賠償の一環として、カンボジア、ラオス、タイ、マレーシア、シンガポール、韓国およびミクロネシアに対する無償資金協力(いわゆる「準賠償」)も行われました。このようにアジア諸国に対する賠償とそれに並行する経済協力として日本の資金協力が開始されたという事実は、日本と密接な関係をもつアジア諸国との協力を重視するというODAの基本方針を相まって、その後の日本のODAのアジア重視の原型となりました。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/pamphlet/oda_50/ayumi1.html
===引用以上===

上記の「厳密な意味での賠償ではありませんが、やはり戦後賠償の一環として」との記述から,ODAを行う動機として「戦後賠償」的な意味合いを持っていたというのが外務省の見解でしょう。
ただ,それは最初期だけであり,ODAの歴史の殆どは外交目的の経済援助です。
高度経済成長などを受けて,援助金も伸びそれによる経済大国として地位向上に繋がりました。
その一方で,大企業の海外進出の一貫(利益誘導)として行われたり,青年海外協力隊などの協力団体による不祥事や天下りなど問題点も指摘されています。


>レイプ魔欧米列強からアジアを独立させたのに。

日本がアジア独立させたかというのは,右の人と左の人で平行線をたどる議論です。
歴史的評価はまだまだ定まっていないと言えます。
その反面,イデオロギーにまみれた主義主張ばかりが目立つテーマでもあるでしょう。
私個人は,浅薄な知識しかないので逃げます。すいません。。。

>odaで、損しているだけで、その国を植民地化しているという認識がまったくないのですが。

ます,新植民地主義というのは戦前の帝国列強による植民地政策とはまったく別物です。
一見,独立国として存在していて国連にも加盟している国であっても,その国の国民が求める政治が行われるとは限りません。
新植民地主義としてやり玉に上がるのが,エジプトのムバラク政権です。
最近,クーデターにより権力の座を追われましたが,実に30年以上も政権トップについていました。
その背景には,米国による援助があるのは公然の秘密でした。
他にも中東諸国やアフリカ諸国に対して欧米が経済的・軍事的圧力でもって意のままにしてきた事も「新植民地主義」として批判されます。


>ネット情報によると日本は戦前に占領して植民地化し、戦後にodaをばら撒いて新植民地化したと書いてありますが、マジですか?

日本のODAが新植民地主義的であるかは別としても,経済的な意味で国際社会に影響を及ぼしたのは事実でしょう。
物事には善悪両方がありますが,悪い面に目を向ければ「新植民地主義」だと言う人もいるかもしれませんね。
まぁ,そういう人は悪い面ばかり強調したがりますが(ってこれは良い面ばかり見る人と鏡写しですけどね。)

回答No.3です。
お礼欄での最質問に対して補足しておきます。

>日本のodaが賠償だったのですか?

直接的な賠償であったわけではありません。
名目上はあくまでも「政府開発援助(ODA)」です。
日本は戦後の国際社会復帰のため1954年10月6日にコロンボ・プランへの加盟を閣議決定しました。
コロンボ・プランというのは,戦後最も早く出来た発展途上国援助の為のプランです。
そして,そのプランのモデルとなっているのが米国のマーシャル・プランです。
日本は国際社会復帰の場として米国の後押しもあって第六...続きを読む

Qイギリスは元植民地に対して謝罪や賠償をしたか?

少し調べものをしているのですが、イギリスが過去の植民地支配に対して謝罪や賠償をしたケースはありますか?

確かなかったはずだと思うのですが、なかったと言い切ってもいいのかどうか、そこまで現代史に詳しくないもので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

イギリスに限りませんが、欧米諸国の旧植民地から旧宗主国に対し行われている賠償請求(植民地支配そのものに対するものから、その過程で行われた虐殺に対するもの、資源や土地、労働力の収奪に対するものなど、請求内容は各種あります)は莫大なものになります。
例えばマレーシアで2007年に起きたイギリスに対する賠償請求デモにおける要求額はなんと「4兆ドル」でした。
しかしながら旧宗主国はどこも「植民地支配は合法に行われた」との立場を取り、奴隷貿易なども「現在の価値観では非道な行為だが、当時は合法」として謝罪や賠償は拒否しています。
イギリスの旧植民地ではジンバブエが旧植民地時代の土地収奪などに対し、もっとも強硬な態度を取っており、2000年以降白人農場主(イギリスに住んでいた不在地主も少なくありませんでした)から土地の強制収容を行いましたが、それに対し欧米諸国は経済制裁で応えています。
当然ながらどこか1カ所でも賠償すれば、世界中の請求運動に火をつけるのは目に見えた話であり、イギリスはそのような謝罪や賠償は一切行っておりません。

Q植民地支配の方法

こんにちは。
植民地ってどうやって支配してきたのですか?
欧米列強の植民地、日本のかつての植民地など。
ちょっと調べただけで、愚民化政策、分断政策、伝統の破壊
などがあるようで、もっと知りたいと思いました。
当事の植民地への法は皆無に近いくらい知らないです^^;。
それも知りたいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

欧米の植民地支配は、間接統治と言われるものが
多いです。
特に、英国の間接統治は伝統があります。

つまり、現地人に現地人を支配させ、おのれは支配する
現地人を更に支配する、という図式です。

目的は、資源などの収奪です。
これによって西洋は大きな富を得ることができました。
現在の豊かな生活は、これが資本になっています。
英国などは、この資金により産業革命を興すことが
できたほどです。


これに対して、日本のは少し違います。
韓国にしろ台湾にしろ、積極的に投資して教育などの
インフラを整えました。
そのお陰で、日本は赤字になりました。
大儲けした欧米とは偉い違いです。
現在の台湾韓国の発展はこれが下地になっています。

その理由ですが、日本は欧米列強の侵略に対抗
するため、台湾、韓国を強化しようとしたのです。
これは、戦後、社会主義諸国の防波堤とすべく
日本を援助した米国と同じ図式です。

Qアフリカの植民地政策とアジアの植民地政策の違いは?

アフリカのほとんどはイギリス、フランスが植民地にしていますが、この両国はどのようにアフリカを植民地支配して行ったのですか?武力で圧倒したのですか?また、アジアもアフリカと同様、ほとんどが白人の支配下に置かれましたが、アフリカ植民地化と同じように行われましたか? やっぱり有色人種ってだめだったんだなあと思っています。

Aベストアンサー

支配する側の心は何も変わっておらず、本質的な違いは何もない・・・と捉えるべきだと思います。
やり方が変わったというか、進歩したという見方が正しいと思います。

 白人の植民地に対する非人道的な身の毛もよだつような残虐行為は、我々日本人やアジア人の普通の人には到底理解できないと思います。
 彼らは、最初は現地人を皆殺しにして欲しいものを全て奪い去っていますが、それでは永続的に奪い続けることができないことに気づいて、現地の人間を奴隷化して奪い続けます。しかし、これだと現地に駐在した本国人が現地人の恨みを買って、現地人の反逆などによって殺されることが増えたため、当初は締め付けを厳しくしていましたがそれでも抑えることができず・・・。
 ここにきて、狡猾なイギリス・フランスは本国人が恨まれることなく、永続的に収奪しつづける手法を思いつきます。それは、現地人のなかで支配階級(民族)と被支配階級(民族)を作り、現地人どおしで恨み争い続ける仕組みをつくることです。そして、被支配階級には一切教育を受けさせず被支配階級が反逆する芽を摘み取っています。

 今の世界の大きな問題の多くは、イギリス・フランスを中心とした白人が創り出していますが、彼らの子孫は過去の国家的犯罪行為に対して謝罪することもなく、深く反省することもありません。

何故?
多くの日本人には理解できないことだと思います。

理由は簡単です。それは彼らが信奉する宗教にあります。
彼らの心は、昔も今も全く変わっていません。
懺悔すれば、過去の行為は全て許されるので、反省できない構造になっています。

 それに対して我々アジア人は、ヨーローッパの過酷な気象環境とは比べられないぐらい豊かな環境の中で生きているため、心がとてもまともです。頭脳は教育によっていくらでも高められます。
 日本も過去に植民地政策を推し進めており、そのことによって多くの現地人を苦しめた事実については反省しなければならないと思いますが、日本の植民地政策はイギリス・フランスのそれとは全く違っていたということだけは、我々子孫の義務としてキチンと知る必要があると思います。

 「大東亜共栄圏」とは、その言葉どおりで日本人と同等にしたかったのです。
そのため、現地のインフラ整備や現地のすべての子供たちに対する教育に力を入れています。

 この思想にも欠陥があり、やり方も間違っていたと思いますが、上記のような祖先の崇高な思いだけは引き継いでいく義務があると思います。

支配する側の心は何も変わっておらず、本質的な違いは何もない・・・と捉えるべきだと思います。
やり方が変わったというか、進歩したという見方が正しいと思います。

 白人の植民地に対する非人道的な身の毛もよだつような残虐行為は、我々日本人やアジア人の普通の人には到底理解できないと思います。
 彼らは、最初は現地人を皆殺しにして欲しいものを全て奪い去っていますが、それでは永続的に奪い続けることができないことに気づいて、現地の人間を奴隷化して奪い続けます。しかし、これだと現地に駐在し...続きを読む

Q韓国は何故日本の植民地になったのか

韓国は、『何が』『どう』なって日本の植民地になったんですか?
植民地になった、というのはわかるのですが
なぜ植民地になったのかが分かりませんでした。
近くには図書館が無いため、本を探すことができず、
検索をかけてもみつからず・・・
また、韓国が植民地にされていた時の様子、
植民地にかかわっている社会問題など
常識的なことかもしれませんが、
詳しく教えてください。

Aベストアンサー

>韓国が植民地にされていた時の様子、
すでにお答えが出ていますように、植民地にしたのではなく、望まれて(当時の朝鮮人の団体で改革派だった「一進会」より「韓日合邦を要求する声明書」というものも日本政府に提出されています)日本国の一部になったのです。当時、アジアで、欧米と対等に話が出来たのが日本だけであったことを考えれば、「日本人になる」ことの意味はわからなくもないでしょう?
強制労働についても、貧しかった朝鮮半島で求人が行われ、日本列島内の仕事場で行われた仕事が、たまたま辛かったというだけに過ぎません。当時日本は戦争をしていて(あるいは列強に対抗するため富国強兵政策の真っ只中にあって)、辛い仕事が多かったのは不自然なことではないと思います。日本人と同じ仕事をしていて、たまたまそれがきつい肉体労働だったというだけに過ぎません。そういう仕事は給料がよく、朝鮮半島から密航してまで就労しようとする人もあとを絶たず(当時の朝鮮半島は日本国内でしたが、混乱を避けるため半島-日本列島間の移動は政府の許可が必要でした)、半島から日本へ来てはいけないという政府からの通達が何度も出ているくらいです。ただし、戦争末期、決定的に人不足になったときには朝鮮で「徴用」が行われました。しかしこれは「強制連行」ではなくあくまでも任意でしたし、日本列島に渡って就労した後仕事を辞めても罰則なしというゆるいものであったのです。
従軍慰安婦についても同じことです。当時、売春は「政府の管理下で行われるものである限り」合法な商売でした。そしてまた、慰安婦の募集も基本的にはまたはじめは日本国内に限ったのです。戦地拡大に伴って、半島での募集も行われるようになりました。ですが、そういう商売において、女性を買ったり売ったりする職業というのは、いつの時代もそうですが後ろ暗い人たちの専売特許みたいなものです。今の風俗嬢が、いかにして風俗嬢になっていくかを考えてもそれはわかると思います。今とは比較にならないほど混乱していた当時、半島では女性を売り買いする商売(女衒といいます)の中には、若い娘をさらって強制的にそういう商売につかせる悪質業者がいました。それもほとんど半島人であったといわれています。日本政府は「そういうことのないように」とたびたび通達を出しています。これが後に「政府が関与した証拠だ」などといわれてしまうのです。
万事がその調子、今現在北朝鮮や韓国が「日本の戦争責任」を叫ぶ事柄のほとんどが、当時は自分たちが喜んで、あるいはしぶしぶであっても受け入れたことを、今になってまるで銃でも突きつけた上で強制されたかのように言っているだけのことなのです。
>植民地にかかわっている社会問題
今現在、朝鮮半島併合時に関わる社会問題は、ほとんど日本人が作り出しているといってよいでしょう。天皇を頂点とする国家作りのゆり戻しのような形で、戦後、万人が平等な国家作りをしよう、と考えるのがまるで義務であるかのようになりました。特に知識人たちはそれを喧伝し、万人平等国家のイメージは、共産主義に重ねられたのです。このため、戦後から1970年代くらいまで、共産主義信奉者にあらねばインテリにあらず、というような風潮すらあったのです。しかし、日本人の共産主義観はある意味特別でした。「何事も話し合いで解決し、誰もが何も強制されることのない国家」というイメージだったのです。現実の共産主義国家を見てみればそんなことは夢物語だとすぐにわかるのですが、日本の「インテリ」はその夢に酔ったのです。ところで、共産主義は革命によって作られる、というのが、最初にそれを唱えたマルクスの主張であることはご存知かと思いますが、革命を成功させるために、若者を以って自国の将来に絶望させる、という手が奨励されています。まあ、わからなくもないですね。自国の未来が暗いとなれば、理想に燃える若者は何とかしようとするでしょう。で、積極的に「共産革命」を求めなくても、いわゆる「共産主義国家」が失敗したのは、それが本当の平等国家ではなかったからだ、平等かつ誰も何も強制されない国家は、やっぱり作れるんだ、という、夢から覚めない人が日本には「インテリ」を中心にまだまだいます。こういう人たちは、現に国を運営するためにいろいろと規則を作り統制を取っている現政府を、「あれは自分たちが利益を得たいがために我々の自由を拘束しているんだよ」と宣伝する類のネガティブキャンペーンを今でも盛んに続けています。そして、前振りが長くなりましたが、そのネガティブキャンペーンのひとつが「アジアの人たちにあれだけひどいことをしたのに、自分たちの立場が危うくなり、賠償金を払わなければならなくなるのが嫌でアジアに対する罪を認めない日本政府」という宣伝なのです。
もちろん、本当に謝罪するべきことは、戦争中にはあったのでしょう。しかし、終戦時にそれについては話し合いがもたれ、条約を以って解決したとする以上、本当はあとからそれを持ち出すのはルール違反なのです。そのルール違反をしているのが、新しい「日本帝国主義の被害」が見つかったと言っては話を蒸し返す中国・韓国・北朝鮮、そして、そのネタを見つけては彼らをたきつけにいくのが日本の「インテリ」を中心とする、「政府が倒れればみんな自由で平等な国家が出来る」と夢想する人々…一部の人の言うところの「反日日本人」なのです。
彼らはもはや政府を倒すとかそういう本来の目的すら忘れ「日本政府を悪く言うことが、人間としての良心の証」と信じ込んでいます。そのためなら理屈なんてクソ食らえ、というのが彼らなのです。でなければ、なぜアジアに「与えた被害」と、たとえば原爆や東京大空襲、終戦直後のソ連軍進行によるシベリヤ抑留など「受けた被害」の両方を日本政府に補償を求める、などという変なことができるでしょうか?
話はそれましたが、植民地にかかわっている社会問題というのは、そんなわけであくまでも現在の日本の国内問題であって、中国や韓国や北朝鮮などの人は「反日日本人」の出汁にされているに過ぎません。このあたり、一見人間的・良心的な「被害者を救え」のようなスローガンにうっかりついて行ったら特定の思想を持つ団体に取り込まれていた、などということがありますので、重々気をつけてください。

>韓国が植民地にされていた時の様子、
すでにお答えが出ていますように、植民地にしたのではなく、望まれて(当時の朝鮮人の団体で改革派だった「一進会」より「韓日合邦を要求する声明書」というものも日本政府に提出されています)日本国の一部になったのです。当時、アジアで、欧米と対等に話が出来たのが日本だけであったことを考えれば、「日本人になる」ことの意味はわからなくもないでしょう?
強制労働についても、貧しかった朝鮮半島で求人が行われ、日本列島内の仕事場で行われた仕事が、たまたま辛...続きを読む

Q世界史(近現代) 従属植民地化と半植民地化の違いについて

今、学校で世界史をやっているのですが、18世紀後半頃からの帝国主義が広まったあたりの話で、

従属植民地化

半植民地化

の違いがよく分かりません。

分かりやすい説明をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

従属・植民地化
これは、アフリカや中東で使う言葉
半植民地化
これは、中国に関して言う言葉

従属・植民地化 なり 半植民地化 という「やり方」とかがあったわけでなく、「現在のこの状態や、過去のある時点のああいった状態を、ひと言でまとめると、どうなるかね?」という事で作られるのが「歴史的言辞」となります。なので、教科書でさらっと書いてあるほど明確ではありません。

従属・植民地化をアフリカ・中東で使うのは、エジプトのようにトルコの宗主権を取り上げて保護国化したところもあれば、南アフリカのようにイギリス人植民者がけっこうあったところなど、諸々のレベルがあるのを、強引に一つにまとめて言っちゃっているからです。

中国の場合、イギリス領香港とかいう例外はありますが、基本的には、「不割譲条約」なり、鉄道施設権なり、完全には植民地になっていない状態をまとめて「半植民地」と言っています。
※ 不割譲条約とは、福建省に関しては、日本の合意なく、他国に領土を割譲するべからずとか、揚子江流域に関しては、イギリスに合意なく、他国に領土を割譲するべからずという、「植民地予約券」みたいな条約です。

従属・植民地化
これは、アフリカや中東で使う言葉
半植民地化
これは、中国に関して言う言葉

従属・植民地化 なり 半植民地化 という「やり方」とかがあったわけでなく、「現在のこの状態や、過去のある時点のああいった状態を、ひと言でまとめると、どうなるかね?」という事で作られるのが「歴史的言辞」となります。なので、教科書でさらっと書いてあるほど明確ではありません。

従属・植民地化をアフリカ・中東で使うのは、エジプトのようにトルコの宗主権を取り上げて保護国化したところもあれ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報