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北海道大学教育学部後期日程に向けて小論文の勉強をしています。試験では課題文がつき、800~1600文字程度の出題が多いようですが手始めに600字以内で「体罰の是非」について書いてみました。しかし、目標字数の90%を超えることが出来ませんでしたが、他の部分で間違えてるところ、ここはこうした方がいい、読点の位置、字数稼ぎなどのアドバイスがほしいです。小論文は全くの初心者で、『小論文はこれだけ!』という参考書を読んだだけです。

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 最近、教師から生徒への体罰は減少傾向にあるが、厳しい教育を求められる中、果たして教師から生徒への体罰は悪いことなのか。
 確かに、体罰をしないで生徒をしっかり指導できたら問題はない。そして、生徒は大人になっても先生の真似をして、体罰のない平和で温厚な夫婦生活、教育、そして社会を築きあげることができる。しかし、私は体罰を悪いことだとは思わない。
 なぜなら、生徒が授業中に先生の言うことを無視して、おしゃべりや遊んでばかりいる無秩序な状態、いわゆる学級崩壊は口で注意しても無駄だからである。また、勉強に熱心な生徒は授業に集中できず、学力の低下の原因にもなり得る。体罰を認めることで、学級崩壊の原因となる生徒と勉強に熱心な生徒が授業に集中させることができ、一定の緊張感を持たせることで、クラス全体の学力を上げることにつながる。また、大人になった時に、子どもの頃に、厳しい教育を受けたため、強い精神をもって、困難な問題を乗り越えることができる。すなわち、人間として成長できるのである。
以上述べたとおり、今日、生徒の学力の低下が叫ばれる中、体罰はよいことだと私は考える。
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厳しめで評価お願いしますm(__)m

A 回答 (5件)

小論文は意見文であり、意見文については、何について論じているのかという議論の対象を明確にする(その小論文では何について論ずべきかという「論点」を見極める)必要があります。



ここでは、「体罰」が議論の対象となるのは当然ですが、何をもって「体罰」と観念するのかは論者によって異なることになります。例えば、生徒に大ケガをさせるようなものは、どのような論者であっても肯定することはないでしょうが、生徒に物理的な力を加えることすべてを「体罰」と定義すると、遅刻した生徒に対し、「今度から遅刻をするなよ」と言いながら出席簿で頭をコツンとすることも体罰ということになります。

試験で課される小論文については、与えられたテーマについて論理的に論じられるかとの点(自己の意見を、それを支える根拠を提示して、読み手が納得するように記載できているか)がまず評価されますが、その意見の妥当性も評価の対象となり得ます。大学入試であっては、教育学部であっても体罰を肯定したとしてもそれだけで不合格とされることはないでしょうが、教員採用試験であれば、教育基本法で体罰が禁止されているのに、体罰を肯定するような意見を述べれば不採用とされても仕方がないと思います。

小論文においては(実際の社会で意見を求められた場合でも同様でしょうが)、与えられたテーマについて自分の意見や感情をそのまま述べるのではなく、どのような意見を述べることが適当かという観点から記載内容を決めるべきべきです。すなわち、出題者に許容される範囲内の見解で自分の意見・感情から最も適当なものを記載するということになります。

体罰の是非をテーマとすれば、教育基本法で禁止されているように、「体罰」を肯定する意見を記載すべきではありません。なお、学術的な論文では、一般的に妥当とされている見解に反対する意見を説得的な根拠とともに提示する論文は高く評価されますが、入試などの小論文はそのような論文を書くことは求められておらず、時間的分量的制約から試験でそのような論文を書くことも不可能です。

体罰の是非をテーマとする議論で求められるのは、生徒の身体に物理的な力を加えたり、身体を拘束することがすべて「体罰」として否定されるかということだと思います。論者によって「体罰」の定義や内容が異なるので、質問者が体罰を肯定されるのであれば、その体罰とは何かを明確にされる必要があります(具体的な事象を書けるのであれば、それを記載することで説得力が高まります)。例えば、授業中におしゃべりをやめない生徒のところに歩み寄り頭をコツンとすることとか、「それだけ話をしたいのであれば廊下に出て立って話を続けろ」と立たせることが体罰として否定されるのかというような主張であれば問題はありませんが、その生徒にビンタを加えケガをしかねないようなこまでも是認するような主張であれば妥当なものとは言えないはずです。

私が出題者であれば、「体罰の是非」で論じてほしい論点は、「体罰が許されるかどうか」ではなく、「許されない体罰とは何か」、さらには「体罰とは何か」ということであり、その点で質問者が書かれた内容は合格点を与えられるようなものではありません。

なお、親が子供に手を挙げる場合に本当に子供のためを思った愛情からということがあるように、教師が生徒のための愛情から手を挙げることもあるのであれば、そのような場合には体罰も肯定されるという考え方もあり得るかもしれません。しかし、そのような場合であっても、体罰を禁止するのが公(教育基本法なり文科省、教育学部)の立場なので、積極的に評価するのではなく、「やむを得ない」とか「そのような教師を責めるのは酷である」といったような消極的な肯定にとどめるべきです。ただし、質問者が過去にそのような教師から体罰を受けたことがあり、そのことに非常に感謝しているといった体験があるのであれば、その体験を具体的に記載した上で、そのような体罰は肯定したいとの意見を述べれば、それなりに高く評価されると思います(質問者が書かれたような、生徒の立場であるのに、教師の立場ー上から目線ーで書かれるというのは、あまり印象のよいものではありません。18歳の高校生らしく素直に書くというのが、大学入試ではよいと思います)。
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「体罰」というテーマの場合、「体罰否定」の対になるのは「体罰奨励」ではなく「体罰容認」でしょう。



書き出しは「体罰容認(悪いことだとは思わない)」のスタンスだけれど、「体罰はよいこと」で結ばれています。「体罰導入で人間として成長できる」とまで断定的に書いてある。論理の破綻というほどではないけれど、テーマがテーマなだけに、教師への適正検査を兼ねるようなものだとちょっと危険、という気もします。

体罰否定の立場で書くと眠たい優等生的な表現になりがちでインパクトは弱いので、逆で書いてみようという狙いでしょうけど。


技術的なことを書いておくと、『体罰を認めることで、学級崩壊の原因となる生徒と勉強に熱心な生徒が授業に集中させることができ、一定の緊張感を持たせることで、』のくだりは、ちょっと言い回しが変(~が~させる)なのは気づいていますよね。

『体罰を容認することで、授業に一定の緊張感が保たれ、学級崩壊を誘発しそうな生徒と勉強熱心な生徒の双方が授業に集中できることが期待できるため、』くらいでしょうか。
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元塾講師です。



 体罰の是非に関してですがどちらでも構いません。小論文は論理構成を採点対象にしているだけで「どちらの方がいいか・加点減点対象になるか」という質問はよく聞きますが、国立大学に関しては関係ありません。もしこれが加点減点対象なら「思想の自由」を侵していることになるからです。


 ここからは添削内容です。
 冒頭ですが「~なのか」という疑問形式のものですがこれはやめた方がいいです。小論文というのは字数制限があり、本来は字数が足りないもの(本当ならもっとあってほしいもの)なはずです。それがこのような表現では字数がかさみますし、「私は○○と思う」の方が表現が簡潔です。減点対象ではないと思いますがストレートな表現でないためお勧めできません。
 「確かに~」ですがここは体罰否定派の意見等を書かないといけません。「確かに~、しかし…」の表現は前半は例外や一般の意見が書かれ、後半は筆者(あなた)の意見になりますがこれらは反対のものにならないといけません。前半の内容が「ないに越したことない」という内容なら後半は「しかし必要だ」という文にしないといけません。ただ、「体罰が悪ではない」というのが主題なので今回は前半部分を変えた方がいいでしょう。例としては「確かに一部で行き過ぎた体罰が行われたり、教育者の能力不足で体罰が行われるこはいけないが」等がいいでしょう。

(今回は全体の構成というよりここの表現に関してコメントするので私のコメント通り直してもまともな文にならないことはご了承ください。)

「なぜなら~」ですが最初の理由が長すぎます。私なら「なぜなら今まで体罰によって学校運営が適切に行われてきた経緯がある。例えば無秩序な学校というのは体罰がなくなったから起きている、また勉強熱心な子供の環境が悪化しているがこれらは体罰で防ぐことができるはずである」
などです。1文を長く癖は日本人に多いのですが小論文に関して言うと「主張内容やメインの理由は簡潔に」書いた方がいいです。句点を付けた後に細かいことを書いた方が簡潔になります。

「また、大人」の箇所ですがこれでは(文章の論理構成が)
なぜなら
(1)学級崩壊
(2)勉強熱心
(3)大人になったとき

 という構成になりますが、「確かに~」以降で(3)の逆の内容を肯定しているため(3)を理由にできないはずです。字数の問題で書いたのなら書かない方がいいですし、(1)や(2)の内容をもう少し書けば問題ありません。

 まだ日数はあるので再度質問してはどうでしょう?(この課題でなくてもいいのでないでしょうか)
ご参考までに。
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近未来の教育で「体罰肯定」は歴史の逆進になり、ありえないことです。


あなたの安直な思考は基本的に成り立たないテーマなのです。

なぜ体罰が禁止されたのか、体罰なしで学級崩壊を防ぐにはどうすればいいか。
こういった方向で論旨を進められるほうが良いと思います。
せっかくの若者の小論文です。大胆に、鮮新に前へ進めましょう。
テーマは絶対点数に響きます。
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・口頭注意、体罰以外の例も挙げて、それらのメリット・デメリットを述べて、最終的に体罰が最良だと述べたほうが説得力が増すと思います。

論述的に。文字数の許す限り。

・文字数は稼ごうと考えると内容が薄くなります。オーバーした文字数を如何にコンパクトにまとめるかを考えた方が内容は濃くなります。

・このテーマに対して、「体罰は良い」という結論は倫理的にどうでしょうか?
「限定的に体罰を認めるべき場合もある」と言ったくらいにしておいた方が良いですね。
「体罰は良い」と言い切っている人に教育は任せられませんから。。。

・「おしゃべり」はちょっと幼稚かなと思います。
「なぜなら、生徒が授業中に先生の言うことを無視して、おしゃべりや遊んでばかりいる無秩序な状態、いわゆる学級崩壊は口で注意しても無駄だからである。」
  ↓
「なぜなら、授業中に私語や授業と関係ないことをしているなどが過剰な、いわゆる学校崩壊に対して、口頭による注意だけでは不十分であると考えるからである。」

・「また、勉強に熱心な生徒は授業に集中できず、学力の低下の原因にもなり得る。」は、体罰が良いことへの理由ではないですね?「なぜなら。。。また。。。」とつなぐのはおかしいです。

・で、そのあと、「また、」が出てくるのは変です。たとえば、
「なぜなら、授業中に私語や授業と関係ないことをしているなどが過剰な、いわゆる学校崩壊に対して、口頭による注意だけでは不十分であると考えるからである。そのような状況の中にも、熱心に授業を聞きたいと考えている生徒もいる。勉強する環境として、適度な緊張感が必要であり、時には体罰を行使することで、適した環境を提供できると考える。また、体罰を経験した生徒は、将来社会に出た際、多少の困難に立ち向かえる精神力を養えると言ったこともあるだろう。つまり、適度な体罰は学力向上と精神的な成長が見込める環境づくりのツールとして必要だと考えている。」

などなど。。。パッと思いついたことをコメントしてみました。
何度も読み直してみてください。結構変です。
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